2022年7月20日水曜日

太宰治『パンドラの匣』

昔お世話になった広告会社のOB夫妻が軽井沢でカフェ・ギャラリーをオープンした。
夫妻とは今でも親交があり、ときどき簡単なデザインやイラストレーションなどを頼まれる。今回のカフェ・ギャラリーに関してもロゴマークのデザインやホームページ、フライヤーの制作を依頼された。オープン記念のパーティーに招待されて、生まれてはじめて軽井沢を訪れた。
もう30年以上前、小諸にあるペットボトルをつくる機械をつくる工場を訪ねたことがある。工場紹介の動画を制作するために打合せに行ったのである。当時は上野駅から信越本線経由金沢行きの特急列車に乗って行ったものだ。横川駅から2台の電気機関車が特急列車を牽引して碓氷峠を越えていた。
工場は当時JRの小諸駅北西側の小高い場所にあった。タクシーで10分ほどの距離である。最初の打合せでは動画制作にいたる背景やどんな動画にしたいか、何を強調してほしいかなど要望を聞いて、工場内をくまなく見学した。二回目の訪問の際にシノプシスをまとめて提案したと記憶している。実際の撮影は制作会社のスタッフにまかせたので僕が工場を訪ねたのは二回である(あやしい記憶ではあるが)。
先日軽井沢のカフェ・ギャラリーを訪れるにあたり、小淵沢から小海線に乗って小諸まで出た。軽井沢行きのしなの鉄道(昔の信越本線)の発車時間まで駅前をふらふら歩いてみる。駅前にあった蕎麦屋をさがしたりなどして。なんとなくではあるが、駅前はこんな感じだったななどと思い出されるのだが、駅前の蕎麦屋のあったあたりはまったく思い出せない。記憶とはいい加減なものである。
40年ぶりに読みかえす太宰治。
ここに収められている二編、「パンドラの匣」「正義の微笑」は太宰が描いた青春小説といわれている。太宰の明るい話、笑える話が好きだ。それにしてもこんな話だったっけと思うくらいまったくおぼえていなかった。
これもまたあやしい記憶である。

2022年7月14日木曜日

安西水丸『たびたびの旅』

ここ何年か7月になると南青山のスペースユイで安西水丸展が開催される。
以前は年末や年始が多かったと記憶している。それに加えて5月には和田誠とのコラボ展が行われていた。7月開催になったのは安西の誕生月だからではないかと思っている。
今年も「SWEETS&FRUITS」と題された恒例行事を見るべく青山まで足を運んだ。もし本人が生きていたら、「スイーツってちょっと恥ずかしいよね」と言いそうなタイトルである。
その日はラグビーの国際試合日本対フランスが国立競技場で組まれていたため、JRの千駄ケ谷駅には赤と白のジャージを着た人たちでごった返していた。その人の波を逃れるように少し遠まわりする。鳩森神社の方から外苑西通りに抜ける。安西がよく通ったカレーの店の近くを通る。青山ベルコモンズもテイジンメンズショップ(その前はVANジャケットだった)もなくなってしまった南青山三丁目の交差点をわたってスペースユイへ。
安西水丸のイラストレーションは多くを見てきたつもりだが、はじめて見る作品も多い。今回もほとんど見たことのないシルクスクリーンばかりだった。
会場に小さな本が積まれていた。本書『たびたびの旅』である。アマゾンでは7月18日リリースとあったが、思いがけず手に入れることができた。もともとこの本は1998年に刊行されている。おそらくは80年代後半から90年代半ばにかけてPR誌やパンフレットなどに掲載された文章だろう。青函連絡船に乗りに行ったり、ふぐを食べに行ったり、北欧の町を訪ねたりしている。安西水丸の、いちばん活動的な時代だったかもしれない。
スペースユイを後にして、叔父の墓参りをする。歩いてもそう遠くない場所にあるのだ。持参した線香を上げて、青山一丁目へ。駅ビルの地下にあるビアレストランでカツカレーを食べた。安西水丸のイラストレーションを見たあとはいつもカレーライスを食べたくなるのである。

