2007年7月8日日曜日

6月19日アルル~フォンヴィエイユ~マルセイユ(1)

世界遺産の旅二日目。
前日スーパーで買い込んだパンとハムとコーヒーで朝食をすませ、駅に向かいます。めざすはアルル。案内表示通りのホームで待っていたら、どこからか列車がやってきて、ずっと止まっています。が、行き先がマルセイユ行きではありません。マルセイユ行きはいつ来るのかとどきどきしながら待っていたら、発車直前にホームの表示が変わって、マルセイユ行きに。はやく来て待っていたわりにはあわてて乗り込んで、冷や冷やものです。
アルル駅には40分ほどで到着。駅を降りて歩き出すとすぐに石造りの建造物が見え隠れし、世界遺産のにおいがぷんぷんします。

まずはお目当ての円形闘技場へ。ここも古くて大きくて石です。今でも闘牛が行われているそうです。客席のいちばん高いところから見渡すプロバンスの街並みと山並みは圧巻です。その下をローヌ川が静かに流れています。

続いて古代劇場、市庁舎、サントロフィーム教会と見て、ゴッホの絵でおなじみのカフェ・ヴァン・ゴッホへ。一応お決まりのアングルで写真を撮りました。あと共同浴場を見て、モノプリでビールを買って駅に戻りました。アルルは観光名所がまとまっているため、非常に効率よく見てまわることができます。9時過ぎに着いて、1時間半ほどの散策でした。

11時10分にフォンヴィエイユに行くバスが来ます。フォンヴィエイユにはドーデの『風車小屋だより』の舞台となった風車があります。早起きしたご褒美にとバスに乗り込みました。バスに乗って30分ほどでフォンヴィエイユに到着。降りるときに近くに座っていた老夫婦が風車小屋に行くには右に行くんだよと教えてくれました。厳密にいうとそんなに明瞭に聴きとれたわけではなく、<ムーラン>と<ドロワット>が聴きとれたのでたぶんそう言っているんだろうと推測しただけです。

バス停から歩くこと15分ほどで赤い屋根の風車小屋が見えてきました。まわりには何もありません。あるのは風車小屋だけです。圧倒される何もなさです。のどか過ぎる光景です。20分ほどぼんやり過ごして、バス停に戻りました。
さてアルルで時刻表を見たときには13時10分発のバスがあって、これに乗れば13時48分のマルセイユ行きに乗れると思っていたのですが、帰りのバス停で時刻を見ると次は14時10分となっています。ちょっとショックです。とりあえずお昼でも食べて、そのお店でタクシーを呼んでもらおうと考えました。下手にしゃべってわからなくなるより、紙に書こうということになって、《Appelez nous le taxi pour Arle, SNCF.》とメモ用紙に書いて店員に見せたら、どうやら通じたようす。後で考えると《le taxi》ではなく《un taxi》ですね。とはいえ、お昼時のせいかタクシーはなかなか来なくて、13時半ころようやく到着。チップを多めに払って店を出、タクシーでアルルに向かいました。
が、しかしアルル駅に着いたのは13時50分過ぎ。アルル駅は閑散としていました。

6月18日オランジュ~アビニョン(2)

オランジュはアビニョンサントル駅から20分ほどのところにあります。駅は小さく、また駅前も静かな佇まいです。めざすはローマ時代の古代劇場。

駅前の道を15分ほど歩くとすぐに見えてきました。巨大な石のかたまりです。35ミリのレンズでは引き尻が足りません。劇場の客席側がサントゥロップの丘と呼ばれる小高い丘になっていて、さっそく登ってみました。オランジュの街が一望できます。もちろん古代劇場も眼下に見えます。舞台の壁面にある像はアウグストゥスです。ローマの征服者たちはこうした劇場や闘技場を次々につくっていったんですね。
市庁舎や広場を見て、駅に戻ります。オランジュには古い凱旋門もあって、やはり世界遺産に登録されているのですが、ちょっと遠いこともあり、午後の残りの時間をアビニョンの観光にあてることにしたのです。
ところが駅に行く途中、時刻表を見てみると1時間半以上待たされることになります。アビニョンで泊まるホテルもさがさなければなりません。どうしたものかとしばし考え、長距離バスターミナルに向かうことにしました。もしかしたらアビニョン行きのバスがあるんじゃないかと思って。
来た道を引き返して地図を頼りにバスターミナルへ行くとアビニョン行きのバスが止まっていました。ちょうど出発するところだったのです。なんとかすべりこんで40分ほどのバスの旅。無事アビニョンに戻ることができました。

アビニョンに着いてホテル探しです。KK氏のおすすめは駅から近いホテルモンクラール。親切な日本人のスタッフがいてアパルトマンタイプの部屋を見せてくれました。キッチン付き、シャワー付きで1泊90ユーロ。3人で泊まるなら安いもんです。で、即決。部屋で少し休んで、アビニョン観光に出発しました。

まずは法王庁宮殿を見て、サン・ベネゼ橋を見て、オペラ座や市庁舎も見て…とお決まりのコース。この一帯がアビニョン歴史保存地区と呼ばれる世界遺産であります。とりわけ法王庁はその巨大さと壁面の質感に圧倒されます。

城壁の外を歩いて遠くからサン・ベネゼ橋を見てみたいと思ったのですが、あいにくの雨。城壁内をくまなく散策して、はやめの夕食をとって、本日の行程は終了としました。


6月18日オランジュ~アビニョン(1)


今回の旅行でいちばん行きたかったのが、アルルやアビニョンなどプロバンス地方の世界遺産めぐり。トーマスクックの時刻表や観光ガイドを駆使して入念に計画を立てて望んだつもりなんですが…。
アビニョンTGV行きの列車を前日のうちに購入。7時過ぎにカンヌ駅に着いてホームへ。列車を待っているとどうやら番線が変更したようす。みんなぞろぞろと移動をはじめる。遅れまいとぼくとYK氏、KK氏も移動すると、やってきました、TGV。でも待っていた列車よりも編成が長い。とりあえず乗り込んで座席指定の場所に移動しようとするもどっちにいけば何号車なのかさっぱりわかりません。そうこうするうちまあ空いてる席に座って乗務員が来るのを待つことに。で、車内のアナウンスを聞いてみるとどうやらパリ行きだと言ってます。列車番号も違う。カンヌ駅で列車を待つ緊張が徐々に解けてきて、少しはリスニング能力が高まってきたようです。
ぼくらが乗りたかったのは7時34分発のリヨン行き、列車番号は6854。でも乗っている列車はどうやらパリ行き。時刻表を見るとカンヌ発7時39分、列車番号6172。どうやら後から来るはずのパリ行きが先に来てしまったようです。あるいはカンヌで番線が変更になったのはパリ行きだけで、リヨン行きは予定通りのホームに到着したのかもしれません。
こんなことは海外旅行にはつきものだし、どうやらパリ行きのほうが、マルセイユに停車せずにTGV専用線に入るため、リヨン行きより20分はやくアビニョンTGVに着くようです。そう思って、そのまま乗っていようと思ったのですが、ツーロンで大勢乗って来そうなのでいったん降りて、次に来るはずのリヨン行きに乗り換えることにしました。ところがどういうわけかリヨン行きはもう隣のホームに停車していて、駅員の指示であわてて乗り換えるはめになりました。なぜカンヌで後から出たTGVがツーロンに到着していたのかは謎だ。
いきなりいろんなことがありましたが、10時半に無事アビニョンTGV駅に到着。途中エクサンプロバンスを過ぎたあたりで車窓からサンビクトワール山が見えました。セザンヌの絵で名高い山です。


