2009年7月19日日曜日

成田豊『広告と生きる』

梅雨も明け、いよいよ夏。
夏といえば、高校野球。
ではあるのだが、今年はうまいこと昼間の時間がとれず、母校の応援もままならない。組み合わせを見る限り、3~4回戦にはいけそうな気配が濃厚なのだけれど。

自民党はどうなっちゃっているんだろう。首相の低支持率、党内のごたごたが時期衆院選に甚だしい影響を与えるという。もっと楽しんでいいんじゃないか。楽しみを有権者に与えていいんじゃないか。小泉元総理の“抵抗勢力”じゃないけれど、麻生vs.反麻生を遊べば、勝ち負けは別として国民的に選挙は楽しくなるはずだ。民主になくて自民にあるのは、そういった層の厚さだけだと思うのだが。

昨年日本経済新聞に連載されていた「私の履歴書」をうっかり読みそびれていたので、九段下の千代田図書館の新刊コーナーで見かけ、我先にと借りて一気に読んだ。
1980年代後半、電通の社長は木暮剛平という人だった(ぼくの記憶の中でいちばん古い社長はこの人だ)。数年後に成田豊が社長になった。バブル経済の崩壊後、世の中もずいぶん変わったが、電通も変わった。
その後、俣木盾夫を経て現在は高嶋達佳が11代目の社長となっている。そして電通はさらなる変貌を遂げながら、世の中の変化に対応している、という印象が強い。
この本では筆者が大先輩にあたる吉田秀雄(第4代社長)の精神を引き継ぎ、広告の近代化と発展に自らを投げ打っていった成田豊の軌跡が記されているが、そのなか、随所に見られる彼の人間関係、家族への思いなどがその人物の大きさと深さを示していて興味深い。
吉田秀雄がすぐれたリーダーであったことは、彼の死後も後継者たちがその意思を受け継いだところにある。成田豊のリーダーシップもおそらくこの先何十年にわたって受け継がれていくであろう。


2009年7月17日金曜日

ゴーギャン展

夏の暑さのうち、梅雨明けから、8月にかけてがいちばん暑いと思う。
気温的にはその後、8月上~中旬高校野球の始まるころがピークなのかもしれないが、今時分の暑さは暑さに勢いがある。暑くなることになれていない“暑さ”がまだ未成熟なゆえに、力を発揮し切れていない、でもやはり無限のポテンシャルを秘めている、といった暑さだ。
そんな暑いさなか、タヒチの自然にふれあおうと竹橋の国立近代美術館で「ゴーギャン展」を観る。
今回の目玉はボストン美術館所蔵の「我々はどこから来たのか我々は何者か我々はどこへ行くのか」の公開だろう。

  D'ou Venons Nous
  Que Sommes Nous
  Ou Allons Nous

という左上隅に書かれている仏語の文字の印象もさることながら、すみずみにまで仕掛けられたゴーギャンの意思を感じさせる奥行きの深い絵だった。ここまでくると絵画は平面表現ではなく、むしろ立体造形物といえるのではないだろうか。
なんて思ったりして…。



2009年7月15日水曜日

フョードル・ドストエフスキー『罪と罰』

ロシア文学とは縁遠い生き方をしていた。
学生時代をふりかえっても、チェーホフ、プーシキンくらいしか読んでいない。メインストリームであろうドストエフスキーなど1頁たりともめくったことはなかった。トルストイはまだ少年少女世界文学全集のような子ども向けの本で接してはいたが。
光文社の新訳は読みやすく、すいすいいける。長生きはするもんだ。
もちろん旧訳に目を通したわけではない。ややもすれば光文社の仕掛けに乗ってしまった感も否めない。まあそれでもいい。「いま、息をしている言葉で、もう一度古典を」というキャッチフレーズもいい。
1巻2巻を読み終わって、3巻の発売が7月だとわかった。その間におそらく登場人物の名前なんぞ忘れてしまうだろうとも思った。ところがしおりに刷られた登場人物の紹介もさることながら(これはとても役に立った)、2~3週間空いたところでそんなこともお構いなしなくらいストーリーが脳裡に焼きついていた。
新訳だからおもしろかったというわけでもなかろう。わずか数日間に起こるドラマをさまざまな登場人物を通して多角的に凝縮したところにこの小説の勝利があったように思う。
機会があれば『カラマーゾフの兄弟』にもぜひチャレンジしたい、そんな気にさせてくれた。


2009年7月11日土曜日

ギ・ドゥ・モーパッサン『女の一生』

モーパッサンのこの名作をぼくは長いこと避けてきたように思う。その理由は邦題。どこかしら演歌の匂いのする、ぴんから兄弟ないしは殿さまキングスを髣髴とさせるこの題名に正直、抵抗感があった。どうやら明治時代に英語版から翻訳が出されたときに『女の一生』になったそうだが、いかにもヨーロッパで爆発的な人気を誇ったベストセラーの本邦発公開というちょっとした力みが感じられるタイトルだ。もちろん訳しにくいとは思う。“Une Vie”だもんね。まあ、凡人的邦訳ならば『ある女の生涯』って感じかな。
たしか『脂肪のかたまり』のときもなんだよこの邦題って思った記憶がある。
それはともかくモーパッサンはやはり短編の名手なのかなと思うのだ。この話も短編とは言わないまでも中編くらいにはおさまりそうな気がする。とりわけ前半部の描写がぼくには長く感じた。もちろん冒頭の雨のシーンがジャンヌの生涯を暗示してるんだろうなとは思うんだけど。

2009年7月5日日曜日

松岡正剛『多読術』

週末近所の体育館で卓球をする。とりたてて上手くもならないのだが、それなりに上達したい気持ちもあって、できれば上手な人と向き合って、苦手な技術などを反復練習したいと思う。
ところが多少顔見知りの、ただ当てて返すだけのおじいさんやおばさんによく声をかけられる、いっしょにやっていただけませんかと。とりあえずは壁打ちテニスの壁役くらいはこなせる。
以前、京都の四条を歩いていたら、関西弁の女性に河原町の駅はどこですかと道を尋ねられた(標準語で答える旅人に教えられてよかったのだろうか)。フランスではニース近郊のカーニュ・シュル・メールでバスを待つ女性に時間を訊かれた(なぜ外国人に訊くんだろう)。
人に道を尋ねられる人はそういう顔をしているらしいと知人に聞いたことがある。おそらくぼくは人から卓球に誘いやすい顔をしているのだろう。
さっきも言ったけど、できれば中級者上級者と打ち合いたいのは山々んなんだが、おじいさんたちとゆったり打ち合うのも案外悪くないと思っている。人間が鍛えられていく感じがする。

それにしても松岡正剛はすごい。
本と接する、その接し方が見事だ。
高校生や大学生の頃、松岡正剛を読んでいたら、きっとぼくの人生も変わったと思う(なんて、その頃はきっと咀嚼できなかっただろうけど)。

2009年7月1日水曜日

今尾恵介『線路を楽しむ鉄道学』

駒沢球技場で行なわれていた関東学生卓球選手権。
昨日ベスト8が出揃って、ぼくが応援しているペンホルダーの選手は男子ではひとりも勝ち残らなかった。筑波大の田代が中央大の瀬山に対して2ゲームを先取し、大物の一角を崩すかに見えたが、さすがに瀬山。3ゲーム以降修正し、後半は圧巻だった。駒沢大の桑原勇にも期待していたが、自分のペースに持ち込む前に専修大石井にストレート負け。石井は流れに乗ると強い。法政大大谷、埼玉工大伴もベスト16には届かなかった。伴の相手は明治大カットマン定岡。伴は両ハンドにいいものを持っているように思うのだが、根気というか粘り強さがない。
概ねシード選手が勝ちあがったが、第1シードの早大足立が明治大池田に敗れる波乱があった。波の乗る池田は準々決勝で専修大のエース徳増も撃破した。
決勝は大方の(というかぼくの)予想通り早大笠原対中大瀬山。瀬山のスピードに柔軟に対応できれば笠原だろうと思っていたが、結果はやはり笠原。秋のリーグ戦では明大水谷とのガチンコ勝負が見たいものだ。

