2005年3月29日火曜日

梁石日『血と骨』

在日文学というものをさほど意識することはなかった。
この本を手に取ったのは崔洋一監督の映画を観たからであり、なぜ映画を観たかというと仕事で韓国に行ったことで、こちらにわたってきた韓国の人たちに興味を持ったからである。映画ではビートたけしが好演している。原作では巨漢の金俊平役を決して大きくない身体で演じているのだ。身体の大きさなんてどうでもいいことなのかもしれないが、ことこの小説に関する限り、身体は重要なモチーフである。身体というより、肉体というべきか。金俊平にとって生命は精神にみなぎることなく、肉体からあふれ出し、ほとばしるものである。そして戦中、戦後の日本人はもちろん、在日の人たちにとって何よりも必要だったものが、心ではなく、身体だったのだろう。
一方で金俊平にまったく欠如している精神性はその妻李英姫と子どもたちに垣間見ることができ、凶暴な身体性と対をなしている。その身体性はやがてお金という暴力に形を変え、金俊平をさらに凶暴な人間にする。やさしさやぬくもり、思いやりといった本来人間社会を支える柱が圧倒的な力、暴力、肉欲によって封じ込められる時代、いうなれば人間の原初は動物的なものであったと思わざるを得ない時代を梁石日は生き抜いてきたかもしれない。
そういった意味で在日文学は実は奥深く、闇と混沌に覆われている。だからこそ、人間とは何かという問いかけに鋭い視点を投げかけることができるのだろう。
ちなみに映画と原作は微妙に異なっている。シナリオの元になったのは、この本よりも作者の半生であると思われる。登場人物の名前や映画で扱われているエピソードはむしろ作者の回顧録である『修羅を生きる』に基づいている。これは崔洋一が映画に原作以上のリアリティを求めたかったからだろうとぼくは思っている。
(2004.11.17)

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