アビニョンはTGV専用線の駅と在来線の駅が離れています。市街は在来線の駅アビニョンサントル駅の間近にあり、TGV駅で降りるとシャトルバスで移動となります。
アビニョンは周囲をぐるりと城壁で囲まれた街です。シャトルバスを降りて、ぼくたちがまず向かったのが、長距離バスターミナル。ポン・デュ・ガールというローマ時代の水道橋を見に行くためのバスをさがしに行ったのです。ところがポン・デュ・ガールへ行くバスは一日数本しかなく、午後のバスに乗ったら、半日をそこで過ごさなければなりません。
ということでものわかりよくあきらめ、お昼を食べて国鉄でオランジュに向かいしました。


2007年7月6日金曜日

6月17日カーニュ・シュル・メール~アンティーブ

カンヌ三日目。
日曜日は休む店が多く、比較的街は静かです。
今日はまた列車に乗って、カーニュ・シュル・メールという街を訪れました。フランスには方々に鷲巣村と呼ばれる山岳都市があります。山の上に城塞を築き、その中に街をつくっています。ニース近郊ではエズやサン・ポールが有名ですが、カンヌから近くて列車で行ける手ごろな鷲巣村がカーニュ・シュル・メールから程近いオー・ドゥ・カーニュです。

国鉄駅は高速道路沿いの寂しい場所にありますが、歩いていくとすぐに商店が連なって、日曜にもかかわらずちょっとした賑わいを見せます。まずはひたすら歩いてルノワール美術館をめざします。市街地を越え、少し小高くなった丘の中腹あたりにあり、けっこう息が切れました。ここは晩年のルノワールが家族と住んだ家だったそうで往時のアトリエなどがそのまま残されています。
隣接するお土産店で絵の具のチューブから絵の具がはみ出ている、長さにして3センチくらいのアクセサリを見つけました。色数も30色くらいあるでしょうか。いくつか選んでリングにぶらさげるようです。チューブが1個5ユーロ。子どもたちのお土産はこれかなと思ったんですけど、何色か選んでセットにするとかなり高価。絵の具ひとつづつでもいいかなとは思ったり、あれこれ迷って結局やめた(ちょっと後悔もしてる。今回の旅行で悔いが残るとすればやっぱりこれかな)。

ルノワール美術館を後にしてオー・ドゥ・カーニュへ。急な坂道を息を切らしながら登ること20分ほど。石畳の道の両脇にレストランやホテルがあります。こんなホテルに泊まったらとても健康的です。ようやくたどり着いた頂上には大きな城、グリマルディ城があって、その前が広場と展望台。レストランやお土産店もありました。
帰りは路地を歩いてみました。狭い路地が迷路のように入り組んでいて、昔宮崎アニメで見たような気がする不思議さです。しかもひとつひとつの路地にもちゃんとなんとか通りと名前が付いています。フランスってどんな道にも必ず名前が付いているって聞いたことがあります。通りの名前と数字が住所になるらしいんです。

急坂を転がり降りるようにして駅に戻りました。このあたりから少し雲行きが怪しくなってきました。後でわかったことですが、駅前からオー・ドゥ・カーニュまでは無料のバスが往復しているそうです。どうりで山頂のレストランにも大勢の観光客がいたわけです。さてカーニュ・シュル・メール駅からカンヌ行きの列車に乗って次なる目的地アンティーブに向かいます。アンティーブは3年前にも訪れた街ですが、駅に着いたときにはどしゃ降り。コートダジュールで見るはじめての本格的な雨です。

小一時間ほど駅前のカフェでサンドウィッチを食べながら雨宿りしてから、駅の北にあるフォル・カレという城塞に向かいました。16世紀につくられた巨大な城塞で周囲をまわって、写真を撮り、続いて旧市街に。日曜にもかかわらず観光客も多く、また飲食店や食料品などの店も多く開いていてまずまずの賑わいです。市場を見て、改修工事中のピカソ美術館を見て、城壁の上を歩きました。

明日はちょっと遠出するので今日は早めに切り上げ、カンヌに戻りました。

6月16日ニース

カンヌ二日目。
本日午前中はニース観光にあてました。国鉄カンヌ駅からニース・ヴィル駅までは列車で40分ほど。
ニースはカンヌよりもさらに巨大なリゾート都市で、広大なビーチはもちろん、美術館や歴史遺産にも富んでいます。お店もお土産店からスーパー、デパートまでたくさんありますし、観光地ならではのブティックはもちろん旧市街には市場もあります。純粋にリゾートを楽しむということであれば、やはり拠点として定める街だと思います。
ぼくは前回もニースは訪れているので今回は初ニースとなるYK氏、KK氏の案内役としてマセナ広場から海岸沿いを歩いて展望台に向かいました。古い城跡が展望台になっています。
昼食はたまたま長距離バスターミナルの近くですませたので、そのままバスでどこかに行ってもよかったのですが、長旅の疲れもあり、早めに退散となりました。
カンヌにもどって国際広告祭のエントリー手続きをしました。IDカードをもらい、これで会場への出入りが自由にできるようになりました。


6月15日カンヌ到着

南仏カンヌで毎年6月国際広告祭が開催されます。3年前(2004年)にも視察に行っているのですが、今年も視察ツアーに参加しました。
6月15日早朝に成田に集合。午前中のルフトハンザ便でフランクフルトを経由してニースに向かいました。人数的にはかなり大きなツアーで現地で泊まるホテルごとにニース行きの便が異なります。ぼくの乗ったニース行きはフランクフルト着後1時間半後に出発する過密スケジュール便。ただでさえヨーロッパでいちばん大きいといわれるフランクフルト空港で道に迷いそうになりながら、なんとか入国審査、手荷物チェックを受け、ぎりぎりセーフでした。
ニース空港に着いたのが現地時間で17時半。日の長いこの時期のヨーロッパでは夕方というより、日本でいえばいちばん暑い時間帯です。原色の光の中、一路バスでカンヌのホテルに向かいました。


ホテルはSNCFカンヌ駅にも国際広告祭の会場であるパレフェステバルにもどちらも程近い距離にあるホテルグレイダブリオン(フランス語っぽくいえばオテルグレダブリオンってとこでしょうか)。星は四つでなかなか大きなホテルです。

ゆっくりする間もなくさっそく買い出しに出かけました。ホテルからモノプリというスーパーマーケットまでは歩いて5分ほど。とりあえず必要な水やビール、そして<51>というラベルのパスティスを1本買いました。ミネラルウォーターはどこででも買えますし、駅には自動販売機もありますが、やっぱりスーパーで買った方が安いですし、硬水より軟水のほうがいいなどといった好みがある場合、選択肢も広いです。

続々とツアー団がカンヌ入りして、レストランにも大勢の日本人が見られます。本日は竹園飯店という中華レストランで餃子と焼きそばというまるで南仏コートダジュールっぽくないディナーでした。

2007年6月15日金曜日

坂崎幸之助『坂崎幸之助のJ-POPスクール』

2002年にザ・フォーク・クルセダーズが再結成され、そこに坂崎幸之助が加わった。その頃オンエアされていたラジオ番組をベースに書かれたのが本書でそれまでのぼくの坂崎観は一変した。
アルフィーの坂崎幸之助は実のところあまり好きではなかった。小生意気な文化部的風貌、アイドルフォークという中途半端なポジション。音楽も見た目も苦手なタイプだった。
本書を読みすすめるうちに、彼がフォークソングをこよなく愛する少年だったことがよくわかる。その多感な彼の青春時代、ぼくはといえばまだ小学生だったが、姉の影響で吉田拓郎や赤い鳥を聴いていた。多少の年齢差を度外視すれば同時代を生きていたということになる。
この本は題名のとおり、講義形式でザ・フォーク・クルセダーズ、岡林信康、五つの赤い風船、吉田拓郎、ガロ、古井戸、はっぴいえんど…と続いていく。その講義の合間にアルフィー誕生にいたる坂崎自身の半生が語られる。日本の音楽シーンでフォークソングからニューミュージック、J-POPに至るまでの変遷をたどると、コピーフォークの時代から作家主導の日本的フォークを経てシンガーソングライターの時代へと形が変わってくる。楽曲は70年をピークに反戦ソング、メッセージソングが栄え、72年の吉田拓郎以降大衆化に向かうといった流れが、坂崎の視点で語られるのがなんともわかりやすい。
実はこの本を読んだのは発行された2003年。本棚を整理していたら出てきたのでもういちど読んでみた。フォークはやっぱり、いい。



