2022年3月29日火曜日

夏目漱石『門』(再読)

気がつくと、大相撲春場所が終わっていて、選抜高校野球が開催されている。
それもそのはず。桜はあっという間に満開になっている。
今年に限ったことでなく、3月はあわただしい季節である。
新宿の落合に大叔父が住んでいた。祖父の弟にあたる。今は父のいとこが住んでいる。その昔書いていたメモによると、30年前の3月29日に訪ねている。産まれて4カ月の長女を連れていったと記されている。大叔父が感慨深そうに80まで生きたのだからもうじゅうぶん生きたと話していたことも。
大叔父は落合に住む前は根津や駒込西片町に住んでいたと聞いている。
はじめて読んだ本だと思っていたら、すでに読んでいたということがたまにある。
夏目漱石の『門』は再読だった。しかも過去にこのブログに書き留めている。10年ちょっと前のことだ。
先日『それから』を読んで、主人公が住む町やその行動範囲を追いかけるといい散歩のコースになるのではないかと思った。牛込神楽坂から富坂上の伝通院あたりである。
さて、この本の主人公宗助はどこに住んでいるのか。山の手の奥であるとか、電車の終点から20分歩くなどとヒントは出ている。そして崖下に住んでいる。崖の上には大家の住まいがある。はじめのうちは根津あたりではないかと思っていたが、想像するに今の豊島区雑司ヶ谷ではないだろうか。雑司ヶ谷といっても鬼子母神の方ではなく、護国寺に近く、文京区の目白台と隣接するあたり。崖下の道は弦巻通りと呼ばれている。かつて川が流れていたのかもしれない。
弦巻通りから北側、つまり崖上をながめると小津安二郎監督「東京暮色」の舞台になった坂道が見える。笠智衆や原節子、有馬稲子が上り下りをくり返していた。ずいぶん以前のこのあたりを散策した記憶がある。都電の鬼子母神前から東京メトロの護国寺駅まで歩いた。その坂道をさがして歩いたのか、歩いていたら偶然見つかったのか。今となってははっきりしない。

2022年3月19日土曜日

勝浦雅彦『つながるための言葉』

3月19日は叔父の命日である。
ちょうどお彼岸の頃でもあり、墓参りをするのを常としている。誰が供えたか、赤いチューリップが花立てに挿してあった。何年か前には黄色いチューリップが供えられていた。赤いチューリップも黄色いチューリップも叔父の仕事に所縁がある。生前をよく知る方が供えて行ってくれたのだろう。
広告の仕事をしているのだから、広告に関する本を最低でも月に一冊は読まなければいけない、30年くらい前に広告会社の大先輩にそう教えられた。最近はとんとご無沙汰である。去年は10冊ほどしか読んでいない。
広告の本といってもマーケティングやメディア、プロモーションなどなど幅が広い。主に読むのはクリエーティブに関するものだ。たいていの場合、著者はヒットCMやビッグキャンペーンを手がけた人で自身の方法論を披露している本が圧倒的に多い。ふむふむなるほどと思うものの、時間の経過とともに記憶は薄らいでいく。あの本はよかったなあと後になって思い出すこともさほどない。
筆者は学生の頃からコピーライターを志望していたという。いくつか広告会社を経験し(最初は営業だった)、現在は電通のコピーライター、クリエーティブディレクターである。若い頃から苦労をされた方なのではないかと思う。たくさんの本を読んでいて、それを血肉としている。少なくとも僕にはそう見える。コピーライターとしての仕事はほとんと知らなかったがTCC(東京コピーライターズクラブ)のサイトで見てみた。じんわりとしたいいコピーが並んでいた。言葉の一つひとつを丁寧に紡ぎ合わせているようだ。
筆者はあるときコピーライターをめざしたかもしれないが、本当に望んでいたのは言葉を通じて素敵な関係を構築することだったのではないか。「他者への敬意と愛情によって、つながる言葉をつくる」というのがこの本の大きなねらいだ。その願いはじゅうぶん叶えられていると思う。

2022年3月16日水曜日

村山昇『キャリア・ウェルネス』

知人の勤める会社は社員数20数名。いわゆる中小企業である。規模は小さいけれどそのぶん風通しのいい組織だとトップは自負しているそうである。
週にいちど原則全員参加の会議があるという。もちろんこのご時世だからウェブ会議システムを使ったリモート会議であろう。売上の推移であったり、昨今の業界の話題などをトップがしゃべりまくる。これも中小企業にありがちである。
先だって若年世代の離職率が高いという話題になったそうだ。新卒で働きはじめた社員の3割ほどが3年以内に辞めてしまう。どこかの企業がまとめた若手社員がやる気をなくす言葉ランキングなどを紹介しながら、そのトップは話し、入社1〜3年の社員に感想を求めたという。しかも彼らのほとんどが中途採用(第二新卒)だった。すでに離職経験のあるものたちの目の前で話すような内容だったのだろうか。新婚カップルにどういうきっかけがあったら離婚しますかと訊くようなものではないか。
まあ、なんとも風通しのいい会社だ。
この本は仕事を通じて(主に若い世代に)どんなキャリアを積ませるかを説いている。成功がある種義務付けられていた時代があった。そのために能力とものごとや人に対する処し方を身につけていかなければ取り残されてしまう組織があった(今でももちろんあるだろうが)。著者は「成功のキャリア観」と成功を得られなかった人たちが閉じこもる「自己防衛のキャリア観」といった昭和平成の遺物とおさらばして「健やかさのキャリア観」を持つことが健康に働いて生きていくために必要だという。
ふりかえって見ると僕も自分の仕事の意味をずっと見い出せないまま働いてきたような気がする。キャリアをどう積んでいくかなんて考えもしなかった。報酬とちょっとした名声のためだけの仕事。
最近になってようやく少しだけ自分の仕事の意味がわかってきた。ほんの少しだけだけど、人の役に立っているのかなということが。

