2020年9月5日土曜日

獅子文六『南の風』

ここ何年か、獅子文六の作品を読んでいる。
ちくま文庫が主であるが、ときどき違う文庫も手にとってみる。印象としては横浜や四国宇和島が舞台で、という印象が強く、九州鹿児島が出てくる話には多少違和感をおぼえる。
この小説は昭和16年、朝日新聞に連載された。『悦ちゃん』『胡椒息子』『沙羅乙女』といった大戦前の作品と『てんやわんや』『自由学校』『やっさもっさ』など戦後作品の中間に位置付けられる。宇和島が出てこないのは当然のことである。
主人公は東京生まれ東京育ちであるが、両親は鹿児島の士族の出。シンガポールから物語がはじまるように小説全体のベクトルは南へ南へと志向する。大日本帝国のその後の南方進出を意識した話であると思われるふしもなきにしもあらず。時代がそうさせたのだといえばそれまでであるが。
六郎太をはじめ、その後の獅子文六の小説を彩るキャラクターの原形が登場しているように思える。異国情緒をにおわせる雰囲気もすでに描かれている。力強く生きる新しい時代の女性像も確立されている。この頃書かれた他の小説にもさらなるヒントが隠されているかもしれない。
西郷隆盛といえば、芥川龍之介も1918(大正7)年に短編「西郷隆盛」を書いている。この小説と同様、西郷は西南戦争で死んでいない、南の島にわたって云々という風聞が題材になっている。その時代に生きていたわけではないが、たしかに西郷の最期を誰がどう確認したのかは謎のままでおかしくない。たしかめようもない。
源義経にも同じような伝説が流布されたが、小さな島国日本にとって国民的英雄が強く求められ、愛されたということか。野茂英雄、イチローらがやがて海をわたって活躍するシーンに僕らもまた熱狂したものだ。それとこれとは話が違うけれど。
春日八郎が歌う「お富さん」ではないけれど、あの人、実は生きていたという話はどことなく興味をそそる。人間ってやっぱり生きていてこそなのだろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