2011年1月25日火曜日

川本三郎『我もまた渚を枕』


このタイトルは島崎藤村作詞「椰子の実」からとったのだという。取材をほとんどせず、ぶらっと訪れ、風景の一部となる、そんな流儀の町歩き記録である。
川本三郎といえば東京町歩きの名人であり、東京のほぼ全域をカバーしているはずだ。しかも膨大な文学作品や映画作品を引き合いに出して、町という時空間を立体的に読み解く、あるいは、歩き解く。
この本は著者がほぼ歩きつくした東京から一歩外へ足を踏み出した近郊の旅の記録である。船橋、鶴見、大宮、本牧と行き先になんの気取りも気負いもない。観光スポットでもなければ名所旧跡でもない。そこがこの本の最大の魅力となっている。基本は著者の東京歩きのスタンスが活きている。遠出するからといって着飾ることもない。
川本三郎の町歩きの基本は町との同化である。「ただ、静かに「昔の町」のなかに、姿を消すこと」(『東京暮らし』)といっているし、本書のあとがきにも「旅とは、日常生活からしばし姿をくらまし、行方不明になること」と書いている。
こういう歩き方はそう簡単にできるものではない。歩いて歩いて歩き抜いてはじめて到達できる境地、というものがそこに感じられる。
ちなみに本書中で強く惹かれた場所は本牧、市川、川崎。
横浜の石川町、根岸界隈は以前から市電保存館を見て、大学の指導教授が住んでいた山元町あたりを歩きたいと思っていた。川崎の海側はかつて実家からいちばん近い野球場としてなんども通った川崎球場があるあたり。市川はいわずと知れた永井荷風の晩年の町。
鶴見線も以前全線乗りつぶしたことがあるが、町歩きという視点でもういちど訪ねてみたい。

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