2009年7月28日火曜日

芥川龍之介『蜘蛛の糸・杜子春・トロッコ他十七編』

高校野球西東京大会は準決勝。本命の日大三は忌野清志郎の母校ということで俄然注目の集まる都立日野に苦戦を強いられた。6回表まで2-6とリードされ、1点差とした7回には4番にバントをさせるなりふりかまわない必死の攻撃。これが功を奏して敵失で逆転。かろうじて1点差で逃げ切った。日野は左打者の多い日大三を相手に右サイドスローの控え投手を先発させる奇襲に出たが、わずかに及ばなかった。スタンドから流れる「雨上がりの夜空に」とエラーで失点を招いた一塁手の泣き崩れる姿が印象的だった。
第二試合は都立小平対日大二。ノーシード同士の組合せになった。投手陣の乱調でタイムリーなしで4点を先攻した日大二が振り切った。
明日は東東京の決勝。都立雪谷は一度優勝を経験しているだけに旋風を巻き起こすだけの都立校とは違う。帝京にとっては侮れない存在だ。

梅雨に逆戻りしたような天気が続くが、世の中は夏休みだ。
中学高校の6年間にほとんど本を読まなかったせいで、「●●文庫の100冊」みたいなパンフレットの中に読んだ本が如何に少ないことか。そんな反省を込めて、ときどき読む日本と世界の名作プロジェクトの第二弾として選んだのが芥川龍之介。これもたまたま高校生の娘の書棚にあっただけなんだけどね。
それはともかく、名作はいい。

2009年7月27日月曜日

小野俊哉『V9巨人のデータ分析』

夏の高校野球。東西東京のベスト4が出そろった。
東の都立旋風の立役者小山台の健闘は称えたい。ぼくの生まれ育った品川の地からここまで甲子園に肉薄した学校はかつてなかった(はず)。小山台が勝てば準決勝で顔をあわせるはずだったお隣大田区の雪谷。昨年秋の覇者国士館を破っての堂々の4強だ。帝京対学舎もおもしろい一戦になりそうだ。学舎は今大会に入ってから勢いづいた。王者帝京を破るには、まず“勢い”が必(まあ抽象的な言い方だけどね)。
一方、西。
日大三が抜きん出ている気がするが、日野、小平の都立2校が勝ち残った。猛打の日野が日大三関谷をとらえられるかが準決勝の見どころだろう。日大二と小平はノーシード同士。勢いがある両校だけに壮絶な打ち合いが期待できる。
それにしても東亜は今回西の台風の目的存在だったが、さすがに日大三には歯が立たなかった。実は東亜に今年、娘と小学校の頃同級だった子がいて、つい応援に行ってしまったのだ。
4回戦早実戦。昨年決勝で悔しい思いをした早実にはそうそうかなうまいと思っていたが、意外や意外(といっては失礼極まりないが)相手エースの不調もあって中盤の大量点でコールド勝ちしたのだ。
同級生は敵失を誘う内野安打と絶妙なバントヒットで2安打と活躍した。

昔のプロ野球にはデータ分析なるものはたいしてなかった(はず)。おそらくはなんとなくの記憶で「ここに投げたら打たれる」とか「どうも左投げの投手から点が取れない」とか思っていて、そのおぼろげな記憶を頼りに作戦を考えていたのではあるまいか。まあ憶測の域を出ないのであるが。なんとなくだが、職人の“勘”と“経験”がものを言う世界だったと思うのだ。
近年、野球はデータでとらえらるようになり、それはある意味、“記録”もエンターテイメントのひとつになっているからそれはそれでいいんだけれど、やっぱりスポーツっていつ何が起こるかわからない不可視性にこそおもしろさがあると思うし、子どもの頃、まさにV9ジャイアンツの後半(V3以降かな、野球を見はじめたのは)を目の前で追っていたぼくにしてみれば、「だから川上野球は強かった」と整理されてもあまりピンと来ないんだ。
よくまとめられている本だし、たいへんなご努力もあったのだろうことは認めるのだけれど、そこで「うん、なるほど!」と感心し、納得してしまうにはV9巨人はぼくにとっていまだに光り輝いて、エキサイティングな存在なのだ。

2009年7月22日水曜日

夏目漱石『こころ』

地元体育館の卓球の一般公開日には毎回ではないけれど、“スポーツアドバイザー”と称する指南役がひとりいて、初心者のコーチになったり、練習相手のいない人(大概はぼくのようにひとりで来る人)の相手をさがしてくれたりする。区内のクラブチームの人や区の連盟の人がかわりばんこに各体育館に派遣されるようである。多くは女性でおそらくは学生時代あるいはPTAの活動で活躍されたんだろうと思われる上級者で、それなりに勉強になる。なにせ、こちとら、きちんと指導を受けたことがないわけだし。
先週の日曜にいたアドバイザーは70歳近い(本人いわく)男性で、どう気に入られたんだかわからないが、3時間以上にわたってみっちり指導を受けた。フットワークを使って自分のポイントで打球すること。打球後次の一打に備えること。不必要な力を使わず、インパクトの時点でしっかりラケットの角度をつくって振りぬくこと。自分の戦いやすいパターンを想定したサービスのバリエーションを持てるようにすること。卓球は奥が深いので、楽しみながら精進すること。そんなことを教わった。
少し大人になった気がした。

