2016年11月27日日曜日

松尾卓哉『仕事偏差値を68に上げよう』

ある日曜日に自宅のファクシミリに着信があった。
数案のテレビコマーシャルの企画コンテだった。もう二十年近く昔の話だけど。
送って寄こしたのは松尾卓哉。当時あるかつらメーカーのテレビやラジオのコマーシャルをいっしょに企画していた。休日返上でアイデアをまとめた彼はクリエーティブディレクターのチェックをもらい、さらに僕にリライトをお願いしろとアドバイスを受けた。
それが日曜日のファックス着信である。
もちろんどんな内容のプランだったかははっきり憶えていない。元アイドル歌手が母親役で授業参観に行く。事前に子どもからおしゃれしてきてねとか言われたのかもしれない。そのときの元アイドルが言う。「だいじょうぶ、ママは昔○○(アイドル歌手の名前)だったのよ!」おしゃれなウィッグを着けて教室にあらわれた元アイドルのママが脚光を浴びる。たしかそんな企画案があったように思う。
日曜日に絵を描いて、翌月曜日にスキャンして当時やっと使い方を覚えたばかりのフォトショップで色を着けた。おもしろいアイデアばかりだったけど、残念ながら制作されて放映されるには至らなかった。
ラジオコマーシャルもいっしょにつくった。当時の松尾卓哉のラジオCMはありふれた台詞を(商品名とか商品特徴を連呼するのではなく)とことん繰り返すパターンが多かった。原稿ではちょっと強引かなと思ったけれど、録音してみたらおもしろかった。
その頃の松尾卓哉はまだまだ売り出し中の若手クリエーターだった(カンヌ国際広告祭で入賞し、忍者のコスチュームで表彰式にのぞむ数年前だった)。それでもすでに完成形をしっかりイメージしながら、企画やコピーを考えていたのだろう。
広告制作にたずさわる制作者がクリエーティブの手法やCM制作から学んだことなどを本にすることは少なくない。そのなかでもこの本は平明で誰にでもわかりやすい。松尾卓哉のつくったテレビCMのように。

2016年11月23日水曜日

マーク・トウェイン『ハックルベリー・フィンの冒険』

読書の記録を残すようになってずいぶん経つ。このブログだけでなく読書メーターというSNSも利用している。
半年前、一年前に何を読んでいたかがすぐにわかる(もちろんさらにさかのぼるることだってできる)。ブログの方は読んですぐに書くなんて洒落たことはできない。タイムラグが生じる。それはそれで致し方ない。
ただ半年前、一年前をふりかえって見たとき、半年後一年後にこんな本を読んでいたのかとは想像すらできない。そこがおもしろい。本を読むとはあてもない旅なんだと思う。
仕事でどうしても本を読まなければいけない人もいる。僕だっていつも冒険小説や時代小説ばかり読んでいるわけじゃない。そういうのは趣味娯楽ではなく仕事なんで読書とは違う。
一年前は何を読んでいたかというと司馬遼太郎の『世に棲む日々』だ。『竜馬が行く』、『燃えよ剣』、『花神』を読み終わって、もう少し幕末にとどまろうか、『坂の上の雲』に行こうか思いめぐらせていた頃だ。
半年前は『大地の子』や『64(ロクヨン)』を読んでいた。その後、村上春樹の未読のエッセーを読んだり、初期の作品を読みなおしたり、スタインベックの『怒りの葡萄』を再読したりして現在に至っている。紆余曲折も甚だしいが、どういう経路でハックルベリー・フィンにたどり着いたのかまったくわからない。スタインベックに触発されたのと大統領選の過熱する報道がアメリカ文学の原点に向かわせたのかもしれない。
読み終えた一冊が無意識のうちに次の一冊へ導いていく。そういうことはたしかにあるし、テレビのニュースやネットで知るさまざまな情報に導かれているのかもしれない。
いずれにしても僕の読書は根無し草みたいなものだ。ミシシッピ川に浮かぶ筏に揺られているようなものだ。流れ着いた町ではじめて出会う人たちと波乱万丈支離滅裂な事件に遭遇する。
こんなおもしれえことばっかあるんならおいらこれからも本を読みつづけるぜ。