2007年6月14日木曜日

アドフェスト2007展

汐留アドミュージアム東京。

アドフェストがはじまって10年。その爆発的なクリエーティブがカンヌなど西欧の舞台でも評価され、いまやクリオ賞と並ぶプレカンヌの様相を呈してきた。
今年も3月タイのパタヤで開催され、その入賞作品がアド・ミュージアム東京で紹介された。
TVCMのグランプリにあたるTHE BEST OF TV LOTUSはトヨタ自動車の企業広告Humanity。これは昨年のカンヌでも高い評価を得たので多くを語る必要はないだろう。
今年際立ったのはインドのHappydent Whiteという歯を白くするガムのCM。アイデアとしてはありがちかもしれない、歯の輝きで暗闇をも照らすというもの。ゴールドを受賞した。おそらくはそのスケール感とかばかばかしさが評価されたのだろうが、ぼくは階級差別的な後味の悪さが気になった。神経質になりすぎているだろうか。
毎年突飛なアイデアで驚かせてくれるタイのCMではShera Flexy Boardという天井材がシルバー、小銭も払えるSmart PurseというショッピングカードのCM、そしてさがしものはYellow PagesでというCMが同じくシルバーだった。昨年のグランプリSmoothEも残念ながらシルバー。昨年一昨年ほどのパワーはなかったという印象だが、着実に上位入賞作品の常連になっている。
トヨタ、Happydent Whiteともうひとつのゴールドがオーストラリアの公共広告。子どもは大人を見ていて、その真似をしますよというCMでキャッチはChildren See,Children Doという恐怖訴求もの。
日本からの出品では高橋酒造の白岳15秒が12本シルバーに輝いた。15秒のシリーズはいかにも日本的だ。もうひとつソニーマーケティングのウォークマン/ネットジュークがTHE BEST OF EDITINGを獲得している。
今年は昨年のワールドカップに連動したNIKEのCMなどオーストラリアの躍進が目立ち、アジア的な広告と欧米的な広告が競い合うかたちになったように見える。アジアの広告が今後さらに世界の広告としのぎを削るためには、あまり欧米に引きずられることなくアジア独自のスタイルを突き進んでいくことが大切だと思う。


2007年6月6日水曜日

コピー07TCC広告賞展

汐留アドミュージアム東京。

今年のTCC(東京コピーライターズクラブ)グランプリはサントリーBOSSの宇宙人ジョーンズ。このCMは缶コーヒーというカテゴリーの中だけでなく、広く広告表現として新しさを感じた。宇宙人ジョーンズさえいなければなんてことない日常。その舞台が広告のビジュアルとして新鮮に見せられたことが勝因だろう。
TCC賞の中ではやはりサントリーの黒烏龍茶(ポスター)。「中性脂肪に告ぐ」というシンプルなコピーが王道的な食シーンと相俟って、商品を一気に定番化したように思える。
それとリクルートのリクナビ、山田悠子の就職活動篇(TVCM)。就職活動の当事者ではとっくにないのに、やたらと共感できてしまう。
審査委員長賞のニューバランスジャパン「たいていは、抜かれる。ときどき、誰かを抜く。景色のいい場所では、歩くこともある」、リクルート商品オープン告知「知名度だけは一流の会社で働くより、知名度だけが二流の会社で働きたい」、アースデイ・エブリデイeco japan cup 2006「エコロジーで大儲けする人がいないと、環境問題なんて解決しない」はいずれも秀逸なコピーで審査委員長のチョイスを評価したい。
最高新人賞はユニロードという作業着屋のポスター。「作業着で定食屋に入ったら、ごはんを大盛りにしてくれた」、「作業着で覚えた仕事は、忘れない」などコピーの背後にある企画(ストーリー)がしっかりしている。新人賞は「国の名前は、だいたいスポーツで覚える」とか「46歳じゃない。高校31年生と呼んでくれ」などやはり企画がしっかりしていてこそのコピーが多かった。
多様なメディアを駆使する広告が増えている。表現媒体にとらわれないベースとなる企画の重要性があらためて認識された結果が今年のTCC賞ではないだろうか。


2007年6月5日火曜日

伊藤真『会社コンプライアンス-内部統制の条件』

東京六大学野球がいつにない盛り上がりを見せ、終了した。
今季は斎藤祐樹の活躍もさることながら、後半復調した慶應加藤、3本塁打の佐藤翔など将来楽しみな選手が相応の活躍をした。首位打者は田中幸が逃げ切るかと思ったが、早慶戦の連打で細山田が逆転。1年春からレギュラーの上本も久々に3割をマーク。なんとか高田繁の安打数記録に迫ってほしいものだ。
とまあ野球はともかく、今やコンプライアンスの時代。会社勤めするものとしては少しでも学んでおいたほうがよかろう。というわけで本書。
著者は憲法に造詣の深い方と見えて、コンプライアンスの基本は憲法の精神、みたいなことを頻繁におっしゃる。
それはそれでけっこうなことなのだが、ちょっと難しく感じてもしまうのだ。
とはいえ、アメリカでつくられたサーベンス・オックスレー法(SOX法)がベースになって日本で新会社法やJSOX法がつくられて…みたいな話はそうした知識がなさすぎるものにはじーんと骨身に染み入るのだ。
さて著者も述べているが、日本はヨーロッパ的社会民主主義的な社会とアメリカ型の新自由主義的、自由競争型社会の両方の影響を受けたといわれるが、ここのところ日本は後者の勢力が強くて、なんとも住みづらい世の中になっているような気がする。そういえばフランスの新大統領もアメリカ型をめざしているとか。日本的ななあなあさは決してほめられるものではないけれど、かといって杓子定規な緊張関係もいかがなものかと思うのだ。


2007年5月19日土曜日

藤井青銅『ラジオな日々-80's RADIO DAYS』

たぶん今まででいちばんラジオを聴いていた時期は中学生の頃で、ニッポン放送の『大入りダイヤルまだ宵の口』を欠かすことはまずなかった。メインパーソナリティは秀武改め高嶋ヒゲ武で、その後くり万太郎に交代するころから、徐々に聴取時間は深夜になっていく。
住んでいた場所のせいでニッポン放送はよく入った。TBSはちょっとノイズが多かったが、まあなんとか快適に聴こえた。土曜日の『ヤングタウン東京』を毎週楽しみにしていた。文化放送になるとかなり聴き取りにくく、夜間だとむしろ名古屋のCBCやモスクワ放送の方が感度は良好だった。谷村新司の『セイヤング』を聴くのは必死の作業だった。
正確には思い出せないけれど、ちょうどその頃が70年代なかば。著者藤井青銅がラジオドラマをきっかけに放送作家になるのが79年だから(つくり手と聴き手の関係で言うのも恐縮だが)、ぼくが卒業した頃、著者はラジオの世界に入学してきた言わば「入れ違い」ということかもしれない。70年代の終わりに大学生になって、部屋でずっとラジオを聴くことも少なくなった。
この本の舞台は80年代前半。こうして読んでみるといろんなことがあったんだなと思う。ぼくはただひたすらぼんやり過ごしていた。


