2019年10月31日木曜日

獅子文六『胡椒息子』

幼稚園の頃の記憶である。
毎朝の送迎バスに乗って通園していた。乗り場は近所の荒物屋の前。そこにはひとつ年長のKくんの家である。子どもたちが並んで待っている。バスがやってくる頃になって、ようやくKがパンをかじりながら家から出てくる。他にも年長の子がいたかどうかおぼえていないが、いちばん最後にやってきた彼はいつも列の先頭に立って、気に入った年下の子どもたちを引き連れて、いちばん最初にバスに乗り込む。嫌なやつではあるが、そんな子ども、ましては年上の子はいくらでもいたのでどうと思うこともなかった。
あるときふと気が付く。いちばん最初にバスに乗ると降りるときは最後になる。最後に乗ると乗降口の近くの席に座ることになって、降りるときはいちばん最初に降りることができる。半世紀以上前の記憶だからどうしてそうだったのかはわからない。後から乗れば先に降りられるということはたしかだったように記憶している。それから僕はどんなにはやく乗り場に着いても最後尾あたりに並ぶようにした。前の方に並んでも結局Kが来たら、Kの側近たちが前の方に並ぶからだ。
あるときKは最後尾に並んでいる僕をいちばん前に押しやって、自分が最後尾に並んだ(どのみちいつもいちばん最後にやってくるのだから本来そこが彼の指定席なのだ)。きっとKも気付いたに違いない。いちばん最後に乗れば、いちばん最初に降りられて、いちばんはじめに登園できるということに。
牟礼家の次男昌二郎は12歳。婆やお民との関係は、夏目漱石の『坊っちゃん』の主人公と清を思い出させた。
Kとは小学校はいっしょだったが中学は別でその後口をきくこともなかったが、高校に入ると一学年上にKがいた。もちろん通学時に会うこともなく、校内で会うこともなかった。やがてKは法曹界に名をとどろかす名門私大に進学し(東大は落ちたという噂だ)、現役で司法試験を突破したという。頭のいい人はどこか違うものだ。

2019年10月28日月曜日

矢野誠一『三遊亭圓朝の明治』

縁は異なものというが、本のつながりもまたおもしろい。
もともとはよく仕事中に聴いていたガーシュウィンの「巴里のアメリカ人」から古い映画を観たくなった。その流れでちょっと小洒落たタイトルの『パリの日本人』(鹿島茂)を読む。そのなかで若き日の獅子文六のパリ滞在時の描写があり、フランス人の妻との間にもうけたひとり娘の子育て記であり自伝的小説ともいえる『娘と私』を読む。そのなかに塩原多助のような心境で生きていく所存が語られている。塩原多助は明治大正昭和のはじめまで修身の教科書に載っていたというから昔の人ならどんな人か想像がつく。知らない世代はただ気になるだけである。調べてみると多助は上州下新田の百姓で家を再興し、養父を供養するため江戸に出て炭屋として大成する壮大なドラマの主人公であることがわかる。作者は三遊亭圓朝。
ここでようやくこの本にたどり着く。
昭和という時代は20年までの戦前戦中期と戦後に大別できる。軍国主義と民主主義というまるで裏返しの時代が同居した時代である。戦後まもなく教科書に墨を塗ったのは昭和ひと桁の終わりからふた桁のはじめに生まれた世代だ。異なる価値観に二重に支配されてきた世代であるみたいなことを以前語っていたのは昭和10年生まれの大江健三郎だったか。残念ながらおぼえていない。
三遊亭圓朝は江戸と明治、すなわち近世と近代を生きている。安政の時代に真打になり、鳴り物入り道具仕立ての芝居噺で知られたが、明治になって素噺に転向。『名人長二』や『塩原多助一代記』といった人情噺や『牡丹灯籠』『真景累ヶ淵』などの怪談噺を創作した。
明治維新の前と後とで世の中がどう変わったか。興味深いテーマではあるが、実感しようもなければ想像のしようもない。時代の変化を見聞きしたくてふたつの時代を生きた三遊亭圓朝を読んでみた。うっすらわかってきたようでもあり、まだまだ雲をつかむようでもあり。

