日帰りで岡山に行ってきた。
滞在時間はものの3時間。のぞみ号に乗っていた時間が7時間。新幹線に乗るのが仕事、みたいな仕事だった。
山陽新幹線で広島まで行ったことがあるが、岡山で下車するのははじめて。おそらくこの辺が新幹線で行くか、飛行機で行くか悩む距離ではないだろうか。
まさにとんぼがえりだったけれど、せっかくだから駅できびだんごを買った。絵本作家の五味太郎のイラストレーションのパッケージだった。ちょっと土着感がないかなって感じ。
以前、ジョルジュ・サンドの『フランス田園伝説集』というのを民間伝承を収集した本を読んだが、この手のものはおそらく世界中どこにでもあり、才能に恵まれたなら、研究などしてみるとさぞや楽しかろうと思っている。当然、日本にもあって、これが柳田國男のライフワークとなっているわけであるが、新潮文庫でもさほど売れている本でもないようで、先日歯科治療に行った草加の本屋でやっと見つけた。
自分の幼少の頃を思い返しても、これほど多くの昔話を聞いたことはなく、日本全国から採集する作業も楽しかろうとも思うが、苦労も多かったろうとも思う。
ペローのサンドリヨンの話とよく似た「米嚢粟嚢」などは人間の普遍性の証なのか、それともどこかで西洋文明との交渉があったのだろうかと考えてしまう。そもそも奥州は欧州から来ているのではないか、と下衆な勘ぐりさえ起こしてしまう。「鶯姫」や「奥州の灰まき爺」など、かぐや姫や花咲じじいとそっくりな話もあって、そのオリジナルはいったいどこにあったのだろうか。また「鳩の立ち聴き」や「盗み心」など日本人は昔からユーモアあふれる国民性を持っていたのだなあと感心させられる。
まあ、おもしろい話というのは昔からあったのだろう。
2010年6月30日水曜日
2010年6月25日金曜日
村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』
高校時代は皇居のまわりを毎日のように走っていた。
厳密にいえば、走らされていた、だろうし、先輩がいる席では、妙な日本語ではあるが、走らさせていただいた、となる。
学校が皇居の北側に位置していたので、一般には桜田門あたりがスタート地点となって、ラストは風光明媚な半蔵門の坂を下ってゴールするといったコースどりであるが、ぼくたちの場合、北の丸公園を基点に、英国大使館前から半蔵門、三宅坂、桜田門と過ぎて、いちばん距離的にきついところで竹橋の上りが待つというけっこうタフなコースだった(しかも北の丸公園には歩道橋をわたらなければならない)。
今、仕事場は半蔵門に比較的近いところにあるが、昨今のランニングブームたるやすさまじく、ご近所の銭湯のロッカーを借りて走るランナーが急増したせいか、その手のショップが次々にオープンしている。たまには走ってみようかなとも思わないでもないが、どうやらあのスパッツというのかタイツというのか、ランニング専用のパンツは思いのほか高価と聞き、なにもそんなに出費してまで走ることはなかろうと思い、自重している。
村上春樹を文庫本で読むことはきわめて稀なことである。
たいていは出始めの、書店で平積みされている新刊を手に取ることが多いのだが、ことエッセーに関してはあまり熱心な読者ではなかった、と思う。
このあいだ日垣隆『知的ストレッチ入門』という本を読んでいて、そのなかで紹介されていたので近々読んでみようと思っていたのが、この本である。その読んでみようと思った翌朝の新聞で文藝春秋社の広告が掲載されており、なんとぼくが読みたいと思っていた『走ることについて語るときに僕の語ること』が文庫化されたというではないか。まあ、これまでのぼくと村上春樹のつきあいからして(どんなつきあいだ?)、文庫になろうがやはり単行本で読むのが正しい読み方であろうとは重々承知してはいるのだが、まあせっかく文庫化されたわけだし、ご祝儀としては微々たるものだが、一冊くらい購入しても悪くはなかろうという思いで、新刊文庫コーナーにあるその初々しい一冊を手にしたわけだ。
小説ばかり読んでいるとついつい忘れがちな村上春樹というの人の人となりをエッセーは如実に描き出してくれるので、たまには読んでみるべきだ。しかもこの本は著者のマラソンやトライアスロンにかける献身的な姿勢が恐ろしいほどで、共感というより、ある種のリスペクトを生む。ちょっと適切な対比ではないかもしれないけれども、武道やレンジャー訓練やボディビルに熱を上げた三島由紀夫のような迫真の姿勢を感じる。
表面上はずいぶんリラックスした雰囲気のエッセーではあるが、その精神性はまさに崇高である。
厳密にいえば、走らされていた、だろうし、先輩がいる席では、妙な日本語ではあるが、走らさせていただいた、となる。
学校が皇居の北側に位置していたので、一般には桜田門あたりがスタート地点となって、ラストは風光明媚な半蔵門の坂を下ってゴールするといったコースどりであるが、ぼくたちの場合、北の丸公園を基点に、英国大使館前から半蔵門、三宅坂、桜田門と過ぎて、いちばん距離的にきついところで竹橋の上りが待つというけっこうタフなコースだった(しかも北の丸公園には歩道橋をわたらなければならない)。
今、仕事場は半蔵門に比較的近いところにあるが、昨今のランニングブームたるやすさまじく、ご近所の銭湯のロッカーを借りて走るランナーが急増したせいか、その手のショップが次々にオープンしている。たまには走ってみようかなとも思わないでもないが、どうやらあのスパッツというのかタイツというのか、ランニング専用のパンツは思いのほか高価と聞き、なにもそんなに出費してまで走ることはなかろうと思い、自重している。
村上春樹を文庫本で読むことはきわめて稀なことである。
たいていは出始めの、書店で平積みされている新刊を手に取ることが多いのだが、ことエッセーに関してはあまり熱心な読者ではなかった、と思う。
このあいだ日垣隆『知的ストレッチ入門』という本を読んでいて、そのなかで紹介されていたので近々読んでみようと思っていたのが、この本である。その読んでみようと思った翌朝の新聞で文藝春秋社の広告が掲載されており、なんとぼくが読みたいと思っていた『走ることについて語るときに僕の語ること』が文庫化されたというではないか。まあ、これまでのぼくと村上春樹のつきあいからして(どんなつきあいだ?)、文庫になろうがやはり単行本で読むのが正しい読み方であろうとは重々承知してはいるのだが、まあせっかく文庫化されたわけだし、ご祝儀としては微々たるものだが、一冊くらい購入しても悪くはなかろうという思いで、新刊文庫コーナーにあるその初々しい一冊を手にしたわけだ。
小説ばかり読んでいるとついつい忘れがちな村上春樹というの人の人となりをエッセーは如実に描き出してくれるので、たまには読んでみるべきだ。しかもこの本は著者のマラソンやトライアスロンにかける献身的な姿勢が恐ろしいほどで、共感というより、ある種のリスペクトを生む。ちょっと適切な対比ではないかもしれないけれども、武道やレンジャー訓練やボディビルに熱を上げた三島由紀夫のような迫真の姿勢を感じる。
表面上はずいぶんリラックスした雰囲気のエッセーではあるが、その精神性はまさに崇高である。
2010年6月22日火曜日
阿刀田高『新約聖書を知っていますか』
サッカーワールドカップ2010。
引き分けなしの決勝トーナメントも壮絶でおもしろいが、まずは予選グループ戦の大詰めがなんといっても目が離せない。
今日からいよいよグループ戦3まわり目。フランスはもう奇跡を待つしかなく、イングランド、ドイツ、スペイン、ポルトガル、イタリアとヨーロッパの強国の苦戦が続く。安定しているのは南米のチーム。やはり南半球の大会のせいだろうか。
ふだんあまりサッカーを観戦することはないが、力の差が歴然とあらわれる試合もあれば、格下と思われるチームが戦術的に上位チームを苦しめ、さらには勝利までするという番狂わせもあって、たまに観るとおもしろいものだ。
特にヨーロッパのチームは守りがしっかりしている。たぶんふだんからディフェンスの練習にじゅうぶんな時間を費やしているのだろう。ディフェンス練習にはオフェンス側が必要だから、当然半分は攻撃練習にもなるし、守りを通じて攻めを知る、要は野球のキャッチャーが配給を読む、みたいなこともあるだろう。守備に時間を割くことで攻撃の練習はおのずと少なくなる。それも攻撃時の集中力向上に役立っているのではなかろうか。
この本は先に読んだ『旧約聖書を知っていますか』と同様、かゆいところに手が届く一冊である。
>このエッセイは、〈旧約聖書を知っていますか〉の姉妹篇とも言うべき試みである。
>欧米の文化に触れるとき、聖書の知識は欠かせない。美術館一つをめぐるときで
>さえ、--この絵は聖書のことらしいけど、どういう背景なのかな--
>と、素朴な疑問を抱いてしまう。
>そんな不自由さを少しでも軽減してくれる読み物はないものだろうか……私が
>二つのエッセイを書いた動機はこれに尽きている。
とあるように、おそらくこの手の知識を最低限身につけていれば、ヨーロッパの絵画の鑑賞や古い教会めぐりが楽しくなること、請け合いである。ただ、せっかく有意義な読書体験も先立つものがなければ、実地に活かす場を与えられない。残念至極である。
引き分けなしの決勝トーナメントも壮絶でおもしろいが、まずは予選グループ戦の大詰めがなんといっても目が離せない。
今日からいよいよグループ戦3まわり目。フランスはもう奇跡を待つしかなく、イングランド、ドイツ、スペイン、ポルトガル、イタリアとヨーロッパの強国の苦戦が続く。安定しているのは南米のチーム。やはり南半球の大会のせいだろうか。
ふだんあまりサッカーを観戦することはないが、力の差が歴然とあらわれる試合もあれば、格下と思われるチームが戦術的に上位チームを苦しめ、さらには勝利までするという番狂わせもあって、たまに観るとおもしろいものだ。
特にヨーロッパのチームは守りがしっかりしている。たぶんふだんからディフェンスの練習にじゅうぶんな時間を費やしているのだろう。ディフェンス練習にはオフェンス側が必要だから、当然半分は攻撃練習にもなるし、守りを通じて攻めを知る、要は野球のキャッチャーが配給を読む、みたいなこともあるだろう。守備に時間を割くことで攻撃の練習はおのずと少なくなる。それも攻撃時の集中力向上に役立っているのではなかろうか。
この本は先に読んだ『旧約聖書を知っていますか』と同様、かゆいところに手が届く一冊である。
>このエッセイは、〈旧約聖書を知っていますか〉の姉妹篇とも言うべき試みである。
>欧米の文化に触れるとき、聖書の知識は欠かせない。美術館一つをめぐるときで
>さえ、--この絵は聖書のことらしいけど、どういう背景なのかな--
>と、素朴な疑問を抱いてしまう。
>そんな不自由さを少しでも軽減してくれる読み物はないものだろうか……私が
>二つのエッセイを書いた動機はこれに尽きている。
とあるように、おそらくこの手の知識を最低限身につけていれば、ヨーロッパの絵画の鑑賞や古い教会めぐりが楽しくなること、請け合いである。ただ、せっかく有意義な読書体験も先立つものがなければ、実地に活かす場を与えられない。残念至極である。
2010年6月19日土曜日
小山鉄郎『白川静さんに学ぶ 漢字は楽しい』
フランスのセーヌ、ローヌ、ロワールに相当する河川が品川でいえば目黒川と立会川だろう。とりわけ後者は京浜急行の駅名にもなっており、知名度は相当高い(はず)。
立会川はもうかなり昔に暗渠となり、その上は普通の道路となっているが、ぼくの子どもの頃は今のJR横須賀線の西大井駅のあたりにあった、たしか三菱重工だったと思うが、その工場の敷地内が暗渠化されているくらいで、あとは都内でよく見かけたどぶ川みたいなむき出しの小河川だった。三菱重工の隣は日本光学、今のNIKONで大井町界隈は品川の産業の中枢であったことがうかがえる。
その産業地帯に小さな公園がいくつかあり、そろそろ遊び場探しに苦心していた少年たちは猫の額ほどの公園でよく手打ち野球というゲームに興じた。軟式テニスに使うようなゴムボールをバットのかわりに自らの握りこぶしで打つ野球だ。ノーバウンドで公園の外に出ればホームラン。だいたいひと試合でホームランが十数本飛び出す空中戦野球でもあった。ただしさらなるローカルルールがあって、公園外にボールが飛んでも、当時むき出しの立会川にボールが落ちると一発チェンジ。ちょっとしたレッドカードだった。
で、ボールが川に落ちるとどうするかというと、急いで走り、走りながら靴とくつしたを脱ぐ。公園より下流に川に降りられる梯子段があって、そこから川に入ってボールをひろう。ルール上はこの時点でスリーアウトとなる。もちろん得点にはならない。
川の流れは美空ひばりの歌のようにゆるやかだったから、たいていボールは無事確保できたのだが、ごくたまに雨上がりの翌日など水かさが増して流れが急なときなどボールに追いつけず取り逃がすことがあった。そういうときはもちろんゲームセットだ。
漢字は象形文字だと子どもの頃から教わっていたが、こうして古代文字と今の漢字(旧字)と見比べると概念としての“象形文字”がより具体的な形で理解できる。それとこの手の話は本で読むより、話を聞いたほうがてっとりばやい。本になってしまったのは仕方ないが、白川先生のお話を伺っているというスタンスで書かれているこの文章は親切で、臨場感がある。
立会川はもうかなり昔に暗渠となり、その上は普通の道路となっているが、ぼくの子どもの頃は今のJR横須賀線の西大井駅のあたりにあった、たしか三菱重工だったと思うが、その工場の敷地内が暗渠化されているくらいで、あとは都内でよく見かけたどぶ川みたいなむき出しの小河川だった。三菱重工の隣は日本光学、今のNIKONで大井町界隈は品川の産業の中枢であったことがうかがえる。
その産業地帯に小さな公園がいくつかあり、そろそろ遊び場探しに苦心していた少年たちは猫の額ほどの公園でよく手打ち野球というゲームに興じた。軟式テニスに使うようなゴムボールをバットのかわりに自らの握りこぶしで打つ野球だ。ノーバウンドで公園の外に出ればホームラン。だいたいひと試合でホームランが十数本飛び出す空中戦野球でもあった。ただしさらなるローカルルールがあって、公園外にボールが飛んでも、当時むき出しの立会川にボールが落ちると一発チェンジ。ちょっとしたレッドカードだった。
で、ボールが川に落ちるとどうするかというと、急いで走り、走りながら靴とくつしたを脱ぐ。公園より下流に川に降りられる梯子段があって、そこから川に入ってボールをひろう。ルール上はこの時点でスリーアウトとなる。もちろん得点にはならない。
川の流れは美空ひばりの歌のようにゆるやかだったから、たいていボールは無事確保できたのだが、ごくたまに雨上がりの翌日など水かさが増して流れが急なときなどボールに追いつけず取り逃がすことがあった。そういうときはもちろんゲームセットだ。
漢字は象形文字だと子どもの頃から教わっていたが、こうして古代文字と今の漢字(旧字)と見比べると概念としての“象形文字”がより具体的な形で理解できる。それとこの手の話は本で読むより、話を聞いたほうがてっとりばやい。本になってしまったのは仕方ないが、白川先生のお話を伺っているというスタンスで書かれているこの文章は親切で、臨場感がある。
2010年6月16日水曜日
レイモン・ラディゲ『肉体の悪魔』
先週、プライバシーマークの更新審査があった。
個人情報に限らず、情報セキュリティ全般に関して言えば、安全管理措置というのものを講じなければならず、また安全管理措置も組織的安全管理措置とか物理的安全管理措置とか技術的安全管理措置とか人的安全管理措置とか区分けされているが、実は結局ひとつのことだったりする。
一般的には“ついうっかり”といったヒューマンエラーというのが多いらしいが、その“ついうっかり”をルールでフォローできていれば、事故は未然に防げたりもする。つまり組織的安全管理措置で人的エラーを最小限に食いとめることは不可能ではないということだ。また、いくらしっかり施錠してもサーバのセキュリティが甘かったら、簡単に漏えいしてしまう。物理的に安全ならすべて安全というわけでもない。かといって技術的な対策もある種のいたちごっこの感は否めない。
