2011年1月30日日曜日

山際淳司『スローカーブを、もう一球』


選抜高校野球の出場校が決まった。
全国10地区から何校か選ばれるわけだから、だいたい昨秋の地区大会の上位校が出場する。その枠内では“選抜”は難しいことではない。議論されるのはたとえば関西地区のように6校を選ばなければならない場合のベスト8ののこり4校から2校を選りすぐるときだろう。京都成章などは僅差で準々決勝敗退だったので評価が高いというわけだ。加古川北も優勝した天理と好ゲームをした点が評価されている。同じようなことが関東にもいえて、ベスト8から前橋育英が選ばれた。
1980年頃の本を読んでみたいと思った。
『Sports Graphic Number』が創刊されたのが1980年。それまでのスポーツ紙の延長線上にあったジャーナリズムとは異質なメディアの誕生だった。スポーツはそれ自体がドラマであると同時にメディアにおいてもドラマになった。
おそらく山際淳司はその先鞭を着けたひとりだろう。
こうして30年の時をへだてて読んでみると当時からすでにスポーツを志す若者たちは“さめていた”んだなと思う。ドライで割りきりのはやい若者たち。おそらくぼくたちもそんな風に生きていたに違いない。
同時代に生きた選手たち(江夏は世代的には上であるが)は今ごろ何をしているのだろう。
1980年頃の本。そこにはなにがしか昭和の残骸が残っているような気がする。
そんなにおいに惹きつけられてやまないのである。

2011年1月25日火曜日

川本三郎『我もまた渚を枕』


このタイトルは島崎藤村作詞「椰子の実」からとったのだという。取材をほとんどせず、ぶらっと訪れ、風景の一部となる、そんな流儀の町歩き記録である。
川本三郎といえば東京町歩きの名人であり、東京のほぼ全域をカバーしているはずだ。しかも膨大な文学作品や映画作品を引き合いに出して、町という時空間を立体的に読み解く、あるいは、歩き解く。
この本は著者がほぼ歩きつくした東京から一歩外へ足を踏み出した近郊の旅の記録である。船橋、鶴見、大宮、本牧と行き先になんの気取りも気負いもない。観光スポットでもなければ名所旧跡でもない。そこがこの本の最大の魅力となっている。基本は著者の東京歩きのスタンスが活きている。遠出するからといって着飾ることもない。
川本三郎の町歩きの基本は町との同化である。「ただ、静かに「昔の町」のなかに、姿を消すこと」(『東京暮らし』)といっているし、本書のあとがきにも「旅とは、日常生活からしばし姿をくらまし、行方不明になること」と書いている。
こういう歩き方はそう簡単にできるものではない。歩いて歩いて歩き抜いてはじめて到達できる境地、というものがそこに感じられる。
ちなみに本書中で強く惹かれた場所は本牧、市川、川崎。
横浜の石川町、根岸界隈は以前から市電保存館を見て、大学の指導教授が住んでいた山元町あたりを歩きたいと思っていた。川崎の海側はかつて実家からいちばん近い野球場としてなんども通った川崎球場があるあたり。市川はいわずと知れた永井荷風の晩年の町。
鶴見線も以前全線乗りつぶしたことがあるが、町歩きという視点でもういちど訪ねてみたい。

2011年1月23日日曜日

川本三郎『東京暮らし』


今日、全日本卓球選手権を観戦に行った。会場は千駄ヶ谷東京体育館。
男子ダブルスと女子シングルスの決勝が行われた。男子シングルスは6回戦が終わり、ベスト8が出そろった。笠原、岸川、高木和卓、張、丹羽、松平賢、水谷、吉田。韓陽、松平健らがベスト16で終わった。準決勝、決勝を観ておもしろいのは当然だが、一般市民として観て楽しいのはやはりベスト32~8あたりだろう。
明日は準々決勝~決勝が行われる。
去年の暮れ、図書館に永井荷風全集の一冊を返しに行った。
永井荷風は『濹東綺譚(ぼくとうきだん)』ともう何編か読みたかったのだが、12月のあわただしさにかまけて、結局一編しか読めなかった。幸田文全集も借りたけれど、これはまったくの手付かずのまま返した。年末にむけてますます本を読む時間はなかろうと思って帰ろうとしたそのとき目の中に飛び込んできたのが、川本三郎の本だった。
川本三郎の本をさほど多くは読んでいなかったが、どことなく波長が合いそうな気がしていたし、時間がなくてもこの本は“ベツバラ”かと思い借りてしまった。
結論からいえば、借りるんじゃなかった、買えばよかったと思っている。
先に読んだ『きのふの東京、けふの東京』に比べると、町歩きや映画のことだけでなく、著者の日常なども描写されていて興味深い一冊だ。それに失われていくものに対する思いが忌憚なく語られていて好感の持てる本である。
しばらく川本ワールドにはまりそうな気がする。

