2022年12月30日金曜日

宮台真司『日本の難点』

先のサッカーワールドカップカタール大会で日本はベスト16。そのなかで最高の評価を受けた日本は出場32カ国中9位になった。決勝トーナメント初戦で敗退した8チームにランク付けを行うことにあまり意味はないだろうが、国際サッカー連盟(FIFA)が決めたのなら、ああそうですかと受け止めるだけである。サッカーの順位なんて試合の勝ち負けで決めるべきであって、それ以外の評価で決めたランキングってなんなんだろう。
決勝トーナメントを観ていて、準々決勝に残ったチームはそれ以外のチームとは格段と力の差があるように感じた。日本代表がめざしていた「景色」の前には大きな壁が立ちはだかっている。それはともかくとして日本サッカー協会は森保一監督の続投を決めたという。あらかじめ設定されていた目標があって、それに到達できなかった場合、たとえば民間企業なら更迭だろう。結果を残せなかったのだから当然だと思う。ドイツとスペインに勝利してベスト16に進出するというが目標だったのなら納得できる。次はその上をめざしてくださいという気にもなる。
次期監督の選定にどんな議論があったかわからないが、代表監督としてW杯に至るまでの好成績(勝率は7割に近い)、本大会の決勝トーナメントに至るまでの善戦で4年後を託したのであれば少し甘い気がする。ベスト8に行けなかったことを重く受け止めた上で、なぜ次を森保に託すのか、きちんと説明している報道もほぼないようだ。多少の失敗は仕方ないとして、よくやったから次回もがんばれよみたいな和やかさがこの国のいちばん危ういところじゃないかとも思う。ベスト8に名を連ねるような国のサポーターたちはもっと自国のサッカーに厳しい視線を送っているのではないか。
今年三冊目の宮台真司。あいかわらず難解である。少しでもわかるところを読んで納得し、難しいところはそのうちわかるだろうというお気楽なスタンスで読み終えた。

2022年12月20日火曜日

夏目漱石『彼岸過迄』

ワールドカップカタール大会。
3位決定戦と決勝をテレビ観戦する。サッカーについてはくわしく知らないが、さすがに世界の頂点に近づけば近づくほど、技術面のみならず、メンタルやフィジカルの強さが際立って見える。これが日本代表が見たかった「景色」なのかと思う。もちろんくわしいことは知らない。にわかファンのつぶやきである。
とりわけ決勝戦のアルゼンチン対フランス。さらにあと30分延長しても勝敗はつかなかったのではないかと思えるような試合だった。ワールドカップの決勝戦なのだから歴史に遺る好ゲームであるのは当たり前なのかもしれないが、1秒たりとも目の離せない120分だった。結果的にはPK戦となって、運を味方につけたアルゼンチンが勝利した。こうした素晴らしい歴史を人々の心に刻むためにワールドカップという大会は存在しているのだと思った。
最近少しずつ読むようにしている夏目漱石。主人公が歩く町を思い浮かべながら読む。
漱石って東京の人なんだなと思う。『三四郎』の谷中、『それから』の代助が住む神楽坂、『門』の宗助が住む崖下の家はおそらくは雑司ヶ谷だ。
この『彼岸過迄』にもさまざまな地名が登場する。敬太郎の下宿する本郷、須永が住む小川町。田口は内幸町、松本は矢来町に住んでいる。それぞれが車(人力車)、電車(路面電車)で往き来する。もちろん歩いても移動できる距離である。東京は狭かったんだと思う。その昔、東京市は15区からなっていた。その後市域が拡大され、東京35区が誕生する。今の23区と原形になる。
冒頭から登場する敬太郎が主人公かと思いきや、実際は田口市蔵だったりする。どっちが主人公かと思わせるところは漱石がしばしば使う手である。
神田小川町から矢来町へは、靖国通りを歩いて飯田橋に出て、神楽坂を上るんだろうなと想像しながら、神楽坂から榎木町方面に歩いて漱石山房に立ち寄るのもわるくないと思った。

