流行歌は人並みに好きで、そのつくり手には興味があった。ただ、僕が考えるつくり手は作詞家であり、作曲家にはさほど関心を持てなかった。
筒美京平の名前は以前から知っていたけれど、強く印象づけられたのは太田裕美の「木綿のハンカチーフ」だろうが、それも作詞家松本隆によるヒット曲というイメージがある。松本隆に関する本は何冊か読んでいたこともある。
筒美の死後、テレビ、ラジオで追悼番組が特集される。そこで彼の遺した楽曲にあらためてふれる。先ほども書いたように僕はあまり作曲家について知識がない。音楽は目に見えないし、僕のような素人には言語化するのが難しい。流行歌の作曲家として名前が浮かぶのは加藤和彦、荒井(松任谷)由実、細野晴臣、大瀧詠一、中島みゆきなどなど。フォーク、ニューミュージック、Jポップ(これらはどこで線引きしていいか今となってはわからない)の人々である。
追悼番組を通じて、いしだあゆみ「ブルー・ライト・ヨコハマ」、尾崎紀世彦「また逢う日まで」、郷ひろみ「よろしく哀愁」、ジュディ・オング「魅せられて」をはじめとするヒットメーカーだと知る。ああ、この作家の曲づくりってこうだよね、みたいなクセがない。どの曲も誰が書いたかわからないような新鮮さがある。その秘密を解き明かすのが近田春夫である。
近田によれば、筒美京平はクラシック、ジャズ、ロック、ポップスなど洋楽を読み解くスキルを持っていて、それらをベースに新たなサウンドを構築する能力に長けていたという。歌い手の声に合わせて、時代の変化に即して、人々が求める楽曲をほぼ無尽蔵に生産できたという。
彼の作品に彼らしさがないのは彼のなかに蓄積されたアイデアソースの豊富さゆえなのである。その才能を少年時代から培ってきた筒美京平はやはり稀代の作曲家なのであろう。
彼の作品に彼らしさがないのは彼のなかに蓄積されたアイデアソースの豊富さゆえなのである。その才能を少年時代から培ってきた筒美京平はやはり稀代の作曲家なのであろう。