2021年7月6日火曜日

ねじめ正一『落合博満論』

左足を三塁方向に踏み出して、身体は投手とやや正対するような構えで投球を待ち、やわらかく、それでいて鋭くバットを振り抜く。その打ち方は評論家がしばしば言う「身体が開く」打ち方であまり効率的な打法ではない。それでも落合が右に左にセンターにヒットやホームランを量産できたのは右足に体重を残して、スイングの軸にしていたからではないか。身体を開くことで内角も外角もふところを深くして待つことができる。基本はセンター方向に打ち返す。結果、内角に来たボールはレフト方向に、外角のボールはライト方向に素直に打ち返される。
落合博満のバッティングを僕はこのように見ていた。もちろん僕は本格的に野球をやったことはない。あくまでひとりの野球ファンとしての見解である。
小学校の頃、クラスの男子の大半は巨人ファン。なかでも圧倒的な人気を誇ったのが長嶋茂雄である。三塁手で四番打者で背番号3を希望する者が多かった。長嶋のバッティングフォームや守備をまねる者も多かった。1960年代の終わり頃から70年代にかけて、長嶋茂雄は打点王を続け、存在感はあったものの、打率、本塁打では翳りが見えはじめていた。それでも71年に最後の首位打者になったときは、やっぱり長嶋だと熱狂したのをおぼえている。
落合博満も長嶋ファンだったという。60年代の長嶋全盛期を目にしてきたに違いない。華やかな球歴を持ち、常勝チームの一員としてスター街道を歩んできた長嶋と当時の野球文化(あるいは野球部文化といってもいいかもしれない)になじめなかった落合とではその出自は異なるが、野球というスポーツの本質、チームとして勝敗を決する競技であることを十分すぎるほど知っていた。そのことは監督としての落合を見るとよくわかる。長嶋を日本一にした落合は、自らも日本一のチームを率いたいと思ったのだろう。
それにしても落合のバッティングフォームは長嶋のそれによく似ていた。

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