先日、NHKの音楽番組でピアノの歴史を放映していた。
弦を爪に弾くチェンバロにくらべ、ピアノはハンマーで弦を叩くしくみを持つ。音の強弱を鍵盤のタッチで表現できるようになった。18世紀以降急速に普及する。そして最初にピアノを見た日本人は大黒屋光太夫であると伝えていた。
ときどきではあるが、吉村昭を読む。丹念に資料にあたり、関係者の話を聴く。創作によるところもあるにはあるが、史実に忠実に描いていくその姿勢に感服する。とりわけ感心するのはテーマとなる事件が終わったあと、後日談もしっかりまとめ上げるところだ。作品をドラマティックに終えてもそれはそれでいいと思うのだが、大概の場合、吉村昭は事件後を描く。ふりかえる。
たいした予備知識もなくこの本を読みはじめた。漂流したわけではないが『アメリカ彦蔵』『大黒屋光太夫』のような話なのだろうと思っていた。それにしてもロシアというのはひどい国である。これはあきらかに拉致事件といっていい。当時、日本とロシアは摩擦状態にあったというが、おそろしい話である。
主人公五郎治は二度逃亡を試みる。樺太の500キロ北にあるオホーツクからである。はじめは陸路で、続いて船で。いずれも追手に捕らわれるのであるが、極寒の地で飢えと戦いながらの逃亡劇は『長英逃亡』とはまた違った意味でスリリングだった。
五郎治は5年後、国後島に帰ってくる。大黒屋光太夫は帰国まで10年かかったから、ロシア滞在期間は半分である。光太夫がロシアでピアノをはじめて見たように、五郎治は種痘の現場を目撃する。その方法を詳細に筆記する。参考となる文献も手に入れる。
鎖国政策の時代であるから、海外からの帰国者はきびしい尋問を受け、行動を制限される。監視もされた。それでもようやく日本の土を踏んだ五郎治。まずはめでたしめでたしだった。ところがここから後日談がはじまる。
吉村昭が伝えたかったのは帰国後の五郎治だったのだ。
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