2008年12月20日土曜日

鹿島茂『フランス歳時記』

もうすぐ今年も終わろうとしている。
フランスではその昔一年のはじまりは春分の日に近いマリア受胎告知の日3月25日だったという。一週間かけて春分の行事を行ったあと4月1日にプレゼントを交換した。16世紀に1月1日が一年の始まりの日になった。それでも新時代に対応できない人たちは相変わらずプレゼントの交換を4月1日に行っていた。若者たちはこうした時代遅れな人たちをからかおうと贈り物と称して空の箱を贈ったり、架空のパーティーの招待状を出した。これがポワソン・ダヴリル、英語で言うところのエイプリル・フールのはじまりらしい。
以前にニースで日本の漫画をちりばめた「AGENDA日仏手帳」というノートを買った。ちょっとした予定表に日本の文化や習俗を紹介するコラムが載った手帳である。平日には1日1ページを当てており、ヘッドに大きく日付が記されていて太字の曜日と月の名前にはさまれている。たとえば11月11日なら“JEUDI 11NOVEMBRE”とされている。そして月名の下には小さく“Saint Martin”とある。
これはなんだろうと思っていたのだが、フランスでは1年365日が聖○○、聖女○○と呼ばれる守護聖人の祝祭日に充てられていて、11月11日木曜日(この手帳では2004年)は聖マルタンの祝祭日であるということをあらわしていたのだ。
この本にはフランス、主にパリの1年の移り変わりを日々の守護聖人のエピソードの主だったところにふれながら、旅行ガイドや滞在記とはひと味違った形で紹介してくれている。1月から順番に12の章で構成されているが、各月に生まれた、あるいは亡くなった文化人紹介のコーナーもあり、ヴォルテールやマリー・キュリー、モンテーニュなどご無沙汰している方々に久しぶりに会えた。クロード・シモンやマリー・タリオーニなど初めてお目にかかる人もいた。
もともとどこかで連載してあった小文をまとめた本なのであろう。簡潔に整理されていて、読みやすい。その反面、同じパターンが12回繰り返されるので単調な印象もあった。ところどころに書き下ろしのコラムなどを挿入してもよかったんじゃないかとも思う。


2008年12月14日日曜日

林芙美子『風琴と魚の町・清貧の書』

景気が悪い。
中小企業は、どこもそうとまでは言い切れないが、資金繰りがたいへんだろう。ボーナスがカットされたりしているところも多いはずだ。
川本三郎が解説の中で林芙美子は貧乏を楽しんだ作家と評していた。いかにどん底の生活で喘いでいおうと、ユーモラスを忘れず笑い飛ばしてしまうくらいの気概が彼女の作品を支えている。同じ貧困でも『居酒屋』のジェルヴェーズのように貧困の末、酒におぼれ身を滅ぼしていく凄惨さがない。貧乏の度合いはいずれも同じかもしれないが、日本的な奥床しさや情緒が貧困の芯の部分に隠されている美徳と上手に絡まりあって、作品としてあたたかさを醸し出しているような気がする。
日本の企業にも不景気を笑い飛ばすくらいの度量があればいいのだが、事態はかなり深刻のようだ。



2008年12月10日水曜日

山田篤美『黄金郷(エルドラド)伝説』

またしても中公新書。
中南米に関しては知識はないが、興味はある。国立科学博物館でナスカ展とか、インカマヤアステカ展などを見るとただただ圧倒される。そんな興味の延長線上にあらわれた本がこれ。ヨーロッパ人の探検はロマンなんかじゃなくて、帝国主義的侵略の一環であるという視点からとらえた中南米の歴史である。
主たる舞台はベネズエラ。先住民の営む水上生活を見て、小さなヴェネチアという意味のベネスエラと呼んだのが国名の由来だそうだ。故海老一染太郎の「土瓶が回ってドビンソンクルーソー」でおなじみの『ロビンソン・クルーソー』も18世紀大英帝国の南米植民推進をねらって書かれた物語だという侵略思想的解釈も新鮮だった。
本書はコロンブス上陸以降の真珠時代、オリノコ川からエルドラドへの遠征時代、イギリスによる植民地建設、拡大(そして挫折)の時代という流れに沿って、今日のベネズエラに至るまで構成されている。500年の間に実に興味深い出来事を垣間見ることができたが、中南米の歴史のさらにおもしろいところは、それ以前ではないかという気もしている。ということで次回は西欧化以前の中南米にスポットを当てた本を読んでみよう。


2008年12月5日金曜日

シャルル・ペロー『完訳ペロー童話集』

12月だ。
今年の仕事納めは12月26日だという。最終週には飛び石連休もあり、もし景気がよければ、とんでもなくひっちゃかめっちゃかな年末になるだろう。そうならないで欲しいとは思うが、ここのところの景気の低迷を考えると忙しいだけ忙しい方がとりあえずはいいのかも知れない。まあ、複雑なところだ。

神田神保町に信山社という書店があり、岩波書店の本を中心にした品揃えで以前はよく立ち寄ったものだった。最近ではそこそこの規模の本屋で岩波の文庫や新書は当たり前のように見られるが、昔はそうでもなく、ちょっとした大型書店か町の本屋でも店主にこだわりなり、しっかりした考え方があるような店構えのところにしか置いていなかった。いや、実際はそうじゃないかもしれない。たまたまぼくが足繁く通った本屋のうち何軒か限られたところにしか岩波の本がなかっただけ、だったのかも。まあかれこれ30年くらい前の話だけど。
岩波の文庫や新書で、大きめの書店に在庫のない本は信山社に行くとある、という記憶が頭の片隅に残っていたのかもしれない。ラフォンテーヌの寓話集をさがしに行って、ペローの童話集を買った。こういうことはそう珍しいことではない。
ところで信山社のブックカバーが以前と変わらなかったのがうれしかった。表紙側には湯川秀樹のコメント、裏表紙側には井上靖のコメントが力強く書かれている。
古くからヨーロッパに伝わる民間伝承を本にまとめたのがペローといわれている。ペローがいなかったら「眠れる森の美女」も「サンドリヨン(シンデレラ)」も形にならなくて、ディズニーランドもできなかったに違いない。でもペローがいなければ、誰か別の人が書物にしたかも知れないし…、などとあまり「たら」とか「れば」とかで頭の中を膨らませない方が精神衛生上はよろしいかと。
ああ、年末は暇だといいが、あまり暇すぎるのもいやだし…。

2008年11月30日日曜日

佐藤雅彦『四国はどこまで入れ換え可能か』

仕事で埼玉の所沢に行った。
うちからほぼ1時間。さほど遠くない。
午前9時過ぎに着いたのだが、西口の商店街はすでに人通りも多く賑わっている。独特なにぎやかさだ。
西武線の所沢駅は不思議な駅で右から西武新宿行きが来たかと思えば、左から池袋行きが来る。いったい東京はどっちなんだかさっぱりわからない。それと駅に降りるとそばつゆの香りがする。ホームにある立ち食い蕎麦屋から立ち上ってくる。
行き帰りの電車の中でこの本を読んだ。
特に感想はない。

2008年11月29日土曜日

角田光代『さがしもの』

早く週末が来ないかなあと思って日々過ごしていたせいか、あっという間に12月の足もとまでやってきてしまった。

仕事場に滑舌の悪いやつがいて、そいつのところにある日3つだけ願いを叶えてくれる神様がやって来たんだそうだ。そのときたまたまものすごく腹が減っていたので「とりーずうあいああえんくいたあす」と言ったんだと。まあ滑舌が悪いせいで神様は「え?」と聞きかえしたそうな。そこでもういちど「とりあえずうわいらあえんくいたあす」と言ってみたのだが、それでも神様は聞きとれず、さらに「え?」と聞き返す。こんどはちゃんとゆっくり大きな声で「とりあえずうまいラーメン食いたいです」と言った。と、その瞬間、そいつの目の前に見るからにうまそうなラーメンが3杯あらわれたそうな。