卓球もさることながら、もともと鉄道は好きだったので、昨今、本屋に積まれた鉄道関連の書籍はうれしい限りであるが、実のところなかなかすべてに目を通す余裕がない。
先日仕事場の近くのY書店に光文社の新訳『罪と罰』の3を買いにいったところ、まだ出ていないという。1、2と突っ走るように読んできたので、ここで立ち止まるのもなにかなと思い、それなら鉄道の本でも走り読みしようかと手にとったのが本書。
鉄路にまつわる歴史的地理的エピソードはおそらく日本全国くまなくあるだろうが、なかなかいいネタを仕込んでいる。随所に地形図が載ってるが、筆者の手描きの図解のほうがわかりやすい。それと電車の中や喫茶店でひまつぶしに読むには少々重い。鉄道地形図や時刻表をかたわらに置いて、きちんと読むことをおすすめする。ちなみにぼくはネットでその都度“検索”するという横着な読み方をしてしまったが。


2009年6月27日土曜日

田家秀樹『いつも見ていた広島』

3つ上の姉が高校受験で夜遅くまで勉強していた頃、ラジオでよしだたくろうのパックインミュージックを聴いていて、そのすごさをよく聞かされた。
よしだたくろうはテレビに出ないという。それだけですごいと思った。「人間なんて」という曲をコンサートで何時間も歌い続けるという。これもすごい。「イメージの詩」という曲があって、6分くらいの長さだという。これまたすごい。古い水夫は古い船を動かせないかもしれないが、新しい海の怖さをちゃんと知っているのだという。六文銭のメンバーと結婚する。それで「結婚しようよ」などという曲をヒットさせた。コンサートでは「帰れコール」を浴びせられる…。まあ、何から何まですごいことずくめのシンガーソングライターだった、ぼくにとって。
その吉田拓郎もついに最後のコンサートツアーに旅立った。

この本は広島でバンドをやっていた頃の二十歳前後の、フォークの貴公子と呼ばれる前の吉田拓郎が主人公。小説となっているのである程度脚色されたところもあるだろうけれども、拓郎の青春時代を垣間見られる貴重な資料だ。フォークのたくろうがこうやって生まれたんだなと思わせる叙述が随所に見られる。
田家秀樹は毎日新聞の夕刊にも現在連載を持っているが、日本の音楽シーンのちょっとした歴史家だ。ぼくのような団塊世代の12周遅れの人間にも懇切丁寧に史実を語り継いでくれる先生だ。

2009年6月22日月曜日

泉麻人『東京の青春地図』

卓球の日本リーグが今ひとつ盛り上がっていないような気がする。
ひとつには先の世界選手権で活躍した日本勢の若年化があげられる。男子単ベスト8の吉田海偉(現在はフリー)、男子複の岸川聖也をのぞくとほとんどが大学生、高校生だ。もちろん韓陽や福岡春菜など世界ランカーも参戦しているのだけれども。
それとリーグ内で格差が大きすぎる。男子でいえば協和発酵キリン、東京アート、シチズンが強すぎる。この3チームだけでリーグ戦をやればいいんじゃないかとも思う。
あと、まあこれはどうでもいいことだが、東京大会の場合、場所が遠すぎる。別に綾瀬が辺鄙な場所だとか東京の田舎だと言っているわけではない。代々木とか、駒沢とか、千駄ヶ谷とかさらに盛り上がる会場もあるんじゃないかって気がするのだ。しかも土足厳禁。入口でスリッパに履きかえるそうじゃないか。スリッパの嫌いな人は上履きを持参するそうだ。
重ねて言うけど綾瀬が辺鄙な場所だとは思っていない。そのうち、そう、泉麻人あたりが散歩をして、雑誌のコラムに気の利いたことを書いてくれるだろう。

子どもの頃、従兄弟と六本木の釣り堀に行った記憶がある。六本木かどうかは定かじゃないんだけど、従兄弟が六本木に住んでいて、退屈だからといって、三河台公園のあたりからタクシーに乗って釣りに行ったのだ、小学生の分際で。なんとなく、おぼろげな記憶では東洋英和の近くかなあと思っていたんだが、何年か前、一緒に仕事をしている広告会社のS君が幼少の頃六本木に住んでいたというので釣り堀のことを話したら、「ああ、ああ、ありましたよね、釣り堀。昔のテレ朝のほうじゃなかったでしたっけ」という。それからしばらく釣り堀のことは忘れいていた。
先日、本屋で立ち読みをしていたら、その釣り堀のことが書いてあった。それだけうれしくて買ってしまった。
場所は南麻布。本村小学校のすぐ近くに、今もその釣り堀はあるようだ。
そういえば最初に就職した会社に泉麻人同様、付属から慶應に上ったKくんというのがいた。やはり広告研究のサークルに所属していたそうで泉麻人のことを朝井さんと本名で呼んでいた。そんなこともあって、ぼくも泉麻人を心の中では朝井さん、と呼んでいる。

2009年6月17日水曜日

ビートたけし『漫才』

先週、近所の体育館で卓球をしていたら、いつもいっしょに練習しているMさんが具合が悪いといって、外で横になっている。体育館の館長も心配して、救急車を呼ぶことになった。誰か付き添いということで、ここ3、4ヶ月毎週のように顔を合わせているぼくが同乗することになった。もちろん救急車に乗るなんてはじめてのことだ。
近くの病院まで搬送され、待合室でしばらく待ってたら、先生と思しき方が来て、急性心筋梗塞の疑いという。そういえば救急車の中で胸が苦しいとか言ってたっけ、Mさん。その日は夜になって、ご親戚の方が病院に駆けつけて、ぼくは解放されたのだが、はやめの処置をしてほんとうによかった。
翌日、Mさんから留守電話にメッセージが残されていた。集中治療室を出て、一般病室に移ったという。それでも2週間ほど入院しなくちゃならないそうだ。
体育館ではじめのうち、昨日飲み過ぎちゃってとか言っていたので、なんだMさん二日酔いなんじゃないのとか笑っていたんだけど、笑ってる場合じゃなかった。
話変わって、ビートたけし。
毒舌は毒蝮三太夫をはじめ、話芸の1ジャンルとして確立されているが、ツービートの漫才は群を抜いて、おもしろかった。おもしろかっただけじゃなく、毒舌の基本である痛烈さをはるかに飛び越えてくだらない。この「くだらなさ」を極めるあたりがビートたけしの大物たるゆえんではないだろうか。
もちろん活字で読むツービートもそれなりのリズムやテンポがあってよいのだが、これを原作にぜひ、近い将来、映画化して欲しいものだ。



