2026年1月30日金曜日

浅田次郎『壬生義士伝』

幕末を舞台にした本を何冊か読んではいるが、新選組に関してはたいした興味を持てないままだった。どんな隊士がいたかと訊ねられても近藤勇、土方歳三、沖田総司、永倉新八くらいしか答えられない。一応、司馬遼太郎の『燃えよ剣』だって読んでいるのに。ここに登場する吉村貫一郎などは創作上の人物かとはじめ思っていたくらいだ。
武士というものは学問と剣術に励み、身に付けることで権力を持つのだと単純に考えてしまうが、武士は武士で階層社会に生きている。吉村貫一郎は盛岡藩の足軽だった。武家社会では最下層であり、薄給の身分だ。食うや食わずの生活を送っていたが、妻子を養うために脱藩し、新選組に加わる。攘夷派志士らを惨殺することで金銭を得て、郷里に仕送りする。なんとも貧乏くさい侍である。
ところが読みすすめるうちに吉村貫一郎という人物が魅力的に見えてくる。この小説で吉村貫一郎は主人公には違いないのだが、物語の真ん中でストーリーをぐいぐい動かしていくわけではない。彼を取り巻く人々に語らせることで徐々にその人物像が明らかになっていく。先日読んだ『木挽町のあだ討ち』もそんなつくりの小説だった。あだ討ちの目撃者や関わった人物の証言によって少しずつ事件の全貌が見えてくる。取材・証言形式の小説とでもいおうか。もしかしたら著者の永井紗耶子は浅田次郎のこの小説をヒントにしたのかもしれない。あるいは時代物の小説ではよくあるパターンなのか(このジャンルを多く読んでいないのでわからないが)。
浅田次郎を読むのは一連の『蒼穹の昴』シリーズを読んで以来久々である。僕は常々、浅田次郎という作家は大人のおとぎ話を綴ることができる人物という認識を持っている。今回も「家族」と「友情」という普遍的なテーマについてずいぶん考えさせられた。侍らしい侍とは単に剣術だけでなく、こうした普遍性を心根に持ち続ける人ではないだろうかとも思った。

2026年1月24日土曜日

高橋源一郎『「書く」って、どんなこと?』

小学生の頃、読書ノートを書いていた。本を読み終えたら、そのあらすじや感想などを書きとめる。そんな面倒くさいことって子どもだったからできたのだろうと思う。そもそもが読書感想文は苦手だった。思ったことを書くというのはちょっと恥ずかしい気がした。
このブログをはじめて20年になる。大人になって読後メモを書くようになったのは30歳を過ぎた頃だった。かれこれ30数年、たいして役に立たないメモを書き続けている。
こういう書き方をすれば長く続けられるかもと思ったのはキネマ旬報の連載「安西水丸のシネマストリート」を読んでからだ。この連載は和田誠による「お楽しみはこれからだ」の後を受けてはじまった連載である。安西も和田に勝るとも劣らない映画フリークだったがまともな映画談議になれば和田のシリーズを越える連載はハードルが高すぎる。安西は作品にまつわる自身の思い出やその映画を見た日のことなどを綴り、「お楽しみは」にはない肩の力の抜けたゆるい連載に仕立て上げた。
先ほども書いたように読書感想文は苦手だ。不得手なものを無理矢理書きとめるよりかはその本を読んで思い出したこと、読んだときの状況なんかを記しておいた方がよほど後々役に立つのではないか。そんな思いではじめた読後ノートがこのブログである。
ところで「書く」って何なんだろう。
以前読んだ『言葉からの自由』で三島邦彦は「書くことは思い出すことに似ている」と述べている。この本はコピーライティングの本である。自らの人生の記憶なかの言葉を拾い集めることで広告コピーは書かれるというわけだ。
高橋源一郎は考えながら書くことがすべてではないという。考えずに書くという行為も存在するらしい。夏目漱石の『坊っちゃん』は考えずに書かれたという(本当か?)。登場人物になり切る書き方とでも言おうか。
僕は今、この文章を考えながら書いている、考えないで書いても同じかもしれないが。