角田光代の『八日目の蝉』を読みたいと思って、書店に寄って帰ろうとしていいたら電車の吊り広告で新潮文庫の新刊があると知り、書店に入ったら『八日目の蝉』のことはすっかり忘れて、その新刊の文庫をさがしたが見あたらず、『おやすみ、こわい夢を見ないように』を買って帰った。その何日か後、電車の吊り広告で新潮文庫の新刊を思い出し、先日買ったのがこの『さがしもの』である。
まあ、なんていうのか、要するに本との出会いは素敵だな、という本である。


2008年11月25日火曜日

安達正勝『物語 フランス革命』

連休最終日は冷たい雨に見舞われた。
中公新書は地道にいいタイトルを揃えていると思う。というのは先入観に過ぎないのだろうが、いちどそう思ってしまうと中公新書の新刊から目が離せなくなる。
フランス革命に関して、人はどの程度の知識を持ち合わせているのだろう。
ぼくの場合、少年時代に機械的に暗記させられた1789年という年号とマリー・アントワネットの処刑と、あと、名前だけ知っていて、たぶんフランス革命関連の人名、ワードだろうと思われるロベスピエール、ジロンド党、ジャコバン党、くらい…。ナポレオンはフランス革命の後の人で、ジャン=ジャック・ルソーは前の人…。
恥をさらすことを覚悟の上で吐露してみたが、もしこの程度の知識しか持っていないようだったら、ぜひこの本をおすすめしたい。難しくなく、松平アナの語りのように流れててゆき、いつのまにかフランス革命は終わっている。おぼろげだった人の名前がちゃんとつながってくる。これなら子どもに訊ねられてもある程度までは答えられそうな気がする。
そういうわけで(どういうわけなんだかよくわからないが)次回はやはり中公新書の『黄金郷伝説』を読んでみたいと思っている。


2008年11月21日金曜日

角田光代『おやすみ、こわい夢を見ないように』

こないだ銀座の天龍で餃子を食べた。以前は勤めが銀座だったのでたまに行っては特大の満州餃子を平らげたものだが、かれこれ10年以上訪れていなかった。
ときどき店の前を通りかかって、食べようかなとは思うのだが、昼飯時はたいてい行列でちょっと入りにくい。先週はちょうど13時をまわって、空きはじめたころ通りかかったのでつい中に入ってしまった。
久しぶりの餃子を食べて、懐かしく思ったのも束の間、若い頃とは胃袋の構造が違ってしまったのか、半分くらい食べたところでもうかなりの満腹感。それでもなんとか巨大満州餃子を8つ完食、ごはんも残さず食べた。無茶ができた若さが懐かしい。
読む本がなくなると手に取るのが重松清だったり、角田光代だったりする。別にホラー小説ではないんだけれど、読んでいて恐ろしくなる。ああ、人間って怖いなあとこの本を読んでつくづく思った。
今度は夜、ビールとともに天龍餃子を食したいものである。



2008年11月16日日曜日

大塚英志『ストーリーメーカー』

今年の野球も大詰めを迎えている。
大阪では社会人選手権が、東京では明治神宮大会が開催中だ。社会人選手権と明治神宮大会の大学の部は今年1年の締めくくり的な大会だが、高校の部は来春の選抜大会を占う上で重要な新チーム最初の全国大会。10地区大会を勝ち抜いたチームによるトーナメントで決勝に進んだ地区からは選抜大会の枠が増えるということで注目度も高い。でも、ここを勝ったからといって、来春、そして夏も強いかといえば、案外そうでもないのが高校野球。この後も予測しがたい浮き沈み、下克上があるからおもしろかったりするわけだ。
外国語を学ぶには系統だった文法知識と単語の習得が早道らしいが、母語と異なり、意識的に言語と接していかなければならないという。そういった意味で物語の構造を意識してストーリーを組み立てるという手法は無意識の領域を意識化するという意味で新しいといえるだろう。だけどどれほどの人がこうして機械的にストーリーを開発しているのだろうか。
文章はやや難解で誤植や助詞の抜けがときおり見受けられ、まあ編集者のチェックもれなんだろうけど、最近の売らんがための新書づくりにはこの程度のミスはあって当然と思うべきか。そんなことが気になるのはたぶん、読書の神様がぼくにもっとちゃんとした本を読めと戒めているからじゃないかとも思う。


2008年11月14日金曜日

林芙美子『放浪記』

徹夜の仕事が続いたりすると、こいつがひと段落したら、ローカル線にゆられて少し遠出をしよう、行った先に温泉でもあれば、ゆっくり浸かって、何も考えない一日を過ごそう…などと決まって思う。特に行き先は決めていない。水戸あたりから水郡線に乗って、あるいは拝島から八高線に乗って、はたまた五井から小湊鉄道に乗って、などとおぼろげに思うのはなぜか関東近郊の非電化区間の気動車で、キハと形式表示されているディーゼルカーがなぜか旅情を誘う。こんなとき、寝台特急で北国に行きたいとか、国際線に乗って近隣諸国でうまいものを食おうなどとは思わない。きっと持って生まれた貧乏性が歳を重ねるごとに深く心身に刻み込まれてしまったのかもしれない。
『放浪記』というと森光子しか思い浮かばなかったが、林芙美子のシベリア~パリの旅の手記を読んで、俄然興味がわいてきた。この人が根をはらない生き方をしたのは、哲学としてそうなんじゃなくて、宿命づけられていた運命だったのだ。人生を旅になぞらえる生き方をする文学者は数多い。しかしながら、林芙美子は天性の放浪者、筋金入りの旅人だ。そんな思いを強くした一冊である。

2008年11月8日土曜日

藤原智美『検索バカ』

先日、仕事帰りに軽くビールでも飲もうと門前仲町のすし屋に入った。カウンターに腰掛けようと思った矢先に背後から声を掛けられ、振り向くと友人のOさん。名古屋でクリエーティブディレクターをしている彼とは仕事仲間というより飲み友達。ときどき名古屋に出向いては明け方近くまで飲んでいる。Oさんの出身中学とぼくの出身高校が統合されて中高一貫校になり、変則的な同窓生でもあったりする。それにしても、門前仲町、すし屋、深夜12時というピンポイントの邂逅とはなんたる奇遇。

昨今の読書界を生き抜く上で重要なのは、“いかにも”な題名にだまされないことだと思う。とりわけ新書でそのことが強くいえる。たかだか半日で読み終えてしまうにしても、空振りのダメージは大きい。
『検索バカ』とは、まさに“いかにも”だ。情報化社会=現代を検索であるとか、空気などというキーワードで切ってみたようだが、あまりにも精神論で、論理の飛躍が大きく、単なる生き方指南の書の域を出ない。経験談がところどころ語られているが、それとてたいした魅力もない。この本で言わんとしていることと題名がマッチしていないのは、ねらい(うけねらいという意味で)なのか、編集者のいい加減さなのか、そろそろ新書を担当する人たちは心を入れ替えてほしいものだ。

で、Oさんはその1時間半後くらいに帰っていった。
別れ際、じゃあ、今度は名古屋で、と。結局おれたちって飲むことしかない頭にない。


2008年10月30日木曜日

ヘルマン・ヘッセ『車輪の下』

神田まつやで、昼、蕎麦を食って、神保町界隈を久しぶりに歩いた。ミズノ(昔は美津濃だったな)などスポーツ用品店と何軒か古本屋を見た。ちょうど古本市で靖国通りの歩道はそれなりに賑わっていた。
そういえば、夏休み前とかになると、子どもが学校から「夏休みに読みたい課題図書」だとか、あるいは書店から「○○文庫の100冊」みたいな販促物を持って帰ってくる。そんなものをぼんやり眺めていると、子どもは父親は果たしてその中のどれほどの本を読んだのだろう、みたいな視線を送ってくるのである。
自慢じゃないが、読みそびれた名作は多い。もちろん、何冊かは子どもの頃や10代、20代の頃に読んではいる。しかしながら圧倒的多数の名作を実は読んでいないまま、この歳になっちゃったんだなあというのが正直言ったところだ。
ヘルマン・ヘッセも読んだことがない作家のひとりだ。昔、教科書に「少年の日の思い出」という作品が掲載されていて、隣家の少年の収集している蝶の標本を盗んで、罪の意識から返しに行って、謝るのだが、ポケットの中でその標本はこわれてしまって、相手の少年に「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな」と蔑まれる話で(まったく何も資料を見ることなく記憶にだけ頼っているので決して正確ではないけれど)、その「つまり君は…」という台詞の痛烈さだけが妙に記憶にとどまっている。
『車輪の下』を読んだことあるかいと訊ねると、『車輪の上』は読んだけど、下巻は読んでないと答える阿呆な友人がいたが、いかにもヘッセな感じの暗澹たる自伝的小説といったところか。車輪の下というのはハンスが入学した神学校の校長が成績の振るわなくなったハンスを自分の部屋に呼んでいう「それじゃ結構だ。疲れきってしまわないようにすることだね。そうでないと車輪の下じきになるからね」という台詞からきていると思われる。車輪の下じきという言い方がドイツのその土地、その時代で重くのしかかる言い回しとして存在していたのだろう。
こんな重厚な書物を読まなければならないなんて青少年もなかなかたいへんだなあ。