『こころ』はたしか国語の教科書に載っていたと思う。
それだけは憶えているが、中身はとんと憶えちゃいない。てなわけで娘の書棚から引っ張り出して読むことにした。いまさら読む日本と世界の名作プロジェクトというわけだ。
たしかにいい。すばらしい小説だ。やっぱり名作ってのはいいもんだ。
少し大人になった気がした。

2009年7月19日日曜日

成田豊『広告と生きる』

梅雨も明け、いよいよ夏。
夏といえば、高校野球。
ではあるのだが、今年はうまいこと昼間の時間がとれず、母校の応援もままならない。組み合わせを見る限り、3~4回戦にはいけそうな気配が濃厚なのだけれど。

自民党はどうなっちゃっているんだろう。首相の低支持率、党内のごたごたが時期衆院選に甚だしい影響を与えるという。もっと楽しんでいいんじゃないか。楽しみを有権者に与えていいんじゃないか。小泉元総理の“抵抗勢力”じゃないけれど、麻生vs.反麻生を遊べば、勝ち負けは別として国民的に選挙は楽しくなるはずだ。民主になくて自民にあるのは、そういった層の厚さだけだと思うのだが。

昨年日本経済新聞に連載されていた「私の履歴書」をうっかり読みそびれていたので、九段下の千代田図書館の新刊コーナーで見かけ、我先にと借りて一気に読んだ。
1980年代後半、電通の社長は木暮剛平という人だった(ぼくの記憶の中でいちばん古い社長はこの人だ)。数年後に成田豊が社長になった。バブル経済の崩壊後、世の中もずいぶん変わったが、電通も変わった。
その後、俣木盾夫を経て現在は高嶋達佳が11代目の社長となっている。そして電通はさらなる変貌を遂げながら、世の中の変化に対応している、という印象が強い。
この本では筆者が大先輩にあたる吉田秀雄(第4代社長)の精神を引き継ぎ、広告の近代化と発展に自らを投げ打っていった成田豊の軌跡が記されているが、そのなか、随所に見られる彼の人間関係、家族への思いなどがその人物の大きさと深さを示していて興味深い。
吉田秀雄がすぐれたリーダーであったことは、彼の死後も後継者たちがその意思を受け継いだところにある。成田豊のリーダーシップもおそらくこの先何十年にわたって受け継がれていくであろう。


2009年7月17日金曜日

ゴーギャン展

夏の暑さのうち、梅雨明けから、8月にかけてがいちばん暑いと思う。
気温的にはその後、8月上~中旬高校野球の始まるころがピークなのかもしれないが、今時分の暑さは暑さに勢いがある。暑くなることになれていない“暑さ”がまだ未成熟なゆえに、力を発揮し切れていない、でもやはり無限のポテンシャルを秘めている、といった暑さだ。
そんな暑いさなか、タヒチの自然にふれあおうと竹橋の国立近代美術館で「ゴーギャン展」を観る。
今回の目玉はボストン美術館所蔵の「我々はどこから来たのか我々は何者か我々はどこへ行くのか」の公開だろう。

  D'ou Venons Nous
  Que Sommes Nous
  Ou Allons Nous

という左上隅に書かれている仏語の文字の印象もさることながら、すみずみにまで仕掛けられたゴーギャンの意思を感じさせる奥行きの深い絵だった。ここまでくると絵画は平面表現ではなく、むしろ立体造形物といえるのではないだろうか。
なんて思ったりして…。



2009年7月15日水曜日

フョードル・ドストエフスキー『罪と罰』

ロシア文学とは縁遠い生き方をしていた。
学生時代をふりかえっても、チェーホフ、プーシキンくらいしか読んでいない。メインストリームであろうドストエフスキーなど1頁たりともめくったことはなかった。トルストイはまだ少年少女世界文学全集のような子ども向けの本で接してはいたが。
光文社の新訳は読みやすく、すいすいいける。長生きはするもんだ。
もちろん旧訳に目を通したわけではない。ややもすれば光文社の仕掛けに乗ってしまった感も否めない。まあそれでもいい。「いま、息をしている言葉で、もう一度古典を」というキャッチフレーズもいい。
1巻2巻を読み終わって、3巻の発売が7月だとわかった。その間におそらく登場人物の名前なんぞ忘れてしまうだろうとも思った。ところがしおりに刷られた登場人物の紹介もさることながら(これはとても役に立った)、2~3週間空いたところでそんなこともお構いなしなくらいストーリーが脳裡に焼きついていた。
新訳だからおもしろかったというわけでもなかろう。わずか数日間に起こるドラマをさまざまな登場人物を通して多角的に凝縮したところにこの小説の勝利があったように思う。
機会があれば『カラマーゾフの兄弟』にもぜひチャレンジしたい、そんな気にさせてくれた。


