高校の同期会があった。本来は還暦同期会という主旨で2020年に開催される予定だった。還暦を迎える年は2019年だったが、全員が60歳になったところで実施しようということで1年遅れで計画されたらしい。世の中にはおかしなことを考える人がいるものだ。当然のことながら2020年はコロナ蔓延で中止。新型コロナの感染が落ち着いてきたところで再度計画され、この5月に開催となった。還暦ではなく、高齢者同期会になった。
同期会とかクラス会にはあまり積極的に参加する方ではない。それでも3回か4回は出席している。同じクラスによくしゃべったりするような親しい人が少なく、卒業後のクラス会ではじめてことばを交わした人も多い。どんな仕事をしているのか、なぜ先生にならなかったのか(僕がすすんだ大学は教員養成系だった)、結婚しているのか、子どもはいるのか、歳はいくつかなどなど、面接みたいな質問を受ける。何年かして顔を出すとまた同じようなことを訊かれる。正直言って煩わしい。共通の思い出のようなものもない。話のきっかけがないのである。
落語で本題に入る前の世間話や小咄をまくらという。いろんな噺のまくらを紹介しているのがこの本である。おそらくは口述筆記であろう、するするとリズムよく読めていい。まるで圓生がしゃべっているみたいだ。
圓生といえば弟子に圓楽がいて、その弟子である楽太郎が圓楽を受け継いだ。それ以外の古い三遊派の名跡は受け継がれていない。園右、園遊、園馬などだ(三代目園右はつるつる頭の噺家でドラマやCMなどによく出演していたのをおぼえている)。若い世代からいい噺家が出てきたら、襲名させるべきではないかなと思うのだが、いかがなものだろう。もちろん大名跡圓朝は永久欠番として。
圓生や圓楽はやはりいてくれた方がいいと思う。
同期会であるが、ちょっと都合がつかなくて欠席した。けっして話題がないからという理由ではない。
2024年5月31日金曜日
2024年5月18日土曜日
三遊亭圓生『江戸散歩』
麹町、神田、日本橋、京橋、芝、麻布、赤坂、四谷、牛込、小石川、本郷、下谷、浅草、本所、深川。東京府に15の区が置かれたのは1878(明治11)年。1889(明治22)年に誕生した東京市はこの15区を市域としていた。府下の荏原郡、南豊島郡、東多摩郡、北豊島郡、南足立郡、南葛飾郡の町村は1932(昭和7)年に東京市に編入され、新たに20区が新設。東京35区が誕生した。1943(昭和18)年に東京府は東京都となり、東京市は廃止される。35区はその後再編され、今の23区になった。
江戸の市街は概ね東京15区だった。その名残りが多く見られるのがこの地域である。今で言う山手線の内側と日本橋、浅草、本所、深川である。品川の戸越は江戸越えの村というのが地名の由来とされている。この辺りは江戸ではなかったのである。
子どもの頃から落語は細々とながら好きな演芸だった。ユーチューブなどでよく聴くようになったのはここ10年くらいだろうか。大人になってから落語好きな知り合いが多くいたことに驚いている。
この本は三遊亭圓生が訪ねた東京、すなわち江戸の町や寄席などが数々の思い出とともに紹介されている。ラジオやテレビがなかった時代、寄席は映画館とともに娯楽の花形だった。都内各所にたくさんあった。また落語に出てくる町も江戸の町だ。ほほう、あの噺のあの長屋は上野広小路にあったのかなどと思いを馳せる。隔世の感がある。
実は圓生をあまり聴いたことがなかった。古い噺家で好きなのは古今亭志ん生。立川談志や志ん朝を聴くことも多い。圓生は食わず嫌いというか、端正な顔立ちと語り口が軽妙な噺家という印象が強く、そうしたイメージがかえって面白みに欠けると勝手に思い込んでいた。
せっかく圓生に江戸を案内してもらったのだからと思い、「髪結新三」と「紺屋高尾」を聴いてみた。この本の他、著書は何冊かあるようだ。もう少し読んでみたい。
江戸の市街は概ね東京15区だった。その名残りが多く見られるのがこの地域である。今で言う山手線の内側と日本橋、浅草、本所、深川である。品川の戸越は江戸越えの村というのが地名の由来とされている。この辺りは江戸ではなかったのである。
子どもの頃から落語は細々とながら好きな演芸だった。ユーチューブなどでよく聴くようになったのはここ10年くらいだろうか。大人になってから落語好きな知り合いが多くいたことに驚いている。
この本は三遊亭圓生が訪ねた東京、すなわち江戸の町や寄席などが数々の思い出とともに紹介されている。ラジオやテレビがなかった時代、寄席は映画館とともに娯楽の花形だった。都内各所にたくさんあった。また落語に出てくる町も江戸の町だ。ほほう、あの噺のあの長屋は上野広小路にあったのかなどと思いを馳せる。隔世の感がある。
実は圓生をあまり聴いたことがなかった。古い噺家で好きなのは古今亭志ん生。立川談志や志ん朝を聴くことも多い。圓生は食わず嫌いというか、端正な顔立ちと語り口が軽妙な噺家という印象が強く、そうしたイメージがかえって面白みに欠けると勝手に思い込んでいた。
せっかく圓生に江戸を案内してもらったのだからと思い、「髪結新三」と「紺屋高尾」を聴いてみた。この本の他、著書は何冊かあるようだ。もう少し読んでみたい。
2024年5月11日土曜日
山口拓朗『言語化大全』
自民党派閥による政治資金パーティー裏金問題では要領を得ない政治家たちが説得力に乏しい説明を繰り返している。いつどこで誰が何のために慣例化したのか、まったくわからないまま法改正の手続きをすすめている。説明責任を果たさなければならないと言うけれど説明責任なんて果たさなくてもいい。わかりやすく説明してくれればそれでいい。
