2006年4月28日金曜日

藤原正彦『国家の品格』

著者の論が今注目されているのは、ややもすれば、誤解をまねかざるを得ない言葉の数々、その意味を問い直すことで、これまで多くの人々が見失ってきたものに光をあてたからだろう。
たとえば祖国愛。国益主義と誤認される愛国心という言葉は使わない。その見識が本書の太い骨格を支えている。さらにはわれわれが盲目的に信仰してきたであろう「近代合理精神」、「論理」、「自由」、「平等」、そして「民主主義」さえもものの見事に斬る。そして本当にたいせつなものは祖国にある、わが国の伝統、風土に根ざしているという。それがたとえば武士道だというわけだ。
君は日々、仕事に追われ、つきあいに追われ、自分を見失っていないか。君の心のふるさとにあるものを忘れてはいまいか。そういうことを語りかけてくれている本なんだなと思った。

2006年4月26日水曜日

清水義範『スラスラ書ける!ビジネス文書』

今月からラジオの語学講座を聴いている。毎年ではないけれど、この時期にはよく聴き始める。が、あまり長続きしない。せいぜい連休あたりで終わってしまうことが多い。5月号のテキストはたいてい使われないまま放置される。果たして今年はいつまで続くやら。
今年は今まで試したことのなかったことに挑戦している。それは2カ国語同時進行だ。フランス語とハングルにトライしている。特に根拠があるわけじゃない。ふたつ学んだほうが効率がいいとか、学習理論的に効果的だとかというわけではない。理由はひとつ。挫折するならまずどちらか。ああ、もうめんどくさいなあと思ってもまさかふたついっしょにあきらめるのは惜しいから、おそらくどちらかひとつは残すだろう、そうすることでどちらかは長続きするだろうという計算だ。われながら非常にせせこましい考え方だ。
清水義範の本はなんどかとりあげているが、今回読んだのはビジネス文書の作法。あまり清水義範とビジネス文書というものがイメージとしてつながらない。これはきっと何かあるのだろうと思い、手にとった。
本文は「週刊現代」に連載されていたものというから一応、ビジネス文書の指南書にはちがいはないのだが、読んでみると案の定、ただの指南書ではない。小うるさいテクニックを口を酸っぱくして熱く語ったり、読書に励めとか、訓練を積めと、センスを磨けみたいなことに頓着していない。むしろ昔の人たちより現代人のほうが文書を書く機会も読書する機会も豊富なのだから、もっとみんな文書を書くことでコミュニケーションしようぜ、みたいな著者ならではの軽妙な応援歌なのだ。
つくづく思うのだが、清水義範は本当に文章が好きな人だ。文章に愛情を持った人だ。著者の、随所に見られる文章に対するきちんとした思い、言うなれば文章愛、みたいなものがあるから、ただの文章作法の本とはひと味もふた味もちがうのだ。

2006年4月21日金曜日

重松清『卒業』

先日、国立科学博物館で開催されているナスカ展を見る。電車の中で見たポスターのキャッチコピー「世界で8番目の不思議」が気に入ったせいもある。
地上絵がどうして描かれたのかはいまだ謎であるが、宇宙人が描いたという説が21世紀になってもまことしやかに残されているのがなんとなくうれしい。
今日は朝から雨模様。昼ごろには嵐になって午後から晴れた。風は一日中強かった。
重松清の『卒業』を読む。映画「あおげば尊し」を観て、読みたいと思っていた本だ。タイトルから、あるいは映画を観た印象から学校ものかと思っていたが、実はそうではない。人の死(重松は人を「ひと」と開くのだけれども)を通じて、あるいは主人公の背負った過去の重荷からそれぞれが卒業していくという大きな、そして身近なテーマが設定されている。例によって泣けるシーンが多い。電車の中で読むにはちょっとかっこ悪いのだが、重松流の重量感あふれる一冊だった。



2006年4月11日火曜日

藤原てい『流れる星は生きている』

藤原正彦『祖国とは国語』の流れで読んだ一冊。
著者が満州から本土へ帰る終戦間際からの記述が本書だ。
よく学校の先生や会社の上司に満州生まれという人がいたが、本土に帰ったときの話をくわしく聞いたおぼえがあまりない。当の本人が小さかったせいかもしれないし、忘れてしまったのかもしれない。あるいは口にしたくないほどの経験だったのかもしれない。おそらく多くの日本人が貨物列車に乗せられ、恵まれていさえすれば牛車で、そうでなければ夜を徹して徒歩で山を越え、川を渡り、ようやくたどりついたプサンから帰還船で祖国日本に命からがら戻ったのだろう。
あるいはかつて聞いたことのあるこの苦難の道のりをこともあろうか僕自身が忘れ去っているのかもしれない。もしそうだとしたらこいつがいちばんよくない。この本を手にしたきっかけは歴史認識のためでもなく、興味本位でもなく、純粋に忘れてはいけないことの再認識である。
ぼくの義父はシベリアから帰還したという。孫であるぼくの子どもたちにとって戦後祖国の土を踏みしめた祖父の経験はたぶんいちばん身近な歴史体験なのではないかと思う。戦争を語り継いでいくためにぼくらができることはこういう本を読み伝えていくことしかないんじゃないだろうか。


2006年4月6日木曜日

本間正人・松瀬理保『コーチング入門』

高校時代に所属していた運動部は伝統的に上下関係がきびしかった。ただそこには一本きちんと筋が通っていたし、先輩は恐いだけじゃなく、尊敬できる人たちだったから、ぼくたちもいずれは自分たちの先輩のような先輩になろうという思いもあった。

昨今のコーチング本を書店でパラパラめくりながら、部下を育てて、コンピテンシーを高めていくのってそんなたいへんな時代なのかよって思ってしまうのだ。個人の能力を高めるために、やる気を引き出すために、周囲の人たちは今こんな苦労をしているんだなと。
一般企業と体育会系学生組織とでは目的の質が異なるわけだし、その意識の共有度合いも当然異なる。世の中には仕事や人生に情熱も持てず、やる気も出ないまま一生を終える人間もいるだろう。そんなときに組織として生産性を高めていく手法がコーチングってことなんだろうね。もちろん人を育てたり、育てられたりすることで、業績が伸びたり、個人の能力が向上するのはいいことだ。心の中ではそんなもんがんがん鍛えて、ぼこぼこしごけばいいじゃないかとは思うものの…。
この本のキーワードは「傾聴」「質問」「承認」。いくつか目を通したコーチング本の中でもシンプルに整理されていて、とりあえずの一冊としてはベストだと思った。