たとえば携帯電話。会社で社員に支給している携帯電話の管理責任は当然会社にあるわけだから、紛失防止のためのルールをつくらなければならない。もちろん、完璧な手順などはありえないから、紛失した場合の漏えい防止策もルール化しなければならない。現時点では各利用者の手中にある携帯電話を前提に話ができるが、コンピュータネットワークのように、携帯電話も回線からのデータ流出、改ざん、漏えい、紛失がありえるとしたら…。
これは地下鉄をどこから地中に入れたか、なんてことよりももっと切実な、眠れない問題である。
このあいだ昔読んだ本のリストを見てたら、86年にこの本を読んでいる。
ほとんど記憶にない。その前後に三島由紀夫を多く読んでいたから、おそらくはその影響だろう。もちろん当時のことだから新庄嘉章訳の新潮文庫だったはず。
まあ、西欧の恋愛小説はなんともおどろおどろしいものである。
個人情報に限らず、情報セキュリティ全般に関して言えば、安全管理措置というのものを講じなければならず、また安全管理措置も組織的安全管理措置とか物理的安全管理措置とか技術的安全管理措置とか人的安全管理措置とか区分けされているが、実は結局ひとつのことだったりする。
一般的には“ついうっかり”といったヒューマンエラーというのが多いらしいが、その“ついうっかり”をルールでフォローできていれば、事故は未然に防げたりもする。つまり組織的安全管理措置で人的エラーを最小限に食いとめることは不可能ではないということだ。また、いくらしっかり施錠してもサーバのセキュリティが甘かったら、簡単に漏えいしてしまう。物理的に安全ならすべて安全というわけでもない。かといって技術的な対策もある種のいたちごっこの感は否めない。
たとえば携帯電話。会社で社員に支給している携帯電話の管理責任は当然会社にあるわけだから、紛失防止のためのルールをつくらなければならない。もちろん、完璧な手順などはありえないから、紛失した場合の漏えい防止策もルール化しなければならない。現時点では各利用者の手中にある携帯電話を前提に話ができるが、コンピュータネットワークのように、携帯電話も回線からのデータ流出、改ざん、漏えい、紛失がありえるとしたら…。
これは地下鉄をどこから地中に入れたか、なんてことよりももっと切実な、眠れない問題である。
このあいだ昔読んだ本のリストを見てたら、86年にこの本を読んでいる。
ほとんど記憶にない。その前後に三島由紀夫を多く読んでいたから、おそらくはその影響だろう。もちろん当時のことだから新庄嘉章訳の新潮文庫だったはず。
まあ、西欧の恋愛小説はなんともおどろおどろしいものである。
2010年6月11日金曜日
阿刀田高『旧約聖書を知っていますか』
昭和46年の50円玉がレアだとずっと思っていた。
たしかに滅多とお目にかかれないので手に入れると別にしておいているのだが、最近他にレアな年はないかと調べてみたら、どうも昭和46年はさほどレアでもないらしい。たしかに前後の年に比べると発行枚数は少ないようだが、むしろ昭和60~62年、平成12~14年のほうが超レアであるらしい。昭和46年がレアだという風説を聞いたのはぼくが高校生か大学生の頃、昭和にして50年代前半。超レア硬貨でおなじみの昭和32年の5円の次にやってくるのは昭和46年の50円玉だと気がはやったのだろうか。
昭和32年の5円玉というのはぼくの知る限りもっともレアな現行硬貨といってよく、半生記以上生きてきて、流通している現物を目にしたことがない。コイン商のガラスケースの中でしか見たことがない。
中学生の頃、同級生のKが放課後、千円ほどの小遣いを手に銀行に行って全額5円玉に両替し、レアな年(当時は昭和32年と42年)があれば抜いて、なければ別の銀行でまた紙幣に戻し、さらに別の銀行で5円玉に両替と、暇な中学生ならでは5円玉探訪の旅をしていたが、そのKでさえ昭和32年には出会えなかった(その後大人になってからも両替の旅を続けていたのかはわからないが)。
以前、『図説地図とあらすじでわかる!聖書』という新書を読んだことがある。それなりに聖書の世界が網羅されていて記憶にはそうとどまらなかったものの、なんとなく聖書ってそういうことなんだ、くらいには思った。もっとお手軽に聖書の世界を紐解きたいと思っていて、その本はそれなりに応えてくれたが、できればもう少し噛み砕いて、子どもにもわかるような“読み物”としてあればいいのだが…などとうすらぼんやり考えていた。もちろんネットで検索するとか、それほどポジティブにではない。
実をいうと柳田國男の『日本の伝説』、『日本の昔話』を読みたいと思って、仕事の帰りに立ち寄った本屋でこの本を見つけた。
なあんだ、あるじゃないか。
阿刀田高の小説は一冊も読んでおらず、まったくの初対面であったが、こうした古典を普及させる意思に富んだ人であることがわかった。たいへんうれしい一冊である。
それにしても昭和46年の50円玉はちょっとがっかりだな。ずいぶん集めたのに。
たしかに滅多とお目にかかれないので手に入れると別にしておいているのだが、最近他にレアな年はないかと調べてみたら、どうも昭和46年はさほどレアでもないらしい。たしかに前後の年に比べると発行枚数は少ないようだが、むしろ昭和60~62年、平成12~14年のほうが超レアであるらしい。昭和46年がレアだという風説を聞いたのはぼくが高校生か大学生の頃、昭和にして50年代前半。超レア硬貨でおなじみの昭和32年の5円の次にやってくるのは昭和46年の50円玉だと気がはやったのだろうか。
昭和32年の5円玉というのはぼくの知る限りもっともレアな現行硬貨といってよく、半生記以上生きてきて、流通している現物を目にしたことがない。コイン商のガラスケースの中でしか見たことがない。
中学生の頃、同級生のKが放課後、千円ほどの小遣いを手に銀行に行って全額5円玉に両替し、レアな年(当時は昭和32年と42年)があれば抜いて、なければ別の銀行でまた紙幣に戻し、さらに別の銀行で5円玉に両替と、暇な中学生ならでは5円玉探訪の旅をしていたが、そのKでさえ昭和32年には出会えなかった(その後大人になってからも両替の旅を続けていたのかはわからないが)。
以前、『図説地図とあらすじでわかる!聖書』という新書を読んだことがある。それなりに聖書の世界が網羅されていて記憶にはそうとどまらなかったものの、なんとなく聖書ってそういうことなんだ、くらいには思った。もっとお手軽に聖書の世界を紐解きたいと思っていて、その本はそれなりに応えてくれたが、できればもう少し噛み砕いて、子どもにもわかるような“読み物”としてあればいいのだが…などとうすらぼんやり考えていた。もちろんネットで検索するとか、それほどポジティブにではない。
実をいうと柳田國男の『日本の伝説』、『日本の昔話』を読みたいと思って、仕事の帰りに立ち寄った本屋でこの本を見つけた。
なあんだ、あるじゃないか。
阿刀田高の小説は一冊も読んでおらず、まったくの初対面であったが、こうした古典を普及させる意思に富んだ人であることがわかった。たいへんうれしい一冊である。
それにしても昭和46年の50円玉はちょっとがっかりだな。ずいぶん集めたのに。
2010年6月9日水曜日
日垣隆『知的ストレッチ入門』
先週末あたりから左の奥歯が痛み出した。なんとなく腫れているような気もする。感触としては過去に治療したところの根っこのあたりが化膿しているみたい。
で、昨日K先輩の歯科医院まで飛んでいく。場所は埼玉の草加。半蔵門線に乗って、押上を過ぎると東武線に乗り入れる。最初の駅は曳船。このあたりで見る東京スカイツリーはとてつもなく大きい。ちょっと途中下車して近隣を散歩してみたい衝動に、ふだんであれば駆られるのであるが、こうも奥歯が痛いとそんな気も起きない。
K先輩に奥歯を深く削って、とりあえず中にたまっているガスを出せばいくらか楽になると言われ、激痛をこらえた。
こんなとき先輩後輩の間柄は都合がいい。先輩にしてみれば、多少の痛みくらいで後輩が騒ぎ出すとは思わないし、後輩もよくできたもので先輩には絶対逆らわない。
治療が終わって、先輩の部屋でお茶をご馳走になりながら、「かなり痛かっただろ」と訊かれたが、「いいえ、合宿の筋肉痛にくらべれば…」などとわけのわからない会話が絶妙な呼吸でやりとりされる。
今日はいくぶん、痛みは引いたが、まだ腫れはある。
カテゴリーの分類がもともと大雑把なので“エッセー・紀行”にしてみた。たいていこの手の本は新書が多いのだが、最近は文庫にもこのような啓発的なテーマの本が増えている。
日垣隆という著者のことをほとんど知らずに読んだのが、ノンフィクションライターであるらしい。広告の仕事をしているととかく当たり障りのなく、誰も傷つけない表現を選ぶ。そしてそういう習慣が身についてしまうのだが、ジャーナリズムの一線で、しかもフリーランサーである筆者の文章はシャープで明快、読んでいるこちらがはらはらしてしまう。自分の書いた文章に対する幾多の攻撃と闘ってきた人なのだろう。
かつて『知的~』と題される書物は多かったが、この本の成功は自らの主張を貫く強い表現(冗談でさえ素直に笑えないほどの)と“ストレッチ”と名づけたそのタイトルにあるといえる。これから社会の荒波に飛び込んでいく若者はもちろん、仕事的には枯れてきた世代にも刺激になる一冊である。
で、昨日K先輩の歯科医院まで飛んでいく。場所は埼玉の草加。半蔵門線に乗って、押上を過ぎると東武線に乗り入れる。最初の駅は曳船。このあたりで見る東京スカイツリーはとてつもなく大きい。ちょっと途中下車して近隣を散歩してみたい衝動に、ふだんであれば駆られるのであるが、こうも奥歯が痛いとそんな気も起きない。
K先輩に奥歯を深く削って、とりあえず中にたまっているガスを出せばいくらか楽になると言われ、激痛をこらえた。
こんなとき先輩後輩の間柄は都合がいい。先輩にしてみれば、多少の痛みくらいで後輩が騒ぎ出すとは思わないし、後輩もよくできたもので先輩には絶対逆らわない。
治療が終わって、先輩の部屋でお茶をご馳走になりながら、「かなり痛かっただろ」と訊かれたが、「いいえ、合宿の筋肉痛にくらべれば…」などとわけのわからない会話が絶妙な呼吸でやりとりされる。
今日はいくぶん、痛みは引いたが、まだ腫れはある。
カテゴリーの分類がもともと大雑把なので“エッセー・紀行”にしてみた。たいていこの手の本は新書が多いのだが、最近は文庫にもこのような啓発的なテーマの本が増えている。
日垣隆という著者のことをほとんど知らずに読んだのが、ノンフィクションライターであるらしい。広告の仕事をしているととかく当たり障りのなく、誰も傷つけない表現を選ぶ。そしてそういう習慣が身についてしまうのだが、ジャーナリズムの一線で、しかもフリーランサーである筆者の文章はシャープで明快、読んでいるこちらがはらはらしてしまう。自分の書いた文章に対する幾多の攻撃と闘ってきた人なのだろう。
かつて『知的~』と題される書物は多かったが、この本の成功は自らの主張を貫く強い表現(冗談でさえ素直に笑えないほどの)と“ストレッチ”と名づけたそのタイトルにあるといえる。これから社会の荒波に飛び込んでいく若者はもちろん、仕事的には枯れてきた世代にも刺激になる一冊である。
2010年6月4日金曜日
桐野夏生『東京島』
卓球に限らずスポーツ全般にいえることだが、ユニフォームというものがいつしか派手な柄になっている。
とりわけ卓球はその昔、地味な濃い色のポロシャツみたいなユニフォームが義務づけられていたと記憶しているので体育館やショップで目にする、水彩絵の具をぶちまけたような彩りのシャツや黄や赤や緑の不規則なラインに縁どられたデザインを見ると隔世の感がある。
たしかに昔の卓球といえば黒板のような深緑色の卓球台にエンジや濃紺など淡色のウェアだった。ボールが白なので白のユニフォームは禁止されていたが、いつのころからオレンジボールという新色が登場し、台もきれいなブルーになっている。ときどき駒沢体育館などで行われている学生の試合などで深緑の台を見ると妙に懐かしく思うものだ。
そうした色味やデザインの地味な時代の卓球を知るものとしては、実のところ、昨今のカラーリングは醜悪としか思えない。試合用に購入してもいいかなとも思うのだが、これを着るのかと思うとつい尻込みするものが圧倒的に多い。できれば単色であまりデザインの主張のないものをと思うのだが、お店にはもちろん、メーカーのカタログにもそれほど多くない。
大学生の試合を観にいくと明治や早稲田などいわゆる伝統校のユニフォームは昔ながらの(それでも時代とともに洗練されているのだろうと思うが)、それぞれの学校のカラーを活かしたシンプルなデザインである。早稲田のエンジ、明治の茄子紺、専修の緑などなど。
最近はほとんど観にいかないが学生バレーボールもおそらくは昔と(ぼくが高校生の頃、駒沢までよく観にいっていたころの30数年前)大きな違いはないだろうと思う。中央は紺、筑波は緑、東海は十字のデザインなど。東京六大学野球の各チームが東大をのぞいて昔からデザインを変えていないのと同じように。
まあ、何が言いたいかというと卓球の最近のユニフォームはおじさんにはちょっと恥ずかしいなということだ。
無人島というとものすごく想像力をかきたてられる。文明を前提に日々生きていると息苦しくなる思いだ。そんな局面に堂々と挑んだいい作品ではないか。あ、この本のことね。
とりわけ卓球はその昔、地味な濃い色のポロシャツみたいなユニフォームが義務づけられていたと記憶しているので体育館やショップで目にする、水彩絵の具をぶちまけたような彩りのシャツや黄や赤や緑の不規則なラインに縁どられたデザインを見ると隔世の感がある。
たしかに昔の卓球といえば黒板のような深緑色の卓球台にエンジや濃紺など淡色のウェアだった。ボールが白なので白のユニフォームは禁止されていたが、いつのころからオレンジボールという新色が登場し、台もきれいなブルーになっている。ときどき駒沢体育館などで行われている学生の試合などで深緑の台を見ると妙に懐かしく思うものだ。
そうした色味やデザインの地味な時代の卓球を知るものとしては、実のところ、昨今のカラーリングは醜悪としか思えない。試合用に購入してもいいかなとも思うのだが、これを着るのかと思うとつい尻込みするものが圧倒的に多い。できれば単色であまりデザインの主張のないものをと思うのだが、お店にはもちろん、メーカーのカタログにもそれほど多くない。
大学生の試合を観にいくと明治や早稲田などいわゆる伝統校のユニフォームは昔ながらの(それでも時代とともに洗練されているのだろうと思うが)、それぞれの学校のカラーを活かしたシンプルなデザインである。早稲田のエンジ、明治の茄子紺、専修の緑などなど。
最近はほとんど観にいかないが学生バレーボールもおそらくは昔と(ぼくが高校生の頃、駒沢までよく観にいっていたころの30数年前)大きな違いはないだろうと思う。中央は紺、筑波は緑、東海は十字のデザインなど。東京六大学野球の各チームが東大をのぞいて昔からデザインを変えていないのと同じように。
まあ、何が言いたいかというと卓球の最近のユニフォームはおじさんにはちょっと恥ずかしいなということだ。
無人島というとものすごく想像力をかきたてられる。文明を前提に日々生きていると息苦しくなる思いだ。そんな局面に堂々と挑んだいい作品ではないか。あ、この本のことね。
2010年5月30日日曜日
酒井順子『都と京』
性懲りもなく東京六大学野球の話。
東大はこの春のリーグも10連敗。3季連続の10連敗で現在31連敗中という。今季は慶応竹内にノーヒットノーランを達成されるなど86失点。なんともコメントのしようがない。
もちろん甲子園には程遠い進学校から入学入部したメンバーたちだから、高校時代全国レベルで活躍した選手を相手に勝ちまくれというのは無理な相談だ。とはいえ、すべての試合が恥ずかしいかといえば、けっしてそうでもない。対早稲田一回戦では2-4で逆転負け。対立教二回戦は6回まで6-5とリードしていたのだ。あとひとりでもふたりでもかわせる投手がいれば勝っていた試合だと思える。
