和田誠さんとはつくづく多芸多彩な人である。
『銀座界隈ドキドキの日々』は和田さんの若かりし頃、多摩美を出てライト・パブリシティに入社したところを皮切りにライトを辞め、フリーになるまでの9年の日々が記されている。向秀男、細谷巌、田中一光など登場人物がいきなりすごい。篠山紀信、秋山晶が出てくるのがずっと後のほうなのである。
ぼくは10年来、ライトの広告のファンでもあった。友人のKさんがデザイナーとして働いていた。和田さんの記す細谷さんのしゃべり方はKさんにも影響を及ぼしていたようで、ぼくはKさんに「ユウってトラッドが好きなんだね」などといわれたことがある。細谷さんは一度青山のバーで見かけたことがある。
和田さんはグラフィックデザインの世界にとどまらず、イラストレーションやアニメーション、装丁さらには音楽の世界にまで活躍の場をひろげてゆく。彼は何でも自由にやりたいことができる時代だったというように回顧しているが、決して時代だけの問題ではなかったはずだ。
彼の仕事の基本は手づくりであることだと思う。フリーハンドであるいは定規を使って、丹念に仕事をする。それが結果として彼独自の味わいになっているような気がする。時代の最先端をゆく才能ある人たちに見い出され、さまざまなジャンルの仕事を20代の若さでこなしてきたのは(当時としては彼のようなマルチな才能の持ち主は珍しかっただろう)、彼のひく線の一本一本味わいがあったからだと思える。
60年代の終わりに彼がライトをやめたのもデザインという仕事がハンドクラフトである以上にビジネスになってしまったからだと懐想している。システマティックな世界に才能が圧し潰されてしまうのを感じとり、彼は住みなれた銀座を離れたのだ。
この本の終わりの方に秋山さんがコピーを書いて和田さんがレイアウトしたキヤノンの新聞広告が載っている。キャッチフレーズは「明日、銀座から都電が姿を消す」である。これは秋山さんの作品集にも載っていてそのなかでもぼくがいちばん好きな広告である。和田さんがライトを辞めた、つまり銀座を後にしたのが1968年。この広告は1967年の暮れにつくられている。和田さんも書いているようにこれは今でも印象深い広告だ。
(1993.8.3)
『銀座界隈ドキドキの日々』は和田さんの若かりし頃、多摩美を出てライト・パブリシティに入社したところを皮切りにライトを辞め、フリーになるまでの9年の日々が記されている。向秀男、細谷巌、田中一光など登場人物がいきなりすごい。篠山紀信、秋山晶が出てくるのがずっと後のほうなのである。
ぼくは10年来、ライトの広告のファンでもあった。友人のKさんがデザイナーとして働いていた。和田さんの記す細谷さんのしゃべり方はKさんにも影響を及ぼしていたようで、ぼくはKさんに「ユウってトラッドが好きなんだね」などといわれたことがある。細谷さんは一度青山のバーで見かけたことがある。
和田さんはグラフィックデザインの世界にとどまらず、イラストレーションやアニメーション、装丁さらには音楽の世界にまで活躍の場をひろげてゆく。彼は何でも自由にやりたいことができる時代だったというように回顧しているが、決して時代だけの問題ではなかったはずだ。
彼の仕事の基本は手づくりであることだと思う。フリーハンドであるいは定規を使って、丹念に仕事をする。それが結果として彼独自の味わいになっているような気がする。時代の最先端をゆく才能ある人たちに見い出され、さまざまなジャンルの仕事を20代の若さでこなしてきたのは(当時としては彼のようなマルチな才能の持ち主は珍しかっただろう)、彼のひく線の一本一本味わいがあったからだと思える。
60年代の終わりに彼がライトをやめたのもデザインという仕事がハンドクラフトである以上にビジネスになってしまったからだと懐想している。システマティックな世界に才能が圧し潰されてしまうのを感じとり、彼は住みなれた銀座を離れたのだ。
この本の終わりの方に秋山さんがコピーを書いて和田さんがレイアウトしたキヤノンの新聞広告が載っている。キャッチフレーズは「明日、銀座から都電が姿を消す」である。これは秋山さんの作品集にも載っていてそのなかでもぼくがいちばん好きな広告である。和田さんがライトを辞めた、つまり銀座を後にしたのが1968年。この広告は1967年の暮れにつくられている。和田さんも書いているようにこれは今でも印象深い広告だ。
(1993.8.3)
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