2019年10月24日木曜日

田口まこ『伝わるのは1行。』

ラグビーワールドカップが盛り上がりを見せている。にわかファンも増えているという。僕もそのひとりだ。
以前、西武新宿線の沿線に住んでいた頃(10年以上前になるかと思う)、早稲田大学の上井草グラウンドが近かったので土日、時間があると観に行った。関東対抗戦に出場するAチームの試合はなかったが、Bチームによる関東ジュニア選手権、Cチーム以下の練習試合を観た。ラグビーは単純でいて複雑、複雑なのに単純な競技である。前に進むか後ろに下がるかというシンプルに図式化されている。そのルールにそぐわない行為が反則とされる。テレビで視ているとわかりやすいが、現場で観ていて、しかも反対側のサイドで起きたルール違反はなかなかわかりずらい。毎週のように通っていると思われる隣席のベテランファンが「オフサイドだ」とか「ノットリリースザボール」などとつぶやいてくれるのを耳をそばだてながら観戦していた。
本書はコピーライターをめざす人のための本ではなく、コピーライターの経験を通じて得た文章技術を広く伝える著書である。
最近はどうだかわからないが、広告制作会社ライトパブリシティは、以前コピーライター募集と銘打って未経験者を募集していた。著者もきっとそんな未経験者のひとりだったのではないだろうか。この本を通してうかがえることは、ライトパブリシティが如何にしっかりと未経験の新入社員を教育したかということだ。おそらく著者は「心に刺さる1行」のために日頃から丹念に「絞る」「広げる」「選ぶ」「磨く」を繰り返してきたのだろう。著者の身に付き、血肉となったコピーライティングの方法論が簡潔明快、具体的実践的に語られている。コピーライターではなくても、コピーライターの思考回路や気持ちがよくわかる。
SNSや企画書などで文章を書かなければならないテキスト難民にとって「プチ」役立つ一冊に違いない。
それにしても日本代表のベスト8はたいしたものだ。

2019年10月20日日曜日

恩田陸『蜜蜂と遠雷』

音楽というのは、天賦の才能がものを言う分野だと思う。まったく何の天分もなく普通の人が長年努力を積み重ねることで花開く芸術ではない。音楽に限った話でもないかもしれない。落語に出てくる名人だって、たまたま生まれつき才能に恵まれ、その道に(おそらく偶然に)たどり着いてきわめる機会に恵まれたのだ。
まだ観ていないけれど、この作品は最近、映画化され公開されている。
天才的な若手ピアニストたちが国際的なコンクールに挑む。ピアノコンクールを小説にするというのもなかなか難儀なことと思うが、おもしろく気持ちよく読み終えることができた。
知っている曲はほんのわずかで演奏される曲のほとんどを聴いたことがない。読みすすめながら、あるいは読み終えてからyoutubeなどで聴いている。全曲を収めたCDも発売されている。ルービンシュタインやリヒテル、グレン・グールド、中村紘子など錚々たるピアニストによる演奏だ(というか、この4人くらいしか知ってる人がいない)。
野村芳太郎監督の「砂の器」(原作松本清張)という映画がある。
秀夫少年は父千代吉と放浪の旅にあった。病気の父を療養所に入れ、秀夫の面倒を見てくれた親切な巡査がいた。秀夫はそこから逃げ出し、行方がわからなくなる。そして20年後、和賀英良という人気の若手天才ピアニストになっていた。この空白の期間がこの映画(小説も)で重要な役割を果たす。
おそらく「砂の器」の秀夫も音に対する絶対的な才能があったはずだ。あるときそれに気づき、音楽に傾倒したのだろう。クライマックスともいえる演奏会で和賀英良の少年時代、つまり本浦秀夫時代の父子放浪の旅が映像化される。その音楽に込められた思いがシーンとなって浮かび上がる。これは映画の演出技法に過ぎないが、音に精通した者は皆、脳裏に映像を思い浮かべるのではないだろうか。
風間塵の演奏を聴きながら(読みながら)、昔観た映画を思い出した。