2007年5月13日日曜日

浅田次郎『月島慕情』

銀座2丁目でサラリーマンをしていた時期があり、昼時の蕎麦といえば、昭和通りを渡って、長寿庵の鴨せいろ、晴海通りを越えて、よし田のおかわりつき天せいろがメインだった。仕事場からいちばん近いのは利久庵で店内は蕎麦屋というより、往年のモダンな食堂といった味わいがあって、それはそれでよかったんだが、なにぶんここは出前をしてくれるので、時間がないとき、手が離せないときはもりとおにぎりを持ってきてもらう。そういうわけでわざわざ蕎麦屋に行くなら、少し遠くでも長寿庵、よし田となってしまうわけだ。
今年のはじめ、夕方小腹が空いたので、たまたま通りがかった利久庵でもりそばを食べた。どちらかというと好きではない更科系の白い蕎麦なのだが、やはり長年培われたうまさがある。汁も濃く、強い。
これが利久庵最後の蕎麦だったと知ったのはその後。3月で店を閉めたのだそうだ。

利久庵の程近く、かつて尾張町と呼ばれた交差点から晴海通りをまっすぐ東に向かい勝鬨橋を渡るとそこが月島だ。

浅田次郎の『月島慕情』にこんなくだりがある。

「深川から相生橋が一本じゃ、不便には不便だがね。築地へは渡しのポンポン蒸気しかないけど、近いうちに銀座の尾張町からまっつぐ延びる道に橋を架けて、ぐるりと市電も通すそうだよ。そしたらあんた、銀座も浅草もちょいの間で、東京で一等便利なとこになる」

今でこそ月島は銀座にいちばん近い下町だが、かつては東京湾の埋め立て地の中でもいちばん不便な場所だったわけだ。
まあそれはともかく、浅田次郎を読むのは『鉄道員』以来。
佐藤乙松の

「--あんたより二つも三つもちっちえ子供らが、泣きながら村を出てくのさ。そったらとき、まさか俺が泣くわけいかんべや。気張ってけや、って子供らの肩たたいて笑わんならんのが辛くってなあ。ほいでホームの端っこに立って、汽車が見えなくなってもずっと汽笛の消えるまで敬礼しとったっけ」

という台詞には泣かされたなあ。
でもこの短篇集も相当いい。どれをとっても素晴らしい大人のおとぎ話だ。

2007年5月9日水曜日

山田真哉『食い逃げされてもバイトは雇うな』

大型連休最後の日曜日が雨で東京六大学野球の試合が順延になった。ひょっとすると早稲田の斎藤祐樹の先発もあるかと思い、打合せ前の空き時間に神宮に出向いた。慶應のバッティング練習のような第一試合が終わり、さて第二試合は立教対早稲田。ブルペンでは左腕の大前が投げていて、斎藤と福井がノックの手伝いをしていた。というわけで先発は大前。昨年春の早慶戦以来の登板(私の記憶が定かであれば…)。
今春はやたらと学生野球が取り沙汰されているが、斎藤だけでなくどこも新入生のレベルはまずまず高い。とりわけ早稲田は昨年2枚看板宮本、大谷が卒業したこともあって、若い投手陣が切磋琢磨している印象が強い。
で、本日読み終えたのは山田真哉の『食い逃げされてもバイトは雇うな』。『さおだけ屋』に続く会計の本である。前作同様世の中の不思議を会計という視点で読み解く本で、今回はさらに「数字にうまくなる」というキーワードで最終的には決算書の見方まで導いてくれる。
神宮には2時過ぎくらいまでしかいられなかったのだが、大前は3ランを打たれ、2番手の松下が勝ち投手。斎藤は8,9回をリリーフしたらしい。細山田のスクイズが決勝点だったそうだ。

2007年4月21日土曜日

秋山満『フランス鉄道の旅』

現役をリタイアしてから、ゆっくりと旅を楽しむという人は多いと思う。行き先はアメリカでもなく、アフリカでもなく、オーストラリアでもなく、ニューカレドニアでもなく、やっぱりヨーロッパだろう。まあ、ハワイという人もいるかもしれないが、少なくとも知的な人生をおくってきた人の定年後の旅先としてはちょっと軽い気がする(なんて言ったら失礼だが)。定住するなら話はちがうと思うけど。
たとえば夫婦でヨーロッパを旅する。ツアーでなく、列車やバスを乗り継ぎながら。そんな方がご近所にでも住んでいればなあ、と常々思っていた。
近所にはいなかったが、近所の図書館にはあった。
著者の秋山満は高校の地理の教員をしていて定年後、パッケージツアーではない個人旅行を楽しんでいるという。その旅の記録をまとめたものが本書というわけだ。
基本は個人旅行、しかも鉄道やバスを利用しての旅だから、おのずと訪問する地域はヨーロッパになるに違いない。交通機関や宿泊施設に関してはアメリカやアジアに比べて圧倒的な利便性を備えているからだ。
この本では3つの旅行がとりあげられている。ナント、レンヌ、サンマロからカンペール、ラロシェルなど大西洋岸の街をめぐるブルターニュの旅。コルシカ島からニースにわたり、プロヴァンス、ピレネー山麓をまわる南仏の旅。そしてアルザス・ロレーヌからシェルブールなどノルマンディ地方をめぐる東北仏の旅。いずれも定年後の先生夫妻によるエピソードに事欠かない道中記になっており、いつの日か鉄道でフランス周遊でもしてみたいと思っている者にとってためになる生きた参考書である。

2007年4月19日木曜日

第13回中国広告祭受賞作品展

汐留アドミュージアム東京。

中国広告祭は中国の中で最も権威と影響力のある国家レベルの広告祭。何年か前から日本でも紹介されるようになって、年々レベルアップしているのが手に取るようにわかる。以前はどちらかというと日本の学生デザインコンクールの上位入賞作品と遜色ないような気がしていたが、ここ1、2年はハッと目を見張る作品もあって、見に行くのが楽しみになってきた。
洗面台の排水口に抜け毛が今にも流されそうになっている。その抜け毛がパンダの絵に見え、「少なくなったものを、救いましょう」というキャッチ。これはもちろん、希少動物を救うキャンペーンではなく、髪の毛によい漢方薬の広告だ。
またこんな広告もある。シャツの胸ポケットに空き缶をゴミ箱に捨てるピクトが刺繍されている。これは公共広告で「文明というブランドを常に身につけよう。いつでも、どこでも文明ブランド」とコピーが書かれている。公共マナーについての広告だ。アイデアとしてはわかるが、案外訴求するテーマが非近代的であったりもする。お隣の国であり、経済発展の渦中にある国という意識もあり、ついつい日本との差は埋まっていると思うのだが、意外とそうでもなさそうだ。
TVCMで驚いたのは、やはり公共広告でタイトルは母の愛情。「一番優しい母だから、嘘を世の中で一番素晴らしい言葉に変えられる」というコピーがついている。母親が子どもたちを育てるために食べたいものも食べたくないといい、夜を徹して働くことを働くのが好きだからといい、炎天下にいても冷たい水を飲みたくないといい、病に伏せて苦しいときも苦しくないという。母親が貧しさに立ち向かって、子どもたちを立派に育て上げていくというとてもいい話で、きわめて儒教的道徳的なお国柄が見てとれる。一方でどうしていまさらこんなテーマで公共広告が成り立つのかとも思ってしまう。実は中国でも日本のようにだいじな何かが失われつつあるのだろうかという穿った見方もできなくもない。
グランプリは北京マラソンを題材にしたナイキのCM。ネズミが追われるように走るCMだ。これもネズミになんらかの意味合いがあるのだろうが、マラソンランナーをネズミにしちゃっていいのかと思ってしまう。
いずれにしても日本と中国。似て非なるこの両国は広告コミュニケーションにおいても大きな差異があるようだ。


