このブログには何度となく書いているが、父の実家は房総半島の白浜町乙浜である。ちなみに母は、そのお隣、千倉町白間津。ふたりが出会ったのが房州ではなく、東京の佃というのも不思議なめぐり合わせだ。
毎年、夏休みになると白浜から祖父が上京する。姉と僕を連れに来るのだ。7月末から8月はじめあたりからお盆までを乙浜で過ごしていた。祖父と3人の旅は両国駅からはじまる。昔の東京は行く先ごとに駅が違った。東海道山陽方面は東京駅だし、東北、常磐、上信越方面は上野駅、甲州、信州は新宿駅。そして房州や銚子方面の起点は両国駅だった。
両国駅周辺には国技館があり、回向院があり、かつての日大講堂の跡地に江戸東京博物館もできている。以前はよく両国駅周辺を懐かしみ、散策した。子どもの頃であるが、両国駅から月島まで母と歩いたこともある。千倉で貰った土産を月島の大叔父に届けるために。
両国界隈がかつて本所と呼ばれいたのを知ったのはずいぶん後になってからだ。古い地図では東京市本所区。回向院の先、竪川を越えると深川である。東京市深川区。門前仲町を過ぎ、相生橋を渡れば、新佃、月島。苦もなく大叔父の家にたどり着いたことを憶えている。
隅田川の西岸、向島、本所、深川は明治以前より下町だった。この本の舞台は今の両国に近い亀沢町あたり。住んだことはないが、懐かしく思うのは、祖父との旅を思い出すからか、少しだけれど落語を聴いていたせいか。落語で長屋といえば滑稽噺であるが、この本はむしろ人情噺だ。生きるか死ぬかの大ピンチを貧乏人の知恵でしのいでいく。誰もがみな、救われるお話は読んでいてほっとする。大工の熊五郎は別として。
そういえば月島のに住んでいた大叔父は大工だった。借金を踏み倒してはいないだろう。お年玉をいっぱいもらったことを思い出す。子どもに恵まれなかったおじちゃんは母(姪)の息子である僕をたいそうかわいがってくれた。
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