2019年10月18日金曜日

塙宜之『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』

今年もドラフト会議が終わった。
前評判の高かった佐々木朗希(大船渡)、奥川恭伸(星稜)、石川昴弥(東邦)が複数球団から指名を受ける。甲子園で活躍した選手か、全国大会の経験よりも素質能力で将来性を判断するのか、高校生の指名は難しい。僕個人としては練習試合の最高球速160キロより、甲子園の、失投が許されない場面で針の穴に糸を通すような150キロに魅力を感じる。難しいと言ったのは、現時点の完成度が必ずしも将来性と結びつかないからだ。何年後かプロ野球のスターになっているのは佐々木でも奥川でもないかもしれないのである。江川卓だって松坂大輔だって、ふたを開けてみれば人間だった。怪物なんかじゃ決してなかった。
テレビのお笑い番組が好きだった。南州太郎、東京ぼん太、てんぷくトリオ、獅子てんや瀬戸わんや、牧伸二、晴乃チックタック、青空球児好児…。子どもの頃爆笑していたのは関東の芸人が多い。
最近はテレビもさほど視ないので若手芸人の動向に関しては疎い。おもしろいなと思うのはナイツとテツandトモ。そのナイツの塙宜之が本を出したのを新聞で読んだ。自身、関西系の漫才コンクールM-1で決勝まで進みながら優勝できなかったことの「言い訳」がそのタイトルになっている。
塙はそのネタからもわかるように野球に詳しい。新聞には漫才界を野球の落合博満の解説のように解き明かしたいというようなことが紹介されていた。もちろん塙宜之ならそのくらいのことはお手のものと思っていた。きっと落合みたいに解説されたのだろうが、如何せん、読み手の方が最近の若手芸人を知らない。少しはイメージできるコンビもいるのだが、視たことがないからよくわからない。せっかく落合が解説してくれているのに、実は俺、野球のこと全然知らないんだよねって状態だった。
それでもナイツの漫才の自己分析、自己評価も随所に展開されていて、ナイツファンとしては楽しめる内容だった。

2019年10月16日水曜日

小木曽健『ネットで勝つ情報リテラシー --あの人はなぜ騙されないのか』

先日の台風19号で東京近郊多摩川沿いの某所で冠水し、被害が出た。
高層マンション地下の電気設備に被害が出、エレベーターが使えなくなり、下水処理施設も被害を受けたため自室でのトイレ使用を禁止して、各階に設けた仮設トイレを使用するよう通達されたというのだ。これが「うんこ禁止令」と称されて、Twitterで拡散される。なかでも被害を受けていないにもかかわらず、そのマンション名がブリリアというだけで「計画停便」とはやし立てられる。SNSおそるべし、である。
ネット以前の時代ならこういった風評は長い時間をかけられてひろまっていっただろうが、誰かが書き立て、おもしろおかしくコメントされて拡散されるSNSの世界では1~2日で全世界にひろがる。件の某所のイメージは地に落ちる。「お住まいはどちらですか?」「某所です」「はああ…」といったやりとりが目に浮かぶ。
その一方で先月の台風15号による千葉停電の際には、被災地を見舞う声や支援を呼びかける書き込みが多く見られ、Twitterはやっぱり素晴らしい情報ツールだと思った。その矢先だっただけに残念である。今回の台風19号はさらに広範囲に甚大な被害をもたらしている。被災地ではきっと有用な情報が流布されていると信じたい。被害があまりにも大きすぎたせいで、ツッコミどころを失ったネットの野次馬たちがここぞとばかりに掘りかえしたのがこの某所だったのだろう。やれやれである。
ネットの情報は玉石混淆と言われている。定義が曖昧なまま、出典が定かでないまま、あっという間に拡散される。思い違いも不定見もどんどんひろがっていく。飯田泰之『ダメな議論』と内容的に似ているが、実例が豊富でわかりやすい(おもしろさは別として)。すべての情報は発信者の思い込みや偏りが含まれているから真実も本当もないただの情報だという。肝に銘じてフェイクニュースに立ち向かわなくちゃいけない。