2013年1月7日月曜日
鈴木琢磨『今夜も赤ちょうちん』
Yさんとはじめて会ったのは、たしか1986年の3月だったと思う。
その昔、といっても母の生まれた昭和の初期の頃だからずいぶん昔の話だが、母の叔母が四谷荒木町の油問屋に女中奉公をしていた。その油屋の娘が長唄をやっており、そんな関係もあってその後、僕の姉も小学生のころから習いに行くようになる。長唄の師匠を僕らはみんな“おっしょさん”と呼んでいた。当時、稽古に通っていたの大半は大学生で姉が長唄研究会で有名な江古田の大学に進んだのもわからないでもない話だ。
話は長くなるのだが、この話をどこでどう端折っていいかもわからない。おっしょさんの妹もやはり長唄の稽古をいっしょにしていて、やはり大学生だった。学生結婚して相手は大阪出身の映画青年だった。卒業後映画監督を志して東映に入社し、映画からテレビへ時代が移り変わるころ、東映のCM制作会社に移籍し、しばらくして独立。会社を起こした。その元映画青年がYさんだ。
「君は何をやりたいんだ」と多少関西風のイントネーションで訊ねられた僕は咄嗟に
「ラジオCMの原稿を書いてみたいんです」と答えた。
Yさんはおもむろに受話器を取り上げ、どこかへ電話をかけた。
「ああ、Yだけど。今、ラジオCM書きたいという青年がひとり俺んとこ訪ねてきてるんだけどさ…。うんうん。そっか。じゃあ、また」
学生時代の友人か同業の知人にでも電話をしたのだろう。ものの一分ほどで会話は終わり、Yさんは僕に向かって口を開いた。
「ラジオやってる知り合いに聞いてみたんだが、間に合ってるんだそうだ。なんなら明日からうちでバイトしてみるか」
こうして僕のキャリアが新宿御苑にほど近いマンションの一室からはじまった。
そして赤ちょうちんな生活もおそらく、この頃からはじまった。
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