2022年6月6日月曜日

檀一雄『小説太宰治』

6月19日は桜桃忌。
入水自殺した太宰治の遺体が見つかった日である(太宰の誕生日でもあるらしい)。三鷹の駅からかなり歩く禅林寺に今なお多くのファンが集まるという。
墓参りをするほどのファンではないけれど、太宰を読むのは案外好きで忘れた頃に昔読んだ小説を読みかえしている(なかでも『津軽』はもう何度も読んでいる)。太宰の魅力的な文章についつい引きこまれてしまう。
40年に満たない太宰の人生はエピソードにあふれている。その数々をあるときは編集者が、あるときは作家仲間が、そしてあるときは遺された遺族が語っている。この本は小説家として開花することを夢見ていた仲間であり、太宰の豊かな才能を敬慕していた檀一雄による。もちろん檀ひとりの記憶とわずかな資料に基づくだけだからノンフィクションとはなりえない。タイトルに小説と付されているのは、あらかじめお断りしているということだろう。
太宰治の生涯をくわしく知らない。ましてや檀一雄についてもよく知らない。以前深作欣二監督「火宅の人」を観た以外に接点はなかった。練馬区の石神井公園の近くに住んでいたことは知っている。長男がCMプロデューサーで美食家として知られている。同じ業種だったこともあり、築地界隈で何度か見かけている。長女は女優である。
太宰と檀の間に交流があったことも実は先日読んだ沢木耕太郎『作家との遭遇』ではじめて知る。太宰より20年も無駄に生きているわりには知らなかったことが多い。熱海まで赴いて、消防夫の協力を得て、行方不明になった太宰をさがしたのは檀であった。荻窪に戻って、そのようすを話しているときに鎌倉の山で自死できなかった太宰が帰ってくる。
檀一雄は1937(昭和12)年に召集され、中国に出征している。軍務が解かれても大陸に残り、放浪生活を送る。
檀の記憶が断片的なのは、太宰に太宰の人生があったように檀には檀の人生があったからだ。

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