2008年10月21日火曜日

立松和平編『林芙美子紀行集 下駄で歩いた巴里』

先日、高校の同窓会があった。部活の集まりには毎年出ているが、同窓会などという同じ学校を出たというだけのぼんやりした会にはほとんど出席したことがない。今年は画家である部活の先輩が事前イベントで講演を行うということでその先輩の同期の方々から号令をかけられ、参加したのである。
ぼくもかれこれいい歳で街を歩いていれば、立派なおじさんであるにもかかわらず、会場内では下から数えてひと桁の若輩者である。こんなことでこの会は将来どうなるのだろうと不安がよぎる。
乾杯の音頭をとったのは、何代か前に同窓会長をなさっていたという御年95歳の大の上にさらに大をいくら重ねても足りないほどの大先輩。多少よろよろしながらも、壇上に上がり、しっかりした声で挨拶をする。
「誠に僭越ではございますが…」
僭越じゃない。全然僭越じゃない。
実を言うと林芙美子はまったく読んだことがない。日本文学に多少なりとも興味のあるたいていの人は『放浪記』くらいは読んでいるのだろうが。まあ、これは連鎖読みとぼくの称する本の読み方で、その前に読んだ『文豪たちの大陸横断鉄道』に影響されている。
解説で編者の立松和平も述べているとおり、昭和初期の、多少は便利な世の中になったとはいえ、旅がぜいたく品でかつ、苦行だった時代によくもよくも身ひとつでユーラシア大陸を経巡ったものだと感心する。本書所収の「文学・旅・その他」でも「私は家を建てることや蓄財は大きらいだ」と述べているが、それは彼女が如何に人生の中で旅に価値を置いていたかの証左でもあろう。
書く、旅をする、そして書く、また旅に出る。ある意味、文学者としての理想の姿を忠実に実践した作家といえる。そして「愉しく、苦しい旅の聚首(おもいで)は地下にかこっておく酒のようなもの」という描写に彼女の旅観、人生観が集約されているように思う。


2008年10月16日木曜日

小島英俊『文豪たちの大陸横断鉄道』

原巨人が長嶋元監督のミラクル越え。13ゲーム差をひっくり返しての優勝だ。とはいうものの今ひとつインパクトがないのはなぜだろう。
ひとつにはクライマックスシリーズという企画もののつまらなさ。言ってみれば緊張感や真剣さが観ていて希薄なのだ。それともうひとつは、原と長嶋の器の違い。違いすぎるのはその実績やスター性、カリスマ性等々すべてトータルしてもかないっこないので致し方ないところだが、長嶋のすごいところは有限実行。「メークドラマ」とか「メークミラクル」と言ってのけ、実現できる不思議なパワーがすごいのだ。
ジャイアンツが今後、原長期政権で安定した人気を保持していくつもりなら(実力面は実績ある補強戦術でお墨付きだが)、広報を中心に原にキャッチフレーズをどんどん提供していくとよいだろう。
ここのところ仕事が辛いわけではないのだが、旅ものが読みたくて仕方ない。で、この本を手に取ったのだが、まあ内容的には大きな盛り上がりもないままに終わり、何が言いたかったのかよくわからなかった。さらっと立ち読みして、荷風や林芙美子を買って読んだほうが手っ取り早い。
でも大陸経由でヨーロッパに行くってのは、日本人の遺伝子に組み込まれた憧憬なのかもしれないなあ…。

2008年10月10日金曜日

安野光雅『天動説の絵本』

長女が西荻の古本屋で気に入った絵本があったといって買ってきたのがこの本。
安野光雅の絵本は昭和の日本が描かれていたり、中世ヨーロッパが舞台だったりして、その空気感をふんだんに詰め込んでいる。単なる絵と文の複合体でないところがいい。この本は空の星が動いてるんじゃなくて、地面が動いているということに多くの人が気づく頃の話なのだろう。中世の迷信と近代の科学の狭間が絵本の世界にギュッと凝縮されて、おもしろおかしく描かれている。
安野光雅は一介の絵本作家ではない。なかなかの勉強家だ。少なくともぼくは天動説から地動説へシフトする時代のことなんか、これっぽちの知識もないし、想像力だって働かないもの。それにこんなに素敵な絵は描けない。


2008年10月2日木曜日

白井恭弘『外国語学習の科学』

4月に始まったラジオフランス語講座が9月で終了し、今月からどうしようかなと思っている。もちろん新番組は始まるし、それを聴いてもいい。前から聴きたかった応用編がアンコール枠で再放送されるので、それもいいかなと。
ただ、今回聴いた「ディアローグ三銃士」というのはいい企画だった。繰り返し聴く価値はある。そんなこんなで悩んでいるんだが、せっかくトークマスターに録音してあることだし、再度「ディアローグ三銃士」に挑戦しよう。ま、また気が変わるかもしれないけど。
さてさて、外国語を身につけるということに関して、それなりに研究がすすめられ、成果も上っているそうだ。この本にはそこらへんの経緯が紹介されつつ、外国語をマスターするための方策、ヒントも書かれている。また随所に具体例が提示されていて、学習法の紹介も説得力があり、励ますだけの語学応援本とはちょっと違う。
成功のポイントは学習開始年齢、適性、動機づけの3つらしい。自分を省みたとき、多少なりとも可能性の余地を残すのは動機づけだけ。日々の学習はともかくとして、動機づけだけでも維持していきたいものだ。

2008年9月29日月曜日

芦原伸『さらばブルートレイン!昭和鉄道紀行』

高校野球の新人戦が各地で始まっている。東京も本大会進出の24チームが決まったようだ。
夏、東東京優勝の関東一や国学院久我山、岩倉、日体荏原が早くも敗れ去り、都立高校では国立、日野、足立新田の3校が勝ち進んだ。
鉄道は子どもの頃から好きだったが、寝台列車に乗るようになったのはずいぶん大人になってからだ。最初に勤めた会社を辞めた後、次の職場に移るまでひと月ほどブランクを空け、当時ブームだった北斗星で北海道に行った。寝台列車はいくら走るホテルだとか言っても、正直そんなに寝心地は良くないし、ゆったりリラックスなんてできない。が、鉄道好きにとっては、それはロマンだったり、ドラマだったりするわけで、「なんか興奮して眠れないなあ」などと思いながら、ついつい真っ暗闇の車窓を一晩中眺めていたりするのである。ここで鉄道ファンは、だって寝心地悪いんだもんとか、眠った気がしないんだよねなどとは口が裂けても言わないのである。
ただ、北海道に行く人、とりわけ初めて行く人には寝台列車をおすすめしたいなあ。ぼくの場合東京発だったけど、北海道の遠さが実感できる。
著者の芦原伸は『鉄道ジャーナル』の編集に携わりながら、またその生い立ちの中で深く寝台列車にかかわってきた方のようだ。まったくもってうらやましい限りである。ぼくが乗車経験のある寝台列車は先の「北斗星」、上野-金沢間の「北陸」、東海道本線の「銀河」(「北陸」と「銀河」はそれぞれ2回づつ乗っている)だけである。九州方面のブルートレインも上野-青森間のそれも一度として乗ったことがない。
この本はブルートレインと表題にあるように、客車寝台に特化した内容だが、次回また筆をとる機会があれば、ぜひ電車寝台特急の旅も紹介して欲しいと思う。ぼくたちの少年時代の憧れは、当然ブルートレインだったけれど、いわゆる月光型と呼ばれた583系特急電車も当時はスター列車だった(厳密には特急「月光」は581系)。上野駅で真っ先に写真に収めたのは列車寝台の「ゆうづる」でも「あけぼの」でもなく、まさに「はつかり」、「はくつる」だったのである。「はつかり」に関して言えば、はつかり型と呼ばれた気動車キハ81系があるのでなんで月光型になっちゃったんだ?とも思ったが…。
ええっと何の話だっけ?
そうそう寝台列車はやっぱりいいなってことだな。