2007年4月17日火曜日

川上弘美『真鶴』

今春の高校野球都大会はベスト8が出そろった。
帝京、関東一、堀越、八王子、修徳、日大三、東海大菅生、都文京。東西それぞれ4校づつ。都立勢はベスト16に4チーム。そのうち1校が準々決勝に進出した。
で、真鶴なんだが、15年ほど前に行ったことがある。
最初はロケハンと称する下見。その後が本番。
半島の中程に中川一政美術館というこじんまりと落ち着いた美術館がある。周辺には公園があって、そこで写真撮影をしたわけだ。当然のことながら、この界隈は魚がうまい。ロケハン時には鯵の茶漬けがおすすめと聞き、いただいたものだ。
さて子どもが大きくなっていく。手ばなれていく。高校生くらいになるととりたててお互いが関心を持ち合うようなことがらでない限り会話はなくなる。父親と娘だったりするとその傾向はますます顕著になる。失踪した夫って要するにそういう存在なのかなあと思ったりしたわけだ。
久しぶりに読んだ川上弘美。語彙がいっそう豊かになって文章に無駄がない。次々に押寄せてくる短い文章が心地いい。

2007年4月1日日曜日

城 繁幸『若者はなぜ3年で辞めるのか?』

大阪で仕事があり、その帰りに甲子園に立ち寄る。今春注目のスラッガー大阪桐蔭の中田翔の長打を期待していたのだが、残念ながら不発。チームも破れ、ベスト8に終わる。
さて最近増えてるタイトルでつかむ新書。
中身は年功序列、終身雇用といった昭和的価値観の崩壊をテーマにしている。
少子化問題もそうなのだが、結局世の中ってやつは次世代にツケをまわすことでしか成り立たないらしい。そのいちばん顕著だった時代が高度経済成長を生んだ昭和というわけだ。
昭和を顧みるとき、子どもだったぼくらにとっては石原裕次郎や美空ひばり、長嶋茂雄らスターの時代だった。経済成長の陰の部分、負の部分を覆い隠して余りあるくらい輝ける時代だった。問題をどれほど先送りしようが、それ以上の夢だの希望だのといった抽象的な明るさが世の中を照らしていたんだろう。
年功序列だから希望が持てたのか、年功序列だから希望が見失われたのか。その辺に関しては決定打はないけれど、要するに世の中にはいろんなシステムのモデルがあって、時には時代の流れに乗って脚光を浴び、時には諸悪の根源として貶められるということではないのかと思う。若者の離職率もさることながら、少子化問題に対して子どもを増やす的な発想ではない新しい社会のシステムをつくらないことにはこの「閉塞感」はどうにもならないのではないか。

2007年3月24日土曜日

ラ・ロシュフコー『箴言集』

銀座のVTR編集スタジオがあり、仕事が立てこむと何日も徹夜したり朝帰りしたりする。運動不足になるし、たばこも吸いすぎるし、ろくなことはない。
先日も夜明け間近まで録音をしていた。そろそろ終わりそうな頃、トイレに立った。いつもなにげに使っているトイレに掃除用のブラシがおかれている。とそこまではよくある光景なのだが、よくよく見るとそのトイレブラシにおそらくはテプラかなにかで印字されたであろうシールが貼ってある。
「●●●●●・●」(スタジオの名前)と。
なんのためにそのようなものが貼ってあるのか、よくわからない。おそらくは盗難防止のため?しかし、こんなものに名前を貼って誰が盗むというのだろう。
しかもそのシールはブラシ本体にではなく、台座に貼られているのだ。盗むやつはきっとブラシを盗むだろう。間違っても台座だけ盗みはしない。
まあ、それはともかく、ラ・ロシュフコーの『箴言集』を読んでいる。なかなかウィットに富んだ、というかエスプリに富んだ名言の連続である。
ラ・ロシュフコーは17世紀の人なのだそうだ。ルイ13世、14世、リシュリュー、マザランらと時代をともにしている。てっきり、16世紀の、ラブレーやモンテーニュくらいの時代の人だとばっかり思ってた。


2007年2月20日火曜日

柴田三千雄『フランス史10講』

もし仕事や血縁、地縁などのしがらみがなければ(しがらみなんていったらお世話になっている皆様方には甚だ失礼であるが)、最終的に永住するのはフランスだという断固たる妄想を抱いている。なぜフランスかと問われても答に窮するのだけれど、学生の頃、フランス語の学校に短い期間ではあったものの、通っていた(もちろん初級で終わった)せいかもしれないし、やはりその頃、ジャン=ジャック・ルソーやフランソワ・ラブレーなんかをよく読んでいたせいかもしれない。が、決定的な理由は2年ほど前に南仏を旅した影響かとも思われる。
その旅はちょうどバカンス時期でカラッと暑い地中海沿岸の夏だったのだが、その気候とおそらくは中世の昔に建てられたのであろう古い建造物、そして整備された鉄道網に圧倒された記憶が生々しく残っている。というわけで妄想の対象としてはなかなかレベルが高いなあと我ながら感心してもいるのだが。
とはいうもののふりかえってみると、たぶん高校時代には世界史をちゃんと履修しているとは思うのだが、フランスという国についてあまりに無知な自分がいる。相手を知り、己を知れば百戦危うからず。誇大妄想にも立ち向かうにはそんな姿勢がたいせつだ。己を知るのはさりとて困難ではあるし、一生かけても無理かもしれない。となれば、せめてフランスのことをよく知ろうと思って読んでみたのがこの本だ。
正直いうともっと教科書みたいな本でよかった。歴史年表をたどってその因果関係が述べられているような本で。まあ岩波とはいえ新書だからその辺は適当に浅い教養書を期待して読んだのが間違いだった。単なる史実を綴っているわけじゃない。歴史としてどう史実を解釈するかというちゃんとした歴史学の本なのだ。もちろん新書的な素軽さで古代から現代まで話は進んでいくのだが、細かいひとつひとつの史実より、時代を象徴的に彩る事件、出来事にポイントを絞り込んでその解釈をめぐる議論などが紹介される。本格派の歴史書なのだ。
妄想を満たす程度の軽い気持ちで歴史を学ぼうとする輩にしっかりフランス史を学べと警鐘を鳴らした一冊なのかもしれない。

2007年2月16日金曜日

西成良成『「超」フランス語入門』

東京都美術館で開催されているオルセー美術館展に行く。
オルセー美術館は歴史は古くないが、もともと駅舎だった建物が使われていて、それだけでも行ってみたい美術館のひとつである。つらつらと絵をながめては見たものの、本当は絵画が見たかったんではなくて、オルセー美術館に行きたかったんだということがあらためてわかった。

さて、パリに行くならフランス語くらい多少はわからなくちゃならないと思って手にとったのが西永良成著『「超」フランス語入門』。著者は長年大学あるいはNHKのテレビフランス語講座で教えてきた方で、入門クラスのフランス語ならお手のものといった感じだ。するするっと読みながら、基本的な文法事項がのどをすべりおりていく。もちろんちゃんと覚えないことには元も子もないのだが、とりあえず読むだけで勉強した雰囲気は味わえる。
後半、「シャンソンで身につけるフランス語」、「諺・名句で心に残すフランス語」といった章は知っている曲や小説家のところで読むスピードが落ちる。せっかくだから丁寧に読む。
まあそんなこんなでフランス語教育にたずさわった人だからこそできる読み手を俯瞰した見事な一冊にのせられてしまったということにしておこう。