最近では東都の中央に元ジャイアンツ他の投手だった高橋善正が監督として就任し、まずまずの結果を残している。慶応も同じく元ジャイアンツ他の江藤省三が監督になって注目を集めている。それぞれOB監督ではあるが、東大に今必要なのは勝てるチームづくりのできる監督・指導者なのではないか。この際、OBという枠組みにとらわれない野球人を抜擢してみてはどうだろう。学問のトップとして君臨する日本の頭脳がなぜ相も変わらず勝つことを知らない指導者の下で野球をやっているのか不思議でならない。いっそ野村克也でも監督に招いたら、東京六大学随一の頭脳が活き、観客動員もアップするに違いない。
さて。途中で読むのをやめたのは久々である。
東京がNGで京都がGOODという前提の本であるのはそういう主旨で書かれたのだから仕方ないとして、その論拠や表現が稚拙で付き合いきれなかった。まあ子どもの作文並みの筆致で描かれた性質の悪い京都観光案内といったところか。最後まで読んでいないからわからないけど。
東大はこの春のリーグも10連敗。3季連続の10連敗で現在31連敗中という。今季は慶応竹内にノーヒットノーランを達成されるなど86失点。なんともコメントのしようがない。
もちろん甲子園には程遠い進学校から入学入部したメンバーたちだから、高校時代全国レベルで活躍した選手を相手に勝ちまくれというのは無理な相談だ。とはいえ、すべての試合が恥ずかしいかといえば、けっしてそうでもない。対早稲田一回戦では2-4で逆転負け。対立教二回戦は6回まで6-5とリードしていたのだ。あとひとりでもふたりでもかわせる投手がいれば勝っていた試合だと思える。
最近では東都の中央に元ジャイアンツ他の投手だった高橋善正が監督として就任し、まずまずの結果を残している。慶応も同じく元ジャイアンツ他の江藤省三が監督になって注目を集めている。それぞれOB監督ではあるが、東大に今必要なのは勝てるチームづくりのできる監督・指導者なのではないか。この際、OBという枠組みにとらわれない野球人を抜擢してみてはどうだろう。学問のトップとして君臨する日本の頭脳がなぜ相も変わらず勝つことを知らない指導者の下で野球をやっているのか不思議でならない。いっそ野村克也でも監督に招いたら、東京六大学随一の頭脳が活き、観客動員もアップするに違いない。
さて。途中で読むのをやめたのは久々である。
東京がNGで京都がGOODという前提の本であるのはそういう主旨で書かれたのだから仕方ないとして、その論拠や表現が稚拙で付き合いきれなかった。まあ子どもの作文並みの筆致で描かれた性質の悪い京都観光案内といったところか。最後まで読んでいないからわからないけど。
2010年5月28日金曜日
外山滋比古『日本語の作法』
東京六大学野球春のリーグ戦は早慶対決となった。
斎藤、大石、福井とドラフト級をかかえる早稲田が有利に見えるが、附属から甲子園組がこぞって集まった慶應もあなどれない。今季の戦いぶりを見ていると慶応は長打をからめた集中打で競り勝つ試合が多く、早稲田は相変わらず貧打で得た得点を守り抜く試合が多いように思う。単純に図式化すれば打って慶応、守って早稲田といったところか。
とかく今年は早稲田投手陣にマスコミの関心は集まっているが、東都にも東洋の鹿沼、乾、中央の澤村ら好投手がそろっていてドラフトではどうなるか楽しみである。
来年のことをいうと鬼がどうのこうのというが、今の3年生にも好投手が多い。甲子園夏の大会で惜しくも決勝で敗れた広稜のエース野村祐輔。1年時から明治のマウンドをまかされ、この春(正直いって2勝どまりは期待はずれだったが)で通算勝ち星を14までのばした。3年春終了時点で斎藤祐樹は22勝だったが、今後の活躍しだいでは30勝も不可能ではあるまい。明治には大垣日大出身の森田や春日部共栄の難波ら次代エースの層が厚い。
で、この本は日本語のベテランがつづる言葉の作法。
手書き文字に対する入れ込みは時代錯誤かとも思われるが、日本語をこよなく愛する先達であり、その文章は脱帽せざるを得ない明快さを持っている。
こんないい加減な日本語で書いているのがちょっと恥ずかしい。
斎藤、大石、福井とドラフト級をかかえる早稲田が有利に見えるが、附属から甲子園組がこぞって集まった慶應もあなどれない。今季の戦いぶりを見ていると慶応は長打をからめた集中打で競り勝つ試合が多く、早稲田は相変わらず貧打で得た得点を守り抜く試合が多いように思う。単純に図式化すれば打って慶応、守って早稲田といったところか。
とかく今年は早稲田投手陣にマスコミの関心は集まっているが、東都にも東洋の鹿沼、乾、中央の澤村ら好投手がそろっていてドラフトではどうなるか楽しみである。
来年のことをいうと鬼がどうのこうのというが、今の3年生にも好投手が多い。甲子園夏の大会で惜しくも決勝で敗れた広稜のエース野村祐輔。1年時から明治のマウンドをまかされ、この春(正直いって2勝どまりは期待はずれだったが)で通算勝ち星を14までのばした。3年春終了時点で斎藤祐樹は22勝だったが、今後の活躍しだいでは30勝も不可能ではあるまい。明治には大垣日大出身の森田や春日部共栄の難波ら次代エースの層が厚い。
で、この本は日本語のベテランがつづる言葉の作法。
手書き文字に対する入れ込みは時代錯誤かとも思われるが、日本語をこよなく愛する先達であり、その文章は脱帽せざるを得ない明快さを持っている。
こんないい加減な日本語で書いているのがちょっと恥ずかしい。
2010年5月27日木曜日
池波正太郎『江戸の味を食べたくなって』
子どもが大きくなって、小さかった頃のことが鮮明に思い出せない。
このあいだも次女が学校に提出する宿題に自分が小さかった頃の話を親から聞いて書く、みたいな課題があって訊ねられたのだが、いくつか思い出せる話はあるにはあるが、それが長女のことか次女のことかはっきり区別がつかない。それに子どもというのはたいていどこのうちの子でも同じようなことをして育つんではないだろうかとも思う。
たとえばうちの子はトランプにしても、ジグソーパズルにしてもすごろくのコマにしてもクレヨンにしてもなんでも小分けにしてあっちこっちにしまいこんでいた。だからパズルをやるにしてもまずあっちこっちをさがしまわってピースを全部集めなくてはならない。どこかへ出かけると持っていったポーチの中から用もないピースが見つかることもある。
ひとつにまとめておかなければいけないものをばらばらに分けるのにカラー粘土のようにまぜてしまってはいけないものは容赦なくまぜる。たいてい買ったその日のうちには色とりどりのカラー粘土は真っ黒いかたまりと化す。
当時、まぜないでちゃんと色分けしてしまうんだよとなんども言っていた親がそれをしたのが長女か次女かわからなくなっている。
まあこんなことはどこのうちで同じだろうと思う。
池波正太郎は“食”関連の本しか読んでいないが、そんなにパリや南仏に出向いた方だとはつゆほども知らなかった。
このあいだも次女が学校に提出する宿題に自分が小さかった頃の話を親から聞いて書く、みたいな課題があって訊ねられたのだが、いくつか思い出せる話はあるにはあるが、それが長女のことか次女のことかはっきり区別がつかない。それに子どもというのはたいていどこのうちの子でも同じようなことをして育つんではないだろうかとも思う。
たとえばうちの子はトランプにしても、ジグソーパズルにしてもすごろくのコマにしてもクレヨンにしてもなんでも小分けにしてあっちこっちにしまいこんでいた。だからパズルをやるにしてもまずあっちこっちをさがしまわってピースを全部集めなくてはならない。どこかへ出かけると持っていったポーチの中から用もないピースが見つかることもある。
ひとつにまとめておかなければいけないものをばらばらに分けるのにカラー粘土のようにまぜてしまってはいけないものは容赦なくまぜる。たいてい買ったその日のうちには色とりどりのカラー粘土は真っ黒いかたまりと化す。
当時、まぜないでちゃんと色分けしてしまうんだよとなんども言っていた親がそれをしたのが長女か次女かわからなくなっている。
まあこんなことはどこのうちで同じだろうと思う。
池波正太郎は“食”関連の本しか読んでいないが、そんなにパリや南仏に出向いた方だとはつゆほども知らなかった。
2010年5月26日水曜日
高村薫『レディー・ジョーカー』
テツさんはある広告会社のアートディレクターだった。
もうしばらく会っていないが、おそらくは引退されて悠々自適な日々を送っているのではないだろうか。
テツさんの若かりし頃の上司がその後ずいぶんたって子会社に出向し、ぼくの上司になった。そんな関係でテツさんはぼくの兄弟子的なポジションにいる人だった。
テツさんは角刈り頭の強面で、こう言ってはたいへん失礼ではあるけれど、アートディレクターっぽくない。どちらかといえばテレビドラマに出てくる刑事、それも主役の刑事ではなく、炎天下の山間の村々を汗だくになって聞き込みにまわる脇の刑事というイメージの人だった。
それでいて面倒見がいいというのか、その後ぼくが会社を辞めるにあたり、「やっていけるのか」とか「どこそこの代理店でクリエーティブを募集しているぞ」とか会うたびに声をかけてくれた。当時のぼくがよほど頼りなさげに見えたのだろう。
また定年間近な頃だったと思うが、ぷらっと遊びに行くとたいていデスクの前の小さなソファで夕刊をひろげていた。ぼくを見つけるとこっちへ来いと声をかけ、「いやあね、倅が新聞社に入りましてね、カメラマンなんですけど。最近写真が、ほら、たまに載るようになってね」と目を細めて、社会面の写真を指差す。たしかにそこにはテツさんのご子息の名前が印刷されている。【撮影・●●●●】と。
風貌といい、心根といい、あらゆる所作において人間味丸出しのいい先輩だった。
そのテツさんと最後に仕事をしたのが1998年。打合せの後、立ち寄った居酒屋で「最近本を読むのが楽しくなりましてね。『レディー・ジョーカー』読みましたか?最近読んだ本のなかではいちばんおもしろかったですよ。よく調べられていて…」とまるでご子息が本を書いたかのように微笑ましく話されていた。
それから10年以上たって、ぼくはようやく『レディー・ジョーカー』にたどりついた。
まるでノンフィクションを読んでいるような、ドキュメンタリーフィルムを見ているような精緻で客観的な描写についつい引き込まれてしまった。
テツさんが刑事になって出てくるかと思ったが、残念ながら会うことはできなかった。
もうしばらく会っていないが、おそらくは引退されて悠々自適な日々を送っているのではないだろうか。
テツさんの若かりし頃の上司がその後ずいぶんたって子会社に出向し、ぼくの上司になった。そんな関係でテツさんはぼくの兄弟子的なポジションにいる人だった。
テツさんは角刈り頭の強面で、こう言ってはたいへん失礼ではあるけれど、アートディレクターっぽくない。どちらかといえばテレビドラマに出てくる刑事、それも主役の刑事ではなく、炎天下の山間の村々を汗だくになって聞き込みにまわる脇の刑事というイメージの人だった。
それでいて面倒見がいいというのか、その後ぼくが会社を辞めるにあたり、「やっていけるのか」とか「どこそこの代理店でクリエーティブを募集しているぞ」とか会うたびに声をかけてくれた。当時のぼくがよほど頼りなさげに見えたのだろう。
また定年間近な頃だったと思うが、ぷらっと遊びに行くとたいていデスクの前の小さなソファで夕刊をひろげていた。ぼくを見つけるとこっちへ来いと声をかけ、「いやあね、倅が新聞社に入りましてね、カメラマンなんですけど。最近写真が、ほら、たまに載るようになってね」と目を細めて、社会面の写真を指差す。たしかにそこにはテツさんのご子息の名前が印刷されている。【撮影・●●●●】と。
風貌といい、心根といい、あらゆる所作において人間味丸出しのいい先輩だった。
そのテツさんと最後に仕事をしたのが1998年。打合せの後、立ち寄った居酒屋で「最近本を読むのが楽しくなりましてね。『レディー・ジョーカー』読みましたか?最近読んだ本のなかではいちばんおもしろかったですよ。よく調べられていて…」とまるでご子息が本を書いたかのように微笑ましく話されていた。
それから10年以上たって、ぼくはようやく『レディー・ジョーカー』にたどりついた。
まるでノンフィクションを読んでいるような、ドキュメンタリーフィルムを見ているような精緻で客観的な描写についつい引き込まれてしまった。
テツさんが刑事になって出てくるかと思ったが、残念ながら会うことはできなかった。
2010年5月19日水曜日
ジャン・コクトー『恐るべき子供たち』
このあいだ少年誌の付録のことを思い出して書いてみたが、そういえば長女だか次女だか小さい頃、付録付きの雑誌を欲しがった。で、まあつくるのはぼくの役目なのだが、昔も今もこうした付録はついているのだなあと思うと同時に、近頃の付録は子どもがつくるものなのではなく、大人につくらせるようにできているのだなと思った。もちろんその雑誌自体が就学前の幼児を相手にしていたものだから、当然といえば当然なのだが。
それにしてもボール紙を切り分けて、組み立てて…というそんな付録を誰が考えつくのだろう。やはり専門の付録デザイナーとかプランナーとか一級付録設計士みたいな職種が世の中にはあるのだろうか。田宮模型の戦車のプラモデルのパッケージイラストレーションを小松崎茂という人がずっと描いていたみたいに。
"もの"があるということは、"ものをつくる人"がいるんだとついつい考えてしまう。それは街で見かける看板や毎朝新聞に折り込まれてくるチラシもそうだ。どんな人がこれをつくったのだろうと。
ヒマをもてあまさない性格なのだろう。
訳者もあとがきで書いていたが、コクトーは変幻自在なフランス語をあやつり、さらに論理の連鎖に空白があって日本語にするのはたいへんやっかいなんだそうだ。そこらへんは読んでいてわかるような気がした。
それにしてもボール紙を切り分けて、組み立てて…というそんな付録を誰が考えつくのだろう。やはり専門の付録デザイナーとかプランナーとか一級付録設計士みたいな職種が世の中にはあるのだろうか。田宮模型の戦車のプラモデルのパッケージイラストレーションを小松崎茂という人がずっと描いていたみたいに。
"もの"があるということは、"ものをつくる人"がいるんだとついつい考えてしまう。それは街で見かける看板や毎朝新聞に折り込まれてくるチラシもそうだ。どんな人がこれをつくったのだろうと。
ヒマをもてあまさない性格なのだろう。
訳者もあとがきで書いていたが、コクトーは変幻自在なフランス語をあやつり、さらに論理の連鎖に空白があって日本語にするのはたいへんやっかいなんだそうだ。そこらへんは読んでいてわかるような気がした。
2010年5月15日土曜日
安岡章太郎『質屋の女房』
小学校一年か二年か、そのくらいの頃。
近所の商店街の縁日や祭りの夜店でぼくがよく買ったものといえば、金魚すくいの金魚でもなく、お好み焼きやラムネでもなく、まあまったくその手のものを買わなかったわけではないが、やはりメインの商品は当時月刊少年誌にたいてい付いていた付録だった。
ボール紙でできたパーツを切り取り、山折り、谷折りし、アルミニウムのようなやわらかい金属でできているピンやハトメで、あるいはのりやセロハンテープ、輪ゴムなどで固定し、連載漫画の主人公の持つ銃器やキャラクターたちの秘密基地みたいなものをつくりあげるのだ。
当時は毎月少年誌を一冊母から買ってもらっていたので月々の楽しみとしてそういうことはしていたのだが、別雑誌の付録やバックナンバーの付録は目新しくてついつい買ってしまうのだった。
そしてその翌日は近所の古書店をまわる。なぜなら付録は付録だけで売られていて、つくり方が載っている雑誌本体は別にさがさなければならないからだ。つくり方を読まずに組み立てられるほど昔の付録はヤワじゃなかった。
それと月刊少年誌の付録としては本体に連載されている漫画の続きが別冊として付録になっていた。これもまたついつい買い求めてしまうのだが、あくまで本体、付録で完結しているから、本体だけでは次号へのつながりがわからないし、別冊だけでは前月号本体からのつながりがわからない。当時の大人はよくもまあこんなビジネスを思いついたものだと感心する。
