2023年2月25日土曜日

宣伝会議編、阿部正吉監修『CM制作の基礎知識 プランニングからオンエアまで』

テレビコマーシャルのプロデューサーというと弁が立って、行動力のある人が多い。僕の周囲にいたプロデューサーだけなのかもしれないが。
広告会社のクリエイティブの方で発想法やヒット広告づくりのヒントになるような本を書く人はいるが、CM制作の現場の人間はなかなか実体験を書いたりしない。TVCM制作の、理論ではなく実際に関する書物が少なかったのはひとつには書き手がいなかったからではないだろうか。
この本が発行されたのは1996年。80年代半ばまでTVCMは35ミリフィルムで撮影され、ラッシュを編集し、オプチカル(光学処理)作業を経て完成し、16ミリフィルムにプリントされていた。そのうちに撮影後現像されたネガフィルムをビデオテープに転写して、編集や録音をするようになる。90年代半ばくらいまではこうした手法でつくられていた。90年代半ばくらいになるとコンピューターが身近なものになる。データ化された映像はハードディスクに記録され、編集も録音もデジタルデータとしてスピーディーに加工されていく。著者がこの本を書いたのはちょうどその頃だ。
以降、TVCM制作はデジタルベースで行われる。デジタル主流ということは日進月歩の波に吞み込まれていくことを意味する。新たな技術が生まれ、定着し、コモディティ化されると次なる技術が定着してくる。HDで収録されていた動画も今では4Kがスタンダードである。4Kの膨大なデータを収録できる大容量のストレージが一般的になったことが背景にある。
近年、現場レベルで描かれたTVCM制作の本がほとんどないのはテクノロジーの進歩と無関係ではないだろう。記録しているうちにそれまでのスタンダードはどんどん刷新されていく。そういった意味からすればこの本は1990年代半ばまでのTVCM制作の実際を記した貴重な資料であると言える。欲を言えば、もう少し丁寧な校正が必要だったとは思うけれど。

※この本は2001年、2003年、2006年に改訂新版が発行されている。

2023年2月23日木曜日

高村薫『照柿』

NHKBSで1996年に放映されたドラマ「照柿」が再放送されていた。
原作は高村薫。最初に読んだのは『レディー・ジョーカー』だった。以前お世話になったアートディレクターからおもしろいから是非と薦められたのである。その後DVDで映画を観てから、『マークスの山』を読み、この本にたどり着いた。
作品の発表順からすると、マークス、照柿、ジョーカーなのだが、3→1→2の順で読んだことになる。読み終えたのは2013年1月。もう10年前のことだ。当然記憶は薄れている。合田雄一郎シリーズはその後読んでいない。高村薫の作品は文庫化されるまでけっこう時間がかかったから。
このなかで最初に映像化されたのは今は亡き崔洋一監督の「マークスの山」で合田雄一郎は中井貴一が演じた。「レディー・ジョーカー」は平山秀幸の手によって2004年に映画化されている。合田は徳重聡だった。この作品は合田というより物井薬局店主の渡哲也のほうが主役という印象が濃い。ドラマの「照柿」では三浦友和が合田雄一郎に扮している。いずれにしてもどんなキャストがベストな合田雄一郎かなんてそう簡単には決められまい。
『レディー・ジョーカー』を読んだあと、最初の犯行現場である大田区山王や物井薬局のある萩中あたりを歩いたのを思い出す。『マークスの山』の読後は足立区小台や葛飾区金町、目黒区八雲などを歩いたっけ。この本を読んだあとは拝島や福生あたりを散策するべきだったのだろうが、残念ながら訪ねていない。都下の、個人的にあまり興味の持てない遠い地域だったせいもあるし、この物語における合田雄一郎がパッとしなかったせいもあるかもしれない。そういった意味ではキャストの三浦友和はベストだったかもしれない。
ドラマを見ながら、記憶の頼りなさを実感した。折あらばまた読んでみよう。熱のこもった工場と狭く薄暗いアパートの一室くらいしか印象に残っていないし。

2023年2月20日月曜日

浅田次郎『マンチュリアン・リポート』

「BSチューナーを買って、アンテナも付けたんだけど、映らないんだよ。こんどの休みの日に見てくれないか」
声をかけてきたのは当時僕が所属していた広告会社の副社長道山さんだった。ロンドンやニューヨークで広告ビジネスの経験を有する道山さんは、朴訥とした日本語からは想像しえないような英語を話した。プレゼンテーションの挨拶ではジョークをまじえてクライアントの重鎮たちを笑わせた。もちろん「聞く力」のない僕にはさっぱりわからなかったが。
当時制作を担当していた僕が作業スペースにあるモニターやビデオデッキ、オーディオアンプなどの配線をしていたとき偶然通りがかった道山さんに声をかけられたのである。1989年か1990年の冬だったと思う。NHKがBSの本放送を開始したのは89年の6月だったから。
結論的にいえば、あの手この手を尽くしたもののBSは映らなかった。チューナーの上面にねじ止めされたふたがあり、ねじがゆるんでいた。開けてみると小さなコイルがいくつか並んでいた。おそらく同調用の微調整コイルだろう。
「道山さん、ここを開けて、ドライバーか何かで中の部品、いじりましたか」
映らない理由がなんとなくわかった。アンテナを設置した業者さんに聞いてみてくださいと告げて作業を終えた。
道山さんのお宅で大きな餃子と奥さんが漬けたピクルスをごちそうになった。餃子は大きく、銀座にある天龍という中華料理店のそれとよく似ていた。ピクルスはニンニクの利いた独特の味がした。
「僕はね、満洲で生まれ育ったんだよね。子どもの頃から食べてきた餃子と僕がロシア人から教わったピクルスを女房に教えたんだ。これと同じものをつくってくれって」
満洲という大地もその時代も知らない僕がはじめて満洲に触れたひとときだった。
その後、BS放送は映るようになって、ロンドンやニューヨークから発信されるニュース番組を道山さんは毎日楽しみにしていたという。