2008年9月27日土曜日

荻村 伊智朗 、 藤井 基男『卓球物語』

なぜ角型ペンホルダーによるフォアロング主体の卓球に日本卓球の原点というイメージを持ったのだろう。
両面にラバーを貼るシェークハンドグリップが巷にあふれ、少数民族と化したペンホルダー、とりわけ、半世紀以上前に世界を制した日本式グリップに孤高の輝きを見出すからか。はたまた片面だけで多彩な攻撃を繰り出し、時にショート、ロビングでしのぎ、捨て身のカウンター攻撃に出るその潔さに日本的な武士道精神を感ずるからか…。まあ、これらはあくまでぼくの個人的なイメージでしかない。
そもそも日本で普及した卓球は軟式といって、通常の、現在行われている硬式よりも軽いボールを使い、コートも若干小さかった。しかもラケットはラバー貼りではなく、木のままかコルク貼り。スピードが出ないぶん、とにかく攻撃することで点を取り合った。攻撃するにはフォアロングの方が有利だし、コートも狭いからバック側のボールも回り込んでフォアで強打する。
一方、卓球の本場ヨーロッパでは硬式球が普及し、ラケットもラバー貼り。打球が速く、コートも広いから(ついでにいうとネットも低い)、相手の攻撃を如何に封じて、守りきるか、あるいは如何に相手に攻撃させないか、が戦い方の主眼に置かれた。
というわけでヨーロッパの伝統的なスタイルはシェークハンドグリップによるカット主戦型で日本で普及した卓球はペンホルダーによるフォアロング主体のドライブ攻撃型となった。
と、まあこんなエピソードが満載なのが本書であり、用具の発達、普及によって戦い方が変化してきたことなどもよくわかる。荻村伊知朗は卓球もさることながら、外国語や文才にも恵まれ(もちろん彼のいちばんの才能は惜しみなく努力することなのだが)、ヨーロッパを日本が凌駕した50年代を「スピードの時代」、60年代中国前陣速攻の台頭を「打球点の時代」、そして70年代の攻撃型ヨーロッパスタイルに象徴される卓球を「スピンの時代」と名づけるなど卓球理論家としても素晴らしい業績を残した人といえる。
先に『ピンポンさん』を読んだが、ライターが書く演出された卓球物語もよいが、こうした時代とともに卓球と歩んできた人たちの文章も臨場感があっておもしろい。
80年代以降は「速さと変化の時代」であるという。先日関東学生リーグを観にゆき、五輪代表明治の水谷をはじめほとんどの選手がシェークの攻撃型。中にはカット主戦型もいるが、彼らもしばし攻勢に出る。わずかにペンホルダーの選手がいて、中国式グリップの選手をふたり、角型ペンの日本式グリップの選手をひとりだけ見た。
世界ランカーの上位を中国勢が占め、しかもその大半(特に女子)がシェークハンドグリップの速攻型やドライブ型であるが、中にはカット主戦の選手もいる。また男子の世界ランク1位、2位が裏面打ちペンホルダーだったり、台湾や韓国には日本式ペンホルダーの選手もいる。ひとつのスタイルが世界を統一するのではないことで卓球はまだまだ可能性のある競技だと思える。
「速さと変化の時代」はさらなる多様性を生む時代なのかもしれない。


2008年9月23日火曜日

角田光代『エコノミカル・パレス』

ジャイアンツがすごいことになっている。
メークミラクルの再現だ。
調子が落ちているとはいえ、まさかタイガース相手に3連勝とは思いもよらなかった。できればここで絶好調を使い果たさずプレーオフまでとっておきたいと願うのが多くのジャイアンツファンの本音ではなかろうか。
半年ほど前に出た角田光代の『八日目の蝉』を読んでみたくなり、先週終館間際の日比谷図書館まで行った。さすがに貸出中だった。まあせっかくだから角田光代の本が並んでいる棚の中からまだ読んでいない本をさがして借りてみるかと思い(あらかた読んでない本だったけど)、なんとなくおもしろそうな題名のを一冊選んだというわけだ。
今(というかすこし以前からずっと)世の中がパッとしなかったり、不景気だったり、定職を持たない若者が増えているとか、そうゆう曇天のような世相が如実に描きだされていて、いつも角田を読むたびに思う、ああ、やんなちゃうなあって感じがして、まったくやれやれといった疲労感が残る一冊である。
こうゆう気分のときはビールを飲みながら野球観戦でもして、スカッとした気分になりたいものである。

2008年9月19日金曜日

城島充『ピンポンさん』

長方形のペンホルダーのラケットを柔らかく弧を描くように振りぬく。バック側のボールもフットワークを使って回り込んで、フォアで打つ。前陣の左右から強打を打ち込まれても、カットで粘られても、愚直にフォアロングにこだわって打ち勝つドライブ卓球。これが日本の卓球だ。
小学校の頃、名古屋で開催された世界卓球選手権をテレビで観て、日本はまだ日本流のやり方で世界と互角に戦い抜いていた。伊藤繁雄は決勝でスウェーデンのベンクソンに敗れ、連覇はかなわなかったものの、日本はまだまだ卓球王国だった。

この本の副題には「異端と自己研鑽のDNA荻村伊智朗伝」とある。
その当時、もう題名も出版社も忘れてしまったが、毎日目を通していた卓球の指導書の著者が荻村伊智朗だった。
残念ながら荻村の現役時代をぼくは知らない。ただ伊藤繁雄のドライブを見て、荻村伊智朗も日本スタイルの美しい卓球をした人なのだろうと想像していた。
ぼくの愛読書は大きく、前陣速攻、中陣ドライブ、後陣カット主戦という3つのタイプに分けて豊富な写真とともに基本技術が丁寧に記されていた(と記憶する)。荻村は日本の卓球の指導者であると同時にぼくにとっても卓球の先生だったのである。
さて本書を読むと荻村の、卓球選手としての側面の他に、引退後卓球を通じて国際交流に尽力した、いわば「スポーツ外交官」としての彼の生きざまが多く語られており、生涯を通じて「世界の荻村」として諸外国からも敬愛されていたその人物像が浮き彫りにされる。
そしてその原点ともいえる、荻村を世界に送り出した街の卓球場。この本は、荻村伊智朗の伝記であると同時に武蔵野卓球場のおばさんをはじめとした、日本の卓球を育んできた多くの卓球ファンの物語でもあるのだ。
卓球好きなぼくとしては、もう少し現役時代の荻村伊智朗の映像を(もちろん文章で、だが)つぶさに読んでみたい気持ちが強く、そういった意味では物足りないところもあるが、限られた紙数の中で荻村の波乱万丈な生涯とその輝かしい功績、そして挫折の数々がとても丁寧にまとめられていると思う。

そういえば名古屋の世界選手権で伊藤を破ったベンクソンだが、その指導をしたのが荻村だったという。これは知らなかったなあ。

2008年9月15日月曜日

清水義範『イマジン』

秋の野球シーズンが始まった。
東都大学リーグではかつて東映や巨人でならした高橋善正が監督として率いる中央大学に注目が集まる。六大学は連覇のかかる明治と春の雪辱を期す早稲田の一騎打ちか。いずれも昨年一昨年と甲子園を沸かせた新人たちから目がはなせない。