そんなわけで別冊を買うとその号の本体を古書店に買いにいく。場合によっては(こっちのほうが圧倒的に多いのだが)立ち読みですませる。今にして思えば、なんと時間的にぜいたくな遊びだったろう。
で、『質屋の女房』なのだが、安岡章太郎の青春小説ってところか。もちろんあくまで安岡章太郎の、だ。老成した青春小説だ。暗い時代を生きたからではないもって生まれた劣等感に貫かれた安岡ワールドだ。
近所の商店街の縁日や祭りの夜店でぼくがよく買ったものといえば、金魚すくいの金魚でもなく、お好み焼きやラムネでもなく、まあまったくその手のものを買わなかったわけではないが、やはりメインの商品は当時月刊少年誌にたいてい付いていた付録だった。
ボール紙でできたパーツを切り取り、山折り、谷折りし、アルミニウムのようなやわらかい金属でできているピンやハトメで、あるいはのりやセロハンテープ、輪ゴムなどで固定し、連載漫画の主人公の持つ銃器やキャラクターたちの秘密基地みたいなものをつくりあげるのだ。
当時は毎月少年誌を一冊母から買ってもらっていたので月々の楽しみとしてそういうことはしていたのだが、別雑誌の付録やバックナンバーの付録は目新しくてついつい買ってしまうのだった。
そしてその翌日は近所の古書店をまわる。なぜなら付録は付録だけで売られていて、つくり方が載っている雑誌本体は別にさがさなければならないからだ。つくり方を読まずに組み立てられるほど昔の付録はヤワじゃなかった。
それと月刊少年誌の付録としては本体に連載されている漫画の続きが別冊として付録になっていた。これもまたついつい買い求めてしまうのだが、あくまで本体、付録で完結しているから、本体だけでは次号へのつながりがわからないし、別冊だけでは前月号本体からのつながりがわからない。当時の大人はよくもまあこんなビジネスを思いついたものだと感心する。
そんなわけで別冊を買うとその号の本体を古書店に買いにいく。場合によっては(こっちのほうが圧倒的に多いのだが)立ち読みですませる。今にして思えば、なんと時間的にぜいたくな遊びだったろう。
で、『質屋の女房』なのだが、安岡章太郎の青春小説ってところか。もちろんあくまで安岡章太郎の、だ。老成した青春小説だ。暗い時代を生きたからではないもって生まれた劣等感に貫かれた安岡ワールドだ。
2010年5月14日金曜日
村上春樹『1Q84 Book3』
両親の出身が千葉県の千倉なので、子どもの頃は毎夏祖父に連れられ、2週間近くを過ごした。今でも墓参りや法事などで足を運ぶことが多い。
内房線は君津あたりまでが複線化されているが、そこから先は単線区となり、俄然ローカル色が強くなる。そしてほとんどの特急が館山どまりであるように館山を過ぎるともうどこをどうみてもローカル色一色になり、ローカル色の人が歩いていてもまったく見分けが付かなくなる。
とはいえ父母の実家は千倉駅から安房白浜行きバスに長いこと揺られてようやくたどり着くようなところなので千倉の駅の周辺や駅の北側(安房鴨川方面)の印象はほとんどない。いわゆる千倉海岸と呼ばれている海水浴場はおそらく駅の北東側なのではあるまいか。
天吾の父親が亡くなった千倉の療養所がどの辺にあったのか(それはもちろんモデルが仮にあったとしての話だが)、そんなわけでまったくわからない。著者の想像の産物ではあるまいかという気もしている。なんでそんなことを考えるかというと天吾の父親が火葬される、そのシーンを読んでいるとぼくの曾祖母や祖父母が焼かれた火葬場とはあきらかに違うことがわかるのだ。たしかにぼくが子どもの頃の行った火葬場(地元では“やきば”という)はそう古くない昔に改築され、新しくなったが、それでもこの小説に出てくるほど都会的な雰囲気はない。
まあ、読んだ小説のなかに自分の知っている場所がでてきたからといって、そんなことで目くじら立てるほどのことでもあるまい。
内房線は君津あたりまでが複線化されているが、そこから先は単線区となり、俄然ローカル色が強くなる。そしてほとんどの特急が館山どまりであるように館山を過ぎるともうどこをどうみてもローカル色一色になり、ローカル色の人が歩いていてもまったく見分けが付かなくなる。
とはいえ父母の実家は千倉駅から安房白浜行きバスに長いこと揺られてようやくたどり着くようなところなので千倉の駅の周辺や駅の北側(安房鴨川方面)の印象はほとんどない。いわゆる千倉海岸と呼ばれている海水浴場はおそらく駅の北東側なのではあるまいか。
天吾の父親が亡くなった千倉の療養所がどの辺にあったのか(それはもちろんモデルが仮にあったとしての話だが)、そんなわけでまったくわからない。著者の想像の産物ではあるまいかという気もしている。なんでそんなことを考えるかというと天吾の父親が火葬される、そのシーンを読んでいるとぼくの曾祖母や祖父母が焼かれた火葬場とはあきらかに違うことがわかるのだ。たしかにぼくが子どもの頃の行った火葬場(地元では“やきば”という)はそう古くない昔に改築され、新しくなったが、それでもこの小説に出てくるほど都会的な雰囲気はない。
まあ、読んだ小説のなかに自分の知っている場所がでてきたからといって、そんなことで目くじら立てるほどのことでもあるまい。
2010年5月6日木曜日
スタンダール『赤と黒』
あっという間に大型連休は終わった。
こまごまとした仕事が多く、卓球にも読書にも身が入らない1週間だった。昨日はかつて卓球のやりすぎで腱鞘炎を起こし、さらには痔の手術でしばらく静養していた音楽プロデューサーのM君から近所の体育館で卓球をしませんかとお誘いを受けたのだが、残念ながら打ち合わせに出てしまうのでお断りせざるを得なかった。
年に一度、あるいは二度ほど、バカみたいに長い小説を読みたくなる。連休どきは長モノを読むにはちょうどいい。
『赤と黒』は読んだような気がする。
たぶん、30年ほど前に。ジュリヤン・ソレルという主人公の名は憶えている。が、これは読んでいようがいまいが『赤と黒』の主人公がジュリヤン・ソレルであることくらいはある程度の知識のある人なら知っている。だからその名前を憶えていることが読んだという証左にはならない。だが窓に梯子をかけて昇っていくシーンはなんとなく憶えている。結末はどうだったか、なんてぜんぜん憶えていない。
ならば読もうとぼくの中では評価の高い光文社の古典新訳シリーズを手に取った。はたして梯子を上るくだりはあった。読みすすめながら、以前読んだことをまったく思い出すこともなく読み終えた。ほんとうに昔読んだのだろうか。謎は深まるばかりである。
それはともかくとして終盤になってジュリヤンはそのキャラクターを変えるように思える。ずっとひ弱で陰湿な性格の彼が事件以降カラマーゾフの長男のような豪快な人柄になる。それがちょっと不思議だった。
こまごまとした仕事が多く、卓球にも読書にも身が入らない1週間だった。昨日はかつて卓球のやりすぎで腱鞘炎を起こし、さらには痔の手術でしばらく静養していた音楽プロデューサーのM君から近所の体育館で卓球をしませんかとお誘いを受けたのだが、残念ながら打ち合わせに出てしまうのでお断りせざるを得なかった。
年に一度、あるいは二度ほど、バカみたいに長い小説を読みたくなる。連休どきは長モノを読むにはちょうどいい。
『赤と黒』は読んだような気がする。
たぶん、30年ほど前に。ジュリヤン・ソレルという主人公の名は憶えている。が、これは読んでいようがいまいが『赤と黒』の主人公がジュリヤン・ソレルであることくらいはある程度の知識のある人なら知っている。だからその名前を憶えていることが読んだという証左にはならない。だが窓に梯子をかけて昇っていくシーンはなんとなく憶えている。結末はどうだったか、なんてぜんぜん憶えていない。
ならば読もうとぼくの中では評価の高い光文社の古典新訳シリーズを手に取った。はたして梯子を上るくだりはあった。読みすすめながら、以前読んだことをまったく思い出すこともなく読み終えた。ほんとうに昔読んだのだろうか。謎は深まるばかりである。
それはともかくとして終盤になってジュリヤンはそのキャラクターを変えるように思える。ずっとひ弱で陰湿な性格の彼が事件以降カラマーゾフの長男のような豪快な人柄になる。それがちょっと不思議だった。
2010年4月30日金曜日
ジュール・シュペルヴィエル『海に住む少女』
大型連休がはじまった。
今年も例年通り、特段することもなく、どこかの体育館が開いていれば卓球をやるし、することもなければ本を読んだりして過ごすつもりだ。連休明けにアイデアくださいと頼まれている仕事が何本かあり、おいおいそれも考えなくちゃとは思っている。
高校野球の春季大会は選抜大会に出場した帝京が初戦で、日大三が2戦目の三回戦で敗れる波乱(選抜出場校が早々と敗退するのはよくあることではある)があり、優勝は日大鶴ヶ丘、準優勝が修徳。これに推薦枠の日大三が関東大会に出場する。
この大会のベスト16が夏の大会のシードになるはずだから、東東京は修徳、関東一、成立、日大豊山、都総合工科、都城東の6校、西は日大鶴ヶ丘、早実、国学院久我山、日大三、日大二、八王子、都日野、東亜学園、桜美林、創価の10校がそれにあたる。なかでも昨秋の新人戦で本大会に出場できなかった修徳、桜美林、東亜は大健闘といえるだろう。
特に意識してフランス文学を読んでいるわけではないのだが、一冊読むとその近辺の作家を拾い読みしたりしてしまうものだ。
シュペルヴィエルは1884年生まれ。時代的にはコレットに近いのかもしれない。その前の世代がゾラたちだ。ただシュペルヴィエルはウルグアイ生まれのフランス人ということで(あるいはそんな半端な予備知識を持って読んでいるせいか)、一種独特な世界観を持った作家という印象を受けた。
なんとも不思議な短編集である。
今年も例年通り、特段することもなく、どこかの体育館が開いていれば卓球をやるし、することもなければ本を読んだりして過ごすつもりだ。連休明けにアイデアくださいと頼まれている仕事が何本かあり、おいおいそれも考えなくちゃとは思っている。
高校野球の春季大会は選抜大会に出場した帝京が初戦で、日大三が2戦目の三回戦で敗れる波乱(選抜出場校が早々と敗退するのはよくあることではある)があり、優勝は日大鶴ヶ丘、準優勝が修徳。これに推薦枠の日大三が関東大会に出場する。
この大会のベスト16が夏の大会のシードになるはずだから、東東京は修徳、関東一、成立、日大豊山、都総合工科、都城東の6校、西は日大鶴ヶ丘、早実、国学院久我山、日大三、日大二、八王子、都日野、東亜学園、桜美林、創価の10校がそれにあたる。なかでも昨秋の新人戦で本大会に出場できなかった修徳、桜美林、東亜は大健闘といえるだろう。
特に意識してフランス文学を読んでいるわけではないのだが、一冊読むとその近辺の作家を拾い読みしたりしてしまうものだ。
シュペルヴィエルは1884年生まれ。時代的にはコレットに近いのかもしれない。その前の世代がゾラたちだ。ただシュペルヴィエルはウルグアイ生まれのフランス人ということで(あるいはそんな半端な予備知識を持って読んでいるせいか)、一種独特な世界観を持った作家という印象を受けた。
なんとも不思議な短編集である。
2010年4月26日月曜日
宮本輝『蛍川・泥の河』
次女が学校でつくったというラジオをもらった。
そういえば長女も技術家庭科の時間にラジオをつくっていたっけ。ダイナモつきの電源なしで聴けるラジオ。
ぼく自身の経験を振り返ると中学生の頃はトランジスタ化(ぼくらはトランジスタを石と呼び、石化といっていた)がかなりすすんでいた。もう少し上の世代ではおそらく並三か並四と呼ばれた再生検波式の真空管(こちらはタマと呼んでいた)ラジオをつくっていたのであるまいか。
とはいうもののぼくたちが中学校でつくったのはインターホンのキットでラジオではなかった。
東京の都市部だったら高一(高周波一段増幅)ラジオとかレフレックスラジオ(検波された低周波出力をもういちど高周波入力に戻してゲインをかせぐ、いってみれば再生検波ラジオと基本は同じ)でじゅうぶん実用に耐えたけれど教材として全国一律に普及させるにはスーパーヘテロダインという、アンテナがキャッチした高周波を検波して低周波を取り出す前に中間周波にいちど変換して、感度や選択度を安定させる回路が必要なはず。今ならICだのLSIだのがあれば簡単にできるこの回路も当時は半田付けに緊張を要するトランジスタを6つ以上使うラジオは中学生はハードルが高かったと思う。それにできあがってもその性能を引き出すためには微妙な調整が必要だ。そんなこんなで高周波を取り扱わないインターホンを教材として選んだのだろう。
ぼくは多少半田付けの心得があったのであっという間にインターホンを組み上げてしまい、手持ち無沙汰にしていたら、8石スーパーラジオのキットが技術科準備室にひとつあって、技術科のM先生からじゃあこれでもつくっておけといわれた憶えがある。そのラジオも難なくできあがったのだが、IFTと呼ばれる中間周波トランスを調整する工具がなくて、結局つくりっぱなしでノイズの向こうにかすかにFENが聴こえたなとしか記憶がない。
宮本輝はぼくが受験勉強のさなかにデビューしたせいか、ある種の盲点になっていて読みそびれてしまった作家のひとりだ。『優駿』が話題になったときもぼくは競馬への関心が薄れていた頃だったし。
やっと一冊読み終えた。昭和を現代に残してくれる貴重な作家だ。
娘のラジオの箱の中につくり方の説明書が入っていた。が残念ながら回路図は載っていなかった。もちろん今さら見てもわからないけれど。
そういえば長女も技術家庭科の時間にラジオをつくっていたっけ。ダイナモつきの電源なしで聴けるラジオ。
ぼく自身の経験を振り返ると中学生の頃はトランジスタ化(ぼくらはトランジスタを石と呼び、石化といっていた)がかなりすすんでいた。もう少し上の世代ではおそらく並三か並四と呼ばれた再生検波式の真空管(こちらはタマと呼んでいた)ラジオをつくっていたのであるまいか。
とはいうもののぼくたちが中学校でつくったのはインターホンのキットでラジオではなかった。
東京の都市部だったら高一(高周波一段増幅)ラジオとかレフレックスラジオ(検波された低周波出力をもういちど高周波入力に戻してゲインをかせぐ、いってみれば再生検波ラジオと基本は同じ)でじゅうぶん実用に耐えたけれど教材として全国一律に普及させるにはスーパーヘテロダインという、アンテナがキャッチした高周波を検波して低周波を取り出す前に中間周波にいちど変換して、感度や選択度を安定させる回路が必要なはず。今ならICだのLSIだのがあれば簡単にできるこの回路も当時は半田付けに緊張を要するトランジスタを6つ以上使うラジオは中学生はハードルが高かったと思う。それにできあがってもその性能を引き出すためには微妙な調整が必要だ。そんなこんなで高周波を取り扱わないインターホンを教材として選んだのだろう。
ぼくは多少半田付けの心得があったのであっという間にインターホンを組み上げてしまい、手持ち無沙汰にしていたら、8石スーパーラジオのキットが技術科準備室にひとつあって、技術科のM先生からじゃあこれでもつくっておけといわれた憶えがある。そのラジオも難なくできあがったのだが、IFTと呼ばれる中間周波トランスを調整する工具がなくて、結局つくりっぱなしでノイズの向こうにかすかにFENが聴こえたなとしか記憶がない。
宮本輝はぼくが受験勉強のさなかにデビューしたせいか、ある種の盲点になっていて読みそびれてしまった作家のひとりだ。『優駿』が話題になったときもぼくは競馬への関心が薄れていた頃だったし。
やっと一冊読み終えた。昭和を現代に残してくれる貴重な作家だ。
娘のラジオの箱の中につくり方の説明書が入っていた。が残念ながら回路図は載っていなかった。もちろん今さら見てもわからないけれど。
2010年4月24日土曜日
鹿島茂『パリの秘密』
ラジオフランス語講座をしばらくぶりに聴いてみた。
木曜なのに初級編を放送していた。あれっと思って調べてみたら、月~木が初級編、金が応用編と改編されていた。ついこのあいだまで初級は月~水、応用が木・金でさすがに週3日だと初級の人は物足りないだろうなとは思っていたのだが。