2011年1月19日水曜日

幸田文『流れる』


東京の昭和をふりかえる際、必ずといっていいくらい言及されるのが幸田文の『流れる』である。
この小説は成瀬巳喜男の手によって映画化され、フィルムに焼きつけられた古きよき東京の風景とともに多くの人の記憶にとどまっている。川本三郎しかり、関川夏央しかり。
多くの論者の言を待つまでもなく舞台は東京柳橋。神田川が隅田川に流れ込むあたりでJR浅草橋駅に程近い。かつては新橋とならぶ東京の花街であった。蔦屋という置屋で働きはじめた女中の目を通してみたくろうとの世界がいわば、“家政婦は見た”的なしろうと視点で語られる。
そしてこの小説はくろうと、しろうとのヴァーサスな関係意外にも置屋の主人一家と看板借り芸者、下町と山の手、凋落と繁栄など多面的な対立的構図から成る。主人公はしろうと視点の立場でありながら、ある意味、中立的に、その存在感を強く顕示することなく生きていく。
映画の『流れる』は田中絹代、杉村春子、山田五十鈴、岡田茉莉子、栗島すみ子らそうそうたるキャストである。関川夏央は『家族の昭和』で栗島すみ子が昭和62年、85歳で、幸田文が平成2年、86歳で他界したことに言及し、次のように語る。

  彼女たちの死とともに、大正・昭和戦前という懐かしい時代は、その時代の
  家族像と花柳界の記憶を浮かべて満々たる隅田川の水のごとく、橋の下を
  流れ去った。

『流れる』、近々ぜひ観てみたいものである。

2011年1月15日土曜日

町田忍『東京ディープ散歩』


卓球の師匠Tさんが引越すという。
Tさんはうちの近所で酒屋を営んでいる。そのかたわら区の卓球連盟の役員をされている。世代的には荻村伊知朗と長谷川信彦の中間の世代でまさに卓球ニッポン全盛期の人である。全日本や国体の出場経験もある。根っから明るい人柄で初心者にも懇切丁寧に指導してくれる。
話を聞くと奥さんの実家が長野で幼稚園を経営していて、高齢のお義父さんの手伝いがてら同居を決めたのだと。もちろん大学時代の後輩が長野の連盟にいるので卓球の仕事も続けたいという。
Tさんにはじめて教わったのが一昨年の夏。月にいちどの一般開放日のアドバイザーとして練習を見てくれるだけなのでさほど多くの時間をかけて指導されたわけではないが、長年ラケットを振っているだけあって、ひと目で弱点を見抜いて、ポイントポイントを集中的に教えてくれる。昔話もまた楽しい(これが少々長いのだ)。
引越してしまうのは寂しいものだが、Tさんは今中学1年生のお孫さんがインターハイに出場するのを楽しみにしている(Tさんも、Tさんの娘さんもインターハイに出場している)。いずれ応援に足繁く東京に通ってくるんじゃないだろうか。そんな気もしている。
1500円の本を神保町で350円で売っていた。それも古書でもなさそう。たいした本ではないだろうと高をくくって開いてみると写真もいいし、この350円はいい!と思って買ってみた。
まだまだディープな東京はたくさんあるんだろうが、ディープ入門としてはなかなか結構な一冊である。

2011年1月12日水曜日

日本経済新聞社編『日本経済新聞の読み方』


日曜日、十条界隈を散策した。
昔、山手線池袋と京浜東北線赤羽を結ぶ赤羽線という路線があって、山手線の電車が黄色からうぐいす色になったあとも黄色の101系電車が走っていた。十条はそのなかの一駅である。今では埼京線と名前を変え、埼玉以北と副都心さらには湘南につながる重要な路線だ。おそらく埼玉県内の埼京線の駅はたとえば戸田公園あたりはぴかぴかの新駅という気がする。それにくらべると十条駅は古くさいローカル線の駅のままである。
駅の北には十条銀座という商店街が東西に延びていて、昔ながらの商店がならび、演芸場もある。少し裏路地に入ると、木造モルタルのアパートがまだ多く残っている。質素な町並みだ。
しばらく行くと北区中央図書館がある。ここは通称赤レンガ図書館。1919年に建てられた旧東京第一陸軍造兵廠十条工場だった建造物を利用してつくられている。王子、滝野川は明治の昔から軍関係の工場が多かった地域である。
社会科学というものに興味を持てないままおとなになってしまった。
大学の一般教養の授業で経済学、社会学、法学のどれかをとらなければならなくて、結局何を選択したのかさえ憶えていない。歴史とか地理とかに比較するととても複雑な構造物のような気がするのだ。
そういった意味ではぼくにとって、日本経済新聞はふつうに生活しているぶんには一向に無関係なメディアである。分厚く、文字数が多く(新書2冊ぶんあるという)、おそらく自らすすんで読むことはないと思うが、この本のようなガイドがあると読まなければいけないんじゃないかというに気にさせられる。
十条は埼京線より赤羽線が似合う町だ。

