2021年9月17日金曜日

藤田和子『認知症になってもだいじょうぶ!そんな社会を創っていこうよ』

5月だった、吉岡以介に戸越銀座で会ったのは。
昨年大井町での邂逅もそうだったが、先月五反田で声をかけられたのはびっくりした。おにやんまでうどんを食べ、店を出たところでばったり出くわした。母親が戸越の特別養護老人ホームに入所していることは聞いていた。
母親が熱を出し、大井町の病院に入院していたという。肺炎らしい。2週間ほどで症状は落ち着いて、退院した。病院から施設に送り届けた帰りにうどんを食べたくなったそうだ。
以介がいう。脳疾患で入院して半身が不自由になり、認知機能も低下してきた。人との、社会との接点を失った。俺はその、いちばんだいじなところに気がつかなかった。リハビリすれば少しは回復して、元どおりとはいわないまでも生きるすべが見つかると思っていた。そうじゃないんだ、おふくろにいちばん必要だったのは「役割」だったんだ。こんな姿の自分を人さまには見せたくないと彼女は思うだろう、だから誰にも面会させなかった。そうじゃなかったと今思う。
以介はおにやんまの前で、さほど親しくもない僕の前で泣いた。
若年性アルツハイマー型認知症と診断された著者はもともと前向きな人だったのだろう、PTAの役員として人権教育推進にたずさわってもいた。こうした背景があって、認知症当事者(認知症本人を患者とは呼ばない)として、多くの当事者に声をかけ、仲間を集め、組織をつくり、その声を社会のすみずみに届けようとしている。認知症に対する偏見や誤解をなくし、当事者がよりよい人生を自分らしく生きられるようにと。
巻末第6章にはパートナーたちの言葉が寄せられている。医師、看護や介護、当事者としての活動をサポートする人、そして家族。当事者と彼ら、彼女らは支援される支援する関係ではなく、対等な関係で認知症本人もそうでない人も住みよい社会をつくっていくために活動するパートナーなのだというのが著者の考え方だ。
素敵なことではないか。

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