2014年6月30日月曜日

山本周五郎『青べか物語』

梅雨時は町歩きもままならない。
じとじとと降りつづける雨なら仕方がない。あきらめもつく。ついさっきまで晴れていた空模様が急転し、豪雨になったり、雷雨になったり。ところによっては雹が積もったりする。大気の状態が不安定だと気象予報士は告げる。不安定とは具体的にどういうことなのか。よく理解できないまま、今日は大気の状態が不安定らしいよ、などと知ったかぶりをしたりする。
いずれにしても最近歩いていない。このことは雨水が入りこみやすい靴を履いていることと無関係ではない。
山本周五郎ファンはまわりに多くいた。
折があれば読んでみようと思っていたが、なかなかチャンスは訪れなかった。時代小説をさして好まないせいもあった。
以前江戸川に浮かぶ東京都区内唯一の島といわれる妙見島を訪ねた。島といっても何があるわけでもない。食品工場とヨットハーバー、そして小さな社がひとつ。往き来するトラックが砂埃を巻き上げていた。
島の対岸、江戸川左岸には釣り宿や釣り船が見える。そういえばこのあたりを舞台にした小説があったと思い出した。何年も読もうと思って忘れ去られていた記憶のすきまの一冊がひょんなことから浮かび上がってきたのだ。
東京の町が肥大化してきたおかげでかつて近郊にあった田舎が呑み込まれ、失われていく。大岡昇平の渋谷や井伏鱒二の荻窪はまさに東京近郊の田舎だった。浦安(ここでは浦粕)は東京的な集落ではまったくなく、むしろ房総半島の漁師町に近い。おそらくの手前の葛西や砂町あたりもそんなのどかな町だったのではあるまいか。
まだ観てはいないが1962年に新藤兼人脚色、川島雄三監督で映画化されている。主演は森繁久彌。ろくでもない人間の、ろくでもなく人間臭いドラマにちがいない。沖の百万坪に巨大リゾートができるなんて夢見る者さえいなかった頃の話だ。
その後浦安の町も歩いてみた。『青べか物語』の世界が市の資料館に再現されていた。

2014年6月27日金曜日

鳥飼重和監修『そのつぶやきは犯罪です』

2014サッカーワールドカップブラジル大会は一次予選が終わり、ベスト16が出そろった。
さほどサッカーに強い関心はないのだが、世界各地に数多あってしのぎを削っているクラブチームのプレーヤーたちが国別に整理され、32チームで世界一を決めるというワールドカップのシンプルな構造が気に入っている。もちろん日本の選手にもがんばってもらいたかったが残念な結果に終わってしまった。
サッカーは19世紀にイングランドのパブリックスクールがその発祥といわれているが、またたく間にヨーロッパにひろがり、アメリカ大陸、アフリカ、アジアへと伝わった。サッカーの伝播に関してはヨーロッパ列強が植民地を持っていたのが一因と思われがちだが、必ずしもそれだけとは限らないようだ。アルゼンチンやブラジルなどは19世紀はじめには独立している。それに植民地政策によって世界にスポーツが伝えられるのであれば他のスポーツだってもっとさかんになってもおかしくない。世界各地でサッカーだけが国じゅうを上げて盛り上がるにはそれなりの理由があるのだろう。たとえばルールがシンプルであるとか、特別な道具が要らないといったこともスポーツ普及には欠かせない要素だ。
ふだん野球ばかり観ている。4年に一度、シンプルなサッカーの大会を観るとサッカーの大いなる歴史と人を惹きつけてやまない魅力に圧倒される。
ソーシャルメディアでは日本敗退によって肯定派否定派にわかれて打ち合いをしているみたいだ。監督・選手に非難をぶつけるものもあれば、彼らをねぎらう声もある。協会の姿勢や指導力に疑問を投げかける意見もあれば、実力以上の期待感をあおったマスコミを責める人もいる。幸いにして僕は熱狂的なサッカーファンでもないのでなるほどなるほど、そういう見方もあるんだな程度の態度で接している。どっちを向いても、そうだよね、で済ませている。
この本はソーシャルのつぶやきを法律的な観点から切って見せている。侮辱罪とか名誉棄損罪に該当するつぶやきなんて案外簡単に、誰にでもできるんだね。

