味の素は非常によくできた調味料だと思う。
子どもの頃夏休みは南房総の町で過ごした。両親ともに実家が白浜、千倉、その辺りだった。
父方の祖父(といっても母方の祖父は母が中学生の頃他界しているので写真でしか見たことがない)は味の素が好きだった。漬物はもちろんのこと、味噌汁にも、煮物にも、焼き魚にも味の素をふって食べていた。下手をすれば西瓜にもかけただろう。ただ、僕と同様、西瓜を口にしなかった人なのでその場を目撃することはなかった。
築地市場場内の定食屋などでカウンターに味の素が置いてあるとうれしくなる。とんかつ屋のキャベツやごはんと同様、お好きなだけどうぞというオーラを発している。ついふり過ぎてしまう。海老一染之介が土瓶をまわし過ぎるように。
わが家にも味の素があるのだが、家族は皆味の素をふる習慣がない。おそらく買ったものではなく、誰かに(たとえばぼくの実家の母に)もらったものだろう。うちでは味の素を買ったことはない。ひと袋があまり減ることなく残っているのは僕ひとりが細々と使っているせいだ。具体的には休日の朝などに目玉焼きを焼いて、ご飯にのせ、混ぜて食べる。このとき醤油と味の素は必須調味料である。納豆に混ぜるときもある。それ以外にはまず使わない。わが家では味の素は貴重なのである。
味の素の話を引っ張りすぎた。
井上ひさしの『日本語教室』は氏の上智大学で行われた講演をまとめたもの。井上ひさしは上智のOBだったんだ。
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