2006年9月13日水曜日

湯本香樹実『西日の町』

母方の祖父は千倉町の実家に飾られた遺影でしか、顔を見たことがない。母が中学生の頃だから、おそらくは40代で他界している。
どこの家でもそうとはいえないが、母方の祖父母、きょうだいに関しては子どもたちに話して聞かせる機会が多いせいか、多少なりともイメージ構築がなされているものだ。
ぼくの祖父は漁師の町で数少ない陸者で大工だった。写真を見てもわかるのだが、なかなかの男前で、戦争に行っていた頃は軍服を颯爽と着、馬を乗りこなしていたという。
母ひとり子ひとりの家庭で育った主人公の「僕」と母親、そして祖父の物語が『西日の町』だ。北海道で農地を切りひらき、馬を駆り立て、勇猛果敢に生きた祖父が、息子とふたりで生きるために北九州まで流れ着いた娘のアパートに転がりこみ、やがて衰弱し、死んでいく。
以前読んだ『ポプラの秋』とはちょっと趣の異なる小説で、昭和40年代の、いわゆる高度成長期と呼ばれる時代の影の部分が妙になつかしく、無彩色の風景が脳裏いっぱいにひろがり、切なくなる。
こうした豊かさの光が注がれなかった貧しさ、古きよき時代の負の情景とそこに必死で生きる人の群れを当時の少年たちはちゃんと語り継いでいるのだろうか。

2006年8月19日土曜日

デイヴィッド・オグリヴィ『ある広告人の告白』

何を思ったか、突然甲子園で高校野球が観たくなった。会社を休んで早朝ののぞみに乗った。かれこれ40年近く野球を観ているが、甲子園は初めてだ。その巨大さ、暑さに圧倒されながら準々決勝の2試合を観た。
興奮覚めやらぬ帰りの車中でデイヴィッド・オグリヴィの『ある広告人の告白』を読んだ。これはもともと1964年に出版され、最近新版が出されたものの翻訳で広告の世界では古典といっていいのかもしれない。
デイヴィッド・オグルヴィはオグルヴィ&メイザーという広告会社を作ったコピーライター。アメリカの広告クリエイティブを支えてきただけあって、もの言いがシャープでストレートだ。もちろん、60年代のアメリカの広告界がどのような状況だったかをぼくは知る由もないが、成長するアメリカ消費社会とその中での生き残りをかけた広告人の強い姿勢を感じる。
広告会社の経営手法、クライアント獲得の秘訣からクライアントと広告会社とのあるべき関係構築にはじまって、成功する広告キャンペーンの作り方、コピー作成法、写真とイラストレーションではどちらが効果的か、さらには視聴者を動かすTVCM、自ら携わったクライアントから学んだ「食品」「観光地」「医薬品」キャンペーンのポイントと現代にも通ずる部分の多い広告クリエイティブの教科書といえる。
実をいうと広告の仕事に携わっているとはいうもの、日頃あまり広告の本は読まない。ましては古典(と決めつけてしまうのは失礼だが)には縁遠い生活をしている。オグルヴィに限らず、ドイル・デーン・バーンバックやレイモンド・ルビカムなど広告人の教養として読んでおかなきゃいけないんだろうなあ、ちゃんと。


2006年5月8日月曜日

鮎川久雄『40歳からのピアノ入門』

ラジオ講座のフランス語を聴いていて気がついたのだが、スキットの中に携帯電話でのやりとりがあったり、通貨の単位がユーロになっていたり、当たり前といえば当たり前なんだろうけど、時代は着実に変化している。もうひとつ気がついたのだが、この手の語学講座のスキットって台詞と台詞がきちんと整理されていて、つまり、かぶせてきたり、相手の発言を暴力的にさえぎったりしないところが平和でいい。実践的かどうかという判断は別にして。
連休中にこの本を読んだ。これがたとえばラジオ工作入門という本であれば、回路図があって、部品の調達から半田付けのコツまで書かれているのであろうが、なにぶんピアノだ。ピアノの弾き方なんかこれっぽっちも書いてなくて、まあ、言葉悪く言えば、著者のピアノ自慢ってところでしょうか。これとは別に出ている入門書の宣伝本なんですね、きっと。

2006年4月28日金曜日

藤原正彦『国家の品格』

著者の論が今注目されているのは、ややもすれば、誤解をまねかざるを得ない言葉の数々、その意味を問い直すことで、これまで多くの人々が見失ってきたものに光をあてたからだろう。
たとえば祖国愛。国益主義と誤認される愛国心という言葉は使わない。その見識が本書の太い骨格を支えている。さらにはわれわれが盲目的に信仰してきたであろう「近代合理精神」、「論理」、「自由」、「平等」、そして「民主主義」さえもものの見事に斬る。そして本当にたいせつなものは祖国にある、わが国の伝統、風土に根ざしているという。それがたとえば武士道だというわけだ。
君は日々、仕事に追われ、つきあいに追われ、自分を見失っていないか。君の心のふるさとにあるものを忘れてはいまいか。そういうことを語りかけてくれている本なんだなと思った。

2006年4月26日水曜日

清水義範『スラスラ書ける!ビジネス文書』

今月からラジオの語学講座を聴いている。毎年ではないけれど、この時期にはよく聴き始める。が、あまり長続きしない。せいぜい連休あたりで終わってしまうことが多い。5月号のテキストはたいてい使われないまま放置される。果たして今年はいつまで続くやら。
今年は今まで試したことのなかったことに挑戦している。それは2カ国語同時進行だ。フランス語とハングルにトライしている。特に根拠があるわけじゃない。ふたつ学んだほうが効率がいいとか、学習理論的に効果的だとかというわけではない。理由はひとつ。挫折するならまずどちらか。ああ、もうめんどくさいなあと思ってもまさかふたついっしょにあきらめるのは惜しいから、おそらくどちらかひとつは残すだろう、そうすることでどちらかは長続きするだろうという計算だ。われながら非常にせせこましい考え方だ。
清水義範の本はなんどかとりあげているが、今回読んだのはビジネス文書の作法。あまり清水義範とビジネス文書というものがイメージとしてつながらない。これはきっと何かあるのだろうと思い、手にとった。
本文は「週刊現代」に連載されていたものというから一応、ビジネス文書の指南書にはちがいはないのだが、読んでみると案の定、ただの指南書ではない。小うるさいテクニックを口を酸っぱくして熱く語ったり、読書に励めとか、訓練を積めと、センスを磨けみたいなことに頓着していない。むしろ昔の人たちより現代人のほうが文書を書く機会も読書する機会も豊富なのだから、もっとみんな文書を書くことでコミュニケーションしようぜ、みたいな著者ならではの軽妙な応援歌なのだ。
つくづく思うのだが、清水義範は本当に文章が好きな人だ。文章に愛情を持った人だ。著者の、随所に見られる文章に対するきちんとした思い、言うなれば文章愛、みたいなものがあるから、ただの文章作法の本とはひと味もふた味もちがうのだ。

2006年4月21日金曜日

重松清『卒業』

先日、国立科学博物館で開催されているナスカ展を見る。電車の中で見たポスターのキャッチコピー「世界で8番目の不思議」が気に入ったせいもある。
地上絵がどうして描かれたのかはいまだ謎であるが、宇宙人が描いたという説が21世紀になってもまことしやかに残されているのがなんとなくうれしい。
今日は朝から雨模様。昼ごろには嵐になって午後から晴れた。風は一日中強かった。
重松清の『卒業』を読む。映画「あおげば尊し」を観て、読みたいと思っていた本だ。タイトルから、あるいは映画を観た印象から学校ものかと思っていたが、実はそうではない。人の死(重松は人を「ひと」と開くのだけれども)を通じて、あるいは主人公の背負った過去の重荷からそれぞれが卒業していくという大きな、そして身近なテーマが設定されている。例によって泣けるシーンが多い。電車の中で読むにはちょっとかっこ悪いのだが、重松流の重量感あふれる一冊だった。