2014年6月24日火曜日

吉村昭『戦艦武蔵』

Kは以前同じ職場にいていっしょにテレビコマーシャルの企画をしていた。今はアーティストとして活躍している。
昨年に続いて今年も個展を開いたので見に出かけた。ほぼ昨年展示した作品でそのことを指摘すると額縁を新たにつくったのだと言っていた。どうも芸術家の感性というものははかりがたいものがある。
広告会社HでクリエイティブディレクターをされていたIさんもKの個展に足を運んでくれたそうだ。Iさんは、CMプランナー時代からKの卓抜した才能に目をみはっていたひとりである。IさんとKの話でこんど僕も入れて3人でご飯を食べようという話になった。Iさんが自発的に幹事を買って出てくれて、スケジュール、場所を調整してくれて先々週それが実現した。
実をいうとIさんと僕とKはそんなにたくさんの仕事をいっしょにしたわけでもないし、長きにわたって同じ仕事をしてきたわけでもない。ほんの2~3本、お付き合いしただけ。さらに厳密にいえば、僕たちのなかで共通して思い出に残っている作品は1本に過ぎない。それなのに話が尽きないのだ。
還暦を過ぎたIさんは小さなメモ帳にボールペンで話題になっているキーワードを書き記す。
「こうしないと最近次から次へと忘れちゃうからね」
Iさんは広告会社をリタイアされた後はフリーランスとして広告クリエイティブの仕事にたずさわっている。広告づくりが根っから好きな人なのだ。
『戦艦武蔵』を読む。つくられる戦艦も巨大なら、ストーリーも壮大だ。
戦闘機中心の空中戦にシフトしていく戦争を予期しながら、どうしてこのような時代遅れの巨艦がつくられたのか。太平洋に沈んだのは4年という無駄な歳月と浪費された労力だった。カフカの「万里の長城」を思い出した。
Kはまた別の場所で個展を開いている。来月そこで現代美術のキュレーターの何某氏とトークショーをするという。Iさんも僕も行く予定だ。尽きない話には続きがある。

2014年6月22日日曜日

沢木耕太郎『深夜特急』

日本は島国だから、国境を越えるというイメージをなかなか描きにくい。
飛行機に乗って、目が醒めたら異国。国境の絵を描かせたらイミグレーションのカウンターだった、なんてことも多いのではないだろうか。
2000年にテキサス州サンアントニオから国境を越え、メキシコに渡った。国境は一面の草原でイミグレーションの建物のほか目立ったものはなく、パスポートを見せて、ひとことふたこと英語でのやりとりがあり(もちろんそれは同行者が話しただけで僕は意味もわからず聞いていただけだが)、それから橋を渡ってメキシコに入った。アメリカとメキシコの国境はリオグランデという川が流れているくらいの知識はあったので、おそらくこの橋の下には川が流れているのだろうとは思ったが、橋の下も周囲も丈の長い草に覆われて、川の流れを確認するには至らなかった。いずれにしても国境の川というにはちょっとものさびしい印象だけが残った。
国境を越えてしばらくすると町があらわれ、商店の看板がマルチネス、とかゴンザレスだとか原色っぽい派手な名前に変わり、しかも日に焼けたせいか、埃にまみれたせいか、少し色褪せていた。ここはまぎれもなくメキシコなんだと思ったのはそのときだ。
20代の沢木耕太郎は香港、マカオを皮切りにスペイン、ポルトガル、そしてパリ、ロンドンまで幾多の国境を越えてきた。それも主として陸路で。バスの旅もまんざらでもないじゃないか。
この本が刊行されたのは86年。当時の同僚のコグレ君が夢中になって読んでいた。はやく続きが読みたいと言っていた。僕もずいぶん惹かれはしたが、当時は他に読みたい本があったか、そもそも本を読むゆとりなんかなかったか、読みたいときに読まないと本はその逃げ足をはやくする。
でもまあ、この歳になってはじめて読んだというのもわるくない。こんな本を20代で読んでいたら、いったい今ごろどこにいて何をしているかもわからない。

