冬季オリンピック。
あとわずかで閉幕であるが、回を重ねるごとに新奇な競技が増えていくようだ。複数で競争するアルペンスキーはスピードスケートのショートトラックよりも見ていて危険な感じがする。またいつのまにやら複合とか団体とかスプリントだとか種目内の細分化が進んでいるように思う。その昔ジャンプの団体戦が行われると聞いたとき、いっぺんに全員で飛ぶのか、そのときは横並びなのか縦並びなのかと疑問に思ったことがある。
これだけ競技が増えるのなら、いっそのこと野球とソフトボールも次期冬季大会で採用されればいいのにと思う。
さて。
“阿久悠”は一発で変換できなかった。
なかにし礼を読んだときも思ったのだが、阿久悠もぼくの今思っていることに近い存在だ。それはベクトルの方向が昭和を向いていること。
昭和から平成になって、“歌謡曲”がなくなった。時代を映す歌がなくなった。流行の歌は個人の主張でしかなくなったという。それはもう20年以上も前、“中心から周縁”、“ヨーロッパから非ヨーロッパ”、“大衆から分衆”へなどというキーワードで語られていた。もちろん難しい話をする気はない。ただ個人の嗜好としてぼくは昭和が好きなのだ。そういった意味では阿久悠の詩にぼくは幼少の頃からずっと寄り添ってきた。いわばぼくにとって昭和のわらべ歌のようなものだ。
阿久悠となかにし礼を比較するのは愚の骨頂だろう。シャンソンの訳詩から出発した都会派の詩人なかにしと広告ビジネスに身を投じ、人に届く言葉(コピー)を怜悧な刃物で切り分けてきた阿久悠とはそのよって立つ土壌が異なる。おそらく、あくまで私見でしかないが、なかにし礼に「ピンポンパン体操」はかけなかったと思うし、ピンクレディをはじめとするアイドルたちをプロデュースする視点で作詞はできなかったように思う。
広告クリエーティブの世界になぞらえるならば、なかにしはあくまで個的経験を中心に悠久の世界観を紡ぎだす秋山晶であり、阿久悠はどこまでもストイックに言葉を捜し続ける仲畑貴志ではあるまいか。
まあ、そんなことはどうでもいい。ぼくは“昭和”と“昭和を愛する人”が好きなのだ。
この本の中で取り上げられた阿久悠の作品はごく限られたものであるが、備忘録としてぼくの阿久悠ベスト10を記しておこう。
1.「時代おくれ」/作曲 森田公一/編曲 チト河内、福井峻
2.「乙女のワルツ」/作曲・編曲 三木たかし
3.「熱き心に」/作曲 大瀧泳一/編曲 大瀧泳一、前田憲男
4.「あの鐘を鳴らすのはあなた」/作曲・編曲 森田公一
5.「青春時代」/作曲・編曲 森田公一
6.「白いサンゴ礁」/作曲・編曲 村井邦彦
7.「ブルースカイブルー」/作曲・編曲 馬飼野康二
8.「さよならをいう気もない」/作曲 大野克夫/編曲 船山基紀
9.「素敵にシンデレラ・コンプレックス」/作曲 鈴木康博
10.「契り(ちぎり)」/作曲 五木ひろし/編曲 京建輔
昔はきっと、こんなじゃなかったけど歳をとってかえっていい曲を好きになれたと思う。
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