先日ある大学で講義を受け持った。「広告における絵コンテの役割」という内容のものである。知の大衆化などといわれて久しいが、単なる経験談ではなく、学問としての広告、その制作過程のツールとしての絵コンテという話がしたかったが、やはり終わってみれば、単なる経験談になってしまったと思う。
ぼくたちが実際にコマーシャル制作にたずさわりながら思うことは、テレビコマーシャルは忘れられる広告であるということだ。時間軸をもつ媒体の宿命なのかもしれない。後に戻ってもう一度視ることは原則としてできない。だからこそ忘れらない広告をつくろうと努力する。あるクリエーティブディレクターの言を借りれば「読後感」ということになるだろう。
天野祐吉のいう面白い広告=時代の空気や気分を記録しているジャーナリズム表現とは実に言い得て妙である。そしてすぐれた広告制作者はそんなことをまったく意識することなく表現している。むしろ彼らは今の時代にないもの、そのうちにやってくるかもしれないものを描いているだけなのだ。たぶん。
風俗や流行現象を追いながら時代との整合性を説き明かしていく著書は多い。この本も当然その部類に入ると思う。ただ天野祐吉の著作のすぐれたところは、こうした分析を客観的に語るように見せながら、実は自身の広告論、広告に対する夢や希望を主観的に語っていることではないか。彼のそうした揺るぎないスタンスがあるからこそ、あたかも20世紀の広告にずっと寄り添っていたかのような語り口で語れるのではないかと思う。
天野祐吉は広告評論家であると同時にストーリーテリングに長けた広告観察者であり、なによりも広告の好きな翁なのだというのがこの本から受けたいちばんの印象だ。
(2002.8.7)
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