それでも本が読みたいといえば(よほど高額の書籍でもない限り)買ってもらっていた。毎日のお小遣いの何十倍もの値段のそれをである。もちろん湯水のごとく買い与えられていたわけではない。ときどき折を見ておねだりすると買ってもらえた。その辺のさじ加減は幼い頃からスキーマとして意識下に形成されていたのかもしれない。たいていは買ってもらった一冊(たとえば『宝島』や『十五少年漂流記』とか)を何度もくりかえし読んだ。子ども時代に膨大な数の本を読んだわけではけっしてない。
その後も月に何十冊、年に何百冊も読むような読書家にはなっていない。読みたいときに読みたい本を読む気ままな読書家(それを読書家と呼んでいいとするならば)である。実は両親が買ってくれたのは、何冊かの本でなく、本という紙とインクでできた物質ではなく、なんて言ったらいいのか難しいが、本を読む時間、本に接する環境だったのではないかと思うことがある。今でもこうしてときどきページをめくるのは、子ども時代へのノスタルジーなのではないか。
超長寿時代を迎え、さまざまな地域で課題となっている「地域包括ケア」、この本はその先進事例にもとづいて、地域共生社会を模索している。先だって読んだ『長生きするまち』では環境づくりが介護予防にとってたいせつだと書かれていた。とはいえ、まちづくりほど一筋縄でいかない課題はないだろう。
誰が町をつくるのか、その主体は誰なのか。住宅を設計するには利用者である依頼者の声に耳を傾ける。町を設計するときは不特定多数の利用者が存在する。彼らのありとあらゆる思いを汲んで、どうまちづくりに取り組めばよいのか。建築家、医師、看護師、福祉施設の経営者らがあらゆる視点からケアするまちをかたちづくっていく。対話しながら。
コミュニティをつくっていくことがこの先たいせつな仕事になると思う。
0 件のコメント:
コメントを投稿