2009年7月11日土曜日

ギ・ドゥ・モーパッサン『女の一生』

モーパッサンのこの名作をぼくは長いこと避けてきたように思う。その理由は邦題。どこかしら演歌の匂いのする、ぴんから兄弟ないしは殿さまキングスを髣髴とさせるこの題名に正直、抵抗感があった。どうやら明治時代に英語版から翻訳が出されたときに『女の一生』になったそうだが、いかにもヨーロッパで爆発的な人気を誇ったベストセラーの本邦発公開というちょっとした力みが感じられるタイトルだ。もちろん訳しにくいとは思う。“Une Vie”だもんね。まあ、凡人的邦訳ならば『ある女の生涯』って感じかな。
たしか『脂肪のかたまり』のときもなんだよこの邦題って思った記憶がある。
それはともかくモーパッサンはやはり短編の名手なのかなと思うのだ。この話も短編とは言わないまでも中編くらいにはおさまりそうな気がする。とりわけ前半部の描写がぼくには長く感じた。もちろん冒頭の雨のシーンがジャンヌの生涯を暗示してるんだろうなとは思うんだけど。

2009年7月5日日曜日

松岡正剛『多読術』

週末近所の体育館で卓球をする。とりたてて上手くもならないのだが、それなりに上達したい気持ちもあって、できれば上手な人と向き合って、苦手な技術などを反復練習したいと思う。
ところが多少顔見知りの、ただ当てて返すだけのおじいさんやおばさんによく声をかけられる、いっしょにやっていただけませんかと。とりあえずは壁打ちテニスの壁役くらいはこなせる。
以前、京都の四条を歩いていたら、関西弁の女性に河原町の駅はどこですかと道を尋ねられた(標準語で答える旅人に教えられてよかったのだろうか)。フランスではニース近郊のカーニュ・シュル・メールでバスを待つ女性に時間を訊かれた(なぜ外国人に訊くんだろう)。
人に道を尋ねられる人はそういう顔をしているらしいと知人に聞いたことがある。おそらくぼくは人から卓球に誘いやすい顔をしているのだろう。
さっきも言ったけど、できれば中級者上級者と打ち合いたいのは山々んなんだが、おじいさんたちとゆったり打ち合うのも案外悪くないと思っている。人間が鍛えられていく感じがする。

それにしても松岡正剛はすごい。
本と接する、その接し方が見事だ。
高校生や大学生の頃、松岡正剛を読んでいたら、きっとぼくの人生も変わったと思う(なんて、その頃はきっと咀嚼できなかっただろうけど)。

2009年7月1日水曜日

今尾恵介『線路を楽しむ鉄道学』

駒沢球技場で行なわれていた関東学生卓球選手権。
昨日ベスト8が出揃って、ぼくが応援しているペンホルダーの選手は男子ではひとりも勝ち残らなかった。筑波大の田代が中央大の瀬山に対して2ゲームを先取し、大物の一角を崩すかに見えたが、さすがに瀬山。3ゲーム以降修正し、後半は圧巻だった。駒沢大の桑原勇にも期待していたが、自分のペースに持ち込む前に専修大石井にストレート負け。石井は流れに乗ると強い。法政大大谷、埼玉工大伴もベスト16には届かなかった。伴の相手は明治大カットマン定岡。伴は両ハンドにいいものを持っているように思うのだが、根気というか粘り強さがない。
概ねシード選手が勝ちあがったが、第1シードの早大足立が明治大池田に敗れる波乱があった。波の乗る池田は準々決勝で専修大のエース徳増も撃破した。
決勝は大方の(というかぼくの)予想通り早大笠原対中大瀬山。瀬山のスピードに柔軟に対応できれば笠原だろうと思っていたが、結果はやはり笠原。秋のリーグ戦では明大水谷とのガチンコ勝負が見たいものだ。

卓球もさることながら、もともと鉄道は好きだったので、昨今、本屋に積まれた鉄道関連の書籍はうれしい限りであるが、実のところなかなかすべてに目を通す余裕がない。
先日仕事場の近くのY書店に光文社の新訳『罪と罰』の3を買いにいったところ、まだ出ていないという。1、2と突っ走るように読んできたので、ここで立ち止まるのもなにかなと思い、それなら鉄道の本でも走り読みしようかと手にとったのが本書。
鉄路にまつわる歴史的地理的エピソードはおそらく日本全国くまなくあるだろうが、なかなかいいネタを仕込んでいる。随所に地形図が載ってるが、筆者の手描きの図解のほうがわかりやすい。それと電車の中や喫茶店でひまつぶしに読むには少々重い。鉄道地形図や時刻表をかたわらに置いて、きちんと読むことをおすすめする。ちなみにぼくはネットでその都度“検索”するという横着な読み方をしてしまったが。