清水義範はユーモラスでウィットに富んだ短編の名手という印象が強いが、長編も実に丁寧で、よく書かれている。
タイムスリップものはネタとしてはおもしろいのだが、時代ごとの整合性をはかったり、もろもろ辻褄を合わせたり、書き手としてはエネルギーを使う作業だと思う。清水は清水なりのユーモアと読者へのサービスを怠ることなく、「らしさ」あふれるファンタジーにしている。
奇想天外を如何にヒューマンにまとめあげるかが、映画にしろ小説にしろ、時間軸をいじる創作の決め手になると思う。その点、ラストの「ほろり」もそうだが、安心して読める佳作だ。


2008年9月12日金曜日

ポール・ゴーガン『ノアノア』

少しだけ秋らしくなってきた。夏の間影をひそめていた大型台風が南の海上にいる。今後の動向が気になるところだ。
初めての海外旅行はタヒチだった。いわゆる新婚旅行というもので、妻はアジア、アフリカに関心があり、ぼくはどちらかといえばヨーロッパ志向だったのでなかなか行き先が決まらなかった。当時は仕事がめちゃくちゃ忙しかったので、どうせなら何もない南の島でぼんやり過ごすのがいいだろうということでなんら予備知識もなく、タヒチを選んだ。外国語はからっきしなのだが、フランス語圏なら多少、飲み物くらいなら注文できるだろう自信はあったし。
ゴーガンが晩年を過ごしたのがタヒチであることは数少ない予備知識の中にあった。パペーテの観光でゴーガンに関する資料館だかを見た憶えもある。とはいえ思い出すのはボラボラ島のコテージで床下から聞こえてくる波の音を背にしてうとうとしていたことくらいだ。
そんなタヒチにも歴史があって、人々の暮らしがあったんだとゴーガンの文章を読み、再認識させられた。ゴーガンは一介の画家だとばかり思っていたが、父親がジャーナリストで、幼少の頃、ペルーに亡命していたり、波乱万丈の生い立ちがあったという。思いのほか学識のある人だったのだ。クロード・レヴィ=ストロースもパリを発ち、ブラジルに向かい、その後『悲しき熱帯』を書いたといわれているが、南米からパリ、そして南洋の島へと経巡るゴーガンの人生は、どことなくレヴィ=ストロースの世界に似ている。
ような気がした。


2008年9月9日火曜日

筒井康隆『銀齢の果て』

遊んでいるPCにfedora core9をインストールしていたにもかかわらず、仕事場のルータのsyslogが取れずに四苦八苦していた話の続き。
ネットをあっちこっち探していたら、windowsでログがとれるフリーソフトがいくつかあり、試してみた。rtlogというそこそこ使えそうだ。と思ったものの、ずっとログを取り続けるためには、常時起動させておくマシンが要る。ログ取得のためだけに新たにPCを導入するのも効率が悪いので、泣く泣くfedoraをあきらめて、再度自分のマシンにwindows2000をインストールし直した。
もともとAOpenのマザーボードにpentiumの1GHzを挿して使っていた自作機。HDDも60Gあるし、メモリも512Mあるし、ログ取りにはじゅうぶんすぎるスペック。とはいえ、自作機だったことを忘れて、何の気なしにシステムをインストールし、後でロッカーからドライバの入ったCDROMを探す始末。数時間の格闘の末、640X480、16色モードから解放された。
その翌日、なぜかオンボードのLANが動かず、PCIに挿さっているLANカードの型番を筐体を開けて確認し、別のPCでドライバをダウンロード。2日がかりでOSのアップデートも含めてようやく稼動状態になった。
今は大人しくルータのログを取っている(とはいえ、ファンの音が多少うるさい)。

そんななか、昨年出版され話題になった『銀齢の果て』が文庫になったのでさっそく読む。
巻頭の地図を見ながら読み進めば、そこはまるでゲームの画面のよう。笑えるような笑えないような、近未来よりもっと切実な現実がテーマ。だからこそのおもしろさだ。
山藤章二のイラストレーションもなかなかブラックでよろしい。というか「シルバーな」っていうべきか?


2008年9月4日木曜日

ギ・ドゥ・モーパッサン『脂肪のかたまり』

中学に入る前に卓球のラケットを買ってもらった。もちろんそれまでもラケットは持っていたが、いわゆるラバー貼りのラケットで、角型日本式グリップのペンだった。卓球部に入るという前提ではじめて、ラケットとラバーを別々に買ったのだ。
ラケットはバタフライのサファイア(だったと思う)。ヒノキ(これも定かじゃないが)単板の丸型ペンホルダーで、なにせ当時は河野といい,、田坂といい、日本も前陣速攻の時代に突入していた。丸型ペンに表ソフトラバー。迷わず決めた。
住んでいた地域のスポーツ用品店の品揃えが圧倒的にバタフライだったのと当時は『卓球レポート』なる雑誌も愛読していたので、ラバーもバタフライ製、テンペストというラバーの表だった。そのころはそんなにラケットもラバーも種類が多くなかったので、やれテンションだの粘着だのという選択肢はなかった。オールラウンドかテンペストかスレイバー。スレイバーなんて高嶺の花でテンペストの倍近い値段だったと思う。しかも裏しかなかった。その後スーパースレイバーなどというさらに高嶺の花があらわれたが、そんな高級なラバーを貼っているやつは見たことがなかった。
サファイア+テンペスト表は打球感のやわらかいラケットに反発力のある表ソフトということで、なかなか手に馴染んだ。今でもサファイアは持っているが、ラバーは何度か貼り替えている。テンペストを越えるラバーはなかったんじゃないかな。
サファイアは丹念に削って、持った感じもよかったんだが、大人になってから手にするとやっぱりそれなりに成長したのか、微妙に手のサイズに合わなくなっている。

で、モーパッサン。
モーパッサンは読んでみると、ストーリーの組み立てとか人間描写が心憎いまでに巧みで、感心させられる。読む前のイメージはフランス文学の巨人という感じで、重々しい印象だったのだが。
『脂肪のかたまり』は彼の代表作ともいえる中篇でエリザベート・ルーセという登場人物のあだ名ブール・ドゥ・スイフ(脂肪のかたまり)が表題となっている。せっかくだからもうちょっと気の利いた題名にすればよかったのにと思う。

2008年9月1日月曜日

筒井康隆『ダンシング・ヴァニティ』

夏休みの終わりは連日の雷雨となった。しかし、よく降る。
仕事場で、インターネットのアクセスログを残さなければならず、先週分のログファイルを保存しようとしたら、ルータに残っているログは2~3日ぶんだけだった。要はルータ自体に記憶領域が多くないため、一週間分も保存できないようだ。
遊んでいるPCが一台あって、こないだfedora core9をインストールしていた。たいした使い途もないのでこいつにログをとらせようと思ったまではいいが、さほどLinuxの知識もなく、rsyslogの設定の仕方がわからない。
やれやれ。こうして8月が終わる。

筒井康隆を読んだのは『夢の木坂分岐点』以来だなと思っていたら、案外そうでもなく、読書記録を紐解くと、その後『残像に口紅を』『朝のガスパール』を読んでいる。ようだ。
いずれにしても筒井康隆という人は、その文章力やストーリーを生み出す卓抜なセンスを持ちながら、飽くなき探究心をもって、実験的な作品を世に送り続けているところがすごい。落語をやらせれば名人級なのに、あえて、色物を追い求める、そんな感じ。
この本は『夢の木坂』のように夢が舞台なのだが、微妙に異なるひとつのシチュエーションが反復されて、しおりをはさまず中断すると、どこまで読んだかわからなくなる。実に面倒な本である。しかしながら、その反復の中の微妙な差異が飽きさせないし、おもしろいし、読み手のモチベーションを維持してくれる。
色物も(なんていったら大変失礼千万な話だけど)ここまでくれば超一級の芸術だ。