2009年6月13日土曜日

TCC広告賞展2009

高見山の東関親方が定年ということで、マスコミで連日のように取り上げられている。高見山といえばぼくたちの少年時代にはもっともアイドル的な力士だ。当時NHK解説者玉の海、神風らから再三のように腰高、下半身のもろさを指摘され、結局関脇止まりだったが、それでも大相撲の世界で果した貢献は大きい。
ニュースでは相撲人気を盛り上げた力士、曙、高見盛など育てた親方、それに何にも増して、遠く異国ハワイから単身高砂部屋に入門し、慣れない環境、ましてはどこよりも厳しい角界で、日本人以上に日本の心を育んだ先達として、外国人力士がこれほどまでに増えた現在の相撲界のパイオニアとして賞賛を浴びせている。
もちろんこれら東関親方の足跡は多大な評価を受けてしかるべきだが、ぼくが何よりも高見山に偉大さを感じるのは65歳の定年まで健康で相撲道を貫き通したことだと思っている。とかく、力士はその見かけに比べ、怪我や病気にもろい。高見山は現役時代から故障に強かった。休場もごくわずかだった。その力士時代に学んだものを親方になってからも自らに課し、大きな病にかかることもなく、定年まで寡黙に後進の指導にあたることができたのではないか。
以上はTCC広告賞展とはなんら関係のない話だ。
上記展示が13日までの開催と聞いて、あわてふためいて汐留のアドミュージアム東京に出かける。
昨年はオリンピックイヤーで広告的には盛り上がった1年だったと思うのだが、そのわりには表現的にはいまひとつだったような気がする。前回同会場で開催されていた『中国国際広告祭展』にも同じような印象を持った。
獲るべき作品が順当に受賞し、切磋琢磨がなかったんじゃないかと思えるほど、強い作品とそうでない作品ときちんと線引きされたみたいだ。広告表現の世界も格差社会なのか。
新人賞の作品で見た九州の質屋ぜに屋本店のTVCMが秀逸だった。彼女の誕生日を前に部屋の中の質草が思い思いに語り始めるというもの。ちょうど『罪と罰』を読んでいたせいもあるかもしれないが、妙に感慨深かった。最後の腕時計の台詞がいい。

2009年6月7日日曜日

島田雅彦『小説作法ABC』

先日夜中に録画しておいた『未来世紀ブラジル』を観る。はちゃめちゃな映画だが、なかなか愉快で飽きさせない。
今日は午後から近隣の体育館で卓球の一般開放がある。先週はどこの体育館も5週目の土日ということで開放の割り当てがなかった。中一週開いたので、多少混雑するかもしれない。
毎日新聞の夕刊に島田雅彦が法政大学で小説の書き方を講義していると紹介されていた。その講義をまとめたのがこの本。
実のところ、島田雅彦の本は読んだことがなかった。
小説作法云々というといわゆる教養書的な文章読本みたいなイメージをつい持ってしまうが、これは歴とした小説の教科書である。あいにく、今のところ小説家になる予定はないので、さらっと読み終えてしまったが、これから文学で身を立てんとする若者たちには心強い本なのではないか。
それでもああ、小説家ってたいへんなんだなあといまさらながらその苦労がわかっただけでも今後の読書の一助になるだろう。それに引用されている数々の作品は、これから読みたい本のリストをつくるのに役立つと思う。


2009年5月25日月曜日

『三島由紀夫レター教室』

東京六大学野球春のリーグ戦は、打力好調の法政と若い投手陣で勝ち残ってきた明治の争いとなった。
慶応は主戦中林が孤軍奮闘したが、力及ばす。秋の巻き返しを期待したい。早稲田は投手陣は充実しているものの、大一番の法政戦で斎藤、大石が打ち込まれ痛い勝ち点を落とした。松本、細山田、上本の抜けたあと、確固たる守備体型をつくれていないのが大きいのではないか。土生は外野で使うのか、宇高はショートなのか、サードなのか、松永はセカンドか、ショートか。下級生の渡辺郁、松本も含め守備位置を固定して、レギュラーを競わせなければ、秋もこのままずるずると優勝できないままではないだろうか。
ついさきほど、法明2回戦は終わったようだ。今季を象徴する打線の勝負強さで、法政のサヨナラ勝ち。救援の1年生三嶋が3勝目をあげたようだ。ベストナインの投手部門は選出が難しい。
みしま、といえば字が違うが、三島由紀夫は、その研ぎ澄まされた言語感覚のせいで読み手に緊張感を与える作家のひとりだと思っている。この作品の存在は本屋で見かけるまでついぞ知らなかった。おそらくは啓蒙的な視点で書かれた文化センターの教養講座のテキストのような本だろうと思って読んでみたが、随所に光る表現がちりばめられ、さすが三島は、こんな女性週刊誌の連載(と、けっして女性週刊誌をさげすんでいるわけではないが)にも天才の誉れ高い文章を掲載するプロフェッショナルだと再認識した。


2009年5月7日木曜日

わぐりたかし『地団駄は島根で踏め』

久しぶり、である。
世界卓球も無事に終わった。
男子単は王皓が実力どおりに勝つことができ、ついに世界の頂点に立った。ベスト4に残った馬龍、王励勤、馬琳とは力はかなり拮抗していたが、本人の言うとおり、心の準備がしっかりできていたということだろう。次回王皓を破るとすればおそらく馬龍のはず。松平健戦で消耗したにもかかわらず、準決勝まで順当にきた馬琳、ディフェンディングチャンピオンとして恥ずかしくない卓球ができた王励勤も評価したい。とにかく中国は強い。都道府県大会でひとつふたつ勝つのがやっとの高校と青森山田が試合するくらいの差があるといってもいいだろう。
女子単は張怡寧が順当勝ち。郭躍も強いが、張怡寧が万全なら付け入る隙はない。張は卓球選手を超越した体力と運動センスを持っている。ただ「卓球が強い」、「卓球がうまい」だけでは勝ちきれる相手ではない。
それにしても過熱報道で大いに盛り上げてくれた某テレビ局。最後の決勝戦では、郭躍を「中国の愛ちゃん」と言っていた。それってどうよ?むしろ福原がいつの日か「日本の郭躍」になってほしいものだ。
あ。
で、この本は語源をめぐる旅の本でね。著者は放送作家であるらしく、番組制作のノウ・ハウが随所に活かされていて、よくまとめられている。内容的にはテレビ番組か、趣味のウェブサイトでもいいかなとは思うけれど。


2009年2月3日火曜日

ラフォンテーヌ『寓話集』

競馬のジャパンカップがはじまったのが、1981年。その記念すべき第一回に名を連ねた日本の馬の中に阪神3歳ステークスや小倉記念などを勝ったラフォンテースという名牝がいた。もともとラフォンテーヌとつけたつもりが、ヌをスと読み間違えられて、ラフォンテースになったという逸話も残っている。
で、その間違えられたラフォンテーヌ。『寓話集』は以前から読んでみたかったのだが、書店で見かけたことがまったくといっていいほどない。去年行った信山社にもなかったくらいだから、これはもう筋金入りの「ない」だ。たまたま岩波書店のホームページを見ていたら、オンラインで注文できることがわかって、さっそく注文。近所の書店に届くまで何週間かかかったが、無事上下2冊を手に入れた。

どうも年末年始は例年、知識欲が減退する。下期のラジオ講座が挫折するのも正月だし、読書量もめっきり減る。そのぶん、PDAにインストールした数独で脳トレしているんだが、年末から引きずっている仕事が順調に行かないせいか、ストレスで卓球のラケットを無駄に素振りしている。

寓話というのは、知的で遊び心に満ちた文化人のたしなみ、といったところか。今でいえば新聞のコラムのようなウィットとセンスで綴られたもの。こういう才能を持った大人になりたかったな。