応用編は文学作品の断片を読んでいる。ヴォルテールの『カンディード』とかカミュの『異邦人』とか。朗読を聴いていてもよくわからないがちょっとした文学ガイドと思えばけっこう有意義だ。
この本はフランス文学研究者によるパリ探検記。
もともと新聞に連載されていた読み物ということでひとテーマごと短い文章にまとめられていて、物足りないといえば物足りない。しかもパリの街を歩いたこともないので実感もわかず。
とはいえ最近はグーグルで街歩きができるのでPCを前に散策しながら読んで見るとああ、なるほどと思える箇所が随所にあっておもしろい。それとパリを旅した人がよく写真入でブログにしてくれているが、そうしたものも案外役に立つ。
まあ、行って見てみるのがいちばんなんだけど。
木曜なのに初級編を放送していた。あれっと思って調べてみたら、月~木が初級編、金が応用編と改編されていた。ついこのあいだまで初級は月~水、応用が木・金でさすがに週3日だと初級の人は物足りないだろうなとは思っていたのだが。
応用編は文学作品の断片を読んでいる。ヴォルテールの『カンディード』とかカミュの『異邦人』とか。朗読を聴いていてもよくわからないがちょっとした文学ガイドと思えばけっこう有意義だ。
この本はフランス文学研究者によるパリ探検記。
もともと新聞に連載されていた読み物ということでひとテーマごと短い文章にまとめられていて、物足りないといえば物足りない。しかもパリの街を歩いたこともないので実感もわかず。
とはいえ最近はグーグルで街歩きができるのでPCを前に散策しながら読んで見るとああ、なるほどと思える箇所が随所にあっておもしろい。それとパリを旅した人がよく写真入でブログにしてくれているが、そうしたものも案外役に立つ。
まあ、行って見てみるのがいちばんなんだけど。
2010年4月21日水曜日
アントワーヌ・ドゥ・サン=テグジュペリ『夜間飛行』
区の体育館の卓球でときどきお目にかかるNさんがラケットを新しくした。
それもペンホルダーからシェークハンドに大胆なチェンジだ。そういえばペンホルダーではバックハンドがぜんぜんできないと言っていた。新しいラケットを見せてもらったら、堅くて、重くて、弾むラケットでラバーも最近流行のハイテンション。バック側はそれでも柔らかいラバーだったけれど、正直初心者の域を出ることのないNさんに比較的高価なその組み合わせはいかがなものかと思った。自分で選択したのであれば、その大胆な発想に吃驚するし、お店の人の勧めであったとすれば、その店員の良識を疑う。少なくとも今までペンホルダーを振っていた人がはじめて手にするシェークのラケットではないだろう。
松岡正剛は氏のホームページ[千夜千冊]のなかでこの本について「こういうものを訳したら天下一品だった堀口大學の訳文も堪能できる」と述べているが、ぼくにはどうにも堀口訳は重たく感じるのだ。
みすず書房から出ている山崎庸一郎訳を手にしたことがないので比較をすることはできないのだが、格調が高く、長い文章をそのままに、倒置や挿入などもおそらくは原文に忠実に訳出しているあたりはたしかに素晴らしいとは思うのだ。しかしながら飛行する操縦士たちのスリルとかスピード感が感じられるかというとそれはどうなのだろう。
とはいえいっしょにおさめられている「南方郵便機」も含め、賞賛されるべき小説だと思う。
それもペンホルダーからシェークハンドに大胆なチェンジだ。そういえばペンホルダーではバックハンドがぜんぜんできないと言っていた。新しいラケットを見せてもらったら、堅くて、重くて、弾むラケットでラバーも最近流行のハイテンション。バック側はそれでも柔らかいラバーだったけれど、正直初心者の域を出ることのないNさんに比較的高価なその組み合わせはいかがなものかと思った。自分で選択したのであれば、その大胆な発想に吃驚するし、お店の人の勧めであったとすれば、その店員の良識を疑う。少なくとも今までペンホルダーを振っていた人がはじめて手にするシェークのラケットではないだろう。
松岡正剛は氏のホームページ[千夜千冊]のなかでこの本について「こういうものを訳したら天下一品だった堀口大學の訳文も堪能できる」と述べているが、ぼくにはどうにも堀口訳は重たく感じるのだ。
みすず書房から出ている山崎庸一郎訳を手にしたことがないので比較をすることはできないのだが、格調が高く、長い文章をそのままに、倒置や挿入などもおそらくは原文に忠実に訳出しているあたりはたしかに素晴らしいとは思うのだ。しかしながら飛行する操縦士たちのスリルとかスピード感が感じられるかというとそれはどうなのだろう。
とはいえいっしょにおさめられている「南方郵便機」も含め、賞賛されるべき小説だと思う。
2010年4月16日金曜日
安岡章太郎『僕の昭和史』
学校を出てから、1年、高校の先輩が経営するとんかつ屋や家庭教師のアルバイトをして、就職しないでいた。
今で言うフリーターといったところか。
邦楽のたしなみのあった姉の先輩(兄弟子ならぬ姉弟子)のご主人がCM制作会社の社長だということで働かせてもらうことになった。新宿御苑のほど近いマンションにその事務所はあった。今でもその界隈を歩くとなんとも言い尽くせぬ懐かしさに襲われる。
深夜買出しに出かけたスーパー丸正、当時から客の途絶えることのなかったラーメンのホープ軒。毎日のように昼食を食べた蕎麦屋の朝日屋。そして文象堂書店、文具の江本と今も変わらぬ店がまだいくらか残っている。
まあそのことはいずれあらためて。
ここのところ、ではないが、以前からずっとぼくの中でのブームは“昭和”である。
そんなわけで安岡章太郎のこの本はぜひとも読んでみたかった。
安岡章太郎は国語の教科書でおなじみの「サアカスの馬」の作者であり、実はぼくはこれ以外の作品を読んだことがない。ただこの優れた短編ひとつで著者が昭和を代表する劣等生であることはじゅうぶんうかがえる。
本書の中でもその劣等生ぶりはいかんなく発揮されている。とかく昭和は軍事エリートや経済エリートによる激変の時代と見られがちだが、実はその荒れ狂う嵐の時代のただ中で生きながらえつつ、冷静に時代を見つめていた落第生の視点があったのだ。
今で言うフリーターといったところか。
邦楽のたしなみのあった姉の先輩(兄弟子ならぬ姉弟子)のご主人がCM制作会社の社長だということで働かせてもらうことになった。新宿御苑のほど近いマンションにその事務所はあった。今でもその界隈を歩くとなんとも言い尽くせぬ懐かしさに襲われる。
深夜買出しに出かけたスーパー丸正、当時から客の途絶えることのなかったラーメンのホープ軒。毎日のように昼食を食べた蕎麦屋の朝日屋。そして文象堂書店、文具の江本と今も変わらぬ店がまだいくらか残っている。
まあそのことはいずれあらためて。
ここのところ、ではないが、以前からずっとぼくの中でのブームは“昭和”である。
そんなわけで安岡章太郎のこの本はぜひとも読んでみたかった。
安岡章太郎は国語の教科書でおなじみの「サアカスの馬」の作者であり、実はぼくはこれ以外の作品を読んだことがない。ただこの優れた短編ひとつで著者が昭和を代表する劣等生であることはじゅうぶんうかがえる。
本書の中でもその劣等生ぶりはいかんなく発揮されている。とかく昭和は軍事エリートや経済エリートによる激変の時代と見られがちだが、実はその荒れ狂う嵐の時代のただ中で生きながらえつつ、冷静に時代を見つめていた落第生の視点があったのだ。
2010年4月10日土曜日
谷川俊太郎『ひとり暮らし』
その昔「クイズドレミファドン」という音楽クイズ番組があって、見所は最終ゲームであるイントロ当てクイズだった。
当時ぼくは中学生くらいだっただろうか。テレビを視ていて、イントロが流れるとすぱっと曲名が口から出てきた。
イントロ当てクイズは番組の進行とともにスーパーイントロ当て、スーパーウルトライントロ当てと流れるイントロの秒数がどんどん短くなっていく。それでもけっこうぼくは曲名を当てることができた。
隣で見ていた姉は(例のわたがし名人の姉だ)こんどいっしょに出ようという。私がボタンを押すからお前が答えろと。要はいつもどんくさい弟に代わって早押しをしてやるから、曲名はお前が当てろというわけだ。
そうだ、イントロ当ての話を書くつもりじゃなかった。
最近テレビで流行の曲がかかってもまったくわからなくなってきているのだが、それだけではない。おそらく20~30代に聴いたり、あるいはカラオケで歌ったこともあるかもしれないような曲の曲名がどうにも思い出せないことがある。人間の記憶装置というものは実にもろくはかないものだ。
ところが子どもの頃に聴いた曲は不思議とタイトルが出てくる。震源地の近くが震度が小さいのにちょっと遠いところだと大きい、あの感覚…。いかん。たとえが適切でない。
ここ2~3日、そんな不思議を考えていた。
結論的にいえば(といってもあくまでぼく個人の私見に過ぎないが)、記憶は耳によるところが大きい。
ぼくらは(ここで急に自信をなくして1人称複数にする)主としてラジオで音楽を聴いた。ラジオの音楽は必ずディスクジョッキーやアナウンサーが曲名、歌手名を紹介していた。その名前が曲に結びついた。だから音を聴いて曲名が浮かんでくる。
これがテレビだけで音楽を知る世代では曲名、歌手名は音もあるけれど視覚的にも伝えられる。目で見ることで耳は傾聴を断念する。結果記憶にとどまらない。
ぼくがものごころつく以前に、姉はヴィックスドロップやマーブルチョコレートやありとあらゆるCMソングを歌っていたという。そしておそらくその多くは記憶にとどまっているはずだ。CMの場合、映像より音楽やナレーションが心に残ることのほうが多い。
というのがぼくの考えた理論(というほどのものではないが)。
谷川俊太郎は詩人である。
これまでのぼくの半世紀にわたる人生の中で詩人の知り合いはいなかった。そういうこともあって、詩人・谷川俊太郎の日常を綴ったエッセーに少なからぬ興味を抱いた。でもさすがに詩人だけあって著者の文章のリズムに日ごろ馴染んでいないせいか、するするっと読みすすめることができない。正直言って緊張感をともなわずには読みすすめることが難しい。そんな印象。
そういえばカラオケで歌ったことのある曲は比較的記憶に残っている。それはたぶん身体的な活動つまり発声することと文字が結びついているからだろうと思う。
当時ぼくは中学生くらいだっただろうか。テレビを視ていて、イントロが流れるとすぱっと曲名が口から出てきた。
イントロ当てクイズは番組の進行とともにスーパーイントロ当て、スーパーウルトライントロ当てと流れるイントロの秒数がどんどん短くなっていく。それでもけっこうぼくは曲名を当てることができた。
隣で見ていた姉は(例のわたがし名人の姉だ)こんどいっしょに出ようという。私がボタンを押すからお前が答えろと。要はいつもどんくさい弟に代わって早押しをしてやるから、曲名はお前が当てろというわけだ。
そうだ、イントロ当ての話を書くつもりじゃなかった。
最近テレビで流行の曲がかかってもまったくわからなくなってきているのだが、それだけではない。おそらく20~30代に聴いたり、あるいはカラオケで歌ったこともあるかもしれないような曲の曲名がどうにも思い出せないことがある。人間の記憶装置というものは実にもろくはかないものだ。
ところが子どもの頃に聴いた曲は不思議とタイトルが出てくる。震源地の近くが震度が小さいのにちょっと遠いところだと大きい、あの感覚…。いかん。たとえが適切でない。
ここ2~3日、そんな不思議を考えていた。
結論的にいえば(といってもあくまでぼく個人の私見に過ぎないが)、記憶は耳によるところが大きい。
ぼくらは(ここで急に自信をなくして1人称複数にする)主としてラジオで音楽を聴いた。ラジオの音楽は必ずディスクジョッキーやアナウンサーが曲名、歌手名を紹介していた。その名前が曲に結びついた。だから音を聴いて曲名が浮かんでくる。
これがテレビだけで音楽を知る世代では曲名、歌手名は音もあるけれど視覚的にも伝えられる。目で見ることで耳は傾聴を断念する。結果記憶にとどまらない。
ぼくがものごころつく以前に、姉はヴィックスドロップやマーブルチョコレートやありとあらゆるCMソングを歌っていたという。そしておそらくその多くは記憶にとどまっているはずだ。CMの場合、映像より音楽やナレーションが心に残ることのほうが多い。
というのがぼくの考えた理論(というほどのものではないが)。
谷川俊太郎は詩人である。
これまでのぼくの半世紀にわたる人生の中で詩人の知り合いはいなかった。そういうこともあって、詩人・谷川俊太郎の日常を綴ったエッセーに少なからぬ興味を抱いた。でもさすがに詩人だけあって著者の文章のリズムに日ごろ馴染んでいないせいか、するするっと読みすすめることができない。正直言って緊張感をともなわずには読みすすめることが難しい。そんな印象。
そういえばカラオケで歌ったことのある曲は比較的記憶に残っている。それはたぶん身体的な活動つまり発声することと文字が結びついているからだろうと思う。
2010年4月7日水曜日
鶴野充茂『はずむ会話の7秒ルール』
生命保険におつきあいで入る時代ではとっくにない。
ぼくの場合、高校の先輩、同期がいる関係でひとつ(仮にMY生命とする)。それともうひとつ銀座でサラリーマンをしていた頃に入ったもの(こちらはN生命)とふたつ加入していた。
これはまあ今の時代、はなはだ無駄なことであって、保障を見直しした上でどちらかを解約しようと思った。当然、先輩後輩の間柄で解約するのはセルゲイ・ブブカが棒を使わないで6メートルのバーを越えるくらいに常識的に不可能なことなので、まあ当然の成り行きとしてN生命がターゲットとなる。しかもつい昨年、MY生命は新商品ということでまずまず納得できるプランを持ってきていて、更新したばかり。後追いで、しかも余分な保障に大金を支払うのはちょっと勘弁してほしいと思って、電話で解約しますから手続きをお願いしますと伝えた。それが先月中旬。
客商売というのはわかりやすいものだ。それはN生命などという日本で知らない人はまずいない大手においても同じこと。入るといえば、ものの5分で飛んでくるが、やめるとなると対応はすこぶる悪い。やれ書類の作成が遅れているだの、なんだので、気がつけばもう4月。
これは放置されているか、故意に無視されているかに違いないと思って、電話をかけると先月解約すると伝えた担当者は辞めたという。引き継いだ別の担当者に話をしてようやく解約請求書というペラ紙をポスト投函していった。
こんな紙切れ一枚に3週間もかかるのか?
7秒程度のシンプルな会話が話を前進させる秘訣なんだという。タイトルがまずまずの“つかみ”になっている本である。
話し方や情報の整理の仕方はひとそれぞれだが、基本はなにかと考えてみると誰もが同じことを言うと思う。そういった意味では、これといって印象に残ることもなかった。
ぼくの場合、高校の先輩、同期がいる関係でひとつ(仮にMY生命とする)。それともうひとつ銀座でサラリーマンをしていた頃に入ったもの(こちらはN生命)とふたつ加入していた。
これはまあ今の時代、はなはだ無駄なことであって、保障を見直しした上でどちらかを解約しようと思った。当然、先輩後輩の間柄で解約するのはセルゲイ・ブブカが棒を使わないで6メートルのバーを越えるくらいに常識的に不可能なことなので、まあ当然の成り行きとしてN生命がターゲットとなる。しかもつい昨年、MY生命は新商品ということでまずまず納得できるプランを持ってきていて、更新したばかり。後追いで、しかも余分な保障に大金を支払うのはちょっと勘弁してほしいと思って、電話で解約しますから手続きをお願いしますと伝えた。それが先月中旬。
客商売というのはわかりやすいものだ。それはN生命などという日本で知らない人はまずいない大手においても同じこと。入るといえば、ものの5分で飛んでくるが、やめるとなると対応はすこぶる悪い。やれ書類の作成が遅れているだの、なんだので、気がつけばもう4月。
これは放置されているか、故意に無視されているかに違いないと思って、電話をかけると先月解約すると伝えた担当者は辞めたという。引き継いだ別の担当者に話をしてようやく解約請求書というペラ紙をポスト投函していった。
こんな紙切れ一枚に3週間もかかるのか?
