昨年定年退職したのだが、まだもう少し仕事もできそうなので、業務委託契約を交わすことにした。フリーランスとしてギャランティを貰うこともできるが、請求書を送るのも面倒だし、担当者に処理させるのも大変だろうから、仕事があってもなくても月々いくらと決めた(それもかなりささやかな額で)。言ってみれば業務のサブスクリプションである。
先月~今月は二本こなした。一本は去年の春から続いている案件でもう一本は新規の競合案件。後者は久しぶりに対面で打合せをした。コロナ禍以降、オンラインの打合せが増えた。それでも仕事のやり方は変わっていない。AIを使って、画像や音声、音楽を生成することに若いスタッフは取り組んでいる。そうした変化もあるにはあるが、お題を渡され、訴求点を整理して、次の打合せまでに表現にして持ち寄るという流れに変化はない。いつまで続けられるかはわからないが、まあ、やれるところまでやってみようと思っている。
講談社から「IN★POCKET」という文庫本サイズの雑誌が出ていた。文芸PR誌とでもいうのか、文庫の新刊情報や作家インタビュー、短編小説などで頁は埋められていた(と記憶している)表紙は安西水丸など当時売り出し中の若手アーティストが担当していた。大手出版社は「波」とか「図書」といったPR誌を発行している。それらにくらべると講談社のそれはカジュアルで若者向けのように見えた。
『回転木馬のデッド・ヒート』に収められている短編の多くは「IN★POCKET」に掲載されたものだ。どの作品にも共通しているのは、人から聞いた話である。聞き手は村上春樹本人だから、いずれも自分が主人公ということだ。ちょっとミステリアスで興味深い話を聞いている。本当に聞いた話なのか、村上自身が創作したのか、実際のところはわからない。
この本は今の仕事をはじめた頃に読んでいる。懐かしい再読であるが、内容はまったく憶えていなかった。
2025年2月28日金曜日
2025年2月21日金曜日
吉村昭『海の史劇』(再読)
去年の3月、三鷹市吉村昭書斎が公開された。自宅の離れにつくった書斎を再現したもので、お隣には吉村と表札が掲げられている。京王井の頭線井の頭公園駅から歩いてすぐのところにある。オープンした頃、是非訪ねてみたいと思いながらなかなか機会に恵まれず、ようやく先月訪れた。
入ってすぐに受付がある。その部屋はオープンスペースで吉村昭の作品が壁一面に揃っている。手にとって読むこともできる。その先に扉があり、いったん外に出るが、通路を辿ると書斎のある建物につながる。書斎を見るには入館料として百円を受付で支払う。
書斎のある建物はいたってシンプルでまず資料館的なスペース。直筆原稿や年譜などが展示されている。廊下を通ると右に書斎、左に茶室であろうか畳の部屋がある。どちらの部屋にも立ち入ることはできない。
書斎は壁という壁が書棚になっており、書籍や資料が収められている。大きな窓に面して横幅のある机がある。記録文学の人として膨大な資料にあたる人だ。このデスクでも小さいんじゃないかとも思う。
帰り途、しばらく吉村作品を読んでいないなと思いながら、SNSに書くと同じく吉村ファンの友人から『海の史劇』はどうですかとすすめられる。どんな話か調べてみると日露戦争日本海海戦の話ではないか。毎週テレビでドラマ「坂の上の雲」を見ている。海戦も間近だ。さっそく読みはじめる。ロジェストヴェンスキーがたった2日で対馬海峡にやってくるという恐ろしいペースで読んでしまった。
一冊本を読み終えると読書メーターというサイトに「読んだ本」として登録している。そのときようやく知る、2017年、すでに読んでいたことを。8年前に読んだ本をすっかり忘れてまるではじめて読むかのように読んだのだ。
ちなみにその次は最近映画化された『雪の花』を読もうと思っていたが、これもすでに読んでいた。意識した再読もあれば、無意識の再読もある。
やれやれである。
入ってすぐに受付がある。その部屋はオープンスペースで吉村昭の作品が壁一面に揃っている。手にとって読むこともできる。その先に扉があり、いったん外に出るが、通路を辿ると書斎のある建物につながる。書斎を見るには入館料として百円を受付で支払う。
書斎のある建物はいたってシンプルでまず資料館的なスペース。直筆原稿や年譜などが展示されている。廊下を通ると右に書斎、左に茶室であろうか畳の部屋がある。どちらの部屋にも立ち入ることはできない。
