2022年11月28日月曜日

池田清彦『SDGsの大嘘』

11月も終わろうとしている。
明治神宮野球大会もいつしか終わっている。大学の部は明治が優勝。高校の部は大阪桐蔭。昨年続く連覇である(高校の部では初)。昨年は秋春を連覇し、夏に三冠をめざしたが、準々決勝で下関国際に敗れた。公式戦で負けたのは昨春の近畿大会決勝智辯和歌山以来だった。今年も大阪府予選、近畿大会を勝ち上がり、明治神宮大会で優勝。松坂大輔の横浜以来の秋春夏制覇をめざすスタートラインに今年も立つことができた。
野球が終わったと思ったらサッカーがはじまった。2022年のワールドカップはカタール開催。いつものように6月開催にすると猛暑であるために11月開催なのだという。それでも連日30℃を超えている。スタジアムは冷房設備があるらしく、報道陣は寒いくらいに空調が効いているという。
一次リーグ初戦のドイツ戦。ヨーロッパの強豪チームにおそらくはコテンパンにやられてしまうのだろうと昔ながらの俄かサッカーファンは思っていた。後半に入って、攻撃的な布陣をしいて、ドイツ守備陣のリズムを狂わせたことが同点、逆転ゴールを生んだという報道である。ドイツは自滅したのである。
二戦目のコスタリカ戦。積極的に攻める日本であったがなかなか得点に結びつかない。サッカーという競技は基本はしっかり守る、ディフェンス主体であるべきで、チャンスに恵まれたら一気に攻める。コスタリカはヨーロッパ伝統のサッカースタイルを貫くチームだった。点の取れない日本はディフェンスで致命的なミスを犯す。ドイツ同様、日本も自滅した。
池田清彦の本を以前一冊読んだ。ラジオ番組で紹介されていた著書だった。
この本もおもしろい。いま誰もが注目しているSDGsに盾を突く。利権が見えかくれしているとか、科学的知見に乏しいとか。さもありなんと思う。
ちなみにこの本はあまりマスコミで取り上げられない。SDGsに対する同調圧力のなかでは致し方ないことなのだろう。

2022年11月17日木曜日

日野行介『原発再稼働 葬られた過酷事故の教訓』

「デジタル化」「がん治療」「原発」の3つに共通していることは、はじめたらずっと続けていかなければならない、終わりがないということだ。
コンピュータ。CPUが速くなる。メモリもそれにともなって容量が必要になる。ハードウェアの高速化はソフトウェアの可能性を高めていく。ほんの短いスパンでこうした進化が続く。性能がよくなっても価格はすぐに落ち着いて安価になる。10年前のPCならば何とか使えるかもしれないが、20年前のものだともう使い物にならないだろう。がん治療も同様に次から次へと新しい治療法が生み出される。放射線治療だとか抗がん剤であるとか、くわしいことはわからないが、治療の選択肢は増え、高度化しているようである。
原子力発電に関しては、現時点での知見ではどうにもならない。燃料廃棄物の処理でさえままならない。頭のいい人たちが考えついた未来のエネルギーだったのかもしれないが、プラスチック同様、その先どうする?という視点が圧倒的に欠けていた。もちろんこの先、世の中というか科学技術がどれほど進歩するかわからない。環境にやさしいプラスチックもできるかもしれない。パッパッとふりかけるだけで放射能の放出をなくしてしまう物質がつくられるかもしれない。放射能に汚染された水を海水でうすめて、海に放出するなんて子どもじみた発想もなくなるかもしれない。でももうはじめてしまった。
これら、終わりなき旅の根本にあるのは経済をまわさなければいけない、成長させなければいけないという考え方だ。地方の鉄道は100円稼ぐのに何万円もかかるから、廃止しようなどと議論されている。インフラってその地域に住む人たちの利便性をはかることが主眼じゃないのか。そこから利益を生み出そうという発想が健全な感じがしない。経済をまわさなければ人々に利便性や快適な生活を与えられないのだろうか。
何か間違っているような気がしてならない。