2008年12月20日土曜日

鹿島茂『フランス歳時記』

もうすぐ今年も終わろうとしている。
フランスではその昔一年のはじまりは春分の日に近いマリア受胎告知の日3月25日だったという。一週間かけて春分の行事を行ったあと4月1日にプレゼントを交換した。16世紀に1月1日が一年の始まりの日になった。それでも新時代に対応できない人たちは相変わらずプレゼントの交換を4月1日に行っていた。若者たちはこうした時代遅れな人たちをからかおうと贈り物と称して空の箱を贈ったり、架空のパーティーの招待状を出した。これがポワソン・ダヴリル、英語で言うところのエイプリル・フールのはじまりらしい。
以前にニースで日本の漫画をちりばめた「AGENDA日仏手帳」というノートを買った。ちょっとした予定表に日本の文化や習俗を紹介するコラムが載った手帳である。平日には1日1ページを当てており、ヘッドに大きく日付が記されていて太字の曜日と月の名前にはさまれている。たとえば11月11日なら“JEUDI 11NOVEMBRE”とされている。そして月名の下には小さく“Saint Martin”とある。
これはなんだろうと思っていたのだが、フランスでは1年365日が聖○○、聖女○○と呼ばれる守護聖人の祝祭日に充てられていて、11月11日木曜日(この手帳では2004年)は聖マルタンの祝祭日であるということをあらわしていたのだ。
この本にはフランス、主にパリの1年の移り変わりを日々の守護聖人のエピソードの主だったところにふれながら、旅行ガイドや滞在記とはひと味違った形で紹介してくれている。1月から順番に12の章で構成されているが、各月に生まれた、あるいは亡くなった文化人紹介のコーナーもあり、ヴォルテールやマリー・キュリー、モンテーニュなどご無沙汰している方々に久しぶりに会えた。クロード・シモンやマリー・タリオーニなど初めてお目にかかる人もいた。
もともとどこかで連載してあった小文をまとめた本なのであろう。簡潔に整理されていて、読みやすい。その反面、同じパターンが12回繰り返されるので単調な印象もあった。ところどころに書き下ろしのコラムなどを挿入してもよかったんじゃないかとも思う。


2008年12月14日日曜日

林芙美子『風琴と魚の町・清貧の書』

景気が悪い。
中小企業は、どこもそうとまでは言い切れないが、資金繰りがたいへんだろう。ボーナスがカットされたりしているところも多いはずだ。
川本三郎が解説の中で林芙美子は貧乏を楽しんだ作家と評していた。いかにどん底の生活で喘いでいおうと、ユーモラスを忘れず笑い飛ばしてしまうくらいの気概が彼女の作品を支えている。同じ貧困でも『居酒屋』のジェルヴェーズのように貧困の末、酒におぼれ身を滅ぼしていく凄惨さがない。貧乏の度合いはいずれも同じかもしれないが、日本的な奥床しさや情緒が貧困の芯の部分に隠されている美徳と上手に絡まりあって、作品としてあたたかさを醸し出しているような気がする。
日本の企業にも不景気を笑い飛ばすくらいの度量があればいいのだが、事態はかなり深刻のようだ。



2008年12月10日水曜日

山田篤美『黄金郷(エルドラド)伝説』

またしても中公新書。
中南米に関しては知識はないが、興味はある。国立科学博物館でナスカ展とか、インカマヤアステカ展などを見るとただただ圧倒される。そんな興味の延長線上にあらわれた本がこれ。ヨーロッパ人の探検はロマンなんかじゃなくて、帝国主義的侵略の一環であるという視点からとらえた中南米の歴史である。
主たる舞台はベネズエラ。先住民の営む水上生活を見て、小さなヴェネチアという意味のベネスエラと呼んだのが国名の由来だそうだ。故海老一染太郎の「土瓶が回ってドビンソンクルーソー」でおなじみの『ロビンソン・クルーソー』も18世紀大英帝国の南米植民推進をねらって書かれた物語だという侵略思想的解釈も新鮮だった。
本書はコロンブス上陸以降の真珠時代、オリノコ川からエルドラドへの遠征時代、イギリスによる植民地建設、拡大(そして挫折)の時代という流れに沿って、今日のベネズエラに至るまで構成されている。500年の間に実に興味深い出来事を垣間見ることができたが、中南米の歴史のさらにおもしろいところは、それ以前ではないかという気もしている。ということで次回は西欧化以前の中南米にスポットを当てた本を読んでみよう。


2008年12月5日金曜日

シャルル・ペロー『完訳ペロー童話集』

12月だ。
今年の仕事納めは12月26日だという。最終週には飛び石連休もあり、もし景気がよければ、とんでもなくひっちゃかめっちゃかな年末になるだろう。そうならないで欲しいとは思うが、ここのところの景気の低迷を考えると忙しいだけ忙しい方がとりあえずはいいのかも知れない。まあ、複雑なところだ。

神田神保町に信山社という書店があり、岩波書店の本を中心にした品揃えで以前はよく立ち寄ったものだった。最近ではそこそこの規模の本屋で岩波の文庫や新書は当たり前のように見られるが、昔はそうでもなく、ちょっとした大型書店か町の本屋でも店主にこだわりなり、しっかりした考え方があるような店構えのところにしか置いていなかった。いや、実際はそうじゃないかもしれない。たまたまぼくが足繁く通った本屋のうち何軒か限られたところにしか岩波の本がなかっただけ、だったのかも。まあかれこれ30年くらい前の話だけど。
岩波の文庫や新書で、大きめの書店に在庫のない本は信山社に行くとある、という記憶が頭の片隅に残っていたのかもしれない。ラフォンテーヌの寓話集をさがしに行って、ペローの童話集を買った。こういうことはそう珍しいことではない。
ところで信山社のブックカバーが以前と変わらなかったのがうれしかった。表紙側には湯川秀樹のコメント、裏表紙側には井上靖のコメントが力強く書かれている。
古くからヨーロッパに伝わる民間伝承を本にまとめたのがペローといわれている。ペローがいなかったら「眠れる森の美女」も「サンドリヨン(シンデレラ)」も形にならなくて、ディズニーランドもできなかったに違いない。でもペローがいなければ、誰か別の人が書物にしたかも知れないし…、などとあまり「たら」とか「れば」とかで頭の中を膨らませない方が精神衛生上はよろしいかと。
ああ、年末は暇だといいが、あまり暇すぎるのもいやだし…。

2008年11月30日日曜日

佐藤雅彦『四国はどこまで入れ換え可能か』

仕事で埼玉の所沢に行った。
うちからほぼ1時間。さほど遠くない。
午前9時過ぎに着いたのだが、西口の商店街はすでに人通りも多く賑わっている。独特なにぎやかさだ。
西武線の所沢駅は不思議な駅で右から西武新宿行きが来たかと思えば、左から池袋行きが来る。いったい東京はどっちなんだかさっぱりわからない。それと駅に降りるとそばつゆの香りがする。ホームにある立ち食い蕎麦屋から立ち上ってくる。
行き帰りの電車の中でこの本を読んだ。
特に感想はない。

2008年11月29日土曜日

角田光代『さがしもの』

早く週末が来ないかなあと思って日々過ごしていたせいか、あっという間に12月の足もとまでやってきてしまった。

仕事場に滑舌の悪いやつがいて、そいつのところにある日3つだけ願いを叶えてくれる神様がやって来たんだそうだ。そのときたまたまものすごく腹が減っていたので「とりーずうあいああえんくいたあす」と言ったんだと。まあ滑舌が悪いせいで神様は「え?」と聞きかえしたそうな。そこでもういちど「とりあえずうわいらあえんくいたあす」と言ってみたのだが、それでも神様は聞きとれず、さらに「え?」と聞き返す。こんどはちゃんとゆっくり大きな声で「とりあえずうまいラーメン食いたいです」と言った。と、その瞬間、そいつの目の前に見るからにうまそうなラーメンが3杯あらわれたそうな。

角田光代の『八日目の蝉』を読みたいと思って、書店に寄って帰ろうとしていいたら電車の吊り広告で新潮文庫の新刊があると知り、書店に入ったら『八日目の蝉』のことはすっかり忘れて、その新刊の文庫をさがしたが見あたらず、『おやすみ、こわい夢を見ないように』を買って帰った。その何日か後、電車の吊り広告で新潮文庫の新刊を思い出し、先日買ったのがこの『さがしもの』である。
まあ、なんていうのか、要するに本との出会いは素敵だな、という本である。