2006年4月11日火曜日

藤原てい『流れる星は生きている』

藤原正彦『祖国とは国語』の流れで読んだ一冊。
著者が満州から本土へ帰る終戦間際からの記述が本書だ。
よく学校の先生や会社の上司に満州生まれという人がいたが、本土に帰ったときの話をくわしく聞いたおぼえがあまりない。当の本人が小さかったせいかもしれないし、忘れてしまったのかもしれない。あるいは口にしたくないほどの経験だったのかもしれない。おそらく多くの日本人が貨物列車に乗せられ、恵まれていさえすれば牛車で、そうでなければ夜を徹して徒歩で山を越え、川を渡り、ようやくたどりついたプサンから帰還船で祖国日本に命からがら戻ったのだろう。
あるいはかつて聞いたことのあるこの苦難の道のりをこともあろうか僕自身が忘れ去っているのかもしれない。もしそうだとしたらこいつがいちばんよくない。この本を手にしたきっかけは歴史認識のためでもなく、興味本位でもなく、純粋に忘れてはいけないことの再認識である。
ぼくの義父はシベリアから帰還したという。孫であるぼくの子どもたちにとって戦後祖国の土を踏みしめた祖父の経験はたぶんいちばん身近な歴史体験なのではないかと思う。戦争を語り継いでいくためにぼくらができることはこういう本を読み伝えていくことしかないんじゃないだろうか。


2006年4月6日木曜日

本間正人・松瀬理保『コーチング入門』

高校時代に所属していた運動部は伝統的に上下関係がきびしかった。ただそこには一本きちんと筋が通っていたし、先輩は恐いだけじゃなく、尊敬できる人たちだったから、ぼくたちもいずれは自分たちの先輩のような先輩になろうという思いもあった。

昨今のコーチング本を書店でパラパラめくりながら、部下を育てて、コンピテンシーを高めていくのってそんなたいへんな時代なのかよって思ってしまうのだ。個人の能力を高めるために、やる気を引き出すために、周囲の人たちは今こんな苦労をしているんだなと。
一般企業と体育会系学生組織とでは目的の質が異なるわけだし、その意識の共有度合いも当然異なる。世の中には仕事や人生に情熱も持てず、やる気も出ないまま一生を終える人間もいるだろう。そんなときに組織として生産性を高めていく手法がコーチングってことなんだろうね。もちろん人を育てたり、育てられたりすることで、業績が伸びたり、個人の能力が向上するのはいいことだ。心の中ではそんなもんがんがん鍛えて、ぼこぼこしごけばいいじゃないかとは思うものの…。
この本のキーワードは「傾聴」「質問」「承認」。いくつか目を通したコーチング本の中でもシンプルに整理されていて、とりあえずの一冊としてはベストだと思った。


2006年3月30日木曜日

松瀬学『清宮克幸・春口廣対論指導力』

ビジネス書売場ではコーチングと名のついた書籍がめっきり増えてきた。そろそろその手の本も読まなきゃなという年頃なんだけど、ビジネス書なるものを手にしたことがない。どんなグリップで握って、どんなフォームで読んでいいのやら。
その点、スポーツ指導者の話は入り口としてわかりやすい。と思って手に取ったのが、早稲田大学ラグビー部前監督と関東学院大学ラグビー部監督の両氏による対談をまとめたこの本だ。
関東学院の春口氏は教員であり、清宮氏はサントリーのビジネスマン。その対比もおもしろいのだが、春口氏がしゃべりすぎる。実は読者の多くは早稲田躍進の秘密を清宮氏の口から聞きたいはずなのに、なかなかしゃべってくれないこのもどかしさ。そのことに腹を立てる読者もいるだろうが、それはそれで演出だ。実は清宮メソッドのほとんどを春口氏が明かしている。そんな気がした。

2006年3月26日日曜日

藤原正彦『祖国とは国語』

藤原正彦の本が売れているらしい。『国家の品格』という新書が大ヒットだという。そんなこんなで名前を知ったのだが、この人はあの新田次郎のご子息なんだそうだ。ちょっとした文才のある数学者なんだとばかり思っていた。
数学者でありながら、国語教育の重要性を真摯に説くあたりに著者の懐の深さというか、見識の幅広さを感じるのであるが、この本の構成もまた実に巧みだなと思ってしまう。
祖国とは血でも国土でもなく、国語なのだ力強く訴えたかと思うと軽妙な文章で科学をめぐるエッセイを家族という舞台で展開する。そして最後は自らの生まれた“祖国”満州を訪ねる紀行文と実になかなか、なのである。


2006年3月25日土曜日

村上玄一『わかる・読ませる小さな文章』

荻上直子監督の『かもめ食堂』を観た。
フィンランドという土地にまったく予備知識がなかったせいか、とても新鮮な街に見えた。
予備知識といえば、この本の著者村上玄一という人を知らない。知らない人の本のことをとやかく書くのはいかがなものか。

>>本当の強さ(自信)とは「予備知識」をどれだけ蓄えているかということだ

などと書かれてあると多少なりとも作者のことを知らなければと思っていしまう。でもって、奥付を見る。

>>村上玄一(むらかみげんいち) 1949年6月、宮崎市
>>生まれ。日本大学芸術学部文芸学科卒。新聞社、出
>>版社を経て現職。おもな著書に…

えっ。現職ってなんだ?『わかる・読ませる小さな文章』なのにわからないじゃん。
と、まあ、ぼくもそれ以上調べたわけでもないんで、こちらの勉強不足、認識不足ってことで。

この本自体は文章を書く上でたいせつなことが丁寧に熱く書かれている。著者が文章力の向上にどれだけの熱意を込めているかは太目の明朝で本文が綴られていることからもじゅうぶん理解できる。
でも思うんだよね。文章のプロが文章作法について書くのって、そうとうつらいだろうなって。だって人の文章を添削している自分の文章だって誰かに真っ赤に添削される可能性だってあるわけだし。

2006年3月20日月曜日

速水敏彦『他者を見下す若者たち』

仕事がひと段落したら、奥多摩でも散策してみようかと思っている。
青梅線で終点の奥多摩駅に出て、渓流沿いを歩く。吊り橋をいくつか渡って、奥多摩湖畔に出る。おそらくこのあたりにはうまい蕎麦屋があって、山菜料理などをつまみながら、蕎麦をすするのだろう。時間があれば大岳山くらいにチャレンジしてもいい。帰りには温泉にでも浸かってゆっくりしたいものだ。
てなことをシミュレーションしているこのごろ。時刻表をながめて、旅した気分になっていた子どもの頃のようだ。
で、本日読み終えたのは速水敏彦著『他者を見下す若者たち』。
惜しい気がする。とても惜しい気がする。いい着想なんだけど、研究紀要に載せる小論に近いようでいて、未完成だし、新書(実際、新書なんだが)で世に広く問うというスタンスにしては明快さに欠けるかな。
ひとつには「仮想的有能感」というキーワードが言い当ててはいるんだろうけど、世の中的なキーワードとしてはこなれていないことが挙げられる。もっとSPA的な共感、共有可能なワードはなかったのかと思うわけだ。教育心理学者という立ち位置が著者の発想とその展開を阻害したのかもしれない。また、著者によれば「仮想的有能感」の研究はまだ途上であるという。そのせいか「であろう」とか「思われる」が多用され、全体に文章の切れがよくない。それは真面目な教育心理学者である証とも受けとれるのだが、もっと思い切り、仮説を列挙した挑発的な「読み物」をめざしてもよかったんじゃないかとも思うのである。

