年に一二度軽井沢の知人を訪ねる。行ったついでに小諸に立ち寄ったり、善光寺に行ったり寄り道して帰る。長野県とはその程度の薄い付き合いをしてきた。
この本を読んで、ふと思い出した。大学に入った年の春、茅野に行ったことを。たぶん新入学生歓迎行事のひとつで学科の70人が茅野駅で下車し、大学の研修施設みたいなところで宴会をし、一泊した。ほとんど酔っぱらっていたので何も憶えていない。かろうじて思い出せるのは駅からその宿泊施設までずいぶん長いこと歩かされたことと途中遠くから諏訪湖を望んだことくらいか。この小説の舞台は蓼科だが、かすかに記憶している施設は蓼科の反対側だったことだ。
蓼科には行ったことがない。御射鹿池も。後で東山魁夷の「緑響く」をネットで見たら行ってみたくなった。
母親に見放されたひきこもりの青年、麻生人生が蓼科に住む祖母を訪ね、米づくりに精を出す物語。祖母の家にはもうひとりの孫がいた。シングルマザーに育てられ、後に母親が人生の父親と結婚したことで祖母と血のつながらない孫になったつぼみ。人生がひきこもりになったのは高校時代に壮絶ないじめにあったせい。いじめ、ひきこもり、シングルマザーと現代的な問題が見え隠れする。しかも祖母は認知症になってしまう。蓼科で米をつくるだけの話にしては深い物語になっている。
母の実家も米をつくっていた。昔ながらの足踏み式脱穀機があったという。この本で脱穀機の音はグワングワンであるが、母の記憶の音はガーインガーインだった。農作業の手伝いが嫌いで畑仕事を避け、8歳違いの弟の子守りを率先して引き受けていた母であったが、ガーインガーインだけは楽しかったのだろう。
僕は米づくりも畑仕事も無縁の「人生」だったが、母の子ども時代を思い出させてくれた作品に出会えたことはラッキーだった。それにしても主人公の名前が人生というのはいかがなものか。読みにくいったらありゃしない。
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