2022年12月19日月曜日

スージー鈴木『桑田佳祐論』

サザンオールスターズのファンであるが、熱狂的ってほどでもない。そもそもが熱狂的に応援するアーティストはいないが、ほとんどの曲を聴いているとか、忘れた頃にふと聴きたくなるアーティストなら何人か(何組か)いる。サザンもそのひと組かもしれない。
楽曲を聴くときには詞を重視する。重聴とでもいったらいいのか。好きな作詞家は北山修であったり、中島みゆきであったり、小椋佳、松本隆、阿久悠、なかにし礼であったり…。作詞を専門とする人もいれば、作詞作曲をひとりでこなして、完結させる人もいる。音楽のことはまったくわからないのでどうしても詞を味わう聴き方をしてしまうのである。
サザンがデビューしたのは1978年。僕がめでたく大学に進むことができた年だ。はじめての大学祭、所属したサークルの模擬店で朝方まで酒を飲んで何度も歌ったのが「勝手にシンドバッド」だった。不思議な歌だった。どう考えても前年にヒットした沢田研二の「勝手にしやがれ」とピンク・レディーの「渚のシンドバッド」を合成したようなタイトルだったからだ。
サザンオールスターズの楽曲のほとんどを(KUWATA BANDも含めて)桑田佳祐が作詞作曲を担当している。キャッチーな歌詞、心に沁みるフレーズ、意味不明のことば、こうした要素から歌詞は成り立っている。心に沁みるフレーズは桑田でなくても書くことができる。ずっと気になっていたのはキャッチーで意味不明なことばである。ギターで自作の曲を弾きながら、心に浮かんだことばを「風まかせ」に羅列しているようにも思える。
もしかすると桑田はボーカルを楽器の1パートと考えているんじゃないか。歌声はキーボードやパーカッションのようにバンド編成のひとつ。だから楽曲に与することばを声で構成する。そうすることでボーカルは音楽の一部となって、全体としての楽曲に貢献する。けっして邪魔しない。主張もしない。
それって素晴らしいことだ。

2022年12月11日日曜日

宮台真司『社会という荒野を生きる』

在宅勤務をはじめて1年半ほど経た昨年の10月くらいから運動不足が気になりだした。下手をするとひと月に2~30キロメートルくらしか歩いていないときもあった。スポーツウェアのアンダーアーマーが提供するスマホアプリを導入して、意識的に歩くようにした。目標は低めで月20キロ。その後25~35キロくらい歩くようになった。かれこれ1年以続いている。大学で体育を専攻した高校の先輩が1キロ10分台で歩くのがいいという。なかなか難しい。
11月29日も16時過ぎから歩きに出る。すでに日没は16時半頃。1時間ほど歩いて(だいたい6キロくらい)、帰る時分にはもう真っ暗である。歩き終わってテレビをつける。
16時15分頃、八王子市東京都立大学南大沢キャンパスで男性が刃物のようなもので首、背中、腕などを切りつけられ、重傷を負った。犯人は逃走。その後被害者男性は、同大教授で社会学者の宮台真司だとわかった。授業を終え、キャンパス内の駐車場に向かう途中だったという。
ちょうどこの本を読みはじめたところだったのでびっくりした。その後のニュースで12月7日に退院。防犯カメラに犯人らしき人物が映し出されているようだが、まだ逮捕には至っていない。日没前、あたりはかなり暗くなっていたのではないかと思う。
10月に立憲民主党福山哲郎との対談をまとめた『民主主義が一度もなかった国・日本』を読んで、もう少し宮台真司を読んでみたいと思った。わかりやすそうでいてわかりにくい。ラジオやネットで見聞きする著者の印象にくらべて難解な著作が多いと思う。自身に堆積された深い知識から構築される論理を理解するのがひと苦労であるし、独特の表現、言い回しがあって、慣れないとわかりづらい。もちろん学者であるから語り口は客観的であり、ひとつひとつの術語にも適切な定義が施されている。
今は宮台真司の鋭い舌鋒が復活するのを待つばかりである。

2022年12月4日日曜日

夏目漱石『文鳥・夢十夜』

その日はいつものように12時半過ぎに布団に入った。少しだけ読みかけの本に目を通したが集中できなかったのでイヤホンを耳にさしてラジオをつけた。ラジオ深夜便が世界の天気を伝えている。もう1時なのだ。
目が覚める。外はまだ暗い。ラジオから音はしない。いつも2時間で電源が切れるように設定してある。時計を見る前にラジオをつける。君が代が流れている。続いてスペイン国歌。まもなくカタールワールドカップ一次リーグE組の最終カードがはじまる。起きてテレビ観戦するのもありかなと思いつつ、そのままラジオで聴く。
スペインが先制する。ラジオで聴いている限り、さほど興奮することもない。静かに試合の流れを追う。ハーフタイムを迎える。トイレに行って口をすすいで、布団にもぐり込む。後半がはじまった途端に同点。ここでテレビ視聴に切り替える。テレビをオンにする前にラジオでは逆転ゴールを伝えていた。
夏目漱石晩年の中短編を集めた新潮文庫を読む。胃を患った漱石が痛々しい「思い出す事など」や「文鳥」「永日小品」など歳を重ねたせいか、身体が弱ってきたせいか、心やさしいおだやかな漱石がいる。
日本対スペイン。後半早々逆転に成功したものの、残り時間はまだ40分近くある。負けているときの45分はあっという間だが、リードしていると長い。ボールを支配するのは圧倒的にスペイン。日本が守りに入ったわけではなく、スペインの方が個人技や組織プレーでは格上なのだ。逆転後、はらはらするために起きてテレビの前に座ったみたいだ。アディショナルタイム7分を含めた逆転劇後のゲームを固唾を飲んで見守った。危ない場面もあったが、なんとかリードのまま試合終了。無敵艦隊スペインにワールドカップで勝利するなんて、日露戦争以来の快挙ではないかと思う。
時刻はもうすぐ午前6時になろうとしていた。ここで目が覚めて「夢だったのかと」とならなくてよかった。