2022年4月23日土曜日

太宰治『ヴィヨンの妻』

先月、三鷹を訪ねた。
太宰治ゆかりの跨線橋を渡って、国鉄武蔵野競技場線廃線跡を歩いたのである。三鷹駅と武蔵野競技場前駅を結ぶこの路線は、中島飛行機武蔵工場の引込線を利用して1951年に開業した。電化単線、全長3.2キロ。中央線の支線だった。
その年、武蔵野グリーンパーク野球場が終点武蔵野競技場前駅近くに完成した。当時、首都圏で開催されるプロ野球の試合のほとんどは後楽園球場を利用していた。明治神宮野野球場は進駐軍に接収されていたため、前年から2リーグ制がはじまったにもかかわらず、球場不足は否めなかったのである。そこで建設されたのが武蔵野グリーンパーク野球場だった。グリーンパークという名前はこのあたりを接収していた米軍がそう呼んでいたことによるらしい。
5万人を収容できる本格的な球場だったが、都心から離れていたことや突貫工事のため芝の育成が不十分だったこともあり、砂塵に悩まされるといった問題もあった。そしてその翌年には神宮球場の接収が解除され、都心に近い川崎球場、駒沢球場ができたことで武蔵野グリーンパーク野球場は51年にプロ野球16試合が行われただけで翌年には武蔵野競技場線も休止。野球場は56年に解体され、鉄道路線は59年に廃止された。
太宰の跨線橋を渡って駅の北側に出ると、線路があったと思われる曲線部が公園になっている。さらに進んで玉川上水を越えるぎんなん橋にはレールが埋め込まれている。かつての国鉄飯田町駅があった飯田橋アイガーデンテラスでも見たことがある。失われた鉄路のモニュメントが遺されるのはいいことだ。戦後間もない頃の野球少年の夢を乗せた電車が(あまりにも短い期間ではあったが)通り過ぎていったのだなどと思いながら野球場跡地まで歩いた。
新潮文庫『ヴィヨンの妻』を読む。昔読んだことはすっかり忘れている。太宰の、死と向き合う小説より、生を生きる活力ある小説が好きだ。

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