読みはじめたものの読み終えていない本がたくさんある。
おもしろそうだとか、これは読まねばと志だけ高くページを開いてみたものの、こんなはずじゃなかったと思った書物の数々。人生も読書もこんなはずじゃなかったの連続だ。たとえばマクルーハンの『メディア論』など。
高校1年の夏休み、大岡昇平の『野火』を読んで感想文を書けという宿題があった。30頁ほど読んで読みきることをあきらめた。とりあえず原稿用紙のマスを埋めて、提出した。どんなことを書いたかも、本当に提出したのかさえもおぼえていない。それでも何とはなしに気がかりだったので3年くらい前に読んだ。
山本有三のこの小説は小学生の頃、子ども向けの日本文学全集か何かで読みはじめた。冒頭の焼き芋屋の話がせつなくて読む気をなくした。それ以来、いちどたりとも手にとることはなかった。記憶はみごとに失われていた。kindleで何か面白そうな本はないかと探していたとき、突然『路傍の石』という文字が目に飛びこんできた。小学生時代に読みはじめたもののやめてしまった記憶とともに。まるでマドレーヌを紅茶に浸したみたいに。
焼き芋屋のくだりをクリアして読みすすむ。悪い話ではない。吾一という少年はきっと将来、幸せになるような予感がした。オリバー・ツイストやデイヴィッド・コパフィールドのように。けっしてハンス少年のように挫折して溺死したり、青山半蔵のように学問にのめり込んだ末に廃人となるようなことはなさそうだ。
紆余曲折がありながら、吾一は人生を切り拓いていく。印刷工として真摯に仕事に取り組み、夜学に通い、事務職となり、やがて出版事業を起こす。もちろんとんとん拍子というわけにはいかないが、あきらめない、希望を捨てないところが吾一なのである。そして、さあこれからというときにこの物語は幕を閉じる。突然に。
未完の小説だったことがわかっただけでもこの本を読み終えてよかったと思う。
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