2008年8月28日木曜日

青柳瑞穂訳『モーパッサン短編集』

今月は、高校野球とオリンピックの2大イベントで読書量が激減。昼間はラジオで、夜はテレビでと耳と目を消耗した。
高校野球の決勝は大阪桐蔭と常葉菊川。これは去年の春、出張ついでに立ち寄った甲子園で観戦した対戦だ。この夏は大阪がリベンジしたかたちになったが、去年の中田のような中心的存在がいないながらもどこからでも得点できる好チームだった。守備もよかった。一方で常葉菊川は戸狩を中心としたチームだけに彼の故障が痛かったのではないか。
オリンピックは卓球男子シングルスの決勝、王皓対馬琳が興味深かった。これだけシェークハンドのプレイヤーが多数ある中、ペンホルダー同士の対戦とあって、録画してくりかえし視てしまった。

モーパッサンの短編集は以前、岩波文庫の高山鉄男訳で読んだが、こちらの新潮文庫版は、三分冊となっており、(一)は田舎もの、(二)は都会もの、(三)は戦争ものと怪奇ものと分けられている。果たしてそれが読み手にとって親切かどうかは別として、360ほどあるモーパッサンの短編の65編がここにおさめられている。もちろん岩波版と重複するものある。
前回、寝しなに読んでいたせいか、電車の中で読みはじめると眠くなる。これは条件反射か、テレビの見過ぎ、ラジオの聞き過ぎか。ともあれ、まだ全部読んでしまったわけではない。行く夏を惜しみつつ、ゆっくりゆっくり読んでいこう。


2008年8月11日月曜日

スコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』

以前同じマンションに住んでいたBさん一家は、ふたりの子どもが同い年ということもあり、いまだに家族ぐるみで付き合っている。もう何年も前に彼らは西宮に引っ越したのだが、年に一度は遊びに行くか、来るかしている。
今年、BさんちのAちゃんが甲子園の入場行進のプラカードを持つことになった。開会式をテレビで視て、「おお、映ってる!」と、わが娘を見つけたかのように興奮した。
甲子園というところは不思議な場所で、新聞などによる下馬評は、直近の地方予選の結果に加えて、春の選抜大会や地区予選の結果をベースにしている。春の近畿大会を征した福知山成美が強いだとか、同じく関東大会を勝った木更津総合が頭ひとつリードしているなどと報道される。春の選抜ベスト4で地方予選を勝ち抜いてきた唯一の学校である千葉経済大付が注目されたりするわけだ。
でもって、そうは簡単にはいかないところが甲子園のすごいところなのだ。

1985年に野崎孝訳で『ギャツビー』を読んだ。そのころ映画も観た。ロバート・レッドフォードが主演だった。そもそもは村上春樹が高い評価を与えている小説ということで読んだのだ。村上訳を読んでも、やはりこれは簡単な小説ではない。が、村上春樹のこの小説に対する思い、みたいなものは翻訳からもじゅうぶんうかがい知ることができる。

続々とベスト16が決まっていく。常葉菊川、智弁和歌山、横浜、浦添商と千葉経大付の勝者が優勝候補とにらんでいるのだが…。

2008年8月1日金曜日

山本文緒『プラナリア』

でね。
ぼくらは学校の体育館を追い出され、児童館で卓球をするようになったわけだ。単に遊び場所が変わったっていうふうに解釈すれば、まったくそのとおりなんだが、実のところ遊び場のダウンサイジングはぼくらの卓球のスタイルにも影響を与えた。つまり、ぼくらが覚えた卓球は体育館というある意味、小学生にとって卓球をやる上で無尽蔵なスペースだったわけで、卓球台の両サイドを走りまわる、まさに純日本的なドライブ卓球が身についていた。相手からスマッシュされたら、まずは下がる。ロビングでひろえる限りひろって、向こうのミスを待つ。あるいは打ち切れなかったゆるいボールに飛びついてカウンタースマッシュをする。まあ、なかなかそこまで技術的には追いついていなかったけどね。少なくともぼくらは71年世界卓球の伊藤繁雄からそんな卓球を教わっていた。
それがだよ。児童館は遊戯空間としては適度な広さと快適さ、さらにはちょっと新しい遊具の数々があって、子どもにとってはこんな恵まれたスペースはなかったんだ。でもだよ。そうした多目的プレイスペースに卓球台も置かれているわけで、これはいきなり「小さく前へならえ!」の状態で卓球をするようなものなんだ。しかも天井が低い。下がってロビングなんてまず不可能。要はここではラケットを振って、ボールを打ち返すことはできても、名古屋世界選手権団体戦、荘則棟に代わって中国のエースとなって活躍した李景光が繰り出すスマッシュをかろうじてロビングでしのぐ伊藤繁雄、みたいなラリーは望むべくもないということだ(もともとそんな技術もないのだが)。
結局、児童館卓球はぼくらを卓球台のすぐ近くに立たせて、そこで卓球をするすべての子どもたちを前陣速攻型のプレイヤーに変えてしまった。

でね。
山本文緒は最近新しい短編集を出したそうだが、そちらはまだ読んでいなくて、テレビの○曜ロードショウで以前のヒット作を見るように『プラナリア』を読んでみた。
この本を読む限り、どの短編も結末近くなると急激に話が展開しだす。あれよあれよと話が動き出し、いつしか終わっている。

ただ、前陣速攻というのはフォアもバックも同じように強くて速い打球を打てなければならないんだよね。ぼくらのまわりでバックハンドが難しいペンホルダーよりシェークハンドグリップが増えてきたのも、もとを正せば児童館のせいなのかもしれない。

2008年7月29日火曜日

井村順一『美しい言葉づかい』

今年の高校野球は記念大会とやらで出場校が例年より多い。埼玉、千葉、神奈川、愛知、大阪、兵庫の6県から2校出場するのだそうだ。というわけで上記6県は東西なり南北なりの区分けをして代表校を2校にしている。
決勝に進出した2校を第一代表、第二代表にすればいいんじゃないのっていう意見もある。ぼくもそうだ。それでも負けたチームも甲子園に行けるのはおかしいと主張する人もいて、世の中って難しいと思う。
この本は「フランス人の表現技術」という副題がついており、17世紀に現在の洗練されたフランス語の基盤ができたということを主テーマとして伝えている。サロンと呼ばれる会話を磨き、教養を育む場が盛んになり、その中から「美しい言葉づかい」が尊重されるようになり、ヴォージュラという人が『フランス語に関する注意書』という書を著した。そんな時代の話。
ヴォルテールの著書に『ルイ14世の世紀』があるが、普通の日本の市民としては、なかなか17世紀のフランスにはお目にかかれるものではない。そういった意味でこれは貴重な新書であると思う。



2008年7月25日金曜日

高山鉄男編訳『モーパッサン短編選』

高校野球西東京大会は今日準決勝。
第一試合は日大三対早実。2年前の決勝戦と同じ。日大三エース関谷をおそらく早実打線は打てないだろう、そんな試合運びだった。しかしだ。高校野球ってのはおもしろいもんだね。あれほど打てなかった早実打線が8回同点、9回逆転だもんね。びっくらこいた。両校とも元は港区赤坂と新宿区早稲田に学校があった。神宮球場は卒業生たちが大いに盛り上げたにちがいない。
第二試合は日大ニ対日大鶴ヶ丘。付属校どうしの一戦。昨年の秋から日大ニが強いので密かに注目はしていたのだが、どうもこのチーム、エースで4番のワンマンチームの印象がある。いわば個人技でここまでのしあがってきた、昔で言えば江川のいた作新学院か。いやいや、下手な評価はしちゃいけないな。
試合はシーソーゲームで鶴ヶ丘高校がサヨナラ勝ちしたようだ。
ところでモーパッサンってのはいくら外国の人とはいえ、子どもながらに変な名前だと思っていた。
短編の上手い作家とはよく言われているが、たしかにおもしろい。朝晩電車の中で2編、夜寝るとき1編。コンスタントに読みたい名手である。