2008年11月25日火曜日

安達正勝『物語 フランス革命』

連休最終日は冷たい雨に見舞われた。
中公新書は地道にいいタイトルを揃えていると思う。というのは先入観に過ぎないのだろうが、いちどそう思ってしまうと中公新書の新刊から目が離せなくなる。
フランス革命に関して、人はどの程度の知識を持ち合わせているのだろう。
ぼくの場合、少年時代に機械的に暗記させられた1789年という年号とマリー・アントワネットの処刑と、あと、名前だけ知っていて、たぶんフランス革命関連の人名、ワードだろうと思われるロベスピエール、ジロンド党、ジャコバン党、くらい…。ナポレオンはフランス革命の後の人で、ジャン=ジャック・ルソーは前の人…。
恥をさらすことを覚悟の上で吐露してみたが、もしこの程度の知識しか持っていないようだったら、ぜひこの本をおすすめしたい。難しくなく、松平アナの語りのように流れててゆき、いつのまにかフランス革命は終わっている。おぼろげだった人の名前がちゃんとつながってくる。これなら子どもに訊ねられてもある程度までは答えられそうな気がする。
そういうわけで(どういうわけなんだかよくわからないが)次回はやはり中公新書の『黄金郷伝説』を読んでみたいと思っている。


2008年11月21日金曜日

角田光代『おやすみ、こわい夢を見ないように』

こないだ銀座の天龍で餃子を食べた。以前は勤めが銀座だったのでたまに行っては特大の満州餃子を平らげたものだが、かれこれ10年以上訪れていなかった。
ときどき店の前を通りかかって、食べようかなとは思うのだが、昼飯時はたいてい行列でちょっと入りにくい。先週はちょうど13時をまわって、空きはじめたころ通りかかったのでつい中に入ってしまった。
久しぶりの餃子を食べて、懐かしく思ったのも束の間、若い頃とは胃袋の構造が違ってしまったのか、半分くらい食べたところでもうかなりの満腹感。それでもなんとか巨大満州餃子を8つ完食、ごはんも残さず食べた。無茶ができた若さが懐かしい。
読む本がなくなると手に取るのが重松清だったり、角田光代だったりする。別にホラー小説ではないんだけれど、読んでいて恐ろしくなる。ああ、人間って怖いなあとこの本を読んでつくづく思った。
今度は夜、ビールとともに天龍餃子を食したいものである。



2008年11月16日日曜日

大塚英志『ストーリーメーカー』

今年の野球も大詰めを迎えている。
大阪では社会人選手権が、東京では明治神宮大会が開催中だ。社会人選手権と明治神宮大会の大学の部は今年1年の締めくくり的な大会だが、高校の部は来春の選抜大会を占う上で重要な新チーム最初の全国大会。10地区大会を勝ち抜いたチームによるトーナメントで決勝に進んだ地区からは選抜大会の枠が増えるということで注目度も高い。でも、ここを勝ったからといって、来春、そして夏も強いかといえば、案外そうでもないのが高校野球。この後も予測しがたい浮き沈み、下克上があるからおもしろかったりするわけだ。
外国語を学ぶには系統だった文法知識と単語の習得が早道らしいが、母語と異なり、意識的に言語と接していかなければならないという。そういった意味で物語の構造を意識してストーリーを組み立てるという手法は無意識の領域を意識化するという意味で新しいといえるだろう。だけどどれほどの人がこうして機械的にストーリーを開発しているのだろうか。
文章はやや難解で誤植や助詞の抜けがときおり見受けられ、まあ編集者のチェックもれなんだろうけど、最近の売らんがための新書づくりにはこの程度のミスはあって当然と思うべきか。そんなことが気になるのはたぶん、読書の神様がぼくにもっとちゃんとした本を読めと戒めているからじゃないかとも思う。


2008年11月14日金曜日

林芙美子『放浪記』

徹夜の仕事が続いたりすると、こいつがひと段落したら、ローカル線にゆられて少し遠出をしよう、行った先に温泉でもあれば、ゆっくり浸かって、何も考えない一日を過ごそう…などと決まって思う。特に行き先は決めていない。水戸あたりから水郡線に乗って、あるいは拝島から八高線に乗って、はたまた五井から小湊鉄道に乗って、などとおぼろげに思うのはなぜか関東近郊の非電化区間の気動車で、キハと形式表示されているディーゼルカーがなぜか旅情を誘う。こんなとき、寝台特急で北国に行きたいとか、国際線に乗って近隣諸国でうまいものを食おうなどとは思わない。きっと持って生まれた貧乏性が歳を重ねるごとに深く心身に刻み込まれてしまったのかもしれない。
『放浪記』というと森光子しか思い浮かばなかったが、林芙美子のシベリア~パリの旅の手記を読んで、俄然興味がわいてきた。この人が根をはらない生き方をしたのは、哲学としてそうなんじゃなくて、宿命づけられていた運命だったのだ。人生を旅になぞらえる生き方をする文学者は数多い。しかしながら、林芙美子は天性の放浪者、筋金入りの旅人だ。そんな思いを強くした一冊である。

2008年11月8日土曜日

藤原智美『検索バカ』

先日、仕事帰りに軽くビールでも飲もうと門前仲町のすし屋に入った。カウンターに腰掛けようと思った矢先に背後から声を掛けられ、振り向くと友人のOさん。名古屋でクリエーティブディレクターをしている彼とは仕事仲間というより飲み友達。ときどき名古屋に出向いては明け方近くまで飲んでいる。Oさんの出身中学とぼくの出身高校が統合されて中高一貫校になり、変則的な同窓生でもあったりする。それにしても、門前仲町、すし屋、深夜12時というピンポイントの邂逅とはなんたる奇遇。

昨今の読書界を生き抜く上で重要なのは、“いかにも”な題名にだまされないことだと思う。とりわけ新書でそのことが強くいえる。たかだか半日で読み終えてしまうにしても、空振りのダメージは大きい。
『検索バカ』とは、まさに“いかにも”だ。情報化社会=現代を検索であるとか、空気などというキーワードで切ってみたようだが、あまりにも精神論で、論理の飛躍が大きく、単なる生き方指南の書の域を出ない。経験談がところどころ語られているが、それとてたいした魅力もない。この本で言わんとしていることと題名がマッチしていないのは、ねらい(うけねらいという意味で)なのか、編集者のいい加減さなのか、そろそろ新書を担当する人たちは心を入れ替えてほしいものだ。

で、Oさんはその1時間半後くらいに帰っていった。
別れ際、じゃあ、今度は名古屋で、と。結局おれたちって飲むことしかない頭にない。


2008年10月30日木曜日

ヘルマン・ヘッセ『車輪の下』

神田まつやで、昼、蕎麦を食って、神保町界隈を久しぶりに歩いた。ミズノ(昔は美津濃だったな)などスポーツ用品店と何軒か古本屋を見た。ちょうど古本市で靖国通りの歩道はそれなりに賑わっていた。
そういえば、夏休み前とかになると、子どもが学校から「夏休みに読みたい課題図書」だとか、あるいは書店から「○○文庫の100冊」みたいな販促物を持って帰ってくる。そんなものをぼんやり眺めていると、子どもは父親は果たしてその中のどれほどの本を読んだのだろう、みたいな視線を送ってくるのである。
自慢じゃないが、読みそびれた名作は多い。もちろん、何冊かは子どもの頃や10代、20代の頃に読んではいる。しかしながら圧倒的多数の名作を実は読んでいないまま、この歳になっちゃったんだなあというのが正直言ったところだ。
ヘルマン・ヘッセも読んだことがない作家のひとりだ。昔、教科書に「少年の日の思い出」という作品が掲載されていて、隣家の少年の収集している蝶の標本を盗んで、罪の意識から返しに行って、謝るのだが、ポケットの中でその標本はこわれてしまって、相手の少年に「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな」と蔑まれる話で(まったく何も資料を見ることなく記憶にだけ頼っているので決して正確ではないけれど)、その「つまり君は…」という台詞の痛烈さだけが妙に記憶にとどまっている。
『車輪の下』を読んだことあるかいと訊ねると、『車輪の上』は読んだけど、下巻は読んでないと答える阿呆な友人がいたが、いかにもヘッセな感じの暗澹たる自伝的小説といったところか。車輪の下というのはハンスが入学した神学校の校長が成績の振るわなくなったハンスを自分の部屋に呼んでいう「それじゃ結構だ。疲れきってしまわないようにすることだね。そうでないと車輪の下じきになるからね」という台詞からきていると思われる。車輪の下じきという言い方がドイツのその土地、その時代で重くのしかかる言い回しとして存在していたのだろう。
こんな重厚な書物を読まなければならないなんて青少年もなかなかたいへんだなあ。


