高校1年か2年の夏休みだったと思う。現代国語で読書感想文を書く宿題があった。
小学生の頃まではよく本を読んでいたけれど、中学に上がってから読書量は激減した。活字嫌いだったわけではない。就学前から毎月少年漫画雑誌を買ってもらい、字が読めるようになる以前から活字に親しんできたのだから。
高校に入ると部活の練習やら、日々の勉強に追われ(といっても大半は居眠りをしていたが)本など読む時間はない。通学の電車は唯一ぼんやりできる時間であり、もったいなくて本など読む気がしない。
そもそもが宿題という権威的な制度のなかで特定の一冊を強要されるのがなにより嫌だった。生徒全員に同じ本を読ませ、同じような感想文を書かせて、それを読まなければならない国語の教師のことを慮るとますます読む気がしなくなる。それでも出された課題に応えていく従順さを身につけることが戦後教育の最大の美点だった時代だ。とりあえず課題の文庫を購入し、読みはじめることにする。
夏休みといってもほぼ毎日部活の練習がある。午前中か午後か炎天下でたいした水分補給もできないまま運動をする。行きと帰りの電車の中でその気になれば少しづつではあるけれど読みすすめることはできる、と思っていた。当時都内を走る電車は今のようにすべてが冷房されているわけではなかった。おそらく冷房化率は50%に満たなかったと思う。昨今続く猛暑日ほどではなかっただろうが、40数年前も夏は暑かった。そうした状況下で読みはじめた課題図書はページをめくっただけで熱風が顔面に吹きつけてくるような暑苦しい本だった。
結局30ページほど読んではみたが、夏休み中に読み終えることはできなかった。読了したという友人におおまかなあらすじを聞いて(僕の周囲には読んだ者の方が圧倒的に少なかったのだが)いい加減に原稿用紙のマスを埋めた。
大岡昇平『野火』を読み終える。この本には夏休みの苦い思い出がある。
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