2011年1月8日土曜日

山本直人『電通とリクルート』


春高バレーが東京体育館で開催されている。
昨年までは、野球でいえば選抜高校野球のような、3年生引退後の新人チームによる大会だったが、今年から3年生の最後の試合として位置付けられた。いってみれば、高校サッカー、高校ラグビー的な大会だ。
昔はバレーボールをしていたこともあって、よく観戦に行った。
30数年前、東京で強かったのは東洋、駒大高、早実、明大中野あたりで、それ以前は中大付の全盛時代もあった。中大付から全日本入りした選手が多かったことを憶えている。また東洋は学校も近かったせいもあるが、当時日体大OBの監督が赴任して突如として強くなったチームで印象深い。
久しぶりに東京体育館に足を運ぶのも悪くないなと思っていたが、年明け早々仕事が少したて込んできた。今年の東京代表は駿台学園と東亜学園だそうだが(東洋は前年度優勝校で出場)、どうなったのだろう(やはり昔ほど関心は高くない)。
タイトルからして電通とリクルートのビジネスモデル比較を論じた本だと思っていたが、期待はいいほうに裏切られた。
今日的な広告ビジネスの根源を安定成長期以降の1980年代に求め、インターネット広告時代の先鞭をつけたリクルートと既存のビジネスモデルを堅持しながら、変化に対応していく電通とを対比しながら、20世紀末広告史を興味深く展開する力作だ。歴史が近現代史ほどおもしろいのと同様、広告史も最近の話のほうが圧倒的におもしろい。
この本はぼくにとって妙にリアルでなつかしい、70~80年代を起源とする広告現代史といっていい。

2011年1月4日火曜日

川本三郎『きのふの東京、けふの東京』


正月の朝、餅を焼くのが子どもたちの仕事だった。
当時うちには練炭火鉢があって、そこに金網をのせて雑煮の餅を焼く。姉とふたりで。餅のふくらむのがなぜだかうれしいのは今も昔も変わらない。焼いた餅は小鍋に新聞紙をしいて、そのなかに入れておく。
父は雑煮のつゆのなかで餅を煮込んでどろどろにして食べる。ぼくと母親は硬めの餅が好きで、椀に餅を入れてつゆをかける。物心ついてはじめて千葉の父の実家で正月を迎えたとき、祖母がやはりどろどろの雑煮を食べていた。親子は煮る、ではなく、似るものだと思った。
鶏肉の入ったしょうゆだしの雑煮。実はぼくがあまり鶏肉を得意としていないので最近ではさといも、大根、小松菜など野菜だけのつゆである。それはそれでうまいが、物足りなくもある。
姉が京都に嫁いで、白味噌仕立ての丸餅の雑煮をはじめて見たとき、絶句したという。その何年かのち、実家で正月を迎えたとき、わが家の雑煮をうれしそうにほおばっていた。
川本三郎はもとは記者だったっというが、こなれた文章を読むとそのことがわかる。
また記者出身ということがどう影響しているかわからないが、少なくとも足で記事を書くタイプの人であろう。もちろん町歩きに特化した作家であるわけではない。川本三郎を最初に読んだのは『映画のランニングキャッチ』という本だった。映画評論も明快でおもしろい。まるで映画を歩いたみたいに。
近頃下町歩きに興味を持っている。今のような歩き方ではいけない。居酒屋だけをチェックするような歩き方はよくない。生半可な姿勢で歩いてはいけない。そう思った。

2011年1月1日土曜日

国木田独歩『武蔵野』


謹賀新年。

小学校の校歌が“みやこのまみなみ むさしのの”という歌い出しだったのを憶えている。
ぼくが生まれ育った品川はいわゆる東京ではなく、郊外の武蔵野だったのだろう。渋谷あたりもかつては武蔵野だったという。昔の区部はほぼJR山手線の内側と考えていい。
そう考えてみると武蔵野は広かった。なんとなくイメージしていた武蔵野は西荻から先、調布、府中、小平あたりまでで、そこから西南は多摩ではないかと思っていた。JR武蔵野線は西国分寺から新座、浦和、越谷、三郷、松戸を経て船橋の方までつながっている。この沿線を武蔵野、つまり旧東京の周縁部を武蔵野と呼ぶならば、それは相当広い範囲と言える。東北や北海道が土地として広いのと同様、未知なる土地は大きくくくられるのであろう。東京は自然豊かな未知なる田園に囲まれていたわけで、ぼくもその“むさしの”の出身なのだ。
国木田独歩といえば『武蔵野』が代表作であり、叙情豊かに武蔵野の自然とそれを愛する独歩の思いが綴られているが、むしろそれ以外の珠玉の短編に出会えたことのほうが、この本を読んだ意義としては大きい。「わかれ」、「置土産」、「源叔父」、「河霧」など泣かせる秀作がそろった短編集である。

というわけで今年も本読みブログはじめます。本年も引き続きよろしくお願いいたします。