2022年7月10日日曜日

太宰治『新樹の言葉』

ときどき列車に乗って旅がしたくなる。日本全国の鉄路をすべて乗ってみたいとか、最長片道切符で北海道から九州を旅してみたいといった大それた望みはない。今まで乗ったことがない路線を始発駅から終着駅まで乗車できればそれでいい。しかも必ずしも秘境でなければいけないということでもない。近場のローカル線でもいい。ずいぶん昔のことになるが、八高線に乗りたくなって八王子駅まで出かけ、高崎までこれといった風光明媚な景色を見ることもなく乗り通した。その後、こんどは烏山線に乗ろう、両毛線もまだ乗ったことがないなどと思いながら、しばらくローカル線の旅もしていない。
軽井沢に出かける用事ができた。
前日に休みを取って、遠まわりしてみることにする。中央本線で小淵沢に出て、小海線で小諸、しなの鉄道で軽井沢というルートである。6時間くらいかかる。新幹線なら1時間ちょっとであるから、これは贅沢な行程といっていい。
13時前に小淵沢到着。立ち食いそばを食べて、13時36分発の小諸行きに乗る。小諸着が15時52分。車窓から外の景色をながめながらの2時間16分。やはり贅沢な旅だ。
小海線は高原列車と呼ばれる。日本でいちばん標高の高いところを走るからだ。なかでも野辺山駅は日本の普通鉄道の駅としてはもっとも高いところにある。高原列車らしい風景が見られるのは清里から野辺山、小海あたりまでか。小淵沢発小諸行きの後半は、学生や佐久平で北陸新幹線に乗り換えるのであろう出張中の会社員などが増えてくる。観光列車から生活路線に変わってくる。
小淵沢までの特急列車のなかで太宰治の短編集を拾い読みする。そういえばこの本は甲府時代の作品が多く収められていたことを思い出す。太宰はやはりすぐれた日本語の語り部である。
定刻通り小諸駅に到着。かつての信越本線、現在のしなの鉄道に乗り換えて軽井沢へ。小諸は何度か訪ねた町であるが、それについてはまた後日。

2022年7月4日月曜日

太宰治『走れメロス』

太宰治というと没した場所である三鷹が注目を浴びることが多い。
たしかにJR三鷹駅を降りると記念碑がいくつかあり、太宰治文学サロンなる施設もある。少し歩くが禅林寺には墓もある。町ぐるみで太宰治ゆかりの地を演出している。1964年に創設された太宰治賞もしばらくの中断の後、1978年に筑摩書房と三鷹市の共同主催で復活している。受賞者は毎年、三鷹市にあるゆかりの地を見学すると聞いたことがある。
先日、太宰治が住んでいた荻窪界隈を歩いてみた。よく知られているのが碧雲荘という下宿。遺された記念碑には「富嶽百景」の一文が引用されている。この短編が書かれた時期は昭和14年くらいとされているが、3年前の明け方、下宿の便所の窓から見た富士が忘れらないと記されている。
碧雲荘が取り壊される直前、最後にひと目見ようと荻窪の駅から歩けば10分くらいかかる不便な一角に多くの人が集まった。僕もコンパクトデジタルカメラで写真を撮った。写真を撮ったはいいものの、その写真が行方知れずとなっていた。こういうときの通例としてさがしものは見つからない。どんなカメラで撮ったのか、記憶メディアはコンパクトフラッシュなのかSDカードなのか、まったく記憶がない。わずか6年ほど前のことなのに。
そうだ。たしか2015~16年あたりだ、報道されたのは。
というわけで、散らかりっぱなしの記憶メディアをかき集めて、写真の捜索をはじめる。もちろんこういうときの通例としてさがしものはおいそれとはあらわれない。年代的に該当しそうなフォルダやデータをさがしてみたが見つからない。撮ったつもりになっているのかもしれない。
ふだんあまり使っていないクラウドサービスに昔の写真を保存している。念のためのぞいてみたら、あった。ご丁寧に詳細データまで付いている。カメラはキヤノンのコンパクトデジタル。撮影日は2008年1月22日であった。
人の記憶はあてにならない。

2022年7月1日金曜日

安西水丸『青インクの東京地図』

1942年7月22日生まれの安西水丸は、生きていれば今年で80歳になる。
果たしてどんな80歳になったことだろう。
平凡社を辞めてフリーになった1970~80年代はイラストレーションや漫画、絵本の仕事が大部分を占めていたが、この『青インクの東京地図』を出版して以降、小説やエッセイを書くようになった。雑誌「小説現代」に連載されていたのが1986(昭和61)年。翌年の3月に単行本になっている。執筆のために歩いた東京はまだ昭和だった。JRはまだなく、国電が走っていた。汐留駅もまだあった。
冒頭の深川散歩がいい。冬木町から佐賀町、箱崎、越中島。相生橋を渡って佃を訪ねる。『東京美女散歩』にも登場した安田信三が登場する。安田は水丸の兄の建築設計事務所に出入りする大工と紹介されている。安西少年はいくどとなく安田の家を訪れている。子供いなかった安田夫妻は水丸をかわいがったという。銭湯に行った帰りに西仲商店街で少年雑誌を買ってもらった思い出が語られる。
僕も母の叔父が佃(その後月島に引っ越した)にいて、いっしょに銭湯に行ったり、夕涼みで西仲を歩いて、本を買ってもらったりした。まったく同じ経験をしているのである。
僕はひそかに安田信三は安西の叔父ではないかと思っている。ものごころつく前に父をなくした水丸は安田に父のにおいを感じたのではないだろうか。安田は建築設計を生業とする兄(水丸の亡父)の手助けをしたくて、大工になったのではないだろうか。そして安田も水丸少年に亡き兄のおもかげを感じとったのかもしれない。もちろん憶測の域を出ないが、安西は深川を歩きながら両国駅での兄との思い出にふれている。そのエピソードが安田信三と水丸少年の関係を語らずしてにおわせているような気がするのである。
7月は青山のスペースユイで安西水丸のシルクスクリーンが展示される。すっかり恒例行事になっている。今年も楽しみにしている。