2022年9月17日土曜日

笹山敬輔『ドリフターズとその時代』

ザ・ドリフターズの番組が待ち遠しかったのは、僕より少し年下の世代かもしれない。
あるいは僕がひねくれた子どもだったのかもしれないが、『8時だョ!全員集合』の放送がはじまったとき小学校の高学年になっていた僕は、ドリフの笑いは子どもじみていたように思えた。
『全員集合』はいちどお休みする。ザ・ドリフターズに代わって、ハナ肇とクレージーキャッツが新番組『8時だョ!出発進行』を担当する。幼少の頃からクレージーの笑いに慣れ親しんできた僕はこの番組に期待した。ドリフよりクレージーの方が子どもから見ても断然大人に見えたのだ。
結果は散々だった。『出発進行』は、安直にクレージーをドリフの代役にしただけでおもしろくとも何ともなかった。舞台上でのドタバタコントはクレージー向きではなかったし、クレージーらしいクールさは感じられなかった。土曜午後8時のテレビからクレージーが姿を消したのは半年後だった。
もちろんこうした舞台裏も本書に記されている。けれども著者がいちばん伝えたかったのは、いかりや長介と志村けんの類似性と差異であると思う。
コントや笑いに関して厳格で自らの姿勢や方法論を貫くという点でいかりやと志村はよく似ている。対立することも少なからずあったはずだ。70年代半ばにドリフに加入した志村は「東村山音頭」でブレークする。以後、ザ・ドリフターズはいかりや長介のドリフと志村けんのドリフが混在することになる。
いかりやと志村の違いはひとつには世代の問題といえる。ふたりの年齢差は20歳近い。音楽の嗜好も異なる。ハワイアン、ジャズ、カントリーウェスタンのいかりやに対し、志村の好みはソウルミュージック。レコード、CDのコレクションは膨大だったという。
笑いの求道者としてのふたりはよく似ていると本書には書かれているが、あるいは付き人時代からいかりやを観察してきた志村がいつしかいかりやと化したのかもしれない。

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