2009年10月28日水曜日

チャールズ・ディケンズ『オリバー・ツイスト』

結局、VAIOは起ち上がらず、さりとて、リカバリディスクもなく、fedoraというLinuxをインストールして現在に至っている。
買い換えるにも先立つものがなく、Windows7なるものがどうなのかもいまだつかめず、Macintoshに戻るのも悪くないなあとも思ったりして、現時点で確たるコンピュータ環境が構築できないでいる。
まあ、fedoraでメールのやりとりやwebの閲覧はできるし、Word、Excel、Powerpointのデータも開けるし、編集もできる。使ったことはないが、Photoshopの代わりになるgimpもある。Windowsでもない、MacOSでもないOSが入っているだけだと思えば、さほど苦にならないのだが、そのうちなにか起こりそうな気がしている。ああ、やっぱりWindowsじゃなきゃだめじゃん!みたいな状況が…。
PCに関しては不安な状況が続くが、ディケンズの小説は最終的にハッピーエンドなので、安心できる読み物だと思っている。
『オリバー・ツイスト』は長編と言われているが、たいていのディケンズ作品は長いので読んでいてもさほど苦にはならない。しかもどんなにつらい日々の連続であろうと、最後はやっぱりディケンズだぜ!と思うと希望の光も射し込んでくる。
当時の人気を博した若手作家ディケンズにとってはこの程度の無理矢理なストーリーは当たり前のことだろうが、現代の韓流ドラマも実はかなり、彼の影響を受けているんではないだろうか。
なんて思ったりして。

2009年10月25日日曜日

庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』

昭和40年代、姉が高校生の頃本棚にあった一冊。
いっとき庄司薫は、今の言葉で言えばかなり“ブレーク”した存在だが、何ヶ月か前に毎日新聞の夕刊で取り上げられていたのがきっかけで読んでみることにした。
著者は1937年生まれだから、高校在学期間は53年から57年。それに対し、主人公の“庄司薫”は学校群制度の直前の日比谷高生だから、66年から69年にかけて在学していたということだ。それなりに齢を重ねて、青春時代を回顧しつつ、当時の若者に自分を投影したということだろう。
多くの指摘があるようにサリンジャーの“The Catcher In The Rye”に似た語り口になっていて、当時の習俗とか若者たちのものの考え方がよく描かれている。
ただ、いかんせん、頭のいいやつ、という印象はぬぐいきれない。勉学のかたわら、軽く小説のひとつふたつはさらさらっと書き上げるくらいの能力のあった人なんだろうなと思う。
それにしても学校群制度の全盛期に育ったぼくらの世代にとって、本書は日比谷高校の恰好のガイド本であっただろうと思う。「サアカスの馬」が九段高校(現千代田区立九段中等教育学校)のガイド本だったように(なことないか)。


2009年10月20日火曜日

重松清『リビング』

さて、起ち上がらなくなったパソコンだが、ハードディスクが壊れてしまったのか、起動するためのソフトが壊れてしまったのか判別しがたい。なにしろセーフモードでも起ち上がらないのだから。ただなんとなく直感的にはハードディスクのデータ類はやられていないはずという思いがあった。たとえばCDドライブからOSを起動できれば、ネットワーク経由でデータを別のパソコンに移せるのではないか、あるいはUSB接続した外付けハードディスクに。
リカバリして初期状態に戻すのは簡単だ。ただスペックの落ちたハードウェアの復旧より、中のデータが最優先だ。別パソコンでいろいろ調べてみたら、CDROMから起動するLinuxがあるという。その名はknoppix、クノーピクスと読むらしい。Debian系Linuxの進化系か。
ものは試しと最新版(6.0.1)をダウンロードして、isoファイルをCDRに焼いて、VAIOのドライブから起ち上げてみる。おなじみのペンギンがあらわれ、なんなくGNOMEの画面が登場。ファイルユーティリティソフトを起動して、ハードディスクにアクセスする。画面にはWindows のCドライブ、Dドライブに相当する/media/hda2、/media/hda5が表示されている。コンソールからroot権限で“mount -r /media/hda2”と打ち込んでもerrorらしきメッセージが帰ってくる。せっかくここまでたどりついたっていうのに。ただLinux上ではハードディスクのパーテーションが認識されていることがわかった。しかもVAIOのリカバリー領域である/media/hda1というドライブはなぜか自動でマウントされている。ハードディスクそのものが損傷を受けているという可能性は低い。なんらかの理由でマウントできないだけなのではないだろうか。
翌日、またネット上であれこれ調べてみた。マウントできない原因のひとつとしてLinuxがハードディスクの一部をswap(システムが落ちないようにハードディスクを部分的にメモリに割り当てるもの)に使っているからではないかと思い至った。どうやら起動の際、“boot:”のあとに“knoppix noswap”とオプション指定するといいらしいとどこかに書いてあった。さっそく試して、マウントすると今度はエラーが出ない。ファイラーで開くとなんとドライブの中身が無事残っている。knoppixCD版にはOfficeに相当するアプリケーションが入っているのでパワーポイントやワードで作成したデータをふたつみっつ開いて確認。画像データもgimp(Linux定番のPhotoshopみたいなアプリケーション)で確認。動画ファイルも生きていた。
ネットワーク経由の移送は設定がよくわからなかったので外付けHDDをUSBにつないでマウント。ほぼ全データをバックアップすることができた。
長生きはしてみるもんである。
あ、そうそう重松清。『リビング』。ずいぶん前に読んだ単行本をぱらぱらと読み返したんだっけ。
パソコンが飛んで、すっかり忘れっちゃったよ。