2023年2月17日金曜日

浅田次郎『中原の虹』

肥沃な大地、豊かな鉱物資源。中国東北部、満洲は日清日露戦争後、日本にとって夢のような土地だったに違いない。日本は軍部の独断で侵略を進め、この地に満洲国という傀儡国家をつくる。
終戦(ポツダム宣言受諾)間際に突如として日ソ中立条約を破棄したソ連軍が満洲に侵攻する。とにかく昔から侵攻するのが大好きな国だったのだ。満洲に新天地を求めて移り住んできた日本人の多くがこの侵攻の犠牲になる。楽園の大地は地獄と化した。命からがら、日本にたどり着いた者もいる。家族を失い、孤児となった子どもたちもいる。テレビドラマ化された山崎豊子原作『大地の子』にその悲惨さ、壮絶さが描かれている。作家新田次郎の妻で数学者藤原正彦の母、藤原ていは満洲脱出を記録している。小説『流れる星は生きている』である。終戦後の新京から陸路、朝鮮半島を南下する。映画化した小石栄一監督もその過酷な逃避行を哀しく描いている。満洲は多くの日本人にとってうしろめたく、つらく、かなしい歴史となってしまった。
中原(ちゅうげん)という言葉はこの本に出会うまで知らなかった。黄河の中下流域の平原で中華文明発祥の地であるという。『蒼穹の昴』の主な舞台は中原だったが、この続編の主戦場は東北部になる。
かつて満洲から万里の長城を越えて中原の覇者となった女真族。200年以上続いた大清帝国の末期、中国東北部に張作霖があらわれる。『蒼穹の昴』シリーズに登場する唯一絶対のヒーローだ。かっこいい。かっこよすぎる。
張は清を起こした昔日の女真族のように東北部を平らげ、中原をめざす。時代を隔てたふたつの馬賊の活躍が同時進行的に綴られる。その志「民の平安」はゆるぎない。
『蒼穹の昴』で別れ別れになった者たちが、この物語で再会を果たす。涙を誘うとともに救われた気持ちになる。タイトル『中原の虹』とは生き別れたきょうだいを結ぶ架け橋のことだったのではなかろうか。

2023年2月8日水曜日

安藤英男『近世名力士伝 谷風から玉の海まで』

「東方大関清國。秋田県雄勝郡雄勝町出身伊勢ヶ濱部屋」
テレビを通じて場内アナウンスが流れる。土俵上の清國の一挙手一投足をブラウン管のなかに凝視した。色白で端正な顔つき。大き過ぎず、均整のとれた体格。佇まい、居住まいの美しい力士だった。何よりもその見た目が好きでファンになった。
テレビで大相撲を見るようになったのは小学校の四~五年生くらいだったと思う。玉の海と北の富士が同時昇進で横綱になり、大関には琴櫻と清國。その年に突っ張りの前乃山とうっちゃりの大麒麟が大関に昇進し、三横綱、四大関の時代だった。昭和45年は北の富士が3回、玉の海が2回、大鵬が1回優勝している。翌46年も同様に六場所すべてを横綱が優勝。ただ、大鵬が引退、玉の海が急逝という残念な一年でもあった。
大関清國は僕が相撲を見る以前の昭和44年の名古屋場所で優勝している。思い出すのは昭和47年初場所。横綱北の富士、大関前の山が途中休場、大関大麒麟が全休だった。波乱の場所で千秋楽を10勝で迎えた琴櫻と栃東が優勝争いトップ。9勝の力士も優勝の可能性があった(それでも10勝5敗で優勝だとしたらあまり褒められたものでもない)。
琴櫻が破れた直後の結びの一番は優勝争い単独トップに立った平幕栃東とここまで9勝の清國。清國が勝てば前代未聞の10勝力士7人による優勝決定戦となるはずだったが、清國はあっけなく敗れ、栃東が初優勝。がっくり肩を落としたことを今もおぼえている。
先日ラジオに林家木りんという落語家が出演していた。ラジオなのでわからないが身長193センチ。「世界一背の高い落語家」を自称している。聞けば元伊勢ヶ濱親方のご子息であるという。元大関清國の息子はなんと落語家になっていたのだ。
この本は昭和47年に刊行されている。小学生の頃、何度も何度も読んだ本であり、今も書棚に眠っている。清國の息子の声を聴いて、またページを捲りたくなった。