2008年10月21日火曜日

立松和平編『林芙美子紀行集 下駄で歩いた巴里』

先日、高校の同窓会があった。部活の集まりには毎年出ているが、同窓会などという同じ学校を出たというだけのぼんやりした会にはほとんど出席したことがない。今年は画家である部活の先輩が事前イベントで講演を行うということでその先輩の同期の方々から号令をかけられ、参加したのである。
ぼくもかれこれいい歳で街を歩いていれば、立派なおじさんであるにもかかわらず、会場内では下から数えてひと桁の若輩者である。こんなことでこの会は将来どうなるのだろうと不安がよぎる。
乾杯の音頭をとったのは、何代か前に同窓会長をなさっていたという御年95歳の大の上にさらに大をいくら重ねても足りないほどの大先輩。多少よろよろしながらも、壇上に上がり、しっかりした声で挨拶をする。
「誠に僭越ではございますが…」
僭越じゃない。全然僭越じゃない。
実を言うと林芙美子はまったく読んだことがない。日本文学に多少なりとも興味のあるたいていの人は『放浪記』くらいは読んでいるのだろうが。まあ、これは連鎖読みとぼくの称する本の読み方で、その前に読んだ『文豪たちの大陸横断鉄道』に影響されている。
解説で編者の立松和平も述べているとおり、昭和初期の、多少は便利な世の中になったとはいえ、旅がぜいたく品でかつ、苦行だった時代によくもよくも身ひとつでユーラシア大陸を経巡ったものだと感心する。本書所収の「文学・旅・その他」でも「私は家を建てることや蓄財は大きらいだ」と述べているが、それは彼女が如何に人生の中で旅に価値を置いていたかの証左でもあろう。
書く、旅をする、そして書く、また旅に出る。ある意味、文学者としての理想の姿を忠実に実践した作家といえる。そして「愉しく、苦しい旅の聚首(おもいで)は地下にかこっておく酒のようなもの」という描写に彼女の旅観、人生観が集約されているように思う。


2008年10月16日木曜日

小島英俊『文豪たちの大陸横断鉄道』

原巨人が長嶋元監督のミラクル越え。13ゲーム差をひっくり返しての優勝だ。とはいうものの今ひとつインパクトがないのはなぜだろう。
ひとつにはクライマックスシリーズという企画もののつまらなさ。言ってみれば緊張感や真剣さが観ていて希薄なのだ。それともうひとつは、原と長嶋の器の違い。違いすぎるのはその実績やスター性、カリスマ性等々すべてトータルしてもかないっこないので致し方ないところだが、長嶋のすごいところは有限実行。「メークドラマ」とか「メークミラクル」と言ってのけ、実現できる不思議なパワーがすごいのだ。
ジャイアンツが今後、原長期政権で安定した人気を保持していくつもりなら(実力面は実績ある補強戦術でお墨付きだが)、広報を中心に原にキャッチフレーズをどんどん提供していくとよいだろう。
ここのところ仕事が辛いわけではないのだが、旅ものが読みたくて仕方ない。で、この本を手に取ったのだが、まあ内容的には大きな盛り上がりもないままに終わり、何が言いたかったのかよくわからなかった。さらっと立ち読みして、荷風や林芙美子を買って読んだほうが手っ取り早い。
でも大陸経由でヨーロッパに行くってのは、日本人の遺伝子に組み込まれた憧憬なのかもしれないなあ…。

2008年10月10日金曜日

安野光雅『天動説の絵本』

長女が西荻の古本屋で気に入った絵本があったといって買ってきたのがこの本。
安野光雅の絵本は昭和の日本が描かれていたり、中世ヨーロッパが舞台だったりして、その空気感をふんだんに詰め込んでいる。単なる絵と文の複合体でないところがいい。この本は空の星が動いてるんじゃなくて、地面が動いているということに多くの人が気づく頃の話なのだろう。中世の迷信と近代の科学の狭間が絵本の世界にギュッと凝縮されて、おもしろおかしく描かれている。
安野光雅は一介の絵本作家ではない。なかなかの勉強家だ。少なくともぼくは天動説から地動説へシフトする時代のことなんか、これっぽちの知識もないし、想像力だって働かないもの。それにこんなに素敵な絵は描けない。


2008年10月2日木曜日

白井恭弘『外国語学習の科学』

4月に始まったラジオフランス語講座が9月で終了し、今月からどうしようかなと思っている。もちろん新番組は始まるし、それを聴いてもいい。前から聴きたかった応用編がアンコール枠で再放送されるので、それもいいかなと。
ただ、今回聴いた「ディアローグ三銃士」というのはいい企画だった。繰り返し聴く価値はある。そんなこんなで悩んでいるんだが、せっかくトークマスターに録音してあることだし、再度「ディアローグ三銃士」に挑戦しよう。ま、また気が変わるかもしれないけど。
さてさて、外国語を身につけるということに関して、それなりに研究がすすめられ、成果も上っているそうだ。この本にはそこらへんの経緯が紹介されつつ、外国語をマスターするための方策、ヒントも書かれている。また随所に具体例が提示されていて、学習法の紹介も説得力があり、励ますだけの語学応援本とはちょっと違う。
成功のポイントは学習開始年齢、適性、動機づけの3つらしい。自分を省みたとき、多少なりとも可能性の余地を残すのは動機づけだけ。日々の学習はともかくとして、動機づけだけでも維持していきたいものだ。

2008年9月29日月曜日

芦原伸『さらばブルートレイン!昭和鉄道紀行』

高校野球の新人戦が各地で始まっている。東京も本大会進出の24チームが決まったようだ。
夏、東東京優勝の関東一や国学院久我山、岩倉、日体荏原が早くも敗れ去り、都立高校では国立、日野、足立新田の3校が勝ち進んだ。
鉄道は子どもの頃から好きだったが、寝台列車に乗るようになったのはずいぶん大人になってからだ。最初に勤めた会社を辞めた後、次の職場に移るまでひと月ほどブランクを空け、当時ブームだった北斗星で北海道に行った。寝台列車はいくら走るホテルだとか言っても、正直そんなに寝心地は良くないし、ゆったりリラックスなんてできない。が、鉄道好きにとっては、それはロマンだったり、ドラマだったりするわけで、「なんか興奮して眠れないなあ」などと思いながら、ついつい真っ暗闇の車窓を一晩中眺めていたりするのである。ここで鉄道ファンは、だって寝心地悪いんだもんとか、眠った気がしないんだよねなどとは口が裂けても言わないのである。
ただ、北海道に行く人、とりわけ初めて行く人には寝台列車をおすすめしたいなあ。ぼくの場合東京発だったけど、北海道の遠さが実感できる。
著者の芦原伸は『鉄道ジャーナル』の編集に携わりながら、またその生い立ちの中で深く寝台列車にかかわってきた方のようだ。まったくもってうらやましい限りである。ぼくが乗車経験のある寝台列車は先の「北斗星」、上野-金沢間の「北陸」、東海道本線の「銀河」(「北陸」と「銀河」はそれぞれ2回づつ乗っている)だけである。九州方面のブルートレインも上野-青森間のそれも一度として乗ったことがない。
この本はブルートレインと表題にあるように、客車寝台に特化した内容だが、次回また筆をとる機会があれば、ぜひ電車寝台特急の旅も紹介して欲しいと思う。ぼくたちの少年時代の憧れは、当然ブルートレインだったけれど、いわゆる月光型と呼ばれた583系特急電車も当時はスター列車だった(厳密には特急「月光」は581系)。上野駅で真っ先に写真に収めたのは列車寝台の「ゆうづる」でも「あけぼの」でもなく、まさに「はつかり」、「はくつる」だったのである。「はつかり」に関して言えば、はつかり型と呼ばれた気動車キハ81系があるのでなんで月光型になっちゃったんだ?とも思ったが…。
ええっと何の話だっけ?
そうそう寝台列車はやっぱりいいなってことだな。