2009年10月17日土曜日

ハンス・クリスチャン・アンデルセン『絵のない絵本』

仕事場のすぐ近くに平河天満宮という社がある。
小ぶりではあるが、歴史があるらしく、正月初詣に来る人も少なくないようだ。
ご近所のよしみということもあって、ときどきお参りに行く。たいていは仕事がうまくいきますようにとか、家族の無事や健康をお願いするのである。ご利益があるかといえば、案外(といってはとても失礼であるが)ある。なんとなくうまくいく、のである。
その神社の神様というのがどのような方なのか、お目にかかったこともなく、そのプロフィールなども存じ上げないのだが、想像するに、とてもいいお方なのだろうと思っている。とても感謝している。
アンデルセンというとパン屋さんな感じがするのだが、Andersenをアンデルセンと読むのは日本独自のものであってデンマーク流に読むとアナスンとかアネルセンに近いという(訳者解説より)。アンデルセンがアナスンだったら、はたしてこれほどまでに日本で愛される小説家になっていたかどうか。あのパン屋の名前はどうなっていたのだろうか。
つまらないことを考えてしまった。
夜空に浮かぶ月目線、その月が見つめ、見守る、世界の人々の小ドラマがこの小編の持ち味だ。ちょっと日本的な神様を髣髴とさせる。
とても想像力豊かな仕立てにもかかわらず、ひとつひとつのストーリーは簡潔で、あっさりしている。悪く言えば物足りない。この枠組みで世界紀行的な大長編が編まれてもいいのに、と思った。
先日長年使っていたパソコン(VAIOのtypeT90)が起動しなくなった。たまたまだいじな書類をメールで送った直後だったので大きな被害を被ったわけではなかったが、その後その書類の修正を求められ、別のパソコンで一からつくりなおさなければならなかった。
それにしてもパソコンが起ち上がらないということがこんな悲劇的な思いをともなうとは、なんとも嫌な世の中になったものだ。
真っ青な画面だけしか映し出さないディスプレイを眺めているうちに、ふとこうしてはいられないと思い、急いで平河天満宮に行った。


2009年10月14日水曜日

椎根和『平凡パンチと三島由紀夫』

頼まれると断れない性格、といえば聞こえはいいが、実際のところ臆病なだけだったりする。
臆病なだけなら、まだいいが、これは君にしか頼めない仕事なんだ、などと言われようものなら、もうたいていのことをほったらかして、取り組んでしまう。やっている仕事のできばえはともかく、期待されることがきらいじゃない。これは性格というより、そう育てられたからなんだろうと思う。
何が言いたいかっていうと要は小さいながらも仕事が重なり、人から見ればそんなものは気球にのせたわたがしのようなごく軽い期待を重圧と解している情けない自分に今、直面しているということだ。仕事が楽しくないわけではない。ただそれより重圧の方が大きくなっているだけのことだ。もしかしたらそんなお年頃なのかも、そろそろ。
椎根和は往年の平凡パンチ誌の編集者。三島由紀夫とは出会いは、いわゆる作家と編集者という関係ではなく、文学者としての三島というより、当世の文化人、スーパースターとしての三島に接していたというのだからおもしろい。けっしてさげすんだものの言い方ではなく、いわゆる週刊誌の記者だったんだなと思わせる、日常的な三島観がおもしろいのだ。
とはいえ、三島の、俗な部分にもっと徹底的に光を当てるという書き方もあったのではないかと思う。ベルクソンやサルトルは異様な登場の仕方だと思うし、キリスト教的な話や横尾忠則やらビートたけしやら、あまりに多方面から切ってくるので焦点が定まらない気もする。専門書には短く、エッセーには長い、そんな印象の不思議な本だ。
そういえばしばらく三島由紀夫を読んでいない(『三島由紀夫のレター教室』ってのは最近読んだけど)。
読んでみるかな、久々に。

