2018年11月15日木曜日

ウィリアム・フォークナー『八月の光』

高校のクラス会があった。
3年から5年くらいの周期で開催されている。以前はあまり顔を出していなかった(部活の先輩後輩たちとの集まりと日程的にかぶることが多かった)が、最近は出席するようにしている。
教室にいつもいて、同級生たちと話し込むというタイプでもなかったし、目立つ方でもなかったので卒業してからはじめて話をしたという者も少なくない。そのせいか「今、なにをやってるの?」「学校の先生になったんじゃなかったの?」と訊かれる。会うたびに訊かれる。何年か前にもそんな話したよね、みたいな話をくりかえされる。卒業して10年かそこいらだったら、進学した大学と就いた仕事にギャップがあればそんな疑問も持たれるだろうが、もう40年も過ぎてなんでそんなことを訊ねるのだろう。
はじめのうちは広告会社でデザイナーをしている親戚がいて…などとそれなりにきちんと話していたのだが、最近ではまともに答えるのもつまらないだろうと思い、うちの家訓はこうだからとか、大学4年のとき枕辺に宇宙人があらわれてだとか適当に答えるようにしている。
どうせまた次回会ったときに訊かれるんだから。
フォークナーを何冊かまとめて読んだ時期があった。『怒りと響き』『サンクチュアリ』そして『八月の光』だ。残されているメモによると(ご丁寧にも読んだ本の著者名題名はノートに書いてあった)30数年前になる。
今年の5月に光文社の古典新訳文庫で刊行された。当初8月に読もうと思っていたのだが、『跳ぶが如く』や『西郷どん』を読んでいたせいで遅れた。
読んでも読んでも昔読んだ記憶が呼びさまされない。立ち止まって思い出そうと思っても、よみがえってこない。もしかしたら今回初読なのか。それならそれでかまわないのだが。たしかにスタインベックやヘミングウェイらとくらべるとフォークナーは少し複雑で難解だ。
20代半ばの若造の記憶にはなにも残していかなかったのである。

0 件のコメント:

コメントを投稿