2022年11月11日金曜日

高野光平『発掘! 歴史に埋もれたテレビCM 見たことのない昭和30年代』

一般財団法人ACCが日本広告主協会、日本民間放送連盟、日本広告業協会によって組織されたのが1960年。テレビコマーシャルのすぐれた作品を表彰するACC賞(ACC CMフェスティバル)はその翌61年からはじまった。それまでアニメーションによるCMが多数を占めるなか、実写 CMが増えてきたのが昭和30年代後半である。テレビCMがより身近なものになって、その質が意識されるようになった時代なのかもしれない。
以前、ある広告大手のクリエイティブディレクターが「忘れらてしまうメディアでどう忘れさせないようにするかがCM制作のいちばんのポイント」というようなことを語っていた。印刷媒体の広告と電波媒体のそれの大きな違いはここにある。
著者は茨城大学人文社会学部教授。昭和草創期のテレビコマーシャルに関する著書も多い。昭和30年代のテレビCMはそのほとんどが現存していない。まさに「忘れられて」しまった広告なのである。それでも方々探しまわってアーカイブを見つける。ほとんどが日本最古のCM制作会社といってもいいであろうTCJ(Television Corporation of Japan)に保管されていたというのだ。京都の大学でアニメーションの研究資料として貸与契約を交わしてデジタル化したらしい。
昭和30年代半ばに生まれた僕には本書で紹介されているCMはまったく憶えがない。ただ自分が生まれて物心がつく前、大人たちはこんな暮らしをしていたんだなと思うだけである。
著者は言う。昭和30年代の硬直化した歴史イメージをときほぐし、忘れられた消費生活のプロトタイプ=昭和30年代の多様性とディテールを重視するために歴史に埋もれたテレビCMを掘り起こしているのだと。
誰の記憶にも遺されていないテレビCMたちから時代を読み解くという作業は興味深い反面、途方もない仕事である。テレビCMの考古学といってもいいだろう。

2022年11月6日日曜日

山内マリコ『すべてのことはメッセージ 小説ユーミン』

今年は松任谷由実デビュー50年にあたるという。テレビやラジオに出演する機会も増えている。アーティスト生活50周年を記念するアルバムも発売された。タイトルは「ユーミン万歳!」、CD3枚に51曲が収録されている。デビュー50年という俳優や歌手、タレントはこれまでも多く見てきたけれど、ユーミンよ、おまえもかと思うと少し感慨深い。
7月にラジオでリスナーのリクエストで選ぶユーミンのベスト50という企画がオンエアされた。1位は「守ってあげたい」だった。50年も第一線で活躍しているとファンの年齢層も幅広い。ベストを選ぶというのもなかなかたいへんだ。僕の世代の前後、70年代後半から80年代前半に高校生や大学生だった人たちなら、アルバム「SURF&SNOW」「PEARL PIACE」「VOIGER」「NO SIDE」あたりに収録された楽曲の人気が高いのではないかと思う。僕はどちらかというと荒井由実時代の曲が好きで、「ひこうき雲」~「14番目の月」をよく聴く。
ラジオを聴いていたら、作者である山内マリコが出演している番組があって、この本が上梓されることを知った。
幼少のユーミンが成長して、アルバム「ひこうき雲」を完成させるまでのお話。もちろん小説と銘打っているとおり、フィクションであるだろうけれど、どこまで創作でどこまで事実かわからない。ユーミンは少しずつ大人になっていくなかでその後のヒット曲のヒントになるような出来事や風景に出会う。それはそれでありそうな話であるが、これらは創作のにおいがする。散りばめられたエピソードの数々は丹念に取材をしたのだろう。後々にうまくつながるようになっている。60年代後半の音楽シーンも精細に調べられている。
足の悪い同級生が登場する。シングル曲「ひこうき雲」誕生に関係している。ここがいちばん印象的だった。このエピソードが創作であるとしたら、とてもいい小説だと思う。