書斎は壁という壁が書棚になっており、書籍や資料が収められている。大きな窓に面して横幅のある机がある。記録文学の人として膨大な資料にあたる人だ。このデスクでも小さいんじゃないかとも思う。
帰り途、しばらく吉村作品を読んでいないなと思いながら、SNSに書くと同じく吉村ファンの友人から『海の史劇』はどうですかとすすめられる。どんな話か調べてみると日露戦争日本海海戦の話ではないか。毎週テレビでドラマ「坂の上の雲」を見ている。海戦も間近だ。さっそく読みはじめる。ロジェストヴェンスキーがたった2日で対馬海峡にやってくるという恐ろしいペースで読んでしまった。
一冊本を読み終えると読書メーターというサイトに「読んだ本」として登録している。そのときようやく知る、2017年、すでに読んでいたことを。8年前に読んだ本をすっかり忘れてまるではじめて読むかのように読んだのだ。
ちなみにその次は最近映画化された『雪の花』を読もうと思っていたが、これもすでに読んでいた。意識した再読もあれば、無意識の再読もある。
やれやれである。
2025年2月13日木曜日
吉見俊哉『東京裏返し 社会学的街歩き』
町と街。この使い分けは難しい。以前、よく読んだ川本三郎は町歩きと表記する。街にすることはない。個人的な感覚であるが、町が現代化したものが街ではないかと思っている。懐かしい佇まいを残した店は町中華であり、街中華は似合わない。マンション、戸建ての広告には街が似合う。まあどちらでもいいことなのだが。
時間が空くと知らない町をよく歩いた。この本で紹介されている辺りだ。東京の南西側も、例えば渋谷川に合流する宇田川沿いとか生まれ育った品川区も歩いているが、圧倒的に皇居の北側、東側が多い。そういう点からするとこの本で辿る町、地域には新鮮味はなかったが、無性に懐かしさをおぼえた。
第一日目に訪れる石神井川。板橋駅から加賀公園、そしてその周辺を流れる音無川の谷(石神井川はこの辺りではそう呼ばれる)を辿っていくと飛鳥山に出る。護岸工事はなされているものの川が台地を削ったことがよくわかる、素敵な散歩道だ。桜の季節はいいだろう。ここは是非おすすめしたい。王子駅に向かっての音無親水公園は味気ないが、飛鳥山公園に立ち寄って、上野台地の端っこから眺める下町もいい。その前に赤レンガの図書館に立ち寄るのもいい。駒込に出る商店街を歩くのもいい。王子や赤羽の居酒屋に立ち寄るのもいいし、十条に戻って齋藤酒場に寄るのもいい。
散策を終えて居酒屋に寄るのは川本三郎的であるが、この著者の優れたところは街歩きの指南に終わらないところだ。街を歩き、眺め、歴史の地層を掘り返すことで東京をこれからどうすべきかという未来が見えてくる。要らない首都高速道路はなくす、路面電車を増やすなどすることによって東京の未来の風景が見えてくる。こうした将来像に向かって努力することが東京に課された使命なのだ。
この本はラジオ文化放送「大竹まことのゴールデンラジオ」に著者がゲスト出演したことで知った。うちに引きこもっているとラジオから得る情報はありがたい。
時間が空くと知らない町をよく歩いた。この本で紹介されている辺りだ。東京の南西側も、例えば渋谷川に合流する宇田川沿いとか生まれ育った品川区も歩いているが、圧倒的に皇居の北側、東側が多い。そういう点からするとこの本で辿る町、地域には新鮮味はなかったが、無性に懐かしさをおぼえた。
第一日目に訪れる石神井川。板橋駅から加賀公園、そしてその周辺を流れる音無川の谷(石神井川はこの辺りではそう呼ばれる)を辿っていくと飛鳥山に出る。護岸工事はなされているものの川が台地を削ったことがよくわかる、素敵な散歩道だ。桜の季節はいいだろう。ここは是非おすすめしたい。王子駅に向かっての音無親水公園は味気ないが、飛鳥山公園に立ち寄って、上野台地の端っこから眺める下町もいい。その前に赤レンガの図書館に立ち寄るのもいい。駒込に出る商店街を歩くのもいい。王子や赤羽の居酒屋に立ち寄るのもいいし、十条に戻って齋藤酒場に寄るのもいい。
