2021年8月27日金曜日

長谷川和夫『ボクはやっと認知症のことがわかった』

認知症の本ばかり読んでいる。
長谷川和夫という名前を知る。この本の著者である。認知症世界のレジェンドである。
杉並の高井戸に浴風会という戦前からある高齢者養護の施設がある。その敷地内に認知症介護研究・研修東京センターがあり、認知症介護の研究と介護の専門家の育成を行っている。長谷川は2005〜09年までセンター長だった(05年当時は高齢者痴呆介護研究・研修センターと呼ばれていた)。現在は名誉センター長であり、長谷川式認知症スケールと呼ばれる簡易的な知能検査を考案者としても知られている。
長年認知症の研究と臨床にたずさわってきた長谷川が認知症と診断される。この本は認知症当事者になった認知症研究者の貴重な記録だ。
多くの認知症当事者と向き合ってきた長谷川は自らが当事者になったことを悲観することなく、むしろ前向きに受け容れる。身をもって認知症を理解することができるというのである。専門家であり、当事者でもある。その強みを活かして、認知症理解の普及啓発に取り組む。
昨年とある認知症当事者の話を聞いたことを思い出した。鳥取に住むその女性は、看護師として医療現場で認知症当事者と多く接してきたという。診断された直後はこれからのことを考えて不安になったり、落胆したそうだが、そのうちに看護師の経験を活かせるかもしれないと思うようになり、認知症カフェなどで積極的に認知症本人の方々とコミュニケーションするようになったという。認知症になっても自分らしく、いきいきと過ごせるのだということを「楽しく認知症」というキーワードを駆使して伝えている。
地方都市に暮らす認知症世界の小さなレジェンドである。
長谷川和夫の息子で同じく精神科医の長谷川洋は新聞社の取材に認知症研究の現場から徐々に離れていった父は、自分が認知症になったことで認知症の研究に新たな視点を持つことができたと答えている。
レジェンドのレジェンドたる所以である。

2021年8月23日月曜日

瀧靖之『脳はあきらめない! 生涯健康脳で生きる 48の習慣』

近ごろの若いもんは、と長年言われ続けているうちにいつしか言う立場になっていた、ということがしばしばある。
映像制作会社の社長である知人が言う。最近の20~30代の社員は広告クリエイティブのことをあまりに知らなさすぎると。レジェンドと呼ばれるコピーライターやアートディレクター、名作とされる広告コピーやテレビコマーシャルに関する知識が皆無であると嘆く。仲畑貴志の話をするのに仲畑貴志とは何者であるかから説明しなければならないという。なかにはそんな知識必要ですかと逆ギレされることもあったらしい。これは映画製作が仕事であるのに、過去の名画や著名な監督をまったく知らないに等しいことで憂えるべき事態ではある。もちろん僕らの世代もその時代なりに不勉強であったことは否めないけれど。
そこで社長は月に何度か社員が集まる全社的な会議で最近の話題作(今広告関係の出版社などが話題のCMを雑誌やウェブで紹介している)を見せて、その制作にまつわるエピソードなどを紹介する勉強会をはじめた。
「演出は○○さん、皆さん知ってますか」
「………」
「この人は他にも□□や△△の仕事もしている有名な方です。おぼえておいてください」
みたいなやりとりをしているようだ。
知識はいずれ役に立つ、という考え方に僕らはずいぶん騙されてきた。そもそもが役に立つ知識なんてそう簡単にはおぼえられない、身につかない。20歳を過ぎた大人は役に立つ知識なんて信じていない。仲畑貴志の名前と仕事を知ったところで彼らの脳内にどれほどのドーパミンが放出されるだろう。若者たちにたいせつなことを知識として吸収してほしいと願う社長の気持ちもわからないではないが、肝心なのはどうやって彼らに好奇心を持たせるかではないか。
知的好奇心のレベルを上げていくことが脳への栄養素となり、ドーパミンが分泌されることによって、記憶力がアップする。そのようなことがこの本に書かれていた。

