2025年3月31日月曜日

奥田英朗『オリンピックの身代金』(再読)

吉見俊也の『東京裏返し』を読み、ついでに歴史のおさらいをしようと半藤一利の『昭和史』を読んだ。昭和の東京の風景を見たくなり、14、5年くらい前に読んだこの本をもう一度読んでみる。
1964(昭和39)年のオリンピック開催に向けてぎりぎりまで準備がすすめられる。著者は僕と同世代。知る由もない当時の都内各地がよく再現されている。本郷、西片町、千駄ケ谷、代々木ワシントンハイツ跡、糀谷、羽田、御徒町などまるでタイムスリップして見てきたようである(もちろん僕にはそうした風景の記憶はないのだが)。オリンピックを人質にしたテロを目論む東大大学院生島崎国男は、さらに三河島、江戸川橋、赤羽、大久保、晴海に潜伏する。以前読んだときはこれらの土地を散策した。京急六道土手駅まで行って、島崎がダイナマイトを入手した北野火薬を探したこともあった。
この小説はふたつの層から成る。地形的には台地(高台)と低地(下町)。繁栄に向かう東京と貧困に喘ぐ地方の農村。特権的な公安と刑事部。捜査一課の刑事落合昌夫らも旅の途中で知り合ったスリの常習犯村田留吉も下層の存在である。出稼ぎ労働者らも。一方で島崎の同級生須賀忠(彼の父須賀修二郎は警視庁の上層部で東京五輪警備のトップであるのだが)は秘匿される事件に関心を持ち独自に詮索をはじめる。動くたびに公安に尾行され、結果的に捜査に協力してしまう。学生運動に傾倒する文学部のユミもしかり。江戸川橋の、当時最新の高層アパートに住み、東大文学部に通う。明らかに上流家庭の子女である。彼女も泳がされた挙句、逃走する島崎を追い詰めてしまう。これもまた貧困層を追い込む富裕層といった対立図式になっている。復興と繁栄の象徴であるオリンピックは多くの下層民が人柱となって支えた。その疑念が島崎の犯行を後押しする。
印象に残ったのは、そのオリンピックと島崎国男を救ったのが共犯者村田留吉であったことだ。

2025年3月25日火曜日

半藤一利『昭和史 1945~1989』

昭和の半ばに生を享け、30年近くを昭和という時代に過ごした。
昭和というと戦争の色合いが強いが、その後に生まれた僕らにとって昭和とはいかなる時代だったのか。ちょっと学んでみようと思い、先に読んだ前編に続いて後編を読んでみる。
僕にとっての昭和は時代遅れで不衛生な時代に映る。幼少期は特にそうだった。川や溝は臭く、町は埃っぽく空気は汚れていた。こうした汚染を犠牲に人びとは利便性や快適な生活を獲得した。昭和の最後半、それは僕にとっては青年期にあたる。高度経済成長のツケがまわってくる。さまざまな不適切が蔓延しはじめる。
もちろんそれは今という時代から見た昭和であり、当時その渦中にあった僕はさほど不便も不衛生も不適切も感じなかった。人はなかなか「今」を適切に判断したり、評価したりすることはできないのだ。そのために歴史はある。
前作同様、興味深く昭和を学ぶことができた、というのが率直な感想である。講義の重点は戦後新しい国づくりの模索であり、その骨格をつくったのがダグラス・マッカーサーと昭和天皇であることがよくわかる。GHQの施策は時とともに変化はしていくものの民主国家日本はやがて独立国家となる。
さらに興味深かったのは、戦後の総理大臣が取り組むべき課題をしっかり把握していたことだ。これは今の政治家には感じられない。吉田茂は講和条約を締結し、日本を独立させた。芦田均は日ソの国交を回復した。岸信介は日米安全保障条約を改定し、池田勇人は吉田茂の路線を引き継ぎ、経済大国の礎をつくる。佐藤栄作は沖縄返還を、田中角栄は日中国交回復を実現する。
その後、首相として大きな仕事をした人がいるだろうか。国鉄民営化、郵政民営化はそれなりに評価すべき仕事だとは思うが、先人ら取り組みにくらべるとスケールが小さい。昨今の政治家を見ていると高速道路や下水管にもたらされる老朽化がこの国にももたされているかのようである。