7秒程度のシンプルな会話が話を前進させる秘訣なんだという。タイトルがまずまずの“つかみ”になっている本である。
話し方や情報の整理の仕方はひとそれぞれだが、基本はなにかと考えてみると誰もが同じことを言うと思う。そういった意味では、これといって印象に残ることもなかった。
2010年4月2日金曜日
まつしま明伸+幸樹『[超入門]5次元宇宙の探検ガイド&ナビゲーション』
選抜高校野球。
ぼくが以前けちをつけた日大三が決勝進出を決めた。
初戦の試合ぶりを見て、このチームにはツキがあると思った。こういってはなんだが比較的くみしやすい21世紀枠が初戦の相手で大勝。しかも2回戦の相手も21世紀枠、秋季中国大会を勝っておきながら甲子園で末代までの恥をさらした開星に勝った向陽。敦賀気比とは接線だったが、いずれの試合ものびのびプレーしている。ひろいものの甲子園のせいだろうか、とりわけ打線がリラックスしていて、振りがいい。
都の春季大会で東海大菅生と当たるであろう準決勝が今から楽しみである。
知人から、去年弟が出版した本なんですけど、と紹介された一冊。
こんな摩訶不思議な世界を追いかけている人たちがいるんだなあと不思議な印象を持った。今はコンピュータグラフィックスで自由自在にキャラクターがつくることができ、想像力に長けた若者たちは未知の領域へどんどん守備範囲を拡げているんだね。古くはポケモンなどがそうであったように技術の力が想像力を後押しすることで、アニメーションやSFを超えた新たなメディアがかたちづくられていく、そんなエネルギーを感じた。
ぼくが以前けちをつけた日大三が決勝進出を決めた。
初戦の試合ぶりを見て、このチームにはツキがあると思った。こういってはなんだが比較的くみしやすい21世紀枠が初戦の相手で大勝。しかも2回戦の相手も21世紀枠、秋季中国大会を勝っておきながら甲子園で末代までの恥をさらした開星に勝った向陽。敦賀気比とは接線だったが、いずれの試合ものびのびプレーしている。ひろいものの甲子園のせいだろうか、とりわけ打線がリラックスしていて、振りがいい。
都の春季大会で東海大菅生と当たるであろう準決勝が今から楽しみである。
知人から、去年弟が出版した本なんですけど、と紹介された一冊。
こんな摩訶不思議な世界を追いかけている人たちがいるんだなあと不思議な印象を持った。今はコンピュータグラフィックスで自由自在にキャラクターがつくることができ、想像力に長けた若者たちは未知の領域へどんどん守備範囲を拡げているんだね。古くはポケモンなどがそうであったように技術の力が想像力を後押しすることで、アニメーションやSFを超えた新たなメディアがかたちづくられていく、そんなエネルギーを感じた。
2010年3月29日月曜日
シドニー・ガブリエル・コレット『シェリ』
昨日、法事があって、特急新宿さざなみ号に乗って房総半島の千倉まで出かけた。
祖父の27回忌、祖母の13回忌を子どもたちが元気なうちにということで父の兄弟がほぼ勢ぞろいした。1928年生まれの父を筆頭に7人兄弟が全員元気でいるなんてなんとも長寿な家系だ。
祖母は家事全般が苦手な人であったそうだが、学校の勉強はよくできて、とりわけ作文が、当時は綴り方といったのだろうが、得意だったという。子どもたち(つまりは叔父叔母たち)の作文も幾度となく代筆していたという。ぼくは母方に建築設計師や元広告会社のアートディレクターがいて、その人たちの影響を大きく受けてきたと思っていたが、小学校時代よく先生に作文をほめられたりしたのは実はこの祖母の血なのかもしれない。
コレットは以前、『青い麦』というのを読んだ。
そのときは、これっといった感想は持たなかった。つまらない駄洒落を書いてしまった。
カポーティの『叶えられた祈り』にコレットがたしか登場していた。もうかなりの歳だったと思うが。それで読んでみたのかもしれない。
ゾラの『ナナ』もそうだが、どうも高級娼婦というのが当時どんな存在だったのだか、今ひとつぴんとこないのである。『罪と罰』のソーニャくらいだといそうな気がするのだが。まあ、この時代の本をあまり読んでないせいかもしれない。
祖父の27回忌、祖母の13回忌を子どもたちが元気なうちにということで父の兄弟がほぼ勢ぞろいした。1928年生まれの父を筆頭に7人兄弟が全員元気でいるなんてなんとも長寿な家系だ。
祖母は家事全般が苦手な人であったそうだが、学校の勉強はよくできて、とりわけ作文が、当時は綴り方といったのだろうが、得意だったという。子どもたち(つまりは叔父叔母たち)の作文も幾度となく代筆していたという。ぼくは母方に建築設計師や元広告会社のアートディレクターがいて、その人たちの影響を大きく受けてきたと思っていたが、小学校時代よく先生に作文をほめられたりしたのは実はこの祖母の血なのかもしれない。
コレットは以前、『青い麦』というのを読んだ。
そのときは、これっといった感想は持たなかった。つまらない駄洒落を書いてしまった。
カポーティの『叶えられた祈り』にコレットがたしか登場していた。もうかなりの歳だったと思うが。それで読んでみたのかもしれない。
ゾラの『ナナ』もそうだが、どうも高級娼婦というのが当時どんな存在だったのだか、今ひとつぴんとこないのである。『罪と罰』のソーニャくらいだといそうな気がするのだが。まあ、この時代の本をあまり読んでないせいかもしれない。
2010年3月24日水曜日
池波正太郎『むかしの味』
母方の伯父が建築設計師だった。
家は赤坂の丹後町にあり、主に飲食店の設計をしていた。昭和初期に生まれた人の気質なのか、ふだん温和な人なのだが、短気をおこすともう取りつく島のない人だった。
子どもの頃、いとこたちと六本木の交差点に程近い、伯父の設計した中華料理店に行った。お店の人からすれば伯父は“先生”であり、ぼくたちも丁重にもてなされたのだが、その日はおそらく混んでいたのだろう、いつにもまして料理の出るのが遅かった。子どもたちはさぞお腹を空かしているのだろうと思っていた伯父は突然、「まだなのか!」と今の言葉でいう“キレた”状態になって、しまいには店を出るという。お店の人がなんども詫びを入れたが、そんなものには見向きもせず、ぼくたちはその店を出た。
ここまではよく思い出すのだが、実はそれから後のことをまったく憶えていない。別の店に行ったのか、あるいはやはり店を出るのをやめて(伯母さんかぼくの母が思いとどまらせて)、そこで鶏煮込みそばを食べたのか。伯父の剣幕におされて、記憶喪失になったかのようである。
池波正太郎の食べ物エッセー。
この手の本を読むとすぐに煉瓦亭とか新富鮨とかいっちゃう人がいるんだよね。そういう目的意識をもって「わざわざ食べに行く」という行為はあまり好きではない。なにかのついでにとか、近くまで来たのでたまたま思い出して立ち寄るというのがよい。この本は著者の思い出を食べ物に絡めているからおもしろいのであって、そこで紹介されているものを食べればよいというものでもあるまい。
自分にとっての名店にいかに自らの思い出をつなぎとめるかがだいじなわけでこの本はそういった指南書ではないかと思っている。
ぼくにとっての鶏煮込みそばは忘れらない“むかしの味”である。
家は赤坂の丹後町にあり、主に飲食店の設計をしていた。昭和初期に生まれた人の気質なのか、ふだん温和な人なのだが、短気をおこすともう取りつく島のない人だった。
子どもの頃、いとこたちと六本木の交差点に程近い、伯父の設計した中華料理店に行った。お店の人からすれば伯父は“先生”であり、ぼくたちも丁重にもてなされたのだが、その日はおそらく混んでいたのだろう、いつにもまして料理の出るのが遅かった。子どもたちはさぞお腹を空かしているのだろうと思っていた伯父は突然、「まだなのか!」と今の言葉でいう“キレた”状態になって、しまいには店を出るという。お店の人がなんども詫びを入れたが、そんなものには見向きもせず、ぼくたちはその店を出た。
ここまではよく思い出すのだが、実はそれから後のことをまったく憶えていない。別の店に行ったのか、あるいはやはり店を出るのをやめて(伯母さんかぼくの母が思いとどまらせて)、そこで鶏煮込みそばを食べたのか。伯父の剣幕におされて、記憶喪失になったかのようである。
池波正太郎の食べ物エッセー。
この手の本を読むとすぐに煉瓦亭とか新富鮨とかいっちゃう人がいるんだよね。そういう目的意識をもって「わざわざ食べに行く」という行為はあまり好きではない。なにかのついでにとか、近くまで来たのでたまたま思い出して立ち寄るというのがよい。この本は著者の思い出を食べ物に絡めているからおもしろいのであって、そこで紹介されているものを食べればよいというものでもあるまい。
自分にとっての名店にいかに自らの思い出をつなぎとめるかがだいじなわけでこの本はそういった指南書ではないかと思っている。
ぼくにとっての鶏煮込みそばは忘れらない“むかしの味”である。
2010年3月20日土曜日
筒井康隆『アホの壁』
スーパージェッターの時計以降はプレゼントというプレゼントははずれまくった。
当時いちばん欲しかったのはグリコアーモンドチョコレートで当たるおしゃべり九官鳥だろう。そもそもグリコアーモンドチョコレートでさえ高価なお菓子で滅多矢鱈と買ってはもらえない身分の子どもにそんなものが当たろうはずがない。明治チョコレートでもらえるゴリラも魅力的な景品だった。それと毎週少年誌で大々的にページを割かれる懸賞の数々。わが少年時代は懸賞的には不遇の時代だった。
大人になって少しは状況が変わる。
缶ビールに貼ってあるシールをはがして送る。案外当たるものなのだ、Tシャツとか。これまでの戦利品としては
サッカーのTシャツ4枚、同じくサッカーのビステ(プラクティスシャツっていうのかな)1着、JAPANのオリンピックウェア(ウォームアップシャツ)1着。あとはミネラルウォーターのキャンペーンでオリジナルの(adidas社製だが)トートバッグ。最近ではスポーツドリンクのポイントでゲットした北島康介と石川遼のイラストレーションがプリントされているスポーツタオル。
たいしたものが当たったわけではないけれど、子どもの頃よりかはましだ。
そうそう、スーパージェッターといえば筒井康隆も眉村卓、半村良、豊田有恒らと並んで脚本執筆陣に名を連ねている。今では“アホの壁”で話題の人であるが。
本書は筒井康隆流の人間論と銘打たれているが、抱腹絶倒というよりかはけっこうまともな内容だと思った。
当時いちばん欲しかったのはグリコアーモンドチョコレートで当たるおしゃべり九官鳥だろう。そもそもグリコアーモンドチョコレートでさえ高価なお菓子で滅多矢鱈と買ってはもらえない身分の子どもにそんなものが当たろうはずがない。明治チョコレートでもらえるゴリラも魅力的な景品だった。それと毎週少年誌で大々的にページを割かれる懸賞の数々。わが少年時代は懸賞的には不遇の時代だった。
大人になって少しは状況が変わる。
缶ビールに貼ってあるシールをはがして送る。案外当たるものなのだ、Tシャツとか。これまでの戦利品としては
サッカーのTシャツ4枚、同じくサッカーのビステ(プラクティスシャツっていうのかな)1着、JAPANのオリンピックウェア(ウォームアップシャツ)1着。あとはミネラルウォーターのキャンペーンでオリジナルの(adidas社製だが)トートバッグ。最近ではスポーツドリンクのポイントでゲットした北島康介と石川遼のイラストレーションがプリントされているスポーツタオル。
たいしたものが当たったわけではないけれど、子どもの頃よりかはましだ。
そうそう、スーパージェッターといえば筒井康隆も眉村卓、半村良、豊田有恒らと並んで脚本執筆陣に名を連ねている。今では“アホの壁”で話題の人であるが。
本書は筒井康隆流の人間論と銘打たれているが、抱腹絶倒というよりかはけっこうまともな内容だと思った。
2010年3月16日火曜日
江國香織『がらくた』
卓球の東京選手権が行われた。
ご近所の卓球ショップのコーチたちもこぞって参加し、そこそこに勝ち進んで応援に来た教え子の(といってもたぶんそれなりのお歳の方々ではあろうが…)大声援と喝采を浴びたという。
男子シングルスで前年優勝の丹羽孝希がベスト8目前で韓陽に破れ、8強は野邑、上田、坪口、徳増、塩野、町、張。中学生から社会人までバラエティに富んだメンバーだが、大学生はおそらく学生最後の試合であろう徳増のみ。早稲田の笠原はどうやら棄権したようだ。結果は張一博。これは順当といっていいだろう。
女子も平野が全日本のリベンジ。安定した強さで優勝した。
江國香織を読むのは久しぶり(たぶん)。微妙な色合いの折り紙をちぎってばらまいたような文章は相変わらずきれいだ。ストーリーとしては、まあ、もういいかなって感じかな。でも新刊の出るたび(文庫だけど)手にとらせる不思議な力を持った作家だ。
ご近所の卓球ショップのコーチたちもこぞって参加し、そこそこに勝ち進んで応援に来た教え子の(といってもたぶんそれなりのお歳の方々ではあろうが…)大声援と喝采を浴びたという。
男子シングルスで前年優勝の丹羽孝希がベスト8目前で韓陽に破れ、8強は野邑、上田、坪口、徳増、塩野、町、張。中学生から社会人までバラエティに富んだメンバーだが、大学生はおそらく学生最後の試合であろう徳増のみ。早稲田の笠原はどうやら棄権したようだ。結果は張一博。これは順当といっていいだろう。
女子も平野が全日本のリベンジ。安定した強さで優勝した。
江國香織を読むのは久しぶり(たぶん)。微妙な色合いの折り紙をちぎってばらまいたような文章は相変わらずきれいだ。ストーリーとしては、まあ、もういいかなって感じかな。でも新刊の出るたび(文庫だけど)手にとらせる不思議な力を持った作家だ。
2010年3月11日木曜日
関川夏央『新潮文庫 20世紀の100冊』
子どもの頃、丸美屋のふりかけの袋のマークを切り取ってプレゼントに応募したところ、当時人気のテレビアニメーション「スーパージェッター」の時計が当たった。時計といってももちろんおもちゃで劇中主人公が流星号と呼ばれる専用の乗り物を呼んだり、コントロールするための腕時計型の通信端末のレプリカのようなものだ。この時計にはもうひとつ優れた機能があって(もちろんアニメーションの話だが)、主人公がピンチに陥ったとき、わずかな時間ではあるが時の進行を止めることができる。後に矢沢永吉でさえ渇望した時間を止めるという荒業をやってのけ、その間に自らは俊敏に動いて、窮地に陥った人を救ったり、爆破寸前の爆弾を無効にしたりと大活躍するのである。
が、当たったのはあくまでおもちゃである。もしそれが本物だったら、今頃ぼくはどんな大人になっていただろう。
ふりかけの袋を集めるように、ぼくは新潮文庫のカバーのはしっこを切って、台紙に貼り、最近パンダの人形やらブックカバーをもらった。それはくれるからもらうだけであって、必ずしも景品つきで本を買わせようという新潮社のやり方に賛同しているわけではない。
毎年各社で文庫100選的な打ち出し方をして青少年を中心に読書普及をはかるキャンペーンを展開しているが、新潮社のやり口は大人気ないとひそかに思っている。この本にしてもそうだ。
関川夏央が20世紀の100冊に対してコメントしているのだからおもしろくないわけがない。まさに最強のブックガイドといえる。そしてこれを販促の冊子ではなく新書として売るところに新潮社の最強の大人気なさが見てとれる。
が、当たったのはあくまでおもちゃである。もしそれが本物だったら、今頃ぼくはどんな大人になっていただろう。
ふりかけの袋を集めるように、ぼくは新潮文庫のカバーのはしっこを切って、台紙に貼り、最近パンダの人形やらブックカバーをもらった。それはくれるからもらうだけであって、必ずしも景品つきで本を買わせようという新潮社のやり方に賛同しているわけではない。
毎年各社で文庫100選的な打ち出し方をして青少年を中心に読書普及をはかるキャンペーンを展開しているが、新潮社のやり口は大人気ないとひそかに思っている。この本にしてもそうだ。
関川夏央が20世紀の100冊に対してコメントしているのだからおもしろくないわけがない。まさに最強のブックガイドといえる。そしてこれを販促の冊子ではなく新書として売るところに新潮社の最強の大人気なさが見てとれる。
2010年3月7日日曜日
江夏豊『左腕の誇り』
40年前に巨人ファンだった少年にとって、阪神戦ほどやきもきしたことはなかったはずだ。なにせ、村山、バッキー、江夏を打ち崩さなければ勝てないわけだから。
なかでも江夏は当時V9時代の初期の巨人にとって大きな障壁だった。まだ若手でありながら、ふてぶてしいマウンドさばき、度胸のよさ、うなる剛球。まさにセントラル・リーグ屈指の好投手だった。