2009年10月10日土曜日

谷川俊太郎+和田誠『ナンセンス・カタログ』

最近、はまっているテレビ番組は早朝7時からNHK教育テレビで放映している"シャキーン"だ。
ここ何年か、教育テレビでおもしろいコンテンツが制作、放映されている。
"ハッチポッチステーション"や"クインテット"など大人が見てもじゅうぶん楽しい。
それにしても"シャキーン"は秀逸だ。ターゲットである小学生たちにはちょっともったいない。
"シャキーン"に関してはへたな説明をするより、いちど視てもらったほうがいいと思うので、これ以上深入りして解説はしない。

和田誠のすぐれたところは一見つまらなそうなことでも楽しく愉快なイメージにしてくれるところだと思う。
彼の装丁した本はどれも面白そうに見えてしまう。
谷川俊太郎も同様のことが言える。日常の些細なできごとにぐーんとひろがりと奥行きが与えられる。
マザーグースなども英語で読んだらかなり難解だ。そのことばのひとつひとつを単に日本語に嵌め換えるのではなく、そのわらべ歌的世界を日本語で新たに構築しているところがおもしろいのだろう。
まあ、そんなふたりの書いた本がおもしろくないはずがない。

2009年10月6日火曜日

川上弘美『ニシノユキヒコの恋と冒険』

地下鉄麹町駅の近くに昔ながらのボタン屋がある。
母親が洋裁の心得があって、布やボタンを買いに行くのに付き合わされた。たいていは大井町の駅周辺のお店で、ゴンゲンチョウとかミツマタと呼ばれていた商店街にあった。
子どもの頃からボタン屋だけはなぜか好きで、はがきが入るくらいの箱に同じデザインのボタンがしまってあって、その短い辺の側面に大きいのから順番に“これだけのサイズがございます”然として見本のボタンが貼り付けてあった。その側面が店内ところ狭しと積み上げられている。
おそらくはこのボタンという、洋裁の材料にしては模型工作パーツ的な硬質感とバラエティに富んでいる色、形が少年の創作的興味を刺激したのだろう、と思っている。
麹町のボタン屋の前を通るたびにそんなことを思い出す。

川上弘美は案外、好きだ。
言葉がとてもだいじにされていて、文章を慈しんでいる感じがいい。
この本は西野幸彦というしょうもない男をめぐる女性たちの一人称による連作だが、男性の目で読んでみると主人公は西野ではなく、それぞれの短編に登場する女性たちだ。ひとりの男を軸にはしているが、ぼくにしてみればひとつの旅先をいろんな人が好き勝手に論評している紀行文ように思える。それって読み手であるぼくが男だからだろうか。


2009年10月2日金曜日

トルーマン・カポーティ『叶えられた祈り』

夏がフェードアウトして、冬がフェードインしてくる。
季節のオーバーラップの中間点が秋というわけだ。10月は毎年そんなふうに、冬のように晴れたり、夏のように雨が降ったりする。
カポーティに関していえば、ぼくは初期の、いわゆるイノセンスものが好きで、よく読んだ。
この『叶えられた祈り』はセンセーショナルな未完の傑作だという。そこらへんの知識はまったくなく、ただ本屋の棚の中に見慣れないカポーティの文庫を見つけたというだけで手にとった。
当初、この本の一章として書かれた「モハーベ砂漠」は『カメレオンのための音楽』に短編として収録された。たしかにそんなタイトルの小編が収められていたという記憶がある。なんなんだ、これは、と思った記憶もある。が、それ以外のことは全然思い出せない。もういちど読んでみようか。たしかまだ捨ててはいないはずだ。
タイトルの『叶えられた祈り』は、聖テレサの言葉「叶えられなかった祈りより、叶えられた祈りのうえにより多くの涙が流される」から来ているという。解説の川本三郎は、正確にはその意味はわからないとしながらも、『冷血』の完成と成功によって祈りが叶えられたカポーティに訪れた新たな苦しみをあらわしているのではないかと言っている。
手もとにあるカポーティを片っ端から読み直してみたい。この本の感想はそれからでも遅くはないだろう。