2016年11月20日日曜日

マーク・トウェイン『トム・ソーヤーの冒険』

今でも町歩きが大好きなんだけど、そのはじまりは小学校時代にさかのぼるんじゃないかと思っている。
ゴムボールで野球をしたり、タカオニやカンケリなどといった低学年的な遊びもしたけれど高学年になってにわかに冒険心が芽生えたんだと思う。学区域を越える、区境を越える。まだ知らない町を見てみたい。そんな気持ちになった。
なんとなくこの辺、みたいな話だとイメージしづらいかもしれない。僕らの冒険の出発点(いわばセントピーターズバーグだ)を品川区の大井町としよう。そこを拠点にあちこち歩きまわったのだ。
今でも憶えているのは区の南西にあたる大田区上池台。僕たちが学校教育以外で接する唯一といっていいメディアを提供していた学研の本社があった。学習研究社の雑誌『学習』と『科学』は当時教科書のおやつとして絶大な支持を得ていた。その生産拠点を(少なくともその場所を)見極めようと小さな旅に出た。
当時、学区域を出ることは大いなる冒険だった。学区域の外は他の学校の生徒児童の縄張りであり、迂闊なことでもしようものなら僕らは生命の保証がなかったからだ。大げさかもしれないが、気分的にはそうだった。
学習研究社はまわり一面畑に囲まれた丘に上にあった。のどかな風景だった。北馬込から夫婦坂を通って行ったと思う。
記憶に残る次の冒険は国電(今のJR東日本)の品川駅と田町駅のあいだにある東京機関区(たしかそんな名前だった)という機関車の基地。これは興味をそそられたね。深夜九州に向かう電気機関車たちが昼間ここで眠っているのだ。
でも歩いていくには遠かった。入口もわからなかった。高輪や三田あたりの線路沿いから、札の辻の陸橋の上から遠く眺めたものだった(後日見学させてくださいと正式に訪問している、皆カメラをぶら下げて)。
20世紀の日本で、品川という小さな町に育った僕らの冒険とはこんなものだ。
トム・ソーヤーほどではないが、見方を変えればトムの冒険よりおもしろかったかもしれない。

2016年11月16日水曜日

松岡正剛『危ない言葉』

もし理想的な国語の教師がいたとしたら(これは高校現代国語の授業を想定しています)。
その人は僕たちに好き勝手に本を選んで読めと、その授業の冒頭で言うだろう。そしてわれわれは、ある者は鞄の中から読みかけの文庫本を取り出し、ある者は駅前の書店に出向き、またある者は学校の図書室で読みたい本を物色する。もちろんここぞとばかりに靖国神社で缶ビールを開けたり、神楽坂のパチンコ屋でひと勝負する者もいただろう(学校がその辺にあったので地域が限定されますが、あくまでたとえということで)。
小学校以来ほとんど本を読まなくなった僕はやることがない。頭のいい輩なら予備校や塾の宿題をここでこなすんだろうけど。
勝手に本を読めと言ったその教師は自ら持参した本を読みはじめている。することもないので彼を観察する。
ときどき微笑んだり、涙ぐんだりしている。真剣な表情も見せる。自分の親と同世代か、少し歳上かもしれない。そんな大人がページをめくりながら嗚咽なんぞしている。気持ちがわるい(僕が高校生当時、そんなボキャブラリーはなかったけど、今でいう「キモイ」感じ)。とはいうもののだんだん気になってくる。彼は何を読んでいるのかと。
他人に、この本だけは絶対読め、いい本だから。そうすすめるのは簡単なことだ。だけど自分の、あるいは不特定多数の読書体験を盾に課題化される、強制されることが何よりもいやだった。中学生になってから本を読まなくなったのは(もちろんそれは自分のせいにちがいないけれど、あえて人のせいにするなら)夏休みなどに課される読書感想文の宿題のせいだ。
国語教師が読んでいる本を覗きに行った。
その本の題名はさして重要ではない。ここでは割愛する。
もちろんこれは僕がつくった架空の話でそんな理想の教師に出会う機会はなかった。
読書は強制されるものではない。覗き見ることだ。松岡正剛はそんなことを教えてくれた。僕にとって理想の教師かもしれない。