散策を終えて居酒屋に寄るのは川本三郎的であるが、この著者の優れたところは街歩きの指南に終わらないところだ。街を歩き、眺め、歴史の地層を掘り返すことで東京をこれからどうすべきかという未来が見えてくる。要らない首都高速道路はなくす、路面電車を増やすなどすることによって東京の未来の風景が見えてくる。こうした将来像に向かって努力することが東京に課された使命なのだ。
この本はラジオ文化放送「大竹まことのゴールデンラジオ」に著者がゲスト出演したことで知った。うちに引きこもっているとラジオから得る情報はありがたい。
2025年2月6日木曜日
島崎藤村『千曲川のスケッチ』
30年以上前、僕は小さな広告会社でテレビコマーシャルなどをつくっていた。
ある日、ベテランの営業担当から声を掛けられた。ペットボトルを製造する機械をつくっている会社がある、企業紹介の動画を制作してくれないかと。数日後、上野発金沢行の特急に乗って、小諸に向かった。長野行の特急も日中何本かあったが、早朝立つには混み合う金沢行しかなかった。新幹線のない時代、高崎、横川、軽井沢を通って小諸駅で下りる。本社と工場は駅の北西方向にあり、タクシーで10分ほどの距離だった。工場を見学させてもらい、動画の主役となる最新の機械について説明を受け、伝えたいことなどを打合せする。構成案を再来週にお持ちします、みたいなことを確認してその日は切り上げた。駅前の蕎麦屋で昼食を摂り、帰京した。
あれは何月だったのだろう。暑くもなく寒くもない普通の一日。天気はよかった。
翌々週、再び小諸。動画の構成案を持参し、多少の手直しがあったが、これで制作してもらいたい、となった。前回同様、営業と蕎麦を食べて帰る。3回目の訪問は制作会社のスタッフらとのロケハンだった。このときの記憶はほとんどない。その後の撮影は営業と制作会社に任せたので小諸に出向くこともなかった。編集、録音、試写も都内のスタジオだった。
小諸の町を散策したことはない。会社員時代はこうした行って帰るだけの出張が多かった。札幌も仙台も岡山も那覇も、夜に飲食した店くらいしか旅の思い出はない。
3年前、軽井沢に行くのに小海線で小諸に出た(遠回りではあった)。駅前を少し歩いて、昔行った蕎麦屋をさがした。見つからなかった。この頃は以前と違って小諸駅のそばに小諸城址懐古園があることも地図で知っていた。ただ訪ねる時間がなかった。
小諸は歩いてみる価値がある。千曲川も近い。島崎藤村が教えてくれた。今度軽井沢を訪ねたら小諸に立ち寄り、千曲の流れをゆっくり眺めてみたいと思った。
ある日、ベテランの営業担当から声を掛けられた。ペットボトルを製造する機械をつくっている会社がある、企業紹介の動画を制作してくれないかと。数日後、上野発金沢行の特急に乗って、小諸に向かった。長野行の特急も日中何本かあったが、早朝立つには混み合う金沢行しかなかった。新幹線のない時代、高崎、横川、軽井沢を通って小諸駅で下りる。本社と工場は駅の北西方向にあり、タクシーで10分ほどの距離だった。工場を見学させてもらい、動画の主役となる最新の機械について説明を受け、伝えたいことなどを打合せする。構成案を再来週にお持ちします、みたいなことを確認してその日は切り上げた。駅前の蕎麦屋で昼食を摂り、帰京した。
あれは何月だったのだろう。暑くもなく寒くもない普通の一日。天気はよかった。
翌々週、再び小諸。動画の構成案を持参し、多少の手直しがあったが、これで制作してもらいたい、となった。前回同様、営業と蕎麦を食べて帰る。3回目の訪問は制作会社のスタッフらとのロケハンだった。このときの記憶はほとんどない。その後の撮影は営業と制作会社に任せたので小諸に出向くこともなかった。編集、録音、試写も都内のスタジオだった。
小諸の町を散策したことはない。会社員時代はこうした行って帰るだけの出張が多かった。札幌も仙台も岡山も那覇も、夜に飲食した店くらいしか旅の思い出はない。
3年前、軽井沢に行くのに小海線で小諸に出た(遠回りではあった)。駅前を少し歩いて、昔行った蕎麦屋をさがした。見つからなかった。この頃は以前と違って小諸駅のそばに小諸城址懐古園があることも地図で知っていた。ただ訪ねる時間がなかった。
小諸は歩いてみる価値がある。千曲川も近い。島崎藤村が教えてくれた。今度軽井沢を訪ねたら小諸に立ち寄り、千曲の流れをゆっくり眺めてみたいと思った。
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