2022年3月6日日曜日

夏目漱石『それから』

以前、早稲田鶴巻町に住んだことがある。近くに夏目坂、漱石公園など漱石ゆかりの地が多くあった。
たいして読んでいなかった夏目漱石を最近読んでいる。早稲田界隈が舞台かというと案外そうでもない。かといって特別な地名が出てくるわけでもない。東京に住んでいる人ならたいてい知っている町でストーリーは進展する。
いい歳をしてこの本をはじめて読む。主人公の代助は牛込(神楽坂)に住んでいる。実家は青山にあり、父と兄夫婦が暮らしている。大阪から戻った友人の平岡夫婦は小石川に住まいを見つける。
実家に行く代助は牛込から電車に乗る。おそらく今の飯田橋駅辺りだろう。平岡の妻、三千代に会うときは江戸川沿い、大曲の辺りから春日の坂道を上っていく。平岡の家は伝通院の近くにある。歩いて行けない距離ではない。もちろん当時のことだから、電車以外にも車という手立てがある。車というのは人力車で、電車というのは路面電車だ。
読みすすむと話はだんだん込み入ってくる。代助と三千代、代助と平岡、そして代助と父。徐々に結末に向かっていくのだけれども、代助の移動ばかりが読んでいて気になって仕方ない。とりわけ牛込から小石川へ、代助はどんな道を歩いていったのか。
四十数年前、九段にある高校に通っていた頃。練習試合で伝通院近くの都立高校まで行くことになった。最寄駅は東京メトロ丸の内線の茗荷谷駅か都営地下鉄三田線(当時は都営6号線と呼ばれていたと思う)の春日駅である。飯田橋から国電で隣駅の水道橋まで出て、都営地下鉄に乗り換えた。春日駅は本郷台地と小石川台地の谷にある。富坂というだらだら長い坂道を歩いてめざしていた高校にたどり着いた。駅からは15分くらいだったと思う。
当時もし漱石のこの作品を読んでいたら、おそらく大曲から安藤坂を上って行ったかもしれない。それはともかくとして漱石の描く東京を散歩してみるのって楽しいかもしれない。

2022年3月1日火曜日

永井荷風『日和下駄』

仕事場がずっと麹町にあった。現在は築地に移転している(どのみち在宅勤務なので仕事場の場所は今となってはどうでもいいことだが)。
麹町の頃は時間があると仕事終わりに番町、四谷、市谷など坂道を上って下りて散策しながら帰ったものだ。今日は市谷を歩こうとか飯田橋まで歩こうだとか、東京の真ん中を起点にするとどこへでも歩いて行けた。今思えばただの徘徊である。
なかでも気に入っていたのは四谷の学習院の裏あたりから、須賀町や若葉町を歩くルートである。鉄砲坂を下り、商店街を少し歩いて戒行寺坂を上る。須賀神社に立ち寄ってからもとの道に戻って(須賀神社から荒木町をめざすこともあった)、闇(くらやみ)坂を下る。坂下には若葉公園という小さな児童公園がある。そしてさきほど通った商店街に戻ってから、赤坂御所の方に向かう。JR中央線のガードと首都高速道路を過ぎると左手に公園がある。みなみもとまち公園という。かつて鮫ヶ橋と呼ばれた一帯である。
四谷にはもうひとつ暗闇坂がある(こちらは暗坂あるいは暗闇坂と表記するようだ)。東京メトロ丸の内線四谷三丁目駅の北側、愛住町から靖国通りに下る石段である。靖国通りをわたると富久町。隣接するのはかつて市谷監獄のあった市谷台町、そして永井荷風が住んでいた余丁町である。夕刻であれば余丁町から西向天神をめざして夕陽を見るのもいい。余丁町の先は昔フジテレビがあった河田町。河田町を越えると若松町、喜久井町でここまで来ると夏目漱石の世界だ。
10年以上前に岩波文庫の『荷風随筆集』を読んだ。それ以来の「日和下駄」である。
荷風が歩いたところはだいたい歩いている。荷風の足跡をたどる試みはいくつも書籍化されていて、たとえば川本三郎であるとか、毎日新聞に連載されていた大竹昭子による『日和下駄とスニーカー』など世の中に物好きは多いとわかる。
『日和下駄』は現代の江戸東京切絵図なのである。