入幕したばかりの頃の白鵬をおぼえている。無駄も無理もないしなやか取り口でいずれは名力士になるであろう予感を持った。少年時代に卵焼きと読売巨人軍と並び称される国民的横綱大鵬がいた。若かりし頃の大鵬は知らないが、おそらく大鵬は白鵬のような柔軟な相撲を取っていたのではないかと想像した。
大鵬も白鵬も若くして頂点を極めた力士である。世間の風あたりも強かっただろう。横綱の地位は相撲の強さ以上の強さが求められる。その点、朝青龍も日馬富士も土俵の外で弱かった。横綱という地位はやはりたいへんなのだ。
白鵬は相撲を格闘技ととらえていた。もちろん相撲は格闘技ではあるのだけれど、神事であり、武道である。そのことを忘れて勝ち負けにこだわった相撲人生だった。彼の残した数々の記録がかすんで見える大相撲ファンは僕ひとりではないはずだ。
丹野智文は若くしてアルツハイマー型認知症と診断された。39歳のときだった。若さゆえに当時の絶望感もひとしおだったに違いない。もちろん今だって絶望感に襲われることがあるだろう。それでも彼は多くの認知症当事者に発信を続けている。当事者が暮らしやすい社会に向けて声を発している。自らの経験から得たアイデアを広く伝えている。
忘れることに備える工夫や予定を間違えない工夫、置き忘れをなくす工夫・物をなくさない工夫など、その工夫の数々が素晴らしい。タブレットやスマートフォンを積極的に活用していることも若い当事者ならではだ(高齢者には少しハードルが高いかもしれないけれど)。そしてこの本を執筆する際にもスマートフォンのメモアプリや読み上げ機能を活用したという。
丹野智文の文章や語り口には持ち前の明るさ、素直さが感じられる。そのせいもあって彼は、彼を支援してくれる人びとに恵まれている。
これからも多くの当事者の希望の星になってもらいたいと思う。
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