当時の阪神はその後のバース、掛布、岡田といった重量級の猛虎打線とはほど遠く、遠井、カークランドら、たいして当てにならない中軸と藤田平、吉田義男ら小粒な野手が勝利に最低限必要な得点をあげて勝つストイックなチームだったという印象がある。まだまだ野球が数値化される以前の時代だ。
江夏豊の立ち位置は野球の歴史という年表的世界にはないように思う。その数奇な生い立ち、つくられたサウスポー(もともと右利きだった)、勝ち運にめぐまれなかった高校時代、そしてまさかのトレード劇など単なる一野球選手の生きざまをはるかに凌駕したドラマの数々がその野球人生にある。そしてぼくは江夏の数々のプレーを同時代に見てきた。今思うにこんなに幸せな野球ファン人生はない。
野球史に残る名投手をはるかに超えた“伝説の左腕”。それがぼくにとっての江夏豊なのである。
なかでも江夏は当時V9時代の初期の巨人にとって大きな障壁だった。まだ若手でありながら、ふてぶてしいマウンドさばき、度胸のよさ、うなる剛球。まさにセントラル・リーグ屈指の好投手だった。
当時の阪神はその後のバース、掛布、岡田といった重量級の猛虎打線とはほど遠く、遠井、カークランドら、たいして当てにならない中軸と藤田平、吉田義男ら小粒な野手が勝利に最低限必要な得点をあげて勝つストイックなチームだったという印象がある。まだまだ野球が数値化される以前の時代だ。
江夏豊の立ち位置は野球の歴史という年表的世界にはないように思う。その数奇な生い立ち、つくられたサウスポー(もともと右利きだった)、勝ち運にめぐまれなかった高校時代、そしてまさかのトレード劇など単なる一野球選手の生きざまをはるかに凌駕したドラマの数々がその野球人生にある。そしてぼくは江夏の数々のプレーを同時代に見てきた。今思うにこんなに幸せな野球ファン人生はない。
野球史に残る名投手をはるかに超えた“伝説の左腕”。それがぼくにとっての江夏豊なのである。
2010年3月5日金曜日
富澤一誠『あの素晴らしい曲をもう一度』
商いを営んでいた父親の影響のせいか、子どもの頃から“商業”的なものがあまり好きじゃなかった。
母方の、南房総は千倉町で生まれ育って死んでいった明治生まれの祖母も「商人(あきんど)は人をだまして金儲けをする」からきらいだとよく言っていた。世の中でいちばんいい職業は発明する人だというのが持論の人だった。
そんなわけで高校時代進路を決めるにあたっても商業的なものを極力排除してきたような気がする。経済とか政治とか法律だとかまったく興味がなかった。文学部か教育学部か選択肢はそれくらい。結果的には教育学部にすすんで西洋教育思想のようなものを専攻した。
著者の富澤一誠はJポップの歴史をふりかえるはじめての試みと謳っているが、古くは坂崎幸之助の『J-POPハイスクール』なる本も出ているのでまあこの手のフォーク史、ミュージック史はいろんな形で著されているのだろう。
とにかく音楽評論というのは難しいと思う。感じ方とか残り方が人それぞれだから。結局史実を忠実に語っていくしかないのだろう。坂崎のJ-POP史と本書の相違はアーティストと評論家との温度差なのかもしれない。
巻末の名曲ガイド50は“視聴率アップねらい”の巧妙な仕掛けだと思うが、ややもすると蛇足の感がある。
今は広告をつくることを生業としている。いつ頃から商業的なものに首をつっこむようになったのかまったくもって不思議である。
母方の、南房総は千倉町で生まれ育って死んでいった明治生まれの祖母も「商人(あきんど)は人をだまして金儲けをする」からきらいだとよく言っていた。世の中でいちばんいい職業は発明する人だというのが持論の人だった。
そんなわけで高校時代進路を決めるにあたっても商業的なものを極力排除してきたような気がする。経済とか政治とか法律だとかまったく興味がなかった。文学部か教育学部か選択肢はそれくらい。結果的には教育学部にすすんで西洋教育思想のようなものを専攻した。
著者の富澤一誠はJポップの歴史をふりかえるはじめての試みと謳っているが、古くは坂崎幸之助の『J-POPハイスクール』なる本も出ているのでまあこの手のフォーク史、ミュージック史はいろんな形で著されているのだろう。
とにかく音楽評論というのは難しいと思う。感じ方とか残り方が人それぞれだから。結局史実を忠実に語っていくしかないのだろう。坂崎のJ-POP史と本書の相違はアーティストと評論家との温度差なのかもしれない。
巻末の名曲ガイド50は“視聴率アップねらい”の巧妙な仕掛けだと思うが、ややもすると蛇足の感がある。
今は広告をつくることを生業としている。いつ頃から商業的なものに首をつっこむようになったのかまったくもって不思議である。
2010年3月1日月曜日
国広哲弥『新編日本語誤用・慣用小辞典』
区内の体育館での卓球。
おなじみ、スポーツアドバイザーのTさんも全日本出場経験のある凄腕なのだが、そのお孫さんのCちゃんもこれまたすごい。まだ小学6年生なのだが、都内の強豪校に進学することになったという。とにかく区内の大会で中学生相手で敵なし、一般の部でもベスト8という腕前。先日も体育館に行ったものの相手がいなくて素振りをしていたら、Tさんが今孫を呼んだから、相手してやってよという。とにかくスピードが段違い。丹羽孝希とフォア打ちをしているみたいだ(とかいって丹羽孝希と打ち合ったことはないのだが)。どこかのおじさんが「○○区の福原愛ちゃん」と呼んでいたが、サウスポーのCちゃんをつかまえて、愛ちゃんは失礼だろう。石川佳純のほうがたとえて適切であろう。
卓球も難しいが、日本語も難しい。この手の誤用をあつかった書籍のなんと多いことか。
それに最近では誤変換なるものもいい味をだしている。仕事場のMは“第1稿”とするところを“弟1稿”などと誤変換にしては手の込んだまねをする。
なにしろ抜き打ちの尿検査をしたら通常の10倍近い誤字脱字が見つかったくらいだ。本人は「この仕事好きだから…」などとわけのわからぬ言い訳をしていたが。このほかにも“ストップ”を“スットプ”、“しっかり”を“しっかり”、“オピニオン”を“オピニン”と想像を絶する才能の持ち主である。
さてCちゃん相手にしばしスマッシュ練習。もっと右脚にかけた体重を左脚に移動させてとか、もっと前に重心を移動させてとか、6年生から指導されるおれ。
ひと息ついて休むことになった。「だんだんうまくなってきた、はじめのころにくらべて打球が強くなった」だって。もうありがたいやら、情けないやら。
そのあとは、じいじとCちゃんに呼ばれているTさんと特訓。いつものスマッシュ練習に加えて、オール(なんでもありなりの試合形式の練習)までやってもうへとへとだ。
まあとにかくラケットを無心に振っている限り、浮世のごたごたは忘れられるし、下手は下手なりに楽しめる。さらにはこの次はこうしたい、という欲が出てくる。段階の世代からひと回りして、高度成長期に育ったぼくらにはこうした向上心という内発的な刺激が心地いい。
おなじみ、スポーツアドバイザーのTさんも全日本出場経験のある凄腕なのだが、そのお孫さんのCちゃんもこれまたすごい。まだ小学6年生なのだが、都内の強豪校に進学することになったという。とにかく区内の大会で中学生相手で敵なし、一般の部でもベスト8という腕前。先日も体育館に行ったものの相手がいなくて素振りをしていたら、Tさんが今孫を呼んだから、相手してやってよという。とにかくスピードが段違い。丹羽孝希とフォア打ちをしているみたいだ(とかいって丹羽孝希と打ち合ったことはないのだが)。どこかのおじさんが「○○区の福原愛ちゃん」と呼んでいたが、サウスポーのCちゃんをつかまえて、愛ちゃんは失礼だろう。石川佳純のほうがたとえて適切であろう。
卓球も難しいが、日本語も難しい。この手の誤用をあつかった書籍のなんと多いことか。
それに最近では誤変換なるものもいい味をだしている。仕事場のMは“第1稿”とするところを“弟1稿”などと誤変換にしては手の込んだまねをする。
なにしろ抜き打ちの尿検査をしたら通常の10倍近い誤字脱字が見つかったくらいだ。本人は「この仕事好きだから…」などとわけのわからぬ言い訳をしていたが。このほかにも“ストップ”を“スットプ”、“しっかり”を“しっかり”、“オピニオン”を“オピニン”と想像を絶する才能の持ち主である。
さてCちゃん相手にしばしスマッシュ練習。もっと右脚にかけた体重を左脚に移動させてとか、もっと前に重心を移動させてとか、6年生から指導されるおれ。
ひと息ついて休むことになった。「だんだんうまくなってきた、はじめのころにくらべて打球が強くなった」だって。もうありがたいやら、情けないやら。
そのあとは、じいじとCちゃんに呼ばれているTさんと特訓。いつものスマッシュ練習に加えて、オール(なんでもありなりの試合形式の練習)までやってもうへとへとだ。
まあとにかくラケットを無心に振っている限り、浮世のごたごたは忘れられるし、下手は下手なりに楽しめる。さらにはこの次はこうしたい、という欲が出てくる。段階の世代からひと回りして、高度成長期に育ったぼくらにはこうした向上心という内発的な刺激が心地いい。
2010年2月27日土曜日
阿久悠『歌謡曲の時代』
冬季オリンピック。
あとわずかで閉幕であるが、回を重ねるごとに新奇な競技が増えていくようだ。複数で競争するアルペンスキーはスピードスケートのショートトラックよりも見ていて危険な感じがする。またいつのまにやら複合とか団体とかスプリントだとか種目内の細分化が進んでいるように思う。その昔ジャンプの団体戦が行われると聞いたとき、いっぺんに全員で飛ぶのか、そのときは横並びなのか縦並びなのかと疑問に思ったことがある。
これだけ競技が増えるのなら、いっそのこと野球とソフトボールも次期冬季大会で採用されればいいのにと思う。
さて。
“阿久悠”は一発で変換できなかった。
なかにし礼を読んだときも思ったのだが、阿久悠もぼくの今思っていることに近い存在だ。それはベクトルの方向が昭和を向いていること。
昭和から平成になって、“歌謡曲”がなくなった。時代を映す歌がなくなった。流行の歌は個人の主張でしかなくなったという。それはもう20年以上も前、“中心から周縁”、“ヨーロッパから非ヨーロッパ”、“大衆から分衆”へなどというキーワードで語られていた。もちろん難しい話をする気はない。ただ個人の嗜好としてぼくは昭和が好きなのだ。そういった意味では阿久悠の詩にぼくは幼少の頃からずっと寄り添ってきた。いわばぼくにとって昭和のわらべ歌のようなものだ。
阿久悠となかにし礼を比較するのは愚の骨頂だろう。シャンソンの訳詩から出発した都会派の詩人なかにしと広告ビジネスに身を投じ、人に届く言葉(コピー)を怜悧な刃物で切り分けてきた阿久悠とはそのよって立つ土壌が異なる。おそらく、あくまで私見でしかないが、なかにし礼に「ピンポンパン体操」はかけなかったと思うし、ピンクレディをはじめとするアイドルたちをプロデュースする視点で作詞はできなかったように思う。
広告クリエーティブの世界になぞらえるならば、なかにしはあくまで個的経験を中心に悠久の世界観を紡ぎだす秋山晶であり、阿久悠はどこまでもストイックに言葉を捜し続ける仲畑貴志ではあるまいか。
まあ、そんなことはどうでもいい。ぼくは“昭和”と“昭和を愛する人”が好きなのだ。
この本の中で取り上げられた阿久悠の作品はごく限られたものであるが、備忘録としてぼくの阿久悠ベスト10を記しておこう。
1.「時代おくれ」/作曲 森田公一/編曲 チト河内、福井峻
2.「乙女のワルツ」/作曲・編曲 三木たかし
3.「熱き心に」/作曲 大瀧泳一/編曲 大瀧泳一、前田憲男
4.「あの鐘を鳴らすのはあなた」/作曲・編曲 森田公一
5.「青春時代」/作曲・編曲 森田公一
6.「白いサンゴ礁」/作曲・編曲 村井邦彦
7.「ブルースカイブルー」/作曲・編曲 馬飼野康二
8.「さよならをいう気もない」/作曲 大野克夫/編曲 船山基紀
9.「素敵にシンデレラ・コンプレックス」/作曲 鈴木康博
10.「契り(ちぎり)」/作曲 五木ひろし/編曲 京建輔
昔はきっと、こんなじゃなかったけど歳をとってかえっていい曲を好きになれたと思う。
あとわずかで閉幕であるが、回を重ねるごとに新奇な競技が増えていくようだ。複数で競争するアルペンスキーはスピードスケートのショートトラックよりも見ていて危険な感じがする。またいつのまにやら複合とか団体とかスプリントだとか種目内の細分化が進んでいるように思う。その昔ジャンプの団体戦が行われると聞いたとき、いっぺんに全員で飛ぶのか、そのときは横並びなのか縦並びなのかと疑問に思ったことがある。
これだけ競技が増えるのなら、いっそのこと野球とソフトボールも次期冬季大会で採用されればいいのにと思う。
さて。
“阿久悠”は一発で変換できなかった。
なかにし礼を読んだときも思ったのだが、阿久悠もぼくの今思っていることに近い存在だ。それはベクトルの方向が昭和を向いていること。
昭和から平成になって、“歌謡曲”がなくなった。時代を映す歌がなくなった。流行の歌は個人の主張でしかなくなったという。それはもう20年以上も前、“中心から周縁”、“ヨーロッパから非ヨーロッパ”、“大衆から分衆”へなどというキーワードで語られていた。もちろん難しい話をする気はない。ただ個人の嗜好としてぼくは昭和が好きなのだ。そういった意味では阿久悠の詩にぼくは幼少の頃からずっと寄り添ってきた。いわばぼくにとって昭和のわらべ歌のようなものだ。
阿久悠となかにし礼を比較するのは愚の骨頂だろう。シャンソンの訳詩から出発した都会派の詩人なかにしと広告ビジネスに身を投じ、人に届く言葉(コピー)を怜悧な刃物で切り分けてきた阿久悠とはそのよって立つ土壌が異なる。おそらく、あくまで私見でしかないが、なかにし礼に「ピンポンパン体操」はかけなかったと思うし、ピンクレディをはじめとするアイドルたちをプロデュースする視点で作詞はできなかったように思う。
広告クリエーティブの世界になぞらえるならば、なかにしはあくまで個的経験を中心に悠久の世界観を紡ぎだす秋山晶であり、阿久悠はどこまでもストイックに言葉を捜し続ける仲畑貴志ではあるまいか。
まあ、そんなことはどうでもいい。ぼくは“昭和”と“昭和を愛する人”が好きなのだ。
この本の中で取り上げられた阿久悠の作品はごく限られたものであるが、備忘録としてぼくの阿久悠ベスト10を記しておこう。
1.「時代おくれ」/作曲 森田公一/編曲 チト河内、福井峻
2.「乙女のワルツ」/作曲・編曲 三木たかし
3.「熱き心に」/作曲 大瀧泳一/編曲 大瀧泳一、前田憲男
4.「あの鐘を鳴らすのはあなた」/作曲・編曲 森田公一
5.「青春時代」/作曲・編曲 森田公一
6.「白いサンゴ礁」/作曲・編曲 村井邦彦
7.「ブルースカイブルー」/作曲・編曲 馬飼野康二
8.「さよならをいう気もない」/作曲 大野克夫/編曲 船山基紀
9.「素敵にシンデレラ・コンプレックス」/作曲 鈴木康博
10.「契り(ちぎり)」/作曲 五木ひろし/編曲 京建輔
昔はきっと、こんなじゃなかったけど歳をとってかえっていい曲を好きになれたと思う。
2010年2月21日日曜日
エミール・ゾラ『ナナ』
わたがしをつくるあの機械を“わたがし機”というそうだ。
だからなんなんだという感じだが、子どもの頃家の近くの文房具屋の前に10円か20円でわたがしがつくれる、まあいわゆるわたがし機があった。割り箸がおいてあって、お金を入れて各自ご自由におつくりくださいってわけだ。
ぼくは昔から不器用さにかけては群を抜いていたのでせいぜい片手でつかめるくらいの大きさにしかできない。それに比べると3歳上の姉は手先が器用というか、それ以前につまらないことに注ぎ込む集中力がすばらしく発達していて、縁日の夜店で売っているようなプロ顔負けのわたがしをつくってくるのだ。そのうちぼくがなけなしのこづかいをもってわたがしをつくりにいくと姉がついてきて手取り足取り指南するようになり、そうこうするうち手も足もとらずに割り箸をひったくってあの夜店で売っているまるまると肥えたわたがしをこしらえるのであった。
このあいだJR恵比寿駅から天現寺まで歩く途中でわたがし機を見つけて、そんなことを思い出した。
このブログの向かって右側に最近の10の書き込みがリストされている。
そこを眺めていたら最近海外の小説を全然読んでいないことに気づき、よりによってゾラの長編小説を読みはじめてしまった。
『ナナ』は平たくいうと『居酒屋』の続編といっていい作品。主人公ナナがジェルヴェーズの娘にあたるということでは続編であるが、ひたむきに生きながらも貧困と堕落に喘ぐ母親に対して、ナナは高級娼婦として奔放の限りを尽くす。この母娘の生きた時代背景を加味しながら、読み比べてみるのもおもしろそうだ。