2008年9月27日土曜日

荻村 伊智朗 、 藤井 基男『卓球物語』

なぜ角型ペンホルダーによるフォアロング主体の卓球に日本卓球の原点というイメージを持ったのだろう。
両面にラバーを貼るシェークハンドグリップが巷にあふれ、少数民族と化したペンホルダー、とりわけ、半世紀以上前に世界を制した日本式グリップに孤高の輝きを見出すからか。はたまた片面だけで多彩な攻撃を繰り出し、時にショート、ロビングでしのぎ、捨て身のカウンター攻撃に出るその潔さに日本的な武士道精神を感ずるからか…。まあ、これらはあくまでぼくの個人的なイメージでしかない。
そもそも日本で普及した卓球は軟式といって、通常の、現在行われている硬式よりも軽いボールを使い、コートも若干小さかった。しかもラケットはラバー貼りではなく、木のままかコルク貼り。スピードが出ないぶん、とにかく攻撃することで点を取り合った。攻撃するにはフォアロングの方が有利だし、コートも狭いからバック側のボールも回り込んでフォアで強打する。
一方、卓球の本場ヨーロッパでは硬式球が普及し、ラケットもラバー貼り。打球が速く、コートも広いから(ついでにいうとネットも低い)、相手の攻撃を如何に封じて、守りきるか、あるいは如何に相手に攻撃させないか、が戦い方の主眼に置かれた。
というわけでヨーロッパの伝統的なスタイルはシェークハンドグリップによるカット主戦型で日本で普及した卓球はペンホルダーによるフォアロング主体のドライブ攻撃型となった。
と、まあこんなエピソードが満載なのが本書であり、用具の発達、普及によって戦い方が変化してきたことなどもよくわかる。荻村伊知朗は卓球もさることながら、外国語や文才にも恵まれ(もちろん彼のいちばんの才能は惜しみなく努力することなのだが)、ヨーロッパを日本が凌駕した50年代を「スピードの時代」、60年代中国前陣速攻の台頭を「打球点の時代」、そして70年代の攻撃型ヨーロッパスタイルに象徴される卓球を「スピンの時代」と名づけるなど卓球理論家としても素晴らしい業績を残した人といえる。
先に『ピンポンさん』を読んだが、ライターが書く演出された卓球物語もよいが、こうした時代とともに卓球と歩んできた人たちの文章も臨場感があっておもしろい。
80年代以降は「速さと変化の時代」であるという。先日関東学生リーグを観にゆき、五輪代表明治の水谷をはじめほとんどの選手がシェークの攻撃型。中にはカット主戦型もいるが、彼らもしばし攻勢に出る。わずかにペンホルダーの選手がいて、中国式グリップの選手をふたり、角型ペンの日本式グリップの選手をひとりだけ見た。
世界ランカーの上位を中国勢が占め、しかもその大半(特に女子)がシェークハンドグリップの速攻型やドライブ型であるが、中にはカット主戦の選手もいる。また男子の世界ランク1位、2位が裏面打ちペンホルダーだったり、台湾や韓国には日本式ペンホルダーの選手もいる。ひとつのスタイルが世界を統一するのではないことで卓球はまだまだ可能性のある競技だと思える。
「速さと変化の時代」はさらなる多様性を生む時代なのかもしれない。


2008年9月23日火曜日

角田光代『エコノミカル・パレス』

ジャイアンツがすごいことになっている。
メークミラクルの再現だ。
調子が落ちているとはいえ、まさかタイガース相手に3連勝とは思いもよらなかった。できればここで絶好調を使い果たさずプレーオフまでとっておきたいと願うのが多くのジャイアンツファンの本音ではなかろうか。
半年ほど前に出た角田光代の『八日目の蝉』を読んでみたくなり、先週終館間際の日比谷図書館まで行った。さすがに貸出中だった。まあせっかくだから角田光代の本が並んでいる棚の中からまだ読んでいない本をさがして借りてみるかと思い(あらかた読んでない本だったけど)、なんとなくおもしろそうな題名のを一冊選んだというわけだ。
今(というかすこし以前からずっと)世の中がパッとしなかったり、不景気だったり、定職を持たない若者が増えているとか、そうゆう曇天のような世相が如実に描きだされていて、いつも角田を読むたびに思う、ああ、やんなちゃうなあって感じがして、まったくやれやれといった疲労感が残る一冊である。
こうゆう気分のときはビールを飲みながら野球観戦でもして、スカッとした気分になりたいものである。

2008年9月19日金曜日

城島充『ピンポンさん』

長方形のペンホルダーのラケットを柔らかく弧を描くように振りぬく。バック側のボールもフットワークを使って回り込んで、フォアで打つ。前陣の左右から強打を打ち込まれても、カットで粘られても、愚直にフォアロングにこだわって打ち勝つドライブ卓球。これが日本の卓球だ。
小学校の頃、名古屋で開催された世界卓球選手権をテレビで観て、日本はまだ日本流のやり方で世界と互角に戦い抜いていた。伊藤繁雄は決勝でスウェーデンのベンクソンに敗れ、連覇はかなわなかったものの、日本はまだまだ卓球王国だった。

この本の副題には「異端と自己研鑽のDNA荻村伊智朗伝」とある。
その当時、もう題名も出版社も忘れてしまったが、毎日目を通していた卓球の指導書の著者が荻村伊智朗だった。
残念ながら荻村の現役時代をぼくは知らない。ただ伊藤繁雄のドライブを見て、荻村伊智朗も日本スタイルの美しい卓球をした人なのだろうと想像していた。
ぼくの愛読書は大きく、前陣速攻、中陣ドライブ、後陣カット主戦という3つのタイプに分けて豊富な写真とともに基本技術が丁寧に記されていた(と記憶する)。荻村は日本の卓球の指導者であると同時にぼくにとっても卓球の先生だったのである。
さて本書を読むと荻村の、卓球選手としての側面の他に、引退後卓球を通じて国際交流に尽力した、いわば「スポーツ外交官」としての彼の生きざまが多く語られており、生涯を通じて「世界の荻村」として諸外国からも敬愛されていたその人物像が浮き彫りにされる。
そしてその原点ともいえる、荻村を世界に送り出した街の卓球場。この本は、荻村伊智朗の伝記であると同時に武蔵野卓球場のおばさんをはじめとした、日本の卓球を育んできた多くの卓球ファンの物語でもあるのだ。
卓球好きなぼくとしては、もう少し現役時代の荻村伊智朗の映像を(もちろん文章で、だが)つぶさに読んでみたい気持ちが強く、そういった意味では物足りないところもあるが、限られた紙数の中で荻村の波乱万丈な生涯とその輝かしい功績、そして挫折の数々がとても丁寧にまとめられていると思う。

そういえば名古屋の世界選手権で伊藤を破ったベンクソンだが、その指導をしたのが荻村だったという。これは知らなかったなあ。

2008年9月15日月曜日

清水義範『イマジン』

秋の野球シーズンが始まった。
東都大学リーグではかつて東映や巨人でならした高橋善正が監督として率いる中央大学に注目が集まる。六大学は連覇のかかる明治と春の雪辱を期す早稲田の一騎打ちか。いずれも昨年一昨年と甲子園を沸かせた新人たちから目がはなせない。