2016年11月12日土曜日

村上春樹『風の歌を聴け』

東京六大学野球や東都大学野球は先に2勝したチームが勝ち点1をもらう。その勝ち点の多いチームが優勝。同数であれば勝率で決める。非常にわかりやすいルールである。と同時に春秋のリーグ戦をおもしろくしている。
どのチームにも試合をまかせられる投手がひとりはいる。完投こそしなくても失点を最小限に抑えて、打線が少ないチャンスをものにすれば野球は勝てる。柱になる投手がもうひとりいて第二戦も同様に戦えればすんなり勝ち点はもらえる。問題は一勝一敗のタイになった3戦目だ。
第3戦は1、2戦で活躍した投手が同じように投げられるとは考えにくい。疲労も蓄積されている。お互い後のない戦いに必要以上にプレッシャーがかかる。たいていの場合総力戦になる(プロ野球でもそうだが、学生野球も投手の分業がすすんでいる。初戦に勝ち投手になり、2戦目負け投手になり、3戦目も先発でマウンドをまかされ完投する、なんていう猛者はもうあらわれないだろう)。
そういった意味でも学生野球のリーグ戦を観戦するなら第3戦をおすすめしたい。初戦で完璧な投球をした投手がもろくも打たれたり、打ち崩された投手が見事に立ち直っていたりする。ベンチやブルペンのあわただしい動き、決死の覚悟の応援団などなど。第三戦は見どころ満載だ。
忘れたころに村上春樹を読み直す。
初期の作品はたぶん二回は読んでいるだろうから、これが再々読になるかもしれない。いわば第三戦ということか。
主人公や登場人物がビールを何本も飲んで、クルマを走らせ、煙草を何本も吸っていたそんな時代のお話。もう30年近く以前に南房総の防波堤に寝ころんでビールを飲みながらページをめくった夏の日を思い出す。
東京六大学野球秋のリーグ戦最後の試合となった第三戦早稲田大対慶應大は広島東洋カープにドラフト一位指名された慶應の加藤拓也が圧巻のピッチングで学生最後の試合を飾った。いい思い出になったんじゃないだろうか。

2016年11月10日木曜日

司馬遼太郎『幕末』

東京都秋季高校野球大会決勝を観に行く。
チケット売り場は神宮球場外野方面にある。たどり着くとそこから長蛇の列。最後尾をさがして行くと外苑の銀杏並木の中ほどまで続いていた。何度かの折り返し点を過ぎ、ようやくチケットを手にしてスタンドに席を確保するまでおよそ2時間。もともと東東京にあった早稲田実、日大三の対戦は毎度のことながらスタジアムが埋まるのだが、今年はあの怪物清宮幸太郎をひと目見ようと詰めかけるファンも多い。
試合は一進一退の接戦だったが、もうひとりの怪物日大三の金成麗生の同点ホームランと逆転タイムリーヒットで勝負あったかに見えたが、粘る早実が9回裏バッテリーエラーで同点、清宮5つ目の三振の後、続く1年生で4番の野村大樹の劇的なサヨナラホームラン。来春の選抜出場をほぼ確実にした。勝った早実は明治神宮大会初戦で東海地区代表の静岡と対戦。またしても神宮はフィーバーするのだろうか。
明治神宮野球大会といえば学生野球一年の締めくくりの大会。高校生にとっては新チームで最初の全国大会であり、大学4年生にとっては学生時代最後の試合となる。大学の部では明治大の柳、星、桜美林大の佐々木などドラフト上位指名投手のピッチングに期待したい。
立冬を過ぎる頃に開催されるこの大会は観戦するには寒い。とりわけ点灯試合になる第4試合は寒い。今年はここにきて急激に寒くなったので観戦する人はどうか暖かくしてお出かけください。
司馬遼太郎の短編集。
暗殺をテーマにした12編。とはいえすべて暗殺される話ではない。桂小五郎のように明治の世まで逃げ切った者もいる。井上聞多のように殺されかけたが一命をとりとめた者もいる。死ねばいいというものではないということを司馬は語っているように思える。
ヒットが続いて無死一二塁になる。勢いが出る、押せ押せムードになる。ここで送りバントで一死二三塁にする作戦はいかがなものかと僕は常々思っているのです。

2016年11月7日月曜日

田宮寛之『新しいニッポンの業界地図 みんなが知らない超優良企業』

神奈川近代文学館で開催されている「安岡章太郎展--<私>から<歴史>へ」を見に行く。
目録冒頭の文章を寄せていたのは村上春樹だった。『若い読者のための短編小説案内』という著作の中で安岡章太郎にふれている。たぶん、そのせいだろう。
小説家をテーマにした展示は古い原稿や書簡、当時の写真などがメインになる。百万年前の動物の骨やオルセー美術館に行かなければ見ることのできない名画が飾れているわけではない。どちらかといえば退屈なイベントだ。
中学校時代の卒業アルバムや当時の校章(菊の花に中とデザインされている)がガラスケースにおさめられていた。「サアカスの馬」時代のものだ。
安岡は高知県出身。土佐藩の郷士の出であるという。私小説からはじまる彼の小説家人生は、晩年になって『流離譚』や『境川』など自らの家系をさかのぼる作品にたどり着く。この展覧会は安岡章太郎というひとりの作家の旅をテーマにしている。
さて。
名前もほとんど知られていない企業が実は世界有数の技術と実績をそなえている。そんな会社が日本にいくつもある。
ここ最近、とりわけIT分野の驚異的な発展で海外の製品やテクノロジーについ目が行ってしまう。日本の産業はどうなっていくのか、労働人口の衰退とともに日本という国はだめになってしまうのではないかと懸念することが多い。もちろんそういう分野もあるだろうけれど、まだまだ知られざる日本の力があるのだ。この本に紹介されている250社はまさに前途有望。ニッポンオリジナルで世界をリードする技術やサービスを持っている。
広告している企業がメジャーだという先入観にとらわれる、たとえば生産材や部品をつくっている会社に目がいかない。実は日本を今支えている、あるいはこれから支えていくであろうビジネスはまだまだ日の目を見ない場所で力をさらにたくわえているのだ。
などと思いながら、港の見える丘公園から麦田町まで歩いて奇珍楼でワンタンメンを食べたのだった。

