2022年6月19日日曜日

太宰治『晩年』

それにしても梅雨時はじめじめして不快だ。湿度がものすごく高くて、いつ雨が降ってもおかしくない天候のこの季節が大好きなんですよ、という人はそう多くないだろう。
6月末の一週間をフランス、コートダジュールで過ごしたことがある。天候が安定し、バカンスシーズンがはじまるこの季節。地中海の海岸沿いの町も空気がからりとして過ごしやすい。冷やしたロゼワインがおいしい。
天国みたいな町から飛行機を乗り継いで、成田に着く。空はどんよりしていて、よく見ないとわからないくらいの細かい雨が降っている。空港を出るともうだめだ。眼鏡が曇る。というより身体全体が曇りはじめる。こんな目に遭うくらいならフランスなんか行かなければよかったとさえ思う。
太宰治はフランス語をまったく知らないまま、東京帝国大学のフランス文学科に進んだ。フランス語をほとんど知らないまま、フランスを旅した僕の境遇に近いものを感じる。
今日は桜桃忌だった。
おそらく三鷹の禅林寺には多くのファンが集まったことだろう。以前も書いたが、僕はさほど太宰のファンではない。人生のある時期、集中的に読んだ経験があるとしても。
文庫本で出ている太宰治の小説は20代の頃、ほとんど読んでいる。読み残した作品もまだあるだろうということで筑摩書房の太宰治全集も持っている。まったくページをめくっていない巻もある(むしろそっちの方が多いか)。今年に入って、ふと読みなおそうと思い立って、『人間失格』『斜陽』『ヴィヨンの妻』を読んだ。多少記憶に残っている小説もあるが、ほとんはじめて読むような感じだった。
『晩年』は太宰の最初の短編集である。以前読んだときはそんなことすら知らなかった。ある程度歳をとって、多少なりとも知識を得て読みかえしてみると、若き太宰の苦悩の日々が思われる。『津軽』を何度目かに読んだとき、続けて「思ひ出」を再読した記憶がある。それだけはおぼえている。

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