2025年10月31日金曜日

九代伊勢ヶ濱正也『大相撲名伯楽の極意』

熱海富士という力士がいる。巨体を活かし、左上手を取ると強さを発揮する。勝って花道を引き上げるときはうれしさをかみ殺せないような表情を見せ、負けたときは悔しさを隠しきれない。その微妙な表情が見ていて楽しい。
熱海富士という四股名は元横綱旭富士の先代伊勢ヶ濱親方(現宮城野親方)が付けたという。先代は日馬富士、照ノ富士とふたりの横綱をはじめ多くの幕内力士を育てた。番付表を見ると伊勢ヶ濱部屋の力士のなんと多いことか。
立派な親方ではあるが、僕は思いのほか現役時代を知らない。ほぼ同世代であり、旭富士が横綱になった頃は僕も仕事に追われて相撲を見る機会が激減していた。横綱大関も多くいた。千代の富士、大乃国、北勝海がいて、旭富士は4人目の横綱だった。短命だった。横綱になって一度だけ優勝して引退した。
親方になってからも紆余曲折がありながら大きく見れば順風満帆の部屋経営だった。そのことはこの本を読むとよくわかる。旭富士は青森県木造町の出身。ただでさえ相撲の強い青森の一大中心地で生まれ育ったのだ。地域の至るところに土俵があり、少年たちは相撲を心身にしみ込ませて成長していった。稽古場で基本を重視する姿勢はまるで母語をマスターするように身に付いていたのだろう。
旭富士は近大に進むが、馴染めず中退する。しばらくは漁業に従事する。短い期間ではあったが、社会経験を得る。親方は入門してきた弟子たちが相撲界を去るにあたってその子らの力を活かせる職を探すという。こうしたことも旭富士自身の経験が生きているのではないだろうか。後援会から多くの支援を受ける。支援を受け、土俵で返す。この辺りの考え方も合理的だ。
大怪我で序二段まで落ちた照ノ富士を奮起させたのも旭富士、先代の伊勢ヶ濱だ。怪我と闘いながら少しずつ番付を上げ、ついには大関に返り咲く。そして横綱にまで上り詰める。親方としての「ことば」がドラマをつくったのである。

2025年10月21日火曜日

伊藤 亜紗(編著) 中島 岳志 若松 英輔 國分 功一郎 磯崎 憲一郎 『「利他」とは何か』

今月から実家の片付けをはじめている。母が病のためこの家を離れてもうすぐ6年になろうとしている。その間片付けようなんてこれっぽちっちも思わなかった。理由あって施設で生活している、それなりに頑張って生きている。それでも母の生活はまだこの家にあるとずっと思ってきた。いつかは必ずここに戻ってくるとありえないことを信じていた。
まずは台所まわり。6年間まったく使われることのなかった調味料を処分した。そのまま袋に入れて出せるもの、水に流してしまうもの、油は新聞紙やぼろ布に吸わせて捨てた。容器は洗って瓶はガラス類、プラスチックはまとめて資源回収にまわした。
週にいちどごみをまとめて翌日の回収に出す。かなりのごみ袋を出したが、一向に片付いた感じがしない。この50平方メートルと少しの延べ床面積にどれほどの荷物が仕舞われているのだろうか。
一年程前に読んだ本で利他という概念に出会った。利他は利己の対義語ではあるが、単なる裏返しではない。前のめりの利他は善意の押し付けになってしまうし、「情けは人の為ならず」的な発想から生まれた利他は利己に集約していく。著者たちはいずれも未来の人類研究センター(東京科学大学未来社会創成研究院×リベラルアーツ研究院)のメンバーで政治学、哲学を専門とする者、随筆家や小説家もいて、専門は異なる。それぞれの視点から利他が考えられている。
伊藤亜紗は「利他とはうつわのようなもの」と語り、中島岳志は「利他は私たちのなかにあるものではない、利他を所有することはできない、常に不確かな未来によって規定されるもの」としている。若松英輔は「何の力によるのかは別にして、利他は人が行うのではなく、生まれるものである」という。国分功一郎の「中動態から考える利他」はほとんどわからなかった。能動態でなく受動態でもない中動態という概念に惹かれたが。
利他は奥が深い。実家に残された荷物のようである。

