2017年3月19日日曜日

山本周五郎『深川安楽亭』

本所と深川の境はどのへんなのだろう。
墨田区が本所で江東区が深川という説もあるようだが、墨田区千歳と江東区新大橋、森下あたりの複雑な区界を見るかぎり、そう簡単には線引きができないこともわかる気がする。
本所両国から深川に向かって歩いてみる。
深川は川の名前ではない。徳川家康の時代、この地を拓いた深川八郎右衛門の名前が由来だという。意外な真実だ。沼田という土地があって、沼だらけだからと思っていたら昔この地に住み着いた大豪族が沼田さんだったみたいな話だ。
さて両国から深川に歩くとして、どこを最終目的地にするか。とりあえず深川の最果てにたどり着きたい。ところがやっかいなことに時代とともに深川は海へ海へと進出していく。行政上の区分でいえば豊洲や有明の方まで深川なのだ。
東に目を向けてみる。どうやら横十間川あたりまでが深川でその先は城東と呼ばれる地域らしい。ということで暫定的にというか当然かもしれないが、深川の最果てを越中島とする。両国から越中島までなら歩ける。それに道々楽しそうじゃないか。
両国駅から回向院に立ち寄り、清澄通りを南下する。森下あたりから深川だ。高橋、清澄庭園を経て、門前仲町へ。昭和30年頃の地図では深川門前仲町、深川富岡町、深川越中島と現在の町名に深川が付いている。神田みたいだ。おそらく旧深川区が統合して江東区になったとき、町名に深川を残したいという住民の意見が反映されたせいではないだろうか。
人もクルマもにぎわう門前仲町の交差点を過ぎれば、最果ての地越中島も近い。枝川方面へ左折する交差点の歩道橋の向こうに東京海洋大学(旧東京商船大学)が見えてくる。
深川安楽亭はどこにあったのだろう。抜け荷をする連中が集まる場所だから運河にかこまれた辺鄙なところにちがいない。深川木場あたりかそれとも深川佐賀町か。
そんなことを考えるともなく歩いているといつしか相生橋に差しかかる。
深川の果ては佃島と橋でつながっている。

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