2014年6月15日日曜日

池井戸潤『ルーズヴェルト・ゲーム』

昨年はじめて都市対抗野球を観に行って、社会人野球もおもしろいものだと思った。
というわけで今年は少しだけ、予選も観てみることにした。
テレビドラマ「ルーズヴェルト・ゲーム」の影響ももちろんある。社会人野球の苦悩が中堅企業経営者の苦悩とともに浮き彫りにされたドラマだ。ということでさっそく原作も読んでみた。
池井戸潤は『下町ロケット』が話題になったときから読みたい作家のひとりであったが、縁がないというか、読みたいと思ったときに読みそびれるとだんだん遠のいてしまう。そうやって数々の名作を僕は読まずにやり過ごしてきた。
今年も都市対抗野球の代表が選出された。昨年の都市対抗野球まで王座に君臨していたJX-ENEOSが昨秋の日本選手権で新日鉄住金かずさマジックに敗れてから、どうもパッとしない。スポニチ大会、JABA静岡大会はともに決勝トーナメントに進めていない。昨年ほどの勢いがない。先日観たのは西関東第一代表東芝との壮行試合。1-5といいところなく敗れた。
前年度優勝チームなので推薦枠で本大会に出場できるが、予選から戦っていたらどうなっただろうか。
東京の第一代表決定戦はJR東日本対NTT東日本。日大三、明治を経て関谷亮太がJRの新戦力としてオリックスにドラフト1位で指名された吉田一将の抜けた穴をじゅうぶんカバーしている。JRには片山純一という頼れるもう一枚がいる。本大会でも優勝候補といえそうだ。にもかかわらず、勝ったのはNTT東日本。これだから野球はわからない。
原作の青島製作所のモデルは鷺宮製作所だとささやかれているが、作者も実際に取材に行ったという。鷺宮製作所は今年は二次予選で早々に敗れ去ったが、社会人野球としては歴史がある。現チームには早稲田時代の2010年春に首位打者とベストナインに輝いた渡辺侑也がいる。
今年もチャンスがあれば東京ドームに行ってみようか。なんといっても涼しいのがうれしいのだ。

2014年6月12日木曜日

東郷和彦『北方領土交渉秘録』

前回に続いて高田越えの話なんだけど、128安打を4年間で打つとすると1年春から出場してシーズン平均16本のヒットが必要になる。おおよそであるが16本打てば打率は3割を越える。つまりフルシーズン出場して3割を打たないと高田越えはできない計算になる。鳥谷の1年春は10安打、上本博紀が15安打。まずまずのスタートではあったが、これでは届かない。
そんななかで今注目されているのが明治の高山俊だ。前年日大三のトップバッターとして夏の甲子園優勝に貢献。デビューシーズンに20安打を放って、ベストナインに選ばれた。
2年秋を終え、62本。そして3年春19本、5季終了時点で通算81安打。これはもしかすると、と期待を持たせる。
高山に期待できるところは単にバッティングセンスにすぐれているとか、足が速いとか大舞台での経験が豊富であるとかだけではない。彼にとっていちばん恵まれているのはライバルだ。
明治の同期にはチャンスに強い菅野剛士(東海大相模)や意外性の男坂本誠志郎(履正社)らがいて、入学当初から切磋琢磨できる環境があった。横尾(慶應)、畔上(法政)、吉永(早稲田)ら元チームメートの活躍も刺激になる。さらに同じく高田越えをめざすライバル大城滉二(興南~立教)の活躍も見逃せない。ちなみに大城は2年秋を終え、60安打。今季16本。通算76本で高山を追いかける。
そういえば以前北方領土のことを調べようとして国境問題関連の本をまとめ読みしたことがあった。この本はそのときの一冊。今となってはなかみを思い出せないが、日本とロシアの交渉が再開されると少しだけ思い出す。本を読んでおくということはこうしたこと、つまりいずれ何かの役に立つかもしれないということだ(たぶんそれほど役に立つとも思えないけど)。
いろいろトータルに考えてみると来年の秋には東京六大学野球史を塗り替える21世紀の記録が打ち建てられるかもしれない。

