音楽というのは、天賦の才能がものを言う分野だと思う。まったく何の天分もなく普通の人が長年努力を積み重ねることで花開く芸術ではない。音楽に限った話でもないかもしれない。落語に出てくる名人だって、たまたま生まれつき才能に恵まれ、その道に(おそらく偶然に)たどり着いてきわめる機会に恵まれたのだ。
まだ観ていないけれど、この作品は最近、映画化され公開されている。
天才的な若手ピアニストたちが国際的なコンクールに挑む。ピアノコンクールを小説にするというのもなかなか難儀なことと思うが、おもしろく気持ちよく読み終えることができた。
知っている曲はほんのわずかで演奏される曲のほとんどを聴いたことがない。読みすすめながら、あるいは読み終えてからyoutubeなどで聴いている。全曲を収めたCDも発売されている。ルービンシュタインやリヒテル、グレン・グールド、中村紘子など錚々たるピアニストによる演奏だ(というか、この4人くらいしか知ってる人がいない)。
野村芳太郎監督の「砂の器」(原作松本清張)という映画がある。
秀夫少年は父千代吉と放浪の旅にあった。病気の父を療養所に入れ、秀夫の面倒を見てくれた親切な巡査がいた。秀夫はそこから逃げ出し、行方がわからなくなる。そして20年後、和賀英良という人気の若手天才ピアニストになっていた。この空白の期間がこの映画(小説も)で重要な役割を果たす。
おそらく「砂の器」の秀夫も音に対する絶対的な才能があったはずだ。あるときそれに気づき、音楽に傾倒したのだろう。クライマックスともいえる演奏会で和賀英良の少年時代、つまり本浦秀夫時代の父子放浪の旅が映像化される。その音楽に込められた思いがシーンとなって浮かび上がる。これは映画の演出技法に過ぎないが、音に精通した者は皆、脳裏に映像を思い浮かべるのではないだろうか。
風間塵の演奏を聴きながら(読みながら)、昔観た映画を思い出した。
0 件のコメント:
コメントを投稿