だからなんなんだという感じだが、子どもの頃家の近くの文房具屋の前に10円か20円でわたがしがつくれる、まあいわゆるわたがし機があった。割り箸がおいてあって、お金を入れて各自ご自由におつくりくださいってわけだ。
ぼくは昔から不器用さにかけては群を抜いていたのでせいぜい片手でつかめるくらいの大きさにしかできない。それに比べると3歳上の姉は手先が器用というか、それ以前につまらないことに注ぎ込む集中力がすばらしく発達していて、縁日の夜店で売っているようなプロ顔負けのわたがしをつくってくるのだ。そのうちぼくがなけなしのこづかいをもってわたがしをつくりにいくと姉がついてきて手取り足取り指南するようになり、そうこうするうち手も足もとらずに割り箸をひったくってあの夜店で売っているまるまると肥えたわたがしをこしらえるのであった。
このあいだJR恵比寿駅から天現寺まで歩く途中でわたがし機を見つけて、そんなことを思い出した。
このブログの向かって右側に最近の10の書き込みがリストされている。
そこを眺めていたら最近海外の小説を全然読んでいないことに気づき、よりによってゾラの長編小説を読みはじめてしまった。
『ナナ』は平たくいうと『居酒屋』の続編といっていい作品。主人公ナナがジェルヴェーズの娘にあたるということでは続編であるが、ひたむきに生きながらも貧困と堕落に喘ぐ母親に対して、ナナは高級娼婦として奔放の限りを尽くす。この母娘の生きた時代背景を加味しながら、読み比べてみるのもおもしろそうだ。
2010年2月17日水曜日
森絵都『風に舞いあがるビニールシート』
以前ときどき顔を出していた南青山のバーが一昨年閉店し、それ以来外で飲む機会も減ってきたように思う。
先日そのバーのバーテンダーだったKさんから手紙をもらって、西麻布で新たにバーをはじめることになったと知らされた。開店に先立って、今まで懇意にしてきた人を招いてプレオープンをするという。
新しい店はもともとバーだったようで以前の南青山の店のように木のカウンターではなくてちょっと風情にかけるが、椅子席もあって、3,4人で来てもゆっくりできそうである。
仕事場で隣の席のI君のデスクに置かれていた一冊。
森絵都。
はじめて読んでみたが、仏像のことにしても若者の会話にしても、さらには難民問題にしてもよく調べている。好感の持てる作家のひとりだと思う。
先日そのバーのバーテンダーだったKさんから手紙をもらって、西麻布で新たにバーをはじめることになったと知らされた。開店に先立って、今まで懇意にしてきた人を招いてプレオープンをするという。
新しい店はもともとバーだったようで以前の南青山の店のように木のカウンターではなくてちょっと風情にかけるが、椅子席もあって、3,4人で来てもゆっくりできそうである。
仕事場で隣の席のI君のデスクに置かれていた一冊。
森絵都。
はじめて読んでみたが、仏像のことにしても若者の会話にしても、さらには難民問題にしてもよく調べている。好感の持てる作家のひとりだと思う。
2010年2月13日土曜日
内田百閒『第三阿房列車』
阿房列車の旅もいよいよ三冊目にたどり着いた。
今のところ続きがないので、読み進めるのが惜しい。
ここでぼくの阿房列車履歴をふりかえってみよう。
・1988年 北斗星に乗りたいと思っただけの北海道阿房列車
(上野~札幌~釧路~根室~帯広~札幌~上野)
・1989年 西高東低冬型の気圧配置の日に寝台列車で行く兼六園阿房列車
(上野~金沢~上野)
・1989年 こげ茶色の省線電車で行く鶴見線前線走破阿房列車
(鶴見~鶴見線各駅)
・年代不明 気動車に乗りたい!だけの八高線阿房列車
(高崎~八王子)
上記以外は青梅線、五日市線、御殿場線くらいで考えてみると純粋に列車に乗りに行くという経験がいかに少ないかがよくわかる。阿房列車は偉大だ。
で、このさき暇があったら走らせたいぼくの阿房列車は、房総半島縦断阿房列車(五井~大原)、身延線全線走破阿房列車(富士~甲府)。あと日帰りは困難だろうが飯田線で豊橋から辰野まで遡上してみたいとか、上野から仙台まで東北本線、水戸線、水郡線、磐越東線、常磐線で仙台まで行くとか、小山まで高崎から両毛線で行ってもいいし、さらに高崎までは八王子から八高線でというのもおもしろそうだ。
とにかくこうしてはいられない。時刻表を開こう。
今のところ続きがないので、読み進めるのが惜しい。
ここでぼくの阿房列車履歴をふりかえってみよう。
・1988年 北斗星に乗りたいと思っただけの北海道阿房列車
(上野~札幌~釧路~根室~帯広~札幌~上野)
・1989年 西高東低冬型の気圧配置の日に寝台列車で行く兼六園阿房列車
(上野~金沢~上野)
・1989年 こげ茶色の省線電車で行く鶴見線前線走破阿房列車
(鶴見~鶴見線各駅)
・年代不明 気動車に乗りたい!だけの八高線阿房列車
(高崎~八王子)
上記以外は青梅線、五日市線、御殿場線くらいで考えてみると純粋に列車に乗りに行くという経験がいかに少ないかがよくわかる。阿房列車は偉大だ。
で、このさき暇があったら走らせたいぼくの阿房列車は、房総半島縦断阿房列車(五井~大原)、身延線全線走破阿房列車(富士~甲府)。あと日帰りは困難だろうが飯田線で豊橋から辰野まで遡上してみたいとか、上野から仙台まで東北本線、水戸線、水郡線、磐越東線、常磐線で仙台まで行くとか、小山まで高崎から両毛線で行ってもいいし、さらに高崎までは八王子から八高線でというのもおもしろそうだ。
とにかくこうしてはいられない。時刻表を開こう。
2010年2月9日火曜日
池波正太郎『食卓の情景』
最寄り駅の近くに卓球ショップができて(もともと同じ区内にあったものが引っ越してきたのだが)、月木土の午前中に初級者向けに教室を開いている。店内には5台の卓球台があり、ラケットやラバーも売っている。こんな近所にこれだけの施設があるのに、行かないなんてもったいない。てなことでこないだの土曜日、はじめて参加してみた。2時間半で2000円。
30名ほどの参加者を5つのグループに分けて、5人のコーチがそれぞれテーマを設定して、指導してくれる。フォアのドライブ、バックのドライブ、ストップから攻撃、フォア・バックの切換し、ダブルスのサービス。ぼくが参加したその日はそんなメニューだった。基本は多球練習(次から次へと球出しをされ、それを打ち返す)で子どもの頃少しは卓球に親しんだとはいえ、こんな本格的な練習スタイルは初体験だったのでずいぶん緊張してしまった。足は動かないし、ミスは連発するし。ぼくの経験からすると卓球の練習というよりバレーボールのそれに近い。
それでもここのコーチの方々は皆一様に親切で短い時間内に適切なアドバイスをくれる。まずは金額に見合ったレッスンだったのではなかろうか。
美食家では決してないのだが、まあ生きてるうちはうまいものを食べたい。
最近ではインターネットでグルメ情報なるものがいやというほどあるけれど、うまいものの話は年寄りに訊くに限る。
池波正太郎の作品はひとつも読んだことはないのだが、なにかの本で神田まつやのカレー蕎麦を好んで食したという話を読んで悪い印象はない。
食べ物とはかくもたいせつなものなのである。
30名ほどの参加者を5つのグループに分けて、5人のコーチがそれぞれテーマを設定して、指導してくれる。フォアのドライブ、バックのドライブ、ストップから攻撃、フォア・バックの切換し、ダブルスのサービス。ぼくが参加したその日はそんなメニューだった。基本は多球練習(次から次へと球出しをされ、それを打ち返す)で子どもの頃少しは卓球に親しんだとはいえ、こんな本格的な練習スタイルは初体験だったのでずいぶん緊張してしまった。足は動かないし、ミスは連発するし。ぼくの経験からすると卓球の練習というよりバレーボールのそれに近い。
それでもここのコーチの方々は皆一様に親切で短い時間内に適切なアドバイスをくれる。まずは金額に見合ったレッスンだったのではなかろうか。
美食家では決してないのだが、まあ生きてるうちはうまいものを食べたい。
最近ではインターネットでグルメ情報なるものがいやというほどあるけれど、うまいものの話は年寄りに訊くに限る。
池波正太郎の作品はひとつも読んだことはないのだが、なにかの本で神田まつやのカレー蕎麦を好んで食したという話を読んで悪い印象はない。
食べ物とはかくもたいせつなものなのである。
2010年2月6日土曜日
長嶋茂雄『野球は人生そのものだ』
日経新聞連載の「私の履歴書」はなかなか重厚でおもしろい企画だと思う。もちろん各新聞社でこうした連載は多いのだが、日経の場合、読み手をビジネスマンに絞っているせいか、他一般紙にない明快なおもしろさを感じる。
ぼくたちの世代、つまりものごころついたときから、ジャイアンツが常勝球団だった子どもたちにとってONは特別な存在だった。野球のプレイヤーを超越したスターだった。とりわけ地道な努力人である王貞治よりもエンターテインメントがあって、華がある長嶋茂雄は美空ひばり、石原裕次郎とともにぼくのなかでは三大昭和スターである。
20年ほど前に長嶋茂雄を起用するある不動産会社の広告コピーをまかされた。業界でもビッグで歴史もあるその企業の商品にぼくは「鍛え抜かれた先進の土地活用システム」というショルダーコピーを書いた。長嶋茂雄は天才肌では決してなく、努力の人だという意識があったのだろう。「鍛える」より「鍛え抜く」という言葉がすんなり出てきた。
思い返せば、昭和40年代に小学生としてプロ野球に熱中したぼくたちにとって、王貞治と長嶋茂雄は人気を二分する存在だった(それほどまでに王人気が高まりつつあった)。勝負強さで長嶋、数字的には王。
新聞販売店でもらった後楽園の外野席招待券でまず席が埋まるのはホームランを叩き込むであろう右翼スタンドだった。それだけ王の力は認められていた。40年代の長嶋はどちらかといえば選手として晩年を迎えつつあり、三割を打てない年もあった。それでも長嶋はぼくたち少年ファンに6度目の首位打者の姿を見せてくれた。苦しみながらもそんな素振を一切見せずにスターの座に君臨している長嶋は間違いなくスターだった。
本書で長嶋は自らの野球人生を振り返っている。猛練習の日々が多少誇張されているのではないかと思ったりもする。しかしながら昭和に生きたものなら誰もが夢中で何かに取り組むという所作を信じることができるのだ。
だからぼくにとって長嶋茂雄は自らを鍛え抜いた天才なのである。
ぼくたちの世代、つまりものごころついたときから、ジャイアンツが常勝球団だった子どもたちにとってONは特別な存在だった。野球のプレイヤーを超越したスターだった。とりわけ地道な努力人である王貞治よりもエンターテインメントがあって、華がある長嶋茂雄は美空ひばり、石原裕次郎とともにぼくのなかでは三大昭和スターである。
20年ほど前に長嶋茂雄を起用するある不動産会社の広告コピーをまかされた。業界でもビッグで歴史もあるその企業の商品にぼくは「鍛え抜かれた先進の土地活用システム」というショルダーコピーを書いた。長嶋茂雄は天才肌では決してなく、努力の人だという意識があったのだろう。「鍛える」より「鍛え抜く」という言葉がすんなり出てきた。
思い返せば、昭和40年代に小学生としてプロ野球に熱中したぼくたちにとって、王貞治と長嶋茂雄は人気を二分する存在だった(それほどまでに王人気が高まりつつあった)。勝負強さで長嶋、数字的には王。
新聞販売店でもらった後楽園の外野席招待券でまず席が埋まるのはホームランを叩き込むであろう右翼スタンドだった。それだけ王の力は認められていた。40年代の長嶋はどちらかといえば選手として晩年を迎えつつあり、三割を打てない年もあった。それでも長嶋はぼくたち少年ファンに6度目の首位打者の姿を見せてくれた。苦しみながらもそんな素振を一切見せずにスターの座に君臨している長嶋は間違いなくスターだった。
本書で長嶋は自らの野球人生を振り返っている。猛練習の日々が多少誇張されているのではないかと思ったりもする。しかしながら昭和に生きたものなら誰もが夢中で何かに取り組むという所作を信じることができるのだ。
だからぼくにとって長嶋茂雄は自らを鍛え抜いた天才なのである。
2010年2月2日火曜日
川辺秀美『22歳からの国語力』
春の選抜高校野球の出場校が決まった。
たいてい秋の地区大会(新人戦)の優勝校ないしは上位校から選出されるのだが、各地区のレベルの見極めが難しいため、地区優勝校の10チーム以外の選抜は毎年たいへんだと思う。昨年の明治神宮大会では東海地区の大垣日大が優勝、関東地区の東海大相模が準優勝だった。目安として考えれば、この2地区はレベルが高いといえるだろう。当然ぼくは神奈川から2校、ないしは関東地区から5校が選ばれると思っていた。
ところが蓋を開けたら東京から2校、関東から4校。なんと都大会ベスト4どまりの日大三が選ばれていた。これは勝手な憶測だが、すでに東京は2枠ということで帝京、東海大菅生で決まっていたところ、諸事情で東海大菅生を出場させるわけにはいかなくなり、さりとて今から関東枠を増やすわけにも行かなくなり…。なんて台所事情があったのやも知れぬ。ぼくはだったら神奈川の桐蔭を出すべきじゃないかって思うけどね。
さて、本書。
まあ、これといって目新しいこともなく読み終わった一冊。実用書のレベルで教養書ではないかな。いまどきの22歳にはいいのかもしれないけど。
たいてい秋の地区大会(新人戦)の優勝校ないしは上位校から選出されるのだが、各地区のレベルの見極めが難しいため、地区優勝校の10チーム以外の選抜は毎年たいへんだと思う。昨年の明治神宮大会では東海地区の大垣日大が優勝、関東地区の東海大相模が準優勝だった。目安として考えれば、この2地区はレベルが高いといえるだろう。当然ぼくは神奈川から2校、ないしは関東地区から5校が選ばれると思っていた。
ところが蓋を開けたら東京から2校、関東から4校。なんと都大会ベスト4どまりの日大三が選ばれていた。これは勝手な憶測だが、すでに東京は2枠ということで帝京、東海大菅生で決まっていたところ、諸事情で東海大菅生を出場させるわけにはいかなくなり、さりとて今から関東枠を増やすわけにも行かなくなり…。なんて台所事情があったのやも知れぬ。ぼくはだったら神奈川の桐蔭を出すべきじゃないかって思うけどね。
さて、本書。
まあ、これといって目新しいこともなく読み終わった一冊。実用書のレベルで教養書ではないかな。いまどきの22歳にはいいのかもしれないけど。
2010年1月28日木曜日
なかにし礼『兄弟』
なかにし礼は以前は好きじゃなかったが、教育テレビのある番組以降好きになった。
この本は彼が作家デビューを果たした自伝的長編である。戦争体験を捨て切れずいつまでも世の中に浮遊しているだけの実兄と筆者の葛藤、義絶がリアルに描かれている。実際にテレビドラマ化されたせいもあって、ややもすればドラマのシナリオ的なストーリー展開ではあるけれども、作詩家として、ヒットメーカーとして名をなした作者の若さが垣間見える名作だと思う。
それにしてもあれだけの借金を返済したなかにし礼はやはりすごい才能の持主である。それだけ借金を重ねた兄の才覚、人格もそれに劣らずものすごい。この作品に描かれているのはどうしようもない兄を拒絶した弟の強さ、偉大さより、そんな兄を心の奥で許し続けてきた弟の愛なのではないか。そんな気がした。
かつて作者の住んでいた大井町や品川区豊町のあたりも最近ではすっかり様変わりした。大井町駅から西側に連なる商店街から東急大井町線の下神明駅に続くガード下の細い道も広い車道になって、以前多く見られた一杯飲み屋のような店も減った。ところどころに昭和の匂いのする木造住宅がなかにし礼の落し物のように点在するのみである。
この本は彼が作家デビューを果たした自伝的長編である。戦争体験を捨て切れずいつまでも世の中に浮遊しているだけの実兄と筆者の葛藤、義絶がリアルに描かれている。実際にテレビドラマ化されたせいもあって、ややもすればドラマのシナリオ的なストーリー展開ではあるけれども、作詩家として、ヒットメーカーとして名をなした作者の若さが垣間見える名作だと思う。
それにしてもあれだけの借金を返済したなかにし礼はやはりすごい才能の持主である。それだけ借金を重ねた兄の才覚、人格もそれに劣らずものすごい。この作品に描かれているのはどうしようもない兄を拒絶した弟の強さ、偉大さより、そんな兄を心の奥で許し続けてきた弟の愛なのではないか。そんな気がした。
かつて作者の住んでいた大井町や品川区豊町のあたりも最近ではすっかり様変わりした。大井町駅から西側に連なる商店街から東急大井町線の下神明駅に続くガード下の細い道も広い車道になって、以前多く見られた一杯飲み屋のような店も減った。ところどころに昭和の匂いのする木造住宅がなかにし礼の落し物のように点在するのみである。
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