2006年2月21日火曜日

重松清『きみの友だち』

去年観た内田けんじ監督の『運命じゃない人』でひとつの物語を主人公を入れ替えて描く手法に感心した。
角田光代の『空中庭園』も主人公が入れ替わる連作短編集だったのを思い出した。
この小説も主人公が替わる連作短編。主人公はそれぞれ作者から「きみ」と二人称で呼ばれる。本当の主役である「きみ」は「恵美」なんだけど、「恵美」の思い出の中のおぼろげな存在たちさえもが「きみ」と語りかけられることで脚光を浴び、生気を吹き込まれた存在になる。そして彼らを追って時間軸を飛びまわり、奥行きのあるドラマを形成していく。
と、まあそんなカタチの小説なんだけど、話が重い。いじめとか障害の話は苦手だ。先もある程度読める(いちばん最後の一篇が必要だったかどうかは別として)。
なのに泣けてしまうのだ。

2006年2月6日月曜日

よしもとばなな『王国その3ひみつの花園』

市川準監督の『あおげば尊し』を観た。小学校教諭のテリー伊藤がやはり教師だった父加藤武を看取る話。静かな人間描写の映像が続き、最後はどうなるのだろうと思っていたけど泣けてしまった。
ところで手もとのファイルの中に『王国その2痛み、失われたものの影、そして魔法』を読んだ形跡がない。読んだつもりになって、その3を読んでしまったのだろうか。読んだような気もするし、読んでいないような気もする。たしかに憶えているのは、ついこのあいだその3は読んだということだ。それだけでもよしとしよう。

2006年1月21日土曜日

竹内一郎『人は見た目が9割』

昔、上司にコミュニケーションの7割は声の大きさ、2割は雰囲気、内容は1割だと教わったことがある。「見た目」と呼ばれるノンバーバル・コミュニケーションの割合は以前から着目されていたのだろう。で、どちらかといえばかなり学術的な分析がなされた本だと思って手にとった。正直言ったところ。
実際読んでみると演劇、マンガ(著者の専門分野といえばそれまでだが)からの事例が多く、わかりやすいといえばわかりやすいし、物足りないといえば物足りない。なんでノンバーバルコミュニケーションの比率が大きいのよってところを知りたかったんだけど、それはもっと別の本を読みなさいってことでしょうか。

2006年1月16日月曜日

湯本香樹実『ポプラの秋』

何年か前に梨木香歩の『西の魔女が死んだ』を読み終えたあと、当時5年生か6年生だった長女にすすめたら、たいそう気に入ったようで以来、娘の書棚に梨木香歩が並ぶようになった。そのときのお返し(?)か、こんどは娘のおすすめ図書ということでこの『ポプラの秋』を読んだ。 ああ、よかったなあ。うちの娘はこんないい本を自分で選んできて読んでるんだなあとひとあんしん。おもしろくても人の気持ちをアンダーにする物語は正直好きではない。重たい小説も本当は好きじゃない。窓から見える木々や草が風にゆらいで、ところどころで太陽の光を反射させてきらきらしている、そんな風景みたいな話が好きだ。

2005年12月21日水曜日

鈴木隆祐『名門高校人脈』

名門高校っていうからてっきりぼくの出身校もあるかと思ったら、かすってもいなくてちょっとムッとした。まあそれはどうでもいいんだけど、けっこう人脈話に展開されているのか思ったら、そうでもなく、名門高校を全国からチョイスして、その出身者を羅列しているだけ。それぞれの学校の校風みたいなことも触れられてはいるけど、どちらかといえば通りいっぺんの学校案内程度。おまけに有名大学の進学状況なんか書いて紙面を埋めるお粗末さ。名門ってそういうことじゃあないんじゃないかなって思いました。

2005年12月1日木曜日

三浦展『下流社会』

有徴、無徴といった考え方がある。
記憶の中にあるのは言語学だか民俗学だか、ソシュールとかレヴィ=ストロースなんかに関する本を読んだとき知ったことだけど。つまり俳優は無徴だけど女優は有徴。お茶は無徴だけど紅茶は有徴といった具合に、そのものを表すのに余分な徴(しるし)があるかないかといういことかと思っている。
その点からすればおそらく「下流」は無徴だった。「上流階級(階層)」はあっても「下流階級(階層)」はなかった。その後、「中流」が有徴化され、中流意識なるものが生まれた。
いわゆる団塊世代に支えられて「中流」が肥大化するにつれ、その二世や次なる世代が消費社会の主役になっていく。そうして社会的格差は広がっていき、「下流社会」が有徴化されてきた。「下流」は単に所得が低いといことではなく、意欲が低いのだという視点も上流、中流の延長上に位置づけられた下流ではなく、新しい階層集団としての「下流」を際立たせている一因だろう。
社会科学は得意でないので、よく分析された本なのかどうかもよくわからないが、細かい表やグラフを添えてくれているとなんとなくよさげに思えて、妙に納得できてしまう。そう思ってしまうことが「下流」なのかもしれないが。


2005年10月20日木曜日

池内紀『森の紳士録』

先日、山梨にキャンプに行った。アウトドア好きの友人家族に誘われるままに、はじめてテントで眠った。オートキャンプ場を往復しただけだから、積極的に山歩き、森歩きをしたわけではないが、久しぶりに澄んだ空気にとっぷり触れた気分だ。少なくともテントででも寝ないと夜の森の雰囲気は味わえない。
ドイツ文学者である著者は引退後、山歩きをはじめたという。
もともと自然散策が好きだったのかもしれない。かなり精力的に歩きまわっている。また文学者であったせいだろう、イマジネーション豊かな視点で「森の紳士」たちを切りとっている。自らの見聞きしただけでなく、きちんと文献も散策して、その辺が単なる山歩き自慢の本を超えた仕上がりになっている。
もしかしたらこのまま一生出会うこともない動植物たちにしばし思いをめぐらせた。

2005年9月11日日曜日

佐野真『和田の130キロ台はなぜ打ちにくいか』

はじめて父親とプロ野球を観たのが小学校2年のとき。当時の神宮球場は外野席が芝生で寝転んで観戦する人も多かった。産経アトムズ対読売ジャイアンツの試合でもうほとんど記憶にない。唯一憶えているのはジャイアンツの森捕手がぼくらの座っていたライト側に大きなファールを打ったことくらい。
子どもの頃の娯楽はプロ野球と大相撲だったんだけど、とりわけ野球は好きだった。それは今も変わっていない。
もともとものごとのしくみとかルーツをたどるのが好きだったせいもあって、プロ野球から大学野球、高校野球と観戦対象もひろげてきた。
和田毅は東京六大学時代、神宮球場でなんどかその登板を見ている。さほど身体も大きくなく、特徴的なフォームでないにもかかわらず、相手打者のバットが空を切る。それが不思議だった。織田、三沢、藤井秀悟、鎌田と早稲田からプロ入りする投手は多かったが、体格的に劣る和田がこれほど活躍するとも思えなかったし、そもそも江川卓の六大学奪三振記録を塗り替えることさえ、意外でしかたなかった。
というわけでこの本は積年の不思議、疑問の数々を解明してくれたまさにタイムリーな一冊だ。構成もテレビ番組のスポーツドキュメントを見ているようで、小難しさはないし、それでいて専門的につっこんでいるところも見受けられる。居酒屋の野球談義には欠かせない一冊だろう。