2021年8月21日土曜日

本田美和子、ロゼット・マレスコッティ、イヴ・ジネスト『ユマニチュード入門』

ラピュタ阿佐ヶ谷で長門裕之の特集が組まれている(長門裕之--Natural Born 銀幕俳優)。
長門裕之と聞くと僕たちの世代では、おしどり夫婦の気のいいおじさん的な印象が強いが、父沢村国太郎、祖父牧野省三、叔父加東大介、叔母沢村貞子、そして弟津川雅彦と演劇・映画一族の血を受け継いでいる。加東大介、沢村貞子が出演している映画は何本か観ているけれど、長門裕之の映画はあまり観ていない。「太陽の季節」「赤ちょうちん」くらいか。そんなわけでラピュタ阿佐ヶ谷まで出かけて、今村昌平監督「豚と軍艦」を観る。
終戦後、朝鮮戦争の時代の横須賀が舞台になっている。空気感としては澁谷實「やっさもっさ」の横須賀版といったところか。おもしろい映画だった。
先日読んだ上田諭『認知症そのままでいい』で「ユマニチュード」というフランスで開発された介護手法があることを知った。以前NHKテレビ「クローズアップ現代」で紹介されて話題になったという。この手法は各地で成果を上げており、「魔法のケア」などとも呼ばれている。
というわけでこの番組放映後に発刊されたこの本を読んでみた。
ユマニチュードという技法は、「人とは何か」「ケアする人とは何か」を問う哲学と、それにもとづく150以上の実践技術から成り立っている。これをつくり出したふたり、イヴ・ジネストとロゼット・マレスコッティはもともと体育学の教師だったという。その後、医療と介護の現場にたずさわるようになる。病院や施設で寝たきりの人や障害のある人でも「人間は死ぬまで立って生きることができる」としてケアの改革に取り組んだ。
難解な本ではない。「見る技術」「触れる技術」「話す技術」「立たせる技術」など基本的なことが書かれている。むしろ拍子抜けするくらい常識的なことだ。
平易にやさしく介護者の背中を押してあげていることが、この技術のいちばんすぐれた点なのだと思う。

2021年8月18日水曜日

上田諭『認知症そのままでいい』

銀座の小さな広告会社に勤めていた当時の上司から手紙をもらった。正直言って突然の手紙におどろいた。何かあったのかとも思うが筆跡は本人のものである(彼とは賀状のやりとりを続けている)。
小さな広告会社といっても親会社は最大手で彼はそこから出向してきた。文面には貴君の仕事にとって貴重な資料を20数年にわたって預かったままになっている、返却したいが、手紙の表書きの住所でいいか、確認のために同封のはがきを返送してほしい、その際近況など記されたくと書かれていた。そのまま黙って送り返してくれればいいものをまわりくどい手続きを踏むのは往年の彼らしい。
昨年認知症啓発の仕事にたずさわったことは以前書いた。そのとき感じたのは制作の過程で多くの協力者と打合せを重ねるのだが、自分があまり認知症のことを理解できていないということである。そういうわけで題名に認知症と書かれている本を時間のあるとき目を通すようになった。
この本は認知症を特別視しないという一貫した考え方に基づいて書かれている。加齢とともにリスクが高まり、根治する手立ては今のところない。予防もできない。早期発見できたところで投薬治療によって進行を遅らせるだけである。もちろん薬物を投与するということは副反応のリスクも負う。
認知症の主症状は認知機能が低下することである。よく認知症になると元気がなくなるとか、暴力をふるうとか、何かを盗まれた、ここは私の家じゃないなどといった被害妄想におそわれるというけれども、これらは認知症の中核症状ではなく、周辺症状=BPSD(行動・心理症状)であるという。これらは案外本人の話に耳を傾けなかったり、本人を人として尊重しなかったりすることで見られる症状である。認知症と認知症本人に対する正しい理解と接し方がいかに重要かがわかる。
数日後元上司からテレビCMを多くつくっていた当時の僕の作品集が送られてきた。VHSのテープで。

2021年8月17日火曜日

永田久美子監修『認知症の人たちの小さくて大きなひと言 〜私の声が見えますか?〜』

毎年8月のお盆時期は南房総の父の実家に出向いていた。掃除をして、迎え火を焚いて、墓参りに行く。隣の集落に住む従兄弟の家を訪ね、線香を上げる。15日に送り火を焚いて、最後の墓参りに行く。
これがそれまでの「日常」だった。
新型コロナウイルス感染拡大にともない、昨年の夏はお盆の中日に日帰りにした。早朝の高速バスで隣集落で下りて、従兄弟の家を先にまわる。母方の墓を訪ね、午後、父の実家に着く。自分の家を皮切りに親戚の墓所をまわる。夕方の高速バスで帰京する。あわただしい一日だった。
感染拡大は止まらない。7月から8月にかけて千葉県でも陽性者が増えている。地元紙のホームページを見ると館山市や南房総市も多くいる。地元に住む叔母と従妹に相談する。おそらくひとりで来て、誰にも会わずに墓参りして帰るだけなら行けないこともなかったかもしれない。それでもお盆時期に混雑する駅や渋滞する高速バスはリスクが高い。
昨年認知症の普及啓発動画を制作した。全国から取材できそうな人を選んで(これには認知症の人と家族の会日本認知症本人ワーキンググループのスタッフ方々の協力をいただいた)、インタビューする。認知症だから何もわからないなんてことはない。デイサービスに通いながら、リーダーシップを発揮する元企業の総務部長がいた。認知症の看護を担当して元看護師は認知症と診断された自分の経験を率先して話してくれる。認知症当事者の声は貴重だ。
この本にはそうした当事者や家族、医療や介護にあたる支援者のさりげないひとことが集められている。誰が書いたというわけでもない。認知症介護研究・研修センターの永田久美子が監修している。あとがきに当事者ひとりひとりが放つ希望のキラーパスを、心を開いて、耳を澄ませて受けとめなければいけないというようなことを書いている。深く心にしみる。
お彼岸には墓参りに行きたいと思っている。日常は戻ってくるのだろうか。