2025年3月17日月曜日

村上春樹『中国行きのスロウ・ボート』

松任谷由実のアルバム「PEARL PIERCE」がリリースされたのが1982年。同梱されている歌詞カードは安西水丸のイラストレーションで飾られていた。当時僕は安西水丸を注視していた。「ガロ」、「ビックリハウス」といった雑誌に四コマ漫画をよく連載していたせいか、この人は漫画家を目指しているのだろうと思っていたがユーミンのアルバムに鮮烈なイラストレーションを描いたことでやはりこの人はイラストレーターなのだ、それもただ者ではないと実感した。
雑誌の表紙を描くことも増えてきて、書店をひと巡りすると安西の
イラストレーションをいくつか見かけるようになっていた。ちょうどそんな頃、文芸コーナーで平積みされていたこの本に出会った。すごいじゃん、安西水丸。村上春樹の本の表紙を描いてるじゃん。といささか興奮気味に購入したのを今でも憶えている。村上最初の短編集である。以後コンビを組んで出版された本は多い。
そんなこんなで村上春樹初の短編集は僕にとっても思い出深い一冊で時折書棚から取り出しては1、2編目を通してみたりする。だいたいは「中国行きのスロウ・ボート」だったり「午後の最後の芝生」だったり。全編通して読むのは大変久しぶりのことである。あまり目を通すことがなかった「カンガルー通信」や「シドニーのグリーン・ストリート」などはすっかり記憶から飛んでいる。まるではじめて読むように読んだ。
「中国行きのスロウ・ボート」はその後、『村上春樹全作品1979~1989』に収められるにあたって大幅に加筆修正されている(はず)。以前、単行本と全作品と二冊並べて開いて比較しながら読んだ記憶がある。もちろん読んだことを憶えているだけでどこがどう加筆修正されたのかなんて全く記憶にない。
それにしてももう3月だ。安西水丸が世を去ってはや11年。生きていれば今年で83歳になる。命日にはカレーライスを食べようと思っている。

2025年3月11日火曜日

吉見俊也『東京裏返し 都心・再開発編』

川本三郎の町歩き本を手本にしてずいぶん東京を歩いた(さらにその師は永井荷風であるが)。その後、暗渠に着目する若き探検家の本を読んだりして、それなりに東京を掘り起こしてきた。
著者のいう通り、かつての大名屋敷が大学になったり、植物園になったりした江戸城(皇居)の北側にくらべて、明治の頃から南西側は練兵場など後に陸軍の施設が増えていく。明治政府は、この方面に脅威を感じたのかもしれない。青山、代々木の練兵場をはじめとして、駒場から駒沢にかけて、国道246号(旧大山街道)に沿って陸軍の施設が集中していた。赤坂、渋谷が歓楽街になったのは主に陸軍の力によると言われている。これらの施設は戦後、占領軍に接収される。赤坂、六本木は進駐軍によってモダンな歓楽街となる。
その後一部を除いて、接収が解除される。いちばん大きなものは代々木一帯、かつてワシントンハイツと呼ばれた広大な米軍住宅だろう。1964年の東京五輪開催にあたって返還され、選手村になった。今は代々木公園やNHK、渋谷公会堂などになっている。ワシントンハイツ時代の代々木は安岡章太郎や山本一力の小説に描かれている。
これらの軍用地を国や民間が引き取ることで街の景色が変わっていく。古くから栄えた日本橋、銀座、浅草に加えて南西側は新たな都心となり、開発に開発を重ねていったのだ。そういった意味からすれば、著者のいうような時間の層が埋もれてしまった一角であることは否めない。それでも歴史を掘り起こす街歩きを標榜する著者にとって手強いながらも魅力的な地域であろう。
前作『東京裏返し 社会学的街歩き』に続いて楽しく読了。実際に歩いた穏田川~渋谷川~古川流域や四谷若葉町~鮫河橋、荒木町~曙橋を経て、余丁町、市ヶ谷監獄のあった辺りを思い出す。余丁町から西向天神まで歩いたことも何度かある。四谷は機会があればまた訪ねてみたい。その谷底には魅力が埋まっている。