2014年6月9日月曜日

宇都宮浄人『 路面電車ルネッサンス』

東京六大学野球リーグには古い記録が残っている。
比較的新しい新記録といえば平成14年に江川卓(法政~巨人)の通算奪三振443を和田毅(早稲田~ソフトバンク、オリオールズ)が476に塗り替えたあたりか。田淵幸一(法政~阪神、西武)の通算本塁打22本を越えた高橋由伸(慶應~巨人)の23本も平成9年だから20世紀の記録になる。
投手の通算最多勝利、山中正竹(法政~住友金属)の48に迫った記録として江川卓の47があるが、おそらくこれは未来永劫更新されることはないだろう。あるとすれば通算安打数の新記録。用具や技術、練習方法などの進歩がもたらすものは野球においては攻撃面だ。
昭和42年に打ちたてられた通算最多安打、高田繁(明治~巨人)の持つ127本。これはいずれ越えられるであろうとずいぶん前から思っていた。
これまで多くの選手が高田越えに挑んできたが、もっとも肉迫したのが堀場秀孝。堀場は長野の丸子実業出身。江川と同期であるが、受験に失敗し、一年浪人した後慶應義塾に入学した。1年春から正捕手としてレギュラー入り、以来安打を重ねること125本。卒業後はプリンスホテルから広島、大洋、巨人と渡り歩いた。
堀場に次ぐのが彼の先輩にあたる松下勝美(慶應~松下電器)の123本。昭和43~46年の記録だから、高田と入れ違いにリーグ戦デビューしてつくられた記録だ。
4人いる120本越えのあとひとりが大引啓次。法政からオリックスにすすんだ平成の安打製造機である。以下、高橋由伸、岡田彰布(早稲田~阪神)、中村豊(明治~日ハム、阪神)、鳥谷敬(早稲田~阪神)。ここまでが115本以上。
路面電車には未来があると思っている。実相寺昭雄監督もそう言っていた。
この本は鉄道趣味的な枠組みを越えて路面電車の未来を語る。夢物語ではない新しい都市交通を描いている。
何を隠そう今ひそかに応援しているのは大学野球と路面電車なのである。

2014年6月7日土曜日

河尻定『歩いてわかった東京ふしぎ地図』


国立競技場が建て替えられるという。
そのデザイン、費用など賛否両論。どちらかといえば反対意見を多く耳にする。
霞ヶ丘あたりの景観も一変するようだ
フリーマーケットなどでにぎわう明治公園もレンガ色の日本青年館も新国立競技場にのみこまれてしまう。明治公園は南側にある都営霞ヶ丘アパートが取り払われた跡地に移転するとも当初聞いた。
先日新聞で見た完成予想イメージでは明治神宮第二球場は残るようだが、あるいは改装されるのかもしれない。神宮第二球場は狭さゆえに東都大学2部リーグでも使用されなくなっている。場外に飛んで行ってなくなるボールが財政を圧迫しているというのはほんとうか。
先月、明治神宮野球場に東京六大学野球春のリーグ戦慶應対早稲田の一回戦を観に行った。勝ち点をとった方が優勝という盛り上がる早慶戦だ。リーグ戦を通じて好投を続ける早稲田有原から慶應の竹内が起死回生の逆転本塁打を放ち、初戦をものにした。その勢いをかって翌日も逆転勝ち。みごとに34回目の優勝を飾った。病気療養中の竹内監督(本塁打を打った竹内選手の父)に代わって指揮を執った江藤助監督がインタビューで涙していた。
千駄ヶ谷駅まで歩いて帰る途中、国立競技場のまわりには別れを惜しむ人であふれかえっていた。その勇士をカメラにおさめたり、記念撮影をするものもいた。これほど多くの人のまぶたに国立競技場が焼き付けられたのはまさしく先の東京オリンピックの開会式以来ではあるまいか。
この本の著者は日本経済新聞の記者だという。メディアとしての新聞は衰退しつつあるというが、やはり取材して記事にするというプロセスの中で興味深いネタが説得力あふれる事実に育っていくのだろう、読んでいておもしろい。町のうわさやネットで目にするさまざまな情報に感心するレベルをはるかに超えて、納得できる真実がそこに露呈していく。
このようにして国立競技場の物語が後世に伝えられて行ったらこれにまさる喜びはない。