縁は異なものというが、本のつながりもまたおもしろい。
もともとはよく仕事中に聴いていたガーシュウィンの「巴里のアメリカ人」から古い映画を観たくなった。その流れでちょっと小洒落たタイトルの『パリの日本人』(鹿島茂)を読む。そのなかで若き日の獅子文六のパリ滞在時の描写があり、フランス人の妻との間にもうけたひとり娘の子育て記であり自伝的小説ともいえる『娘と私』を読む。そのなかに塩原多助のような心境で生きていく所存が語られている。塩原多助は明治大正昭和のはじめまで修身の教科書に載っていたというから昔の人ならどんな人か想像がつく。知らない世代はただ気になるだけである。調べてみると多助は上州下新田の百姓で家を再興し、養父を供養するため江戸に出て炭屋として大成する壮大なドラマの主人公であることがわかる。作者は三遊亭圓朝。
ここでようやくこの本にたどり着く。
昭和という時代は20年までの戦前戦中期と戦後に大別できる。軍国主義と民主主義というまるで裏返しの時代が同居した時代である。戦後まもなく教科書に墨を塗ったのは昭和ひと桁の終わりからふた桁のはじめに生まれた世代だ。異なる価値観に二重に支配されてきた世代であるみたいなことを以前語っていたのは昭和10年生まれの大江健三郎だったか。残念ながらおぼえていない。
三遊亭圓朝は江戸と明治、すなわち近世と近代を生きている。安政の時代に真打になり、鳴り物入り道具仕立ての芝居噺で知られたが、明治になって素噺に転向。『名人長二』や『塩原多助一代記』といった人情噺や『牡丹灯籠』『真景累ヶ淵』などの怪談噺を創作した。
明治維新の前と後とで世の中がどう変わったか。興味深いテーマではあるが、実感しようもなければ想像のしようもない。時代の変化を見聞きしたくてふたつの時代を生きた三遊亭圓朝を読んでみた。うっすらわかってきたようでもあり、まだまだ雲をつかむようでもあり。
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