2016年11月4日金曜日

村上春樹『女のいない男たち』


読書メモをはじめたのは1990年頃からだと思う。
ワードプロセッサ(ワープロ)からパーソナルコンピュータ(パソコン)に移行したのがたぶんそのあたりでMSDOSのテキストファイル(プレーンなテキストファイルを昔はこんなめんどくさい術語で呼んでいたんだ)に保存しておけば後々何かの役に立つかもしれないと思って読後のメモを書き残すようになった。書いたり書かなかったりしながらかれこれ四半世紀以上続けている。もちろんまだ何の役にも立っていない。
最近は疲れたときに焼肉が食べたいとか、温泉に行きたいと思うようにどうしても読みたい、これだけは読んでおきたい、プレスリーみたいに読ずにいられないという本も少なくなってきた。昔読んだ本をもういちど読んでみたいと思うし、昔読もうと思って何らかの事情で読めなかった本を読んでみたいと思っている。
スタインベックやカポーティ、村上春樹、スチーブンソンの『宝島』などがそうだ。
村上春樹は大半の小説を二回は読んでいると思うけれどもう一回読み直してみたい作家のひとりだ。
その前にまだ読んでいなかったこの本を手にとる。
文藝春秋に連載された何編かを読んでいたのでまったくはじめてというわけじゃないが、村上春樹はきちんと原稿に手を加える書き手なので、初出と変わっているところがあって興味深い。
「ドライブ・マイ・カー」では上十二滝という地名が単行本になってあらわれた(ちょっとした苦情が寄せられたらしい)。『羊をめぐる冒険』で鼠の別荘があった町だ。なつかしい。
「イエスタデイ」も木樽が歌う歌詞が省略されている。版権絡みの面倒を避けたようだ。
「女のいない男たち」に一角獣の像がある公園が出てくる。「貧乏な叔母さんの話」に登場する絵画館前の風景を思い出す。野球を観に行くときその像の前を通る。
今日、ひとり静かに誕生日を迎えた。またひとつ歳をとった。
それはまあしゃあないやろ。

2016年11月2日水曜日

司馬遼太郎『酔って候』

両国の江戸東京博物館で開催されている「よみがえれ!シーボルトの日本博物館」を見る。
二度来日を果たしたシーボルトが持ち帰った日本コレクション。これらはミュンヘンなどで何度か日本展として公開されたという。ヨーロッパの人々にとって日本を知るいいきっかけになったにちがいない(正直僕はさほど感激はしなかったけど)。
シーボルトが国外に持ち去ろうとしていたもののなかには、当時幕府のご禁制であった日本や蝦夷地の地図なども含まれており、やがて発覚する。いわゆるシーボルト事件である。このあたりは吉村昭の『ふおん・しいほるとの娘』に描かれている。
事件を明るみにしたのは間宮林蔵ともいわれている。同じく吉村昭の『間宮林蔵』にそんなエピソードが登場する。
司馬遼太郎の長編は少しお休みするとして、短編集を読む。
土佐藩主山内容堂、薩摩藩主島津久光、宇和島藩主伊達宗城、肥前藩主鍋島正直にまつわるエピソードを集めた短編集『酔って候』である。
表題作「酔って候」。山内豊信(容堂)は酒好きで片時も離さなかったといわれている。自らを鯨海酔候などと呼んでいた。てっきり江戸時代の人かと思っていたが、明治維新後まで生きた。
「伊達の黒船」は伊達宗城の命で蒸気船をつくった前原喜一(巧山)の話。手先の器用な職人がその器用さを認められ、宇和島城に呼びつけられる。長崎に遊学後、蒸気船を完成させ、その後士分に取り立てられる。
日本人は古くから海外から新しい技術を学び、持ち前の繊細な感覚でより高度な製品をつくってきた。いわゆる技術立国である。その縮図のようなエピソードが宇和島にあった。
薩摩に蒸気船建造の研究修業に出た帰り途、長崎に立ち寄った前原はシーボルトの娘楠本イネに会う。さまざまな日本の文化をコレクションして持ち帰ったシーボルトと西洋の叡智を収集しながら蒸気船を完成させた前原とのたったひとつの接点がここにあった。