歯の治療をしたあと、出血が止まらなくなり、検査したところ急性骨髄性白血病と診断された。半年に満たない闘病であった。祖父も50代半ばで戦後まもなく病死している。父親よりわずかに長生きしたとはいえ、あっけない人生の幕切れであった。
安西水丸はイラストレーションのほかに小説やエッセイなどを遺している。この短編集は嵐山光三郎が編んだものである。生前の安西を支えた主要人物といえば嵐山、村上春樹、和田誠であろう。なかでも嵐山は渡辺昇時代からの盟友である。そもそも嵐山と平凡社で出会わなかったら。安西水丸は生まれ得なかったといっていい。
1980年代の半ばくらいだったか、安西は嵐山と二人展なるものを開いた。ちょっとした異業種のセッションみたいなリラックスした雰囲気だった。会場は銀座。たまたま縁あってオープニングパーティーに出向いた。大きな寿司桶が重ねられていた。寿司屋の店主が会場に来ていた。俺はお前のおふくろさんの従弟だと言われてびっくりした。場所が銀座だったとおぼえているのは、母の従弟の寿司屋が銀座にあったからだ。そのときはじめてである、嵐山光三郎を間近で見たのは。
嵐山がチョイスした短編のいくつかはすでに読んでいたが、氏の姿を思い浮かべながらもう一度読んでみる。「消えた月」に登場する佐竹、「柳がゆれる」の奥津はともに急性白血病と診断される。この二編は1998年に出版された『バードの妹』という短編集に収められている。安西の身近に急性白血病になったモデルとなるような人物がいたのだろうか。少し気になる。
そういえば銀座での二人展以前に僕は嵐山光三郎を見かけたことがある。
伯父の葬儀(お別れの会)が執りおこなれた信濃町の千日谷会堂で、である。目の覚めるような真っ白い羽織袴でさっそうと祭壇の前にあらわれ、献花した姿を思い出す。
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