2025年10月16日木曜日

杉山邦博・荒井太郎『杉山アナのアンチ巨人、大鵬、卵焼き』

南房総の母の実家には漫画がたくさんあった。漫画といっても雑誌や単行本ではなく、雑誌(おそらくは少年倶楽部だと思うが)の別冊付録だ。新書くらいの大きさで100ページもない。一時間もあればじゅうぶん読み切れる。その別冊付録が何百冊とあった。母と8歳違いの叔父のものである。そのなかから祖母に断って一冊もらった。題名はたしかではないが、「若乃花物語」だったと思う。
ちょうどテレビで相撲を見るようになった頃だから昭和45年か46年のことだと思う。若乃花(初代)はすでに二子山親方として協会の要職に就いていた。テレビの中継の合間に昔の名勝負として栃錦対若乃花の相撲は何度か見ていた。一時代を築いた横綱という知識はあった。
戦争で傷痍軍人となった父に代わって冲仲士として家計を支えていたところ巡業で訪れていた大の海に見い出され、二所ノ関部屋に入門する。厳しい稽古に耐え、大関に昇進。初優勝した翌場所に綱取りをかけるが、場所前に不慮の事故で長男を亡くす。それでも初日から白星を重ねたが、13日目高熱を発し、休場を余儀なくされる。と、まあこうしたことは今では調べればすぐにわかることだが小学生の僕はこの別冊付録で知ったのである。
杉山邦博は、1953(昭和28)年にNHKに入局したアナウンサー。翌54年の名古屋場所から大相撲の実況を担当する。最後の実況は1987年の九州場所千秋楽らしいが、その後も相撲ジャーナリストとして活躍している。土俵際で観戦されている姿をテレビで何度も見ている。
杉山アナは子どもの頃から相撲好きで熱心にラジオを聴いていたという。双葉山の全盛期も知っている。いつの日か大相撲の実況をしたいと少年時代から夢みていたようである。僕が相撲を見るようになったのは北の富士と玉の海が横綱に昇進し、大鵬とともに三横綱になった頃。御年95歳の杉山アナは僕が漫画でしか知らない栃若時代の貴重な目撃者だ。

2025年10月9日木曜日

中島岳志『思いがけず利他』

文七元結という噺がある。腕のいい左官職人の長兵衛が賭事に身をやつして無一文になってしまう。それでも援助してくれる人がいて再起するための50両を貸してくれる。その帰り途、本所吾妻橋に身を投げようとしている奉公人らしき若者にばったり。何とか踏みとどませる。聞けば集金してきた50両をどこかですられたらしい、ついては死んで主人にお詫びがしたいと。長兵衛の懐には50両。どうしたものかと逡巡したあげく、彼はその若者文七に押し付けるようにしてくれてやる。長兵衛の50両はひとり娘を吉原の遊郭に人質のごとく預けて得た金である。ここで下手なあらすじを記すのは意味がない。実際に噺を聴いていただきたい。できれば立川談志か古今亭志ん朝で。
聴いていて不思議の思うのはそれだけの大事な大金をなぜ偶然ばったり出会った見ず知らずの小僧にくれたやったかである。今の世の中では当然考えられない。むしろ金に困った若者が通りすがりの職人を刺して強奪する方が(哀しいことながら)今風である。江戸の下町は困った人を放ってはおけなかったのだ。ほとんど無意識のうちに(人助けと思う間もなく)人助けをする町だったのだ。
利他という概念は以前読んだ北村匡一の『遊びと利他』という本で知った。利他の反対は利己であるが、主観と客観みたいな単純な対義語ではない。いくら他人に利する利他的行為もそれが意識してなされる場合、ほとんど利己的なものになってしまう。利他的行為とは何かに突き動かされるように湧き起こる。それが利他であるかどうか、その時点ではわからない。偶然に支配されている。
中島岳志はときどきラジオで聴く。政治学者という肩書きで。インドの政治が専門のようだが今では幅広い領域で活躍している。
利他についてはまだまだ理解しきれていない。人間は自分の意思で自らも世界もコントロールしていると勘違いしている。そんなことはないと利他は教えてくれる。