うまく言語化できないという悩みに応えるのが本書である。言語化力を身につける上で大切なのは語彙力、具体化力、伝達力。とりわけ具体力が鍵を握ると著者は言う。よく整理されていてわかりやすい。具体化力のベースは5W3H。いつどこで誰がなぜ何をどのようにどれくらいでいくらでをできる限り明確にすることが基本である。「説明責任」を果たせない方々にぜひ読んでもらいたい。
若い世代にとってコミュニケーション能力は身に付けたいスキルのひとつになっている。「コミュ力(りょく)」と略されることも多い。
背景にはコミュニケーション能力の必要性が増した社会があるのだろう。適切に言語化することで正確に意思疎通をはからなければならない時代なのかもしれない。曖昧な物言いや仲間内だけにしか伝わらない話し方がここ何年かでずいぶん少なくなってきたような気がする。昔みたいに「言わなくたってわかるだろう」という世の中ではなくなっているのだ。
オフコースのヒット曲に「言葉にできない」(作詞作曲小田和正)があるが、言語化できないのと言葉にできないのとでは少し違うと思っている。世の中のあらゆるものが言語化できるというわけじゃない。事実とか事象ではない事柄、たとえば感情世界や感覚世界などは言語化するのは難しい。もちろん何かにたとえるとか、類似したもので説明することは決して不可能ではないだろう。ただそのものずばり、その本質を言葉にするのは困難な作業だ。
言葉にできないものは言葉にできないままにしておくのがいいと思う。
2024年5月7日火曜日
大岡昇平『武蔵野夫人』
大岡昇平『武蔵野夫人』を読む。
舞台は国分寺崖線。昔の多摩川が武蔵野台地を削った崖地である。地元では「はけ」と呼ばれている。小説の冒頭ではけがどうやってつくられたか、どんな特徴を持つ土地かが紹介される。読みすすめるにつれ、行ってみたいと思う。
実を言うと40数年前にはけの道を歩いたことがある。大学一年のとき。一般教養の地理の授業だった。担当の先生は名前ももう忘れてしまったが、授業中寝ている学生を今おもしろい話をしてるからといってわざわざ起こしに来るような人で、2回目か3回目の講義のときに教室を出て、国分寺崖線を案内してくれた。さして地理だの地形だのに強い関心を持っているとは思えない(僕だけか?)新入学生相手の一般教養の講義でフィールドワークをしちゃうことからして熱心な先生だったんだなと今になって思う。
中央線で国分寺駅。東に向かって歩きはじめる。野川の北側の道に出て、さらに東進。途中に貫井神社がある。湧水が見られる。手を振れはしなかったが、清冽で冷たそうだ。さらに東へ。北に向かえば武蔵小金井の駅に通ずるであろう通りを横切る。間もなくはけの森美術館にたどり着く。その隣の家が『武蔵野夫人』の舞台となった「はけの家」である。
物語の主人公は秋山道子。夫は大学でフランス語を教えている。学徒召集で南方に渡った従弟勉が復員してくる。勉はジャングルを彷徨い、地形に関して少なからず興味をおぼえたようだ。はけの家周辺をよく散策しては強く惹かれる。勉は作者自身を投影させた存在だろうか。大岡も南方(ビルマではなくフィリピンだが)から復員している。また主に渋谷辺りで育った彼にとって、宇田川や渋谷川といった水辺は身近な存在だった。野川流域の河岸段丘に魅力を感じたのはそのせいもあるのではないか。
夏になると戦争の本をよく読む。武蔵小金井駅で帰りの電車を待ちながら、今年は『レイテ戦記』を読んでみようと思った。
舞台は国分寺崖線。昔の多摩川が武蔵野台地を削った崖地である。地元では「はけ」と呼ばれている。小説の冒頭ではけがどうやってつくられたか、どんな特徴を持つ土地かが紹介される。読みすすめるにつれ、行ってみたいと思う。
実を言うと40数年前にはけの道を歩いたことがある。大学一年のとき。一般教養の地理の授業だった。担当の先生は名前ももう忘れてしまったが、授業中寝ている学生を今おもしろい話をしてるからといってわざわざ起こしに来るような人で、2回目か3回目の講義のときに教室を出て、国分寺崖線を案内してくれた。さして地理だの地形だのに強い関心を持っているとは思えない(僕だけか?)新入学生相手の一般教養の講義でフィールドワークをしちゃうことからして熱心な先生だったんだなと今になって思う。
中央線で国分寺駅。東に向かって歩きはじめる。野川の北側の道に出て、さらに東進。途中に貫井神社がある。湧水が見られる。手を振れはしなかったが、清冽で冷たそうだ。さらに東へ。北に向かえば武蔵小金井の駅に通ずるであろう通りを横切る。間もなくはけの森美術館にたどり着く。その隣の家が『武蔵野夫人』の舞台となった「はけの家」である。
物語の主人公は秋山道子。夫は大学でフランス語を教えている。学徒召集で南方に渡った従弟勉が復員してくる。勉はジャングルを彷徨い、地形に関して少なからず興味をおぼえたようだ。はけの家周辺をよく散策しては強く惹かれる。勉は作者自身を投影させた存在だろうか。大岡も南方(ビルマではなくフィリピンだが)から復員している。また主に渋谷辺りで育った彼にとって、宇田川や渋谷川といった水辺は身近な存在だった。野川流域の河岸段丘に魅力を感じたのはそのせいもあるのではないか。
夏になると戦争の本をよく読む。武蔵小金井駅で帰りの電車を待ちながら、今年は『レイテ戦記』を読んでみようと思った。
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