2026年1月16日金曜日

杉並第五小学校創立七十周年記念事業実行委員会『新杉五物がたり 付荻窪物語』

杉並区に住むようになって30数年。
西武新宿線沿線の井草に10数年、天沼に移り住んで10数年になる。井草に住んでいた頃、近隣には桃井第五小学校があり、天沼には杉並第五小学校があった。井草と天沼はさほど離れていないのにどこからが杉並でどこからが桃井なのかわからないでいた。荻窪駅の北側には杉並第五小学校があり、南側には桃井第二小学校がある。それで杉並区の行政区分はどうなっているのか疑問に思った。
杉並区は現在、区内を通る鉄道に沿って、井草(西武新宿線)、荻窪(JR中央線、東京メトロ丸の内線)、西荻、阿佐谷、高円寺(JR中央線)、方南和泉(東京メトロ丸の内線、京王線)、高井戸(京王井の頭線)の七つの地域に区分されている。しかしこの区分は鉄道が整備されて以降のもので歴史的な側面は度外視されている。もともと杉並区は杉並町、和田堀町、井荻町、高井戸町が合併して誕生した。上荻窪村、下荻窪村、上井草村、下井草の合併で生まれたのが井荻村(町)である。桃井第一小学校はかつての井荻村役場に隣接する薬王院の薬師堂を最初の校舎にしたそうだが、井荻町の小学校が桃井第〇小学校で杉並町の小学校が杉並第〇小学校である(他にも高井戸第〇小学校もある)。現在の小学校の所在地に昔の地図を重ね合わせるとよくわかる。
この本は創立70周年を迎えたときに杉並第五小学校の教職員、卒業生や地元民の協力で生まれた貴重な史料である。小学校の歴史もさることながら、天沼という集落とその歴史を読み解くうえで大いに参考になった。巻末には「荻窪物語」が付されている。鉄道開設後の荻窪の発展が丁寧に記されている。著者は松葉襄。1965年から2020年まで発行された杉並のタウン誌『荻窪百点』の編集長である。
杉並第五小学校は2006年に創立80周年を迎えたが、2008年若杉小学校と合併して天沼小学校として生まれ変わり、新たな歴史を刻んでいる。

2026年1月8日木曜日

原真『音と光の世紀』

2026年を迎えた。
寒い日が続く。ついこないだまで最高気温40度に近い毎日を送っていたことが俄かに信じられない。猛暑の日々のなかでやはり地球は温暖化しているのだ思い込み、なあに冬だってたいしたことはないだろう、今年は暖冬に違いないと身体に勝手な思い込みが染みついてしまっているのかもしれない。
いつだったか、北海道北見の予想最低気温が-40度だった。去年の7月、最高気温39度を記録した場所だ。年間の気温差が80度。どこか地球ではない惑星の話ではないかと思う。
正月三が日はいつも通りテレビを見て過ごした。とりわけ箱根駅伝と大学ラグビーは毎年欠かさず見るようになっている。それにしても今年の青山学院は強かった。一区の選手が出遅れたようにも見えたが、所詮は一区だ。その差は1分ちょっと。二区も三区も低迷したわけではない。差を詰めている。往路は後半四区五区勝負と見ていたのだろう。競馬でいえば最後の直線で一気に差し切ったカタチだ。
3日はラジオも聴いた。毎週土曜日に聴いている伊東四朗の番組とさだまさしの番組の放送が通常通りあった。
去年はラジオ放送がはじまって100年の年。放送100年ということで昭和100年と相俟って特番などが多数組まれた。ちなみにテレビは1953年開始だから去年は72年ということになる。テレビで放送100年を特集するのは少し無理があるかと思った。
ラジオもテレビもその黎明期にはさまざまなドラマがあったはず。その初期のねらいは軍事利用だったのではないかとも思うがどうだろう。
この本は放送の技術、制度、ビジネスなど総合的な視点で放送の歴史を追っている。その点評価できる。丁寧に取材し、資料を読み解いている。それでも読んでいて何か物足りなさを感じる。それは贅沢なことなのかもしれないが、もっとドラマチックでスリリングな放送の舞台裏も(もしあればのことだが)覗いてみたかった。