清水義範はユーモラスでウィットに富んだ短編の名手という印象が強いが、長編も実に丁寧で、よく書かれている。
タイムスリップものはネタとしてはおもしろいのだが、時代ごとの整合性をはかったり、もろもろ辻褄を合わせたり、書き手としてはエネルギーを使う作業だと思う。清水は清水なりのユーモアと読者へのサービスを怠ることなく、「らしさ」あふれるファンタジーにしている。
奇想天外を如何にヒューマンにまとめあげるかが、映画にしろ小説にしろ、時間軸をいじる創作の決め手になると思う。その点、ラストの「ほろり」もそうだが、安心して読める佳作だ。


2008年9月12日金曜日

ポール・ゴーガン『ノアノア』

少しだけ秋らしくなってきた。夏の間影をひそめていた大型台風が南の海上にいる。今後の動向が気になるところだ。
初めての海外旅行はタヒチだった。いわゆる新婚旅行というもので、妻はアジア、アフリカに関心があり、ぼくはどちらかといえばヨーロッパ志向だったのでなかなか行き先が決まらなかった。当時は仕事がめちゃくちゃ忙しかったので、どうせなら何もない南の島でぼんやり過ごすのがいいだろうということでなんら予備知識もなく、タヒチを選んだ。外国語はからっきしなのだが、フランス語圏なら多少、飲み物くらいなら注文できるだろう自信はあったし。
ゴーガンが晩年を過ごしたのがタヒチであることは数少ない予備知識の中にあった。パペーテの観光でゴーガンに関する資料館だかを見た憶えもある。とはいえ思い出すのはボラボラ島のコテージで床下から聞こえてくる波の音を背にしてうとうとしていたことくらいだ。
そんなタヒチにも歴史があって、人々の暮らしがあったんだとゴーガンの文章を読み、再認識させられた。ゴーガンは一介の画家だとばかり思っていたが、父親がジャーナリストで、幼少の頃、ペルーに亡命していたり、波乱万丈の生い立ちがあったという。思いのほか学識のある人だったのだ。クロード・レヴィ=ストロースもパリを発ち、ブラジルに向かい、その後『悲しき熱帯』を書いたといわれているが、南米からパリ、そして南洋の島へと経巡るゴーガンの人生は、どことなくレヴィ=ストロースの世界に似ている。
ような気がした。


2008年9月9日火曜日

筒井康隆『銀齢の果て』

遊んでいるPCにfedora core9をインストールしていたにもかかわらず、仕事場のルータのsyslogが取れずに四苦八苦していた話の続き。
ネットをあっちこっち探していたら、windowsでログがとれるフリーソフトがいくつかあり、試してみた。rtlogというそこそこ使えそうだ。と思ったものの、ずっとログを取り続けるためには、常時起動させておくマシンが要る。ログ取得のためだけに新たにPCを導入するのも効率が悪いので、泣く泣くfedoraをあきらめて、再度自分のマシンにwindows2000をインストールし直した。
もともとAOpenのマザーボードにpentiumの1GHzを挿して使っていた自作機。HDDも60Gあるし、メモリも512Mあるし、ログ取りにはじゅうぶんすぎるスペック。とはいえ、自作機だったことを忘れて、何の気なしにシステムをインストールし、後でロッカーからドライバの入ったCDROMを探す始末。数時間の格闘の末、640X480、16色モードから解放された。
その翌日、なぜかオンボードのLANが動かず、PCIに挿さっているLANカードの型番を筐体を開けて確認し、別のPCでドライバをダウンロード。2日がかりでOSのアップデートも含めてようやく稼動状態になった。
今は大人しくルータのログを取っている(とはいえ、ファンの音が多少うるさい)。

そんななか、昨年出版され話題になった『銀齢の果て』が文庫になったのでさっそく読む。
巻頭の地図を見ながら読み進めば、そこはまるでゲームの画面のよう。笑えるような笑えないような、近未来よりもっと切実な現実がテーマ。だからこそのおもしろさだ。
山藤章二のイラストレーションもなかなかブラックでよろしい。というか「シルバーな」っていうべきか?


2008年9月4日木曜日

ギ・ドゥ・モーパッサン『脂肪のかたまり』

中学に入る前に卓球のラケットを買ってもらった。もちろんそれまでもラケットは持っていたが、いわゆるラバー貼りのラケットで、角型日本式グリップのペンだった。卓球部に入るという前提ではじめて、ラケットとラバーを別々に買ったのだ。
ラケットはバタフライのサファイア(だったと思う)。ヒノキ(これも定かじゃないが)単板の丸型ペンホルダーで、なにせ当時は河野といい,、田坂といい、日本も前陣速攻の時代に突入していた。丸型ペンに表ソフトラバー。迷わず決めた。
住んでいた地域のスポーツ用品店の品揃えが圧倒的にバタフライだったのと当時は『卓球レポート』なる雑誌も愛読していたので、ラバーもバタフライ製、テンペストというラバーの表だった。そのころはそんなにラケットもラバーも種類が多くなかったので、やれテンションだの粘着だのという選択肢はなかった。オールラウンドかテンペストかスレイバー。スレイバーなんて高嶺の花でテンペストの倍近い値段だったと思う。しかも裏しかなかった。その後スーパースレイバーなどというさらに高嶺の花があらわれたが、そんな高級なラバーを貼っているやつは見たことがなかった。
サファイア+テンペスト表は打球感のやわらかいラケットに反発力のある表ソフトということで、なかなか手に馴染んだ。今でもサファイアは持っているが、ラバーは何度か貼り替えている。テンペストを越えるラバーはなかったんじゃないかな。
サファイアは丹念に削って、持った感じもよかったんだが、大人になってから手にするとやっぱりそれなりに成長したのか、微妙に手のサイズに合わなくなっている。

で、モーパッサン。
モーパッサンは読んでみると、ストーリーの組み立てとか人間描写が心憎いまでに巧みで、感心させられる。読む前のイメージはフランス文学の巨人という感じで、重々しい印象だったのだが。
『脂肪のかたまり』は彼の代表作ともいえる中篇でエリザベート・ルーセという登場人物のあだ名ブール・ドゥ・スイフ(脂肪のかたまり)が表題となっている。せっかくだからもうちょっと気の利いた題名にすればよかったのにと思う。

2008年9月1日月曜日

筒井康隆『ダンシング・ヴァニティ』

夏休みの終わりは連日の雷雨となった。しかし、よく降る。
仕事場で、インターネットのアクセスログを残さなければならず、先週分のログファイルを保存しようとしたら、ルータに残っているログは2~3日ぶんだけだった。要はルータ自体に記憶領域が多くないため、一週間分も保存できないようだ。
遊んでいるPCが一台あって、こないだfedora core9をインストールしていた。たいした使い途もないのでこいつにログをとらせようと思ったまではいいが、さほどLinuxの知識もなく、rsyslogの設定の仕方がわからない。
やれやれ。こうして8月が終わる。

筒井康隆を読んだのは『夢の木坂分岐点』以来だなと思っていたら、案外そうでもなく、読書記録を紐解くと、その後『残像に口紅を』『朝のガスパール』を読んでいる。ようだ。
いずれにしても筒井康隆という人は、その文章力やストーリーを生み出す卓抜なセンスを持ちながら、飽くなき探究心をもって、実験的な作品を世に送り続けているところがすごい。落語をやらせれば名人級なのに、あえて、色物を追い求める、そんな感じ。
この本は『夢の木坂』のように夢が舞台なのだが、微妙に異なるひとつのシチュエーションが反復されて、しおりをはさまず中断すると、どこまで読んだかわからなくなる。実に面倒な本である。しかしながら、その反復の中の微妙な差異が飽きさせないし、おもしろいし、読み手のモチベーションを維持してくれる。
色物も(なんていったら大変失礼千万な話だけど)ここまでくれば超一級の芸術だ。