青山のバーで何度か細谷巖を見かけたことがある。アートディレクターというより、昔ながらの職人さんという風貌だ。人は見かけで…というが、どこからあのような広告デザインが生まれてくるのか、ずっと不思議だった。
いわゆる団塊の世代以前の人たちはアメリカのデザインをダイレクトに受け止めた世代だと思う。それ以後は日本の何者かによって媒介されたアメリカ文化しか知らないのではないだろうか。団塊世代のひとまわり下のぼくもそうだと思う。和田誠もそうだと思うが、アメリカの豊かさを見事に体現できるデザイナーが育ったのは、“戦後”を経験した世代だけなのだろう。
さて、和田誠と細谷巖は同じライトパブリティというデザイン会社で育ったふたりだが、デザインの根幹の部分はかなり近いと思う。しかしながら、そのキャラクターはずいぶん違うようだ。言葉は悪いが、器用で、あらゆる面で才能を発揮する和田誠に対して、細谷巖は不器用で、朴訥で、そのデザインワークに似合わず地味な人である。その細谷巖が語ったこの本は、まるで細谷さんそのもののように質朴で、飾りのない仕上がりになっている。多くのエピソードをおもしろ、おかしく挿入していく和田誠とは好対照だ。
残念ながら、ぼくは細谷巖と面識はなく、会話をかわしたこともない。それだけにこの本を通して語りかけてくれる細谷巖がどうしようもないくらいうれしいのだ。この感覚はおそらく70年代後半から80年代を通じて、細谷デザインにあこがれていた人たちに共通のものではないだろうか。
(2004.12.15)
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