2008年7月23日水曜日

湯本香樹実『春のオルガン』

子どもの頃、日本は卓球が強かった。
小学生のとき、名古屋で世界卓球選手権が開催され、テレビでも中継された。日本は前回の大会で伊藤繁雄が男子シングルスで優勝していたし、その前はシェーク一本差しという個性的なグリップで豪快なドライブを決める長谷川信彦が優勝していた。そのころ子どもだったのでよくわからなかったが、中国が世界選手権に参加していなくて、それでも定期的に開催される日中対抗戦では当時荘則棟という前陣速攻のおそろしくスピードのある選手が日本選手を打ち負かしていた。で、そうそう、少し思い出してきた。名古屋大会から中国が世界選手権に復帰したんだ。それで日本人選手による男子シングルス3連覇の前に中国選手が立ちはだかるものと予想されていたんだ。でも、結果はベンクソンというシェークを振り回すヨーロッパスタイルの選手が連覇をねらう伊藤を破って、何十年ぶりかでヨーロッパにタイトルを持ち帰ったんだ。
伊藤繁雄という選手は台から離れて豪快なフォアドライブを連打する選手で、ほとんどバックは使わない。たまにショートで返すことはあるけれど、とにかく右へ左へフットワーク巧みに動き回ってそのフォアハンドから強烈なドライブを打ち込んでいた。
ぼくらの卓球仲間はほとんどがペンのドライブ型をめざした。中には当時流行りだしたシェークハンドグリップでヨーロッパスタイルを模す者、円いペンホルダーに表ソフトラバーを貼って、前陣速攻を目指す者もいたが、主流派はなといってもペンのドライブ、伊藤繁雄のスタイルだった。それはぼくたちが体育館を使って卓球をするという環境的に恵まれていたせいもあった。
後に校庭開放日が少なくなるとぼくらの卓球場は児童センターとか児童館と呼ばれた区の施設になる。そこは当時東京からなくなりつつあった空き地や広場みたいな遊び場の代替品のような施設だった。

なんの話だっけ?
ああ、湯本香樹実の『春のオルガン』だ。
ぼくには姉がひとりいて、けっこうなついていた。自分でいうのも変だが、ずいぶん姉思いの弟だった。だからってわけじゃないが、ちょっとかしこくって、素直な弟が登場人物としていると、「これって、おれっぽくね」みたいな見方で読んじゃうんだよね。
それにしてもこの作者、じいさん書かせたら日本一だね。


2008年7月18日金曜日

エミール・ゾラ『居酒屋』

昨日の3回戦は素晴らしい試合だった。在学中から卒業してまで30数年、すべての試合を観てきたわけじゃないが、それでも30試合近くは観ているだろう。まさにぼくが観てきた試合史上最高の一戦だった。そして最後の一戦だった。
今日は注目の試合があった。昨年秋季新人戦の覇者にして選抜代表、なのに春季大会で初戦敗退し、ノーシードの関東一と春季大会の覇者、今大会第一シードの帝京が早くも3回戦で激突したのだ。先ほど高野連のサイトで結果を見たら、なんと第一シード帝京が敗れた。今日の空模様のように優勝争いに暗雲が立ちこめてきた。
で、なんの脈絡もなくゾラを読む。もともと新聞に連載された小説だそうだ。どうりで、各章ごとにちゃんと事件があって、連続ドラマのような盛り上がりがある。
思い出した。このあいだ読んだ『パリとセーヌ川』によって触発されて読もうと思ったんだ。


2008年7月16日水曜日

二宮清純『プロ野球の一流たち』

音楽プロデューサーのM君が腱鞘炎になってしまったそうで、しばらくは卓球の練習はお休み。
かわって野球。高校野球東東京大会が先週からはじまって、2試合を観戦。今年はぼくの出身校が来年には完全に中高一貫校に変わるため、3年による都立高校のチームと1、2年生による区立中高一貫校のチームと合同で出場している。これは学校名もシステムの異なるふたつの学校の合同チームだから、3年生と下級生とではユニフォームもちがう。まるで草野球を見ているようだ。とはいえ、1回戦、2回戦と勝ち進んで、レベルはそれなりに上がってきた。もう草野球ははるかに越えた。高校生ぐらいだとひと試合ごと、めきめきと力をつける。
次の3回戦にはシード校が出てくる。いよいよスタンドで都立高校の名を刻んだ校歌を聞くのも最後かもしれない。

二宮清純は、地に足の着いた本格派のスポーツライターだ。スポーツを大きくとらえる視野の広さ、畳みかける構成力もさることながら、インタビューの力がすごい。
こんど卓球でM君に勝てたら、ぜひインタビューされたい。

2008年7月8日火曜日

小倉孝誠『パリとセーヌ川』

テーマがちゃんとしていると本は読んでいて面白い。
著者はセーヌ川をパリ論の中心に据えて、歴史、旅、文学、映画、絵画とさまざまジャンルに飛翔し、セーヌとパリを顧みる。幅広い知識と読書量が支える仕事だ。
ぼくはどちらかといえば、フランスにもし旅できたとしても、パリにはよほど余裕がない限り、とどまるつもりはないと思っていた。それよりも見てまわりたい地方の村々がいくらでもあるからだ。でもこの本を読んで、まあパリにも3日くらい充てたほうがいいかもな、などと獲らぬ狸の旅程表を書き直してみたりするのである。

2008年7月6日日曜日

小川糸『食堂かたつむり』

小学校の1級上にIという者がいて、卓球だけは上手かった。 放課後や休日の校庭開放では、たいがい野球をするのだが、上級生に場所をとられ、行く当てのない下級生は体育館で卓球をする。そこには卓球だけ番長なIがいて、試合をする、というか無理やりやらされる。叩きのめされる。まともにラリーも続かず、あっけなく終わる。 そうこうするうち卓球番長も気づいたのだろう。こいつら下級生をレベルアップさせれば、放課後の卓球はもう少しましになるんじゃないかと。ある日を境にIはぼくたちにラケットの握り方、スイングの仕方、サーブの打ち方など基本を教えはじめた。素振りもさせられた。腕立て伏せをするといい、とかトレーニングのことまで伝授した。 ぼくらはIから何点かポイントを奪えるくらいには進歩した。 今にして思えば、ぼくの卓球はほぼ100%、Iから教わったものだ。
実は先週、音楽プロデューサーのM君から卓球をしようと誘われ、久しぶりにラケットを振ってきたのだ。おかげで先週はずっと筋肉痛だった。 そのM君から、おもしろかったですよとすすめられたのが小川糸の『食堂かたつむり』だ。なかなかオーガニックなお話で、結構なんじゃないでしょうか。途中までは梨木香歩の方向に行くのか、吉本ばななの方向に行くのかどっちかなと思っていたら、ややばなな方向でした。

2008年7月5日土曜日

アドフェスト2008展

汐留アドミュージアム東京。

危うく行きそびれるところだったアドフェスト展。昨日なんとか時間をやりくってTV部門を中心に見た。
アジアのCMは、ここ何年か、ものすごくパワフルだ。インドやタイのCMがカンヌで上位に入賞したりして、勢いを感じる。そんな中、日本の作品にもある意味、勢いが戻りつつある。
ここのところ国際的な広告賞では常連となりつつあるエステワムのBeauty Bowling(Silver)などは、これまで以上にハチャメチャだ。カルピスソーダのThe Kind Boy(Blonze)あたりは日本的なギャグかと思えるが、サントリー胡麻麦茶のFireman(Blonze)あたりになるとかなり東南アジアな発想といえるだろう。いずれも商品と広告メッセージをできるだけ薄く繋ぎとめることで表現の自由度を増している。
日本の2作品がGoldを受賞したが、一本はリクナビの山田裕子の就職活動篇。リクルート学生をなぜかスポバで応援するサポーターがいて、そのばかばかしさと熱さが絶妙に面白い。
もうひとつはマクセルのDVD。記憶にとどめておきたいことはマクセルのDVDでという一連のCMシリーズの中のバリエーション。廃校となる小学校のカウントダウンを映像にとどめるというドキュメンタリータッチの佳作。
都市化=農村の過疎化に加え、少子化という現代日本の問題を見事に浮き彫りにして見せており、そんな社会性のあるメッセージが審査員にも届いたのだろうか。とはいうものの、こうした問題提起はCMでできても、それらの解決に向けて、CMは何ができるのだろう。広告ってまだまだ無力のような気もするのだ。


2008年7月3日木曜日

杉浦日向子とソ連編著『ソバ屋で憩う』

犬か猫かという嗜好の問い方があるのと同じくらい明快な区分けの仕方としてそばかうどんかという問いかけがある。もちろん迷わずそばである。
昼間ちょっとした隙をねらって、そば屋に行って、熱燗とかまぼこを注文する。これぞ至福のひとときである。
銀座界隈なら「よし田」、「さらしなの里」、麻布界隈なら「永坂更科布屋太兵衛」、「堀川更科」、赤坂界隈なら「赤坂砂場」、「虎ノ門砂場」、上野界隈なら「並木藪」、「池之端藪」、神田界隈なら「まつや」、「室町砂場」、「神田藪」、「一茶庵」、荻窪界隈なら「本村庵」、「鞍馬」…。

ぼくの中でそば屋は大きく分けて、
◆伝統系…いわゆる老舗で昼夜自在に酒が呑める
◆ブティック系…こだわりの店主がひとり黙々とそばを打つこじんまりとしたそば屋
◆町そば系…出前をしてくれる町のおそば屋さん。オフィス街や駅に近いと夜居酒屋になるところもある
◆立ち食い系…いわゆる立ち食いそば
となるのだが、案外いけてないのが、ブティック系。伝統系のそば屋で修行の末独立した店もあるが、中には脱サラして独学で店を立ち上げたケースも多い。だいたいからして値段が高く(もり・かけで700円以上)、突飛なつまみがある(そば屋のつまみは本来そばのトッピングを加工したものであるべきだ)。そんなわけでぼくが行くそば屋はおのずと伝統系になるわけだ。

町そば屋にも隠れた名店がある。半蔵門駅に程近い「麹町長寿庵」は出前で食べてもうまいそば屋だ。夕方はやめに店に行くと紋付を着た人がそばをすすっている。国立劇場の出演者が出番前に腹ごしらえをしているのだ。
赤坂見附駅近く「赤坂長寿庵」もいい。鴨せいろならここに限る。

現時点でぼくがいちばん好きなそば屋は西荻窪の「鞍馬」で、いちばん行ってみたいそば屋は山形の「萬盛庵」だ。
まあ、そば屋の話をしだすときりがない。つづきはこの本でお楽しみください。


2008年6月30日月曜日

山田祐介『レンタル・チルドレン』

仕事場のプライバシーマークの現地審査があって、改善点が送り返されてきた。プライバシーマークの認証を更新するには社内に個人情報保護の意識を恒常的に植えつけていかなければならず、日々やっかいなエビデンス(記録)をこまめに残させなければならない。
ぼくの仕事場は25人ほどの小さい事務所なのだが、協力的な人もいれば、まったく無関心な人もいる。いちばんやっかいなのは関心がありそうでいて、協力的な態度を装って、実はまったく協力的でないという輩だ。大概の場合、そういう人たちは個人情報保護のためのマネジメントシステムなんぞほとんど理解していない。そしてその手の人間には本を読まない者が多い。成毛真が本を読まない人はサルだといっていたが、サルだって字さえ読めれば本は読むだろう。より正しく表現するならば、「サル未満」というべきではないか。

また山田祐介を読んでしまった。
ちょっと難しい本を読んでいたので息抜きしたかったのだ。これも簡単な本だから、多少のはちゃめちゃさ加減には目を瞑って、とりあえずひまだから怖がりたいなあと思ったときに読むといいだろう。

2008年6月28日土曜日

ミシェル・アルベール『資本主義対資本主義』

中学生の頃は建築家になりたいと思っていた。
高校生になって、いくつかの教科でその方面に進学することが甚だ困難であるとわかって、文科系に転進した。勇気ある撤退だ。
そこで考えた。
文科系といっても何学部に行けばいいのか。そもそも工学部建築学科、みたいな具体的過ぎる目標イメージがあった割には、文科系学部に関してはほとんど無知で、いろいろまわりに訊いてみると法学部、経済学部、商学部、文学部などがあるらしい。今も大して進歩していないが、当時、世の中のことって複雑で面倒に思えたので、法律とか経済って難しいのだなと敬遠した。結局小学生の頃、よく先生に作文を褒められていたことを思い出し、文学部をめざすことにした。

そんなこんなでいまだに経済とかビジネスに関する本はほとんど読まない。この『資本主義対資本主義』は、たまたま先日読んだ成毛真の『本は10冊同時に読め!』の中でもっとも感化された本の一冊として紹介されていたので興味をそそられたのだ。
今は市場経済が世界の大きな潮流になっているが、そのきっかけとして著者はレーガン、サッチャー政権の税制改革をとりあげている。とはいえ、ヨーロッパにはヨーロッパの資本主義があり、アメリカを中心としたアングロサクソン型(さらにはネオアメリカ型)経済とヨーロッパを中心としたアルペン型(さらにはライン型)経済とに資本主義を細分化し、冷戦時代には模糊としていた資本主義の系譜を明快にして論をすすめるあたりは面白い。
著者はフランス人だが、大きくドイツ対アメリカという図式を用いながら、フランス資本主義のアイデンティティを問い直すというのが本旨なのだろう。思うに、本書の資本主義のベースにあるのは工業化社会である。工業主体の産業構造のみ着目したならば、日本もドイツも国土や資源の問題を考えると国家的プロジェクトで工業化社会が生後復興の第一義であったろう。フランスをはじめとしたラテンの国々やさらには中南米、アフリカは必ずしも資本主義=工業社会ではない。農業や水産業も含めて資本主義を問い直すとき、さらなる軸が見出せるような気もする。

翻訳はおそらく原文忠実になされているのだろう。機会があれば原書と見比べたいところもあった。翻訳というより同時通訳に近いのでワールドニュースの原稿を淡々と読むような気分で読んだ。
よく翻訳もので気になるのは、縦書きなのに「上に書いたように」とそのまま訳されていたり、原書が執筆された時点が明快でないまま「○○年前」みたいな記述をそのまま訳出していることだ。大学院の授業ならそれでよいだろうが、出版物とするなら配慮が必要だ。


2008年6月23日月曜日

松岡正剛『知の編集術』

本書の中で懐かしい名前を見た。
湯野正憲。
高校時代の体育の先生で日本でも有数の剣道の大家だと聞かされていた。いちど担当の、やはり剣道部の顧問をしていたM先生が休んだとき、ピンチヒッターで授業をしてくれたことがある。当時にしてすでにかなりのご年配で、当然のことながらいきなりみんなで走りまわったり、ボールを蹴りだしたりなどという授業ではなく、先生のお話をありがたく頂戴するという、ちょっと風変わりな体育の授業だった。
湯野先生は若い頃からスポーツ万能であらゆる競技に取り組んでいたのだが、あるとき剣道の師匠からそろそろ剣道一本にしぼって、その道を極めるべきだと叱責され、以後剣道一筋に生きたという。また、海に行っても、決して遮二無二泳いだりなどせず、仰向けになって波にたゆたっているだけなんだそうだ。そうして無の境地になると自ら呼吸をしなくとも、自然と空気が体内に入り、自然と体外に出てゆく。「鳴らぬ先の鐘」ではないが、先生はこうして心を静め、鍛錬を積み重ねてきたのだろう。かれこれ30年前の記憶なのであまり頼りにはならないが、そんなようなことを話してくれた。

松岡正剛は編集工学研究所を主宰している知の巨人である。氏の「千夜千冊」はぼくにとってはバイブル的存在で一冊の本から、自分の知や読書や経験を結びつけていく闊達な語り口はあこがれの的であった。ぼくが読んだ本に失礼のないように謝意を記録する試みをはじめたのも氏のサイトの影響が大きい(まあそれこそ雲泥の差というのはまさにこのことを言うのであろうが)。
著者の論旨が明快で動的に感じるのは、おそらく個々の編集技法やさまざまな方法に適切なネーミングを施しているからなのだと思った。新書だからと軽く読んでしまった。もう一度きちんと読み直す必要があると思う。
こんな